日記

明日は仕事;;;

と言うわけで、やや重いかなあ〜。

それに今ウイットネス・リーのローカル・チャーチのサイトをまとめているのですが、これが資料が多く、中々・・・。現在8割方できています。

前のサイトは売られたケンカを買う形でして(→コチラ)、一度はもう用なしと判断したので、geocitiesのシステム改変に伴って降ろしたのです。ところが昨年2ちゃんねるあたりでの粘着的工作があったり、クリスチャン・トゥデイとの絡みとか、これも予想外だったのですが、むしろこれから必要であろうと感じ出した次第。

欧米には相当に多数の情報サイトがあるのですが、日本にはまったくありません。と言うわけで、広く情報を網羅したサイトにしようと考えています。また私は憎まれ役を引き受けることになりそうですが、どうもやらねばならない雰囲気になってきました。この手の仕事はかなり疲れるものなのです。

救世軍の山谷さんも今事態が佳境に入っているわけです、が、どちらに転んでも彼は心を決めていますし、体制も整っていますから、磐石の構えで臨めることでありましょう。むしろCTがいかなる次の一手を打ってくるか、少佐、23様と共々、楽しみにしているところです。

お知らせ

昨晩11時ごろからサーバーが不調で、バックアップで運用しておりましたが、現在復旧いたしました。その間に書き込みをされた場合、それが反映されておりません。よろしくご了承くださいませ。

どうも先にウイルス攻撃を受けてから、サーバーの調子がよくありません。

自然科学者の見方

アップロードファイル 12KB昨日の記事にレスをいただきましたので、ちょっとついでに自然科学者は事象をどのように見るかの一例を紹介します。図にありますように、ある調査でx,yという変数を調べて、xy軸上で散布図を見るとxとyはかなり関係がありそうです。これを「正の相関がある」と言いますが、また別の見方をしますと、この事象はx,y軸では本質が見えないとも言えます。

そこで分散(広がり)の一番大きい方向と、一番小さい方向に軸を取り直します。これは行列の固有値問題となるのですが、大きい方をA軸、小さい方をB軸とします。するとこの事象を最もよく説明できるのはA軸であり、あまり説明できないのはB軸となるわけです。で、問題は、この事象において果たしてA軸は何を意味するのだろうかとなるわけですが、これは数学の問題ではなく、解釈の問題、すなわち個々の経験科学の問題となるわけです。

こうして私たちは本質的な隠れた変数を見出すわけです。それがニート・フリーター問題であれば、A軸とは「自己責任⇔甘え」の軸であろうと考えるわけです(Aが大が自己責任、Aが小が甘え)。社会科学や思想においては、私たちとは逆に、やたらと詳細な変数まで考慮に入れて議論が分からなくなる印象を持っていますが、彼らからすると自然科学はあまりにも「おおざっば」であると見えるのでしょうね。確かに実際のところ、私たちはB軸は捨象して、この事象をA軸のみで説明するわけです。

キリスト教神学にしましても、私たちからすると、「いのちの成長」が最も重要かつ本質的な変数であり、その他の変数の違いによって論争するのは、まさに不毛な論争であろうと考えるわけです。極端な例では、ある教派では、賛美の際の有楽器派と無楽器派で分裂しているそうですから。

と言う次第でして、私どもとしては、Aと言う変数が見つかった場合、その解釈に対しては多くの分野の方々の意見を伺いたいと思っておりますので、よろしくどうぞ。

いろいろ・・・

ブッシュ政権の支持率が最低の20%台。彼がイラク戦について反省の色を示さないことがその最大の理由。しかしブッシュが頑なになればなるほど、神の義の御手は重くなるだろう。

さらにDCマダムの名簿暴露。政府高官が辞任し、イラク戦を「衝撃と恐怖」と命名した軍の高官も含まれている模様。ブッシュよ、神は決して侮られるお方ではないことを再度繰り返そう(→こちら)。

 * * *

今回のワーシップでは韓国語で"King of Kings, Your Majesty"を歌っています。ハングルは読めませんので、平仮名で書いてもらいました。これで英語、スペイン語、日本語、そして韓国語が揃いました。ぜひ、聴いてみてください(→Worship)。

久しぶりの江ノ島其の弐

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江ノ島ではいつも楽しみにしていることがある。それは夫婦饅頭とお茶をいただくこと。この夫婦饅頭は、実は江ノ島には自分が元祖だとしている店が三軒ある。一つは何と宮内庁御用達だ。まあ、どれも同じようなものだが、本人たちは必死なのでしょう。黒砂糖の皮と酒の皮のタイプとあるが、いずれも口に甘く、お茶の渋さと実に合う。海岸は風が強くて、砂が中国の黄砂のように飛んで、顔に痛いほど。コンタクトレンズのため、これは苦手。風がなければ海岸で1,2時間はまったりするのだが・・・。かくして一応連休の気分を味わった次第。

久しぶりの江ノ島其の壱

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快晴でしたので、しばらく振りに江ノ島に出かけてまいりました。横横線から逗子へ抜け、国道134号へ。このルートはかなり気分がよい。昔はよくドライブしたものですが、このところはMr.Sugarの影響で山系でしたから、ややご無沙汰でした。BGMにサザンをと思ったら、積んでなかったので、ボサノバで。海の雰囲気とピッタリでした。ずいぶんと新しい建物もできており、新鮮でした。渋滞と人ごみがすごくて、目が回ってしまいました。

左は逗子の海、中央はカミさんの友人宅、右は洒落たレストラン

休養

本日は実にゆっくりできました。午後裸になってバルコニーで日光浴。太陽の光の効能はビタミンDの合成以外にも、セロトニンの分泌を促進し、サーカディアン・リズムを整える。時差ぼけの時は太陽光に当たるとよい。と言うわけで、体が実にリラックスし、気持ちがいいわけ。いつも『太陽がいっぱい』の最後の場面を思い浮かべつつ。

アップロードファイル 20KBで、いつもはバスケの部活とバイトでほとんど家にいない次女が休みの日なので、これから外で食事をして、レイトショーで『ロッキー・ザ・ファイナル』を観てきます。これで気合をつけてもらって、5月を乗り越えなくては・・・。

首が伸びた石仏

アップロードファイル 20KBまだ大学におります。今朝のみのもんたの番組で、なんとわが下諏訪町万治の石仏が紹介されていた。いわくこの石仏の首が伸びたと!?

この石仏はわが実家から約500bほどの砥川(かつて田中知事がダム建築を凍結して問題となった川)の縁に鎮座ましましている。私が子供のころはまったく注目もされず、草茫々の遊び場になっていたのだが、2030年ほど前にあの「バクハツだあ〜」の岡本太郎氏が紹介してから全国的に有名になった。

今回もこの連休で首の伸びた石仏を見ようとしてけっこうな数の観光客が押し寄せているとか。何しろ下諏訪町も寂れる一方で、旧商店通りはシャッター街と化しているので、これを機にぜひ盛り上がってもらいたい。放火魔の「くまえり」や代理出産の諏訪マタニティクリニックの根津先生などの有名人もいるのです。それにDr.Lukeことわたくしも、と勝手に・・・^^。

この寂れた感じを、「ひなびた温泉宿の町」として売り出せばよいのだが、温泉宿も仲居さんが近所のおばちゃんの内職なので、どうも品がないのがいけない。かっぽ着の前掛け姿の諏訪弁で、「おめさん、どこから来ただね。ほうゆうけぇ、横浜かねぇ。でも下諏訪で育ったで、この辺知ってるずら。でもおめさんが小さいころとはえらく変わっただでね・・・」といった感じ。

やっぱり温泉は凛とした女将がいて、てきぱきとした若い仲居さんがイイのだ。要するに雰囲気も値段のうち。この辺をうまくやれば、観光資源的にはかなり面白いモノがいっぱいあるのが、下諏訪町。皆さんもぜひ一度は訪れて下さい。NHKの『風林火山』でも登場しますし、あのEPSON(昔は諏訪信州精機と言ってセイコー社の下請け会社だった)の発祥の地でもあります。

共有できないセカイと世界

連休の合間、ひと仕事をしてきました。ひとつは理系の科学英語。コンピュータの歴史の中にENIACの話が出てきて、訳担当の学生いわく、「先生、ENIACって何ですか?」。小生「世界初のペンシルバニア大学で作られたコンピュータのこと。真空管を18,000本使って、大きな部屋一つ分だった・・・」と解説すると、「先生、シンクウカンって何ですか?」と。小生内心で、「ヤバイかな、これは・・・」。「トランジスタができる前の電圧制御のできる電球みたいなもので・・・」とやり出したら、今度は女子学生が「先生ぇ、トランジスタって何ですかぁ?」、ややわきの下に冷たい汗をかきつつ、「ICができる前の半導体の・・・」と言うと、別の女子学生、「えっ、アイシーって何?」・・・。小生内心で「ダメだ、コリャ・・・」。精根尽きて、次へ話を進めた次第。

すると今度は電話機の話で、ケイタイのできる前、87年当時の肩掛けバッグほどの電話の話をすると、彼らはまったく知らない。そこで「87年の伊丹十三の『マルサの女』で査察官が肩からかけていたでしょ?」と言うと、女子学生「だってぇ、あたしぃ、生まれてないもん」と。小生内心で「やばっ」。「あのね、当時は26万円だったよ」と言うと、「ふーん」とシラケタ空気。さらにバブル期の話になって、最近の『バブルへGO』で釣ろうと思い、「広末が出て、眉毛ふっとい、ってやってたでしょ。六本木のジュリアナでワンレンボィコンで踊ってたの知ってる?」、一同「しーん」・・・。「ああ、ぼくは孤独だぁ」と言って、その場をやり過ごした。

次の精神保健学の講義でも、またまた「アバタもエクボ」の説明で、「アバタ」を知っているかと聴いたら、2,3人だけ。講義が終わると2人の女子学生が質問に来た、「先生、石原真理子って、どんな人なんですか?」。小生「ああ、彼女はプッツン女優だから」と言うと、「プッツンって何ですか?」・・・・。再び「やばっ」。

・・・と言うわけで言語は明瞭だが、中身が通じない。セカイ系と下の方でご紹介下さったが、その彼らのセカイとこちらの世界が互いに共有できない。彼らは完全に彼らだけでカプセル化している。向こうから見れば、こちらは立派なオジサン。姿は見えても、中身が触れない。教員にとっては言葉が通じないわけで、これは凄い世の中になってきましたよ、ほんと(汗だく)。

ゴールデン・ウィークの過ごし方

長女はあすあさっても休みで9連休だそうだ。私はあすあさっては出勤。本日は、このところの強風で、バルコニーの人工芝がはがれてしまったので、ディスコを聴きながら貼り直し。私は人が遊ぶ時はじっとしている。大学教員は休みはかなり取れているので、GWだからと言って、あまり動くことはない。大体渋滞はたまらないし。ニッポン人はこの時期、一生懸命に遊ぼうとするわけだが、これも強迫性傾向を持つニッポン人らしい。GWが過ぎると、私は6月の第1週まで休みがなくなる。土曜日も仕事が入っているため。先を考えると重くなるので、力士ではないが、一日一日です。

青春の光と影

アップロードファイル 36KB昨日の青春の話にはいくつのレスをいただきました。泣けてしまったとのお声もありました。やっぱり、どなたも甘酸っぱく、同時にちょっとホロ苦い想い出を持っているのですね。ジョニ・ミッチェルの『青春の光と影』と言う名曲がありましたっけ(映画にもなっています)。

邦楽では森田公一の詩がしみじみと迫る年代になりました:

卒業までの半年で答えを出すと言うけれど
二人が暮らした歳月を 何で計ればいいのだろう

青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 道に迷っているばかり

二人はもはや美しい 季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ 愛にかなしむ人になる

青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 胸にとげさすことばかり

でも私などはいまだに迷っているかも知れません。根本的に自己決定をしたくないのだ。考えてみると学生時代からわが生活も服装も変わっていませんし、気分もほとんど同じ。いまだにフラフラしていますし。カミさんとの関係も当時から古びた感覚もしません。子供たちは成長しましたが。

クリスチャンではありますが、ニッポンキリスト教徒にはなりたくありませんし、この業界の病理と倒錯は想像以上だと分かりましたし、イロイロ言われても、まあ、創価学会で言われるようなもの。私の人生とは関わりがない。ただこうして皆さんとの個々の出会いと交わりは大切にしたい。

何とか教団の決議だの、決起声明だの、日本民族総福音化何とかなんて恐いだけですし、昨日述べた学生運動のアジ演説みたいなもの。ややうるさいBGMです。たまたま主日にはメッセージをしていますが、別に集会をでかくしたいわけでもない。油塗りがなくなって楽しくなくなったらただちにたたむ予定。ビョウキの人のお相手はほとんどしたくないし、信仰も基本的に自己責任でと考える。私はニッポンキリスト教公認の牧師などではないのだ。福音も主が伝えるべきと導かれた人には語るが、こちらから折伏することはない。互いに人間同士の関係を楽しんでいる。

まあ、こう書くと目を吊り上げた人たちからは怒られそうだが。依然としてモラトリアムしているわけかも。憧れるのは山に篭ること。桜と富士を愛で、温泉を楽しみつつ、生きること自体を慈しみたい。学生との触れ合いもそのひとつの楽しい場面ですし、個々のクリスチャン同士の交わりも同じ。こうして一期一会を大切にしつつ、主が下った時々刻々、日々、年月を主と共に生きる。これにまさる幸いはないわけ。

リバイバル音頭で、あの聖会だ、あの油注ぎの器だ、あの教えこの実行と、かまびすしいニッポンキリスト教徒を見ていると、何故か悲壮さと血気と油と汗の臭いがするのだ。もっと力を抜いて、日々を慈しみつつ生きればよろしいと思うのですが・・・。まあ、余計なお世話でしょう。

アップロードファイル 11KBあらゆる事柄の上に主のあわれみといつくしみに満ちた御手を覚え、その摂理の中に生かされていることを思うとき、何なのでしょう、意味不明な喜びがこみ上げるのだ。主にあっては私たちの光も影も、その栄光で包まれ、ナッシングと化してしまう。この死のダイナミズム!

聖なる方 聖き方に
誉れと栄光 賛美 永久(とわ)に
御座から恵み 憐れみ満ち
御顔の栄光に 我 消えゆく

すべてに 勝る
主よ ただあなただけが 完全 真実
アイ・スタンド・イン・オウ


聖なる方に、聖き方に、
高き御名 子羊 主よ
とこしえまで 変わらぬ方
造られしもの 何を持ても
御顔の栄光に 影 落とせず
−Faith05の"I Stand In Awe"(←視聴可)の和訳:

もっともっと力の抜けた、生きることの味わいを知るクリスチャンがどんどん出てくることを願っているところです。

青春いろいろ

お昼休みにPCで、英語耳を養うために、DVDの『トップガン』を観ていたら、ドアをノックする音。出てみるとひとりの女子学生が。何か訳あり気なので中に入れてあげると、最初は話たがらない。で、こういう場合、大体の見当がつくので、ちょっと話を振ってみると、「先生、何で分かるんですか!?」と。もう20年以上、この年代の子達を相手にしていますから、黙って座るだけで細木数子程度には分かるのだ。

それから彼女も話し出して、私が「そう、がんばったんだね」と言うと、突如泣き出してしまった。ティッシュの箱を渡してあげて、話したり泣いたりで、小一時間ほど。表情がほぐれてきて、「ありがとうございましたぁ」と帰って行った。歳は20歳、わが次女と同じだ。彼らは何も考えてないようだが、それなりに彼らなりの重いモノを背負っているのだ。

で、ふと自分の当時を思い起こしてしまった。あの当時は何だかひたすら空回りしていた。大学へ行って、悪友と顔を合わせるとすぐに渋谷へ。当時は渋谷のセンター街も実にのどかだった。インベーダーゲームの真っ盛りで、喫茶店でコーヒー1杯で3時間は粘ったもの。「名古屋撃ち」をマスターしてから、腕が上がった。

わが悪友のひとりは加藤締三と麻原彰晃を足して2で割ったような風貌のむさい男。新潟出身で、新潟弁が面白く、何故か引越しばかりしていた。理由は大家が気に食わないから。私も引越しの度に駆り出されたが、結構新しい場所へ移るのは楽しかった。ある日彼のアパートの部屋でベッドの上に妙なものを見つけた。真っ黒になっているクマちゃん人形だ。「おい、これ何だよ?」と聞くと、あわてて隠そうとする。で、問い詰めると、何と「オレ、これがないと寝られないんだ・・・」。「ええ、お前、抱いて寝てるの!?」。実に面白い奴だった。その後農学部を出て、今アメリカにいる。

アップロードファイル 68KB今、前に紹介した唐木田氏の著書を読ませてもらっているが、彼らは学生運動の真っ只中で、サルトルの実存主義哲学を読まれている。彼女とのつきあいも、ボーボワールを介してだ。団塊の世代と私たちにはかなりのギャップがあるかも。対して、私たちの世界観は思想性はゼロ、汚いGパンをはいて、パーマでクルクル頭にした中村雅俊の『俺たちの旅』でしたから(今もわがカラオケの定番)。確かに駒場では学生運動家もいて、駒場寮はその根城だったが、私は彼らの「われわれはぁ〜、われわれのぉ〜、断固としてぇ〜、粉砕するぅ〜」といったアジ演説は全くのBGMだった。

職場でも団塊の世代とはけっこう付き合った。88年ごろに私の同僚でやはり学生運動をした方がいた。私より10歳上で、よくお世話になった。飲みながら「君は老成し過ぎているっ!もっと冒険しなくてならないっ!」とか、あの団塊の世代特有の独善的押し付けムードで迫られたりもした。彼は学生時代に結婚しているが、運動の女性同士がある晩の雨の中、汚いアパートにずぶ濡れで訪ねて来て、ふたりは結ばれたそうだ。まさにかぐや姫の『赤ちょうちん』の世界だ。その彼も1億5千万の家を購入した直後、書いていた本のゲラの校正をして徹夜の連続。ある朝、自宅のコタツで眠るように逝った。享年42歳、死因過労死。団塊の人の典型かも知れない。

アップロードファイル 49KBと、つらつらと書き連ねたが、ついに娘たちが当時の私の歳になったわけで、その頃のわが写真を次女に見せたところ、「ええ、これでタメ?老けてるぅ〜」と黄色い声をあげた。まあ、青春の形も実に変わりつつある。う〜ん、想へば、遠くへ来たもんだ・・・。
アップロードファイル 49KB

病理のシンクロニシティ

同期性。ユングはややオカルトが入っている、自我心理学を打ち立てた精神分析家であるが、彼がシンクロニシティを唱えている。つまり今回のように日米で似た事件が起きることを言うが、どうもメディアから流れる情報を見ると、その病理にも類似性を感じる。米国の場合は妄想の中で恋人を持ち、カメラで女性を撮影し、ストーカーまがいのことをしていたらしい。そして周囲に対する強い憎悪を抱いている。日本でも工事中の穴に車を落として、市に文句を言ったら、金目当てとあしらわれて、憎しみを増幅していたようだ(弁護士の話)。

どちらにも見られるのが、一種の逆恨み的憎悪。憎悪は自我が傷つけられた時生じる感情であるが、自己愛性傾向を帯び、プライドが高いほど、幻想的に肥大化した自我は脆弱であり、容易に傷を受ける。現代はある意味で自己愛の時代と言える。要するにナルチシズムの病理。私たちのような立場では、すでに何度も書いているが、このような憎悪を向けられ、粘着されることがしばしばある。彼らがどうして、どのような恨みをいだくか、こちらには分からないから不気味なのだ。犯罪心理学の福島章先生も女性ストーカーに2年間つきまとわれ、自身がPTSDになったそうだ。

先にも書いたが(@AB)、最近の若者(ばかりでもないが)の特徴のひとつが「自分以外はみんな馬鹿」の心理がある。何らの実質を伴わない幻想(妄想)で肥大化した自我が生み出す光景である。他者を貶めて、肥大化した脆弱な自我を守るわけ。今回も共に、この心理が昂じて凶行に及んだような印象を覚える。

アメリカでは銃が容易に入手できるわけだが、日本でもアメリカ化したらもっと凄い光景になるかもしれない。かろうじてそういった自己愛の世界で妄想を膨らませる人々のガスを抜いているのが、2ちゃんねるなどのネット世界なのだ。こういった現象は日本にきわめて特異的な存在であるが、ある意味で社会のバッファー(安全弁)の役割を果たしているかも知れない。いずれにしろ妄想を膨らませ、勝手に恨みを抱く人たちが多いことはマチガイナイ。(ほぼ10年前に書いた論考で予想した通りになってきている。)

最近の事件の霊的病理
少年たちの心の闇を探る
青少年の「怒り」と犯罪

コロリでした(笑)

昨日の件、朝にある「仕掛け」をして置きましたら、午後うまくかかってきました。で、一発(と言っても手を出したわけではないですから^^)でコロリ。シュンとして引き下がりましたね。まあ、インテリを気取る連中はけっこうあっけないもの。前にも書きましたが、裁判も法廷外で勝負がつくのです。この裁判官も弱みを突きますと実にコロリでした(→こちら)。

私が最も恐れる相手は、真にへりくだった人です。でもニッポンキリスト教の牧師(特に看板張ってるセンセイ)たちにはほとんどおりませんし、大学にもおりませんね、何故か。多分このような人たちは表には出ません。主の前にあって本当に真実に歩んでいるのです。このような人々には決して挑んではなりません。神が味方しているからです。