映画

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 19KB午前はいつもどおりプールとサウナ。午後は映画。あのアカデミー賞で話題になった『バベル』。神の怒りに触れ言語を乱されて散り散りになった人類。神学的にはストイケイアの分散統治の下に置かれているわけだが、その地上のモロッコ、メキシコ、ジャパンで起きたそれぞれの事件。最初はつながりが分からないが、徐々にその連鎖関係、因果関係が見えてくる。

何気ない子供のイタズラでひとりの女性が負傷する。その銃は厚意によって人から人に渡ったもの。そして女性の子供たちは過酷な運命を経る。この3つのストーリーが一つの流れに収斂する。言語が違うために味わうフラストレーションと葛藤。これは私自身も外国で経験する。この緊張感がずっと続き、かなりシンドイ。が、最後は・・・。

ある意味、摂理的な事件のつながりで、これもストイケイアのなせるわざと言えるも知れない。3つの事件のひとつのテーマは家族の絆とも言える。言語は違っていても、これだけは人類普遍のもの。カタルシスはあまり望めないが、思い巡らすにはまことに適切にして、ある意味で聖書的でもある。ブラッド・ピットもアイドルからうまく脱皮しつつあり、なかなか渋い。アップロードファイル 63KB

本日の夕日に映える富士山

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 2KB午前はいつもどおりプールとサウナ。午後は映画。『クイーン』−1977年8月31日、パリでダイアナが事故死する。その悲劇的死により世界中が一種のヒステリー状態に陥るが、その死に際して、たった独り涙を見せなかった女性がいた。エリザベス女王。父親の不慮の死により50年間女王を演じてきた女王とダイアナの価値観の相違は明らか。かくして女王から見ればダイアナは自由奔放過ぎたのだ。その確執が宮殿の陰謀説なども生むが、確かにその説を生み出すだけの因縁はあった。

女王はバッキンガム宮殿を離れ、バルモラル城に篭り、世間に対して一切のアクションを起さない。このことがますます世論をして女王批判をかきたて、1/4の国民が王室廃止を訴える。しかし新任の若いブレアが女王を説得し、ついに女王は国民の前に姿を見せ、追悼の辞を述べる。この1週間の女王の微妙な心理を描写する。

バルモラル城に篭りつつ、女王は自らドライブに出て、車が故障する。自らドライブして警護なしに出かけるのもビックリだが、彼女がやたらと車に詳しいことも意外。戦争中は車の修理をしていたらしい!?そこで何ゆえかの涙を流すが、ふと見ると品格のある雄鹿の姿が。女王はそれに感動し、ハンターから逃がす。が、数日後その雄鹿は殺される。わざわざその死骸の納められている場に自ら運転して出向く女王。その死骸を見て、深く憐れむ。

多分、この悠然たる雄鹿に自らを投影していたのであろう。女王は自らを退けて、まず国民のために奉仕することをすべてとしてきた女王。しかしダイアナに裏切られ、また国民に裏切られようとしている。ダイアナの死に対して冷静であるのに、雄鹿の死を痛む女王の心がやや怖いが、彼女の生き方がその倒錯を生んだのだろう。が、ついにブレアの進言に従い、国民とかろうじて和解を果たす。

ヘレン・ミレンが人間女王の孤独を実に見事に演じている。役者がそれぞれ実在の人物を彷彿とするのが、何かモノマネ合戦を見ているような可笑しさを覚え、これで救われる。また当初は微妙な緊張関係にあったブレアが、最後には50年間女王を演じてきた彼女を擁護し、結局は女王の威厳を守っている作品だった。日本の皇室では、例えば日本のダイアナ的存在である雅子様と皇后の確執や、彼女の孤独と葛藤など、こうは描けないであろう。ややシニカルが好きな人にはお薦め。

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アップロードファイル 25KB午前中はプールとサウナ。午後は近くの公園の桜吹雪の中をそぞろ歩き、その後、映画。ディカプリオの『ブラッド・ダイヤモンド』。紹介はこちらを。ダイヤが商品価値を保つために、マーケットがコントロールされ、アフリカが搾取されていることを描いた社会派作品。

前にも書いたがディカプリオは『タイタニック』のイメージから見事に脱皮した。ボディもできてきたし、男の体臭がするようになり味が出た。これからが楽しみである。俳優はしばしばハマリ役でかえって可能性を狭めてしまうことがある。『コンバット』のビッグ・モローや、『サタデイナイトフィーヴァー』のジョン・トラボルタなど。トラボルタは『ブロークンアロー』あたりで偏執狂的悪役を演じてうまく抜けたが、低迷の時期が長かった。

内容的には前に紹介した『ダーウィンの悪夢』と重なるテーマであるが、世の中は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」。ダイヤモンドよ永遠に、ということで女性はダイヤに弱いようであるが、実はマーケットは希少価値を維持するために供給がコントロールされ、メディアなどではまさにMC(マインドコントロール)されている。アフリカは依然として搾取され続けている。

男性諸氏、給料の3か月分!○○ダイヤモンド。覚悟はできているでしょうか?ちなみにわがカミさんはあまり関心がないので、私的には助かっておりますが。

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アップロードファイル 22KBブラック・ブック』。ユダヤ人の迫害をテーマにした映画として、『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』と続く作品。美しいユダヤ人女性歌手が同胞を救うためにスパイとしてナチスの幹部に取り入るが、本当に愛し合ってしまい、そこから数々の悲劇が展開する。

私たちは悪のナチスに抵抗したいわゆるレジスタンスは正義、といった白黒のフレームで認識する傾向があるが、実はそのレジスタンスにも黒い部分があったと言うわけ。下でルター思想がナチスを生み出したとする説を紹介したが、非カトリックの私たちも、当時のカトリックは悪、ルターこそ正義と言った認識のフレームを植え付けられているのだ。真実に触れるには、一度すべての認識のフレームを壊す必要があるだろう。同じように、主イエスご自身を知るためには「神学」や「キリスト教」のフレームも。

オランダ・ドイツ・イギリス・ベルギーの共同制作だそうで、言語もドイツ語、英語、オランダ語と目まぐるしく変わる。最後に問われるのは、誰が味方で、誰が敵あるいは裏切り者であるのか。ラストにどんでん返しが待っている。米倉涼子主演、松本清張原作の『黒革の手帳』を連想してしまった。ちなみに最近では秘密の手帳を落として人生が終わるのではなく、メモリースティックを落としたりとか、Winnyによるファイル流出で終わるらしいが・・・。

大人の鑑賞に堪えるオトナの作品。お薦めです。

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アップロードファイル 35KB午前中はいつもどおり・・・と言いたいところだが、まだプールとサウナへの気力が出ない。風邪がグズグズで、家でゴロゴロと・・・。ココへ来て寒波がぶり返しているが、天候もやや倒錯気味。

で、午後は映画。これはあまり体調とは関係なく楽しめるわけ。デンゼル・ワシントン主演の『デジャヴ』。心理学の用語だが、「既視感」のこと。初めての人や場所に何か見覚えがある不思議な感覚だが、これを物理的に実現してしまうと言うお話。最初はサイコ・サスペンスと予想したが、完全なSFモノ。

それにしても、この中で出る過去と現在をホワイトホールでつなげる装置は、前に紹介したGoogle Earthとやや似ており、不気味だった。GEでは現在の私たちの状況を人工衛星で監視されているわけだが、この映画には時間のファクターが入るわけ。と言うわけだが、どうもココでネタばらしをされるとつまらなくなるとの声もいただいておりますので、後はご自分で観て下さい^^

下手するとB級物となりかねないストーリ展開だが、デンゼル・ワシントンだけあってそれなりに楽しめる。『クリムゾン・タイド』でハマって以来、彼も好きな俳優のひとり。ビックリしたのは、トム・クルーズの『トップガン』でクールなアイスマンを好演したヴァル・キルマーがすっかりオジサン化していたこと。『ヒート』ではアル・パチーノらと遜色なく、かなり渋い役をこなしていたが、歳を取ってからのイメージ作りが難しいのかも。ジョン・トラボルタと似ているかも知れない。

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アップロードファイル 36KBパトリック・ジュースキント原作小説の映画化作品『パヒューム』。

以下はチネチッタの紹介より:

それは、昨日まで人だったもの。

舞台は18世紀のパリ。悪臭立ちこめる魚市場で一人の子供が産み捨てられる。名をジャン=バティスト・グルヌイユ。グルヌイユは生まれながらに体臭がなく、神が彼に唯一与えたのは、あらゆるものを嗅ぎ分ける驚異的な嗅覚だった。やがて彼は、天才香水調合師となり、世間を驚かせる芳香を生み出していく。時を同じくして、パリを震撼させる連続殺人事件が発生。被害者はすべて若く美しい娘で、髪を刈り落とされた全裸死体で発見されるのだった…。犯罪史上最も純粋な動機が彼を狂気へと駆り立て、そして物語は、かつて誰も目にしたことのない驚愕の結末へと向かっていく…。

11週間連続1位を記録したあの『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』を抜き、驚異の全世界BOX OFFICE No1!という記録を樹立した本作。原作は、世界45カ国で1500万部も出版された大ベストセラー、パトリック・ジュースキントの「香水 ある人殺しの物語」。永い間、最も映画化の待たれる小説として、その座に君臨してきた幻の小説で、スピルバーグやスコセッシがこぞって映画化権を熱望したと言われる話題の小説だ。その禁断のベストセラーが、『ラン・ローラ・ラン』の鬼才トム・ティクヴァ監督の手により、遂に完全映画化!未曾有の衝撃が、あなたの五感を貫く!(作品資料より)

確かに臭覚は大脳辺縁系の深いところを通るため、人格の深層と密接に関係していることは前にも書いた。ある意味世界の認識が匂いだけになった世界を描いてもいる。で、当初は単なる匂いフェチの人格障害者を描いたサスペンス物と思って観ていたが、ある場面で作者の意図が見えたような気がした。もしかすると私の思い過ごしかもしれないし、少なくとも聖書を知らない日本人には意味不明の作品だろう。その真偽を確認するためにも原作者の個人歴が知りたい。

女性の体臭に惹かれてそれを保存しようとし、若い女性を殺して体臭のエキスを抽出し、それらを調合して究極の香料を作り上げる。当時パリで流行していた「愛と精霊」などはインチキであるとして、それを超える作品を作るわけ。しかし殺人者として囚われ、処刑判決を受ける。が、その執行日、その究極の香料を振りまくとカトリックの司祭からはじまって、怒りに燃えていた群集がトランス(恍惚)状態に陥り、ひざまづき彼を天使としてあがめつつ、恥を忘れた行為に及ぶ。彼に最愛の娘を殺された父親すらも、「私は騙されないぞ」と剣をもって処刑台に登るが、その香によって逆に「私を赦して下さい」と懇願する始末。ついに彼の代わりに別の無実の者が処刑される。かくしてこの香料により世界を支配することも可能となるのだが、彼はパリに戻りオルレアン門から入る。と、自分の誕生した臭い場所において香料を頭から注ぐや、そこにいた人々が再び恍惚として彼を天使とあがめつつ、彼を、なんと食べてしまう!(すみません、オチを明かしました)

何じゃ、この映画は。単なるシュールかつグロテスクな猟奇映画?ここで思い起こすのが、ジョン・レノンの歌。「キリストさんよ、あんたの弟子たちはクサイぜ」と。そして牧師ですらキリストの生まれはローマ兵のレイプによるもので、素性の分からない私生児あると説教する昨今。愛と聖霊はインチキ。民衆が恍惚としてグルヌイユを崇め、彼が手を振るとバタバタと倒れる場面はついヒン様の聖会を連想してしまった。旧約の調合された香油はキリストの御霊を象徴する。キリストの香ははたしてキリスト教から発散されているだろうか。キリストの身代わりの処刑などはインチキであり、彼に赦しを請うことはかの父親のように愚かなことである。そして最後に彼は愛の証として人々に食べられてしまうというカニバリズムのオチ。イエスも言われた、「わたしの血を飲み、肉を食べるならば、あなたがたは永遠に生きる」と。そしてキリストの意味は香油を注がれた者。

いかがでしょう。この映画にはキリスト教の臭さ、いかがわしさ、ペテン性がこめられていると考えるとすべてが解けるわけです。確かにジョン・レノンが言うとおりキリスト教はクサイのです。しかし、ここで見かけのキリスト教を否定することによって、キリストご自身とその御業を否定しまう危険性を、聖書をなまじっか知っている欧米人は有している。すなわちイエス・キリスト御自身を知ることとキリスト教の一員となることの違いが分かることは幸いです。私はイエスを肉において現れた神と信じ、その十字架の贖罪に与るキリスト者ですが、キリスト教を信じているわけではありません。このお方に捕らえられた者であり、キリスト教の教義や神学や実行に捕らえられたものではありません。

イエス・キリストとキリスト教−歴史的にも後者は福音にとって多くのつまづきを与えてきたし、今もなお与えている。だからキリスト者である私にとってもジョン・レノンやこの映画の動機も理解できてしまう。昨年女性と裸で飛び降りた牧師も、イエスは好きだが、キリスト教は嫌いだと言っていたそうな。むしろイエスご自身につまづくならば、幸いなのだ。ここにイエスご自身を知ることとキリスト教徒になることの間には大きな溝が横たわっている。キリストはまさにその愛の動機ゆえに、私たちに食べられるほどに小さくなられたお方なのです。

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

Dr.Lukeの一言映画評

まだ微熱が出たり引っ込んだりで、プールとサウナはお休み。ひたすらおとなしく。

アップロードファイル 38KB午後、恐る恐る外出して映画−『蒼き狼』。角川春樹の構想27年、制作費30億。豪華キャストによる一大歴史スペクタクル大巨編、圧巻だ!!!

・・・と言いたいところだが、一言、駄作。モチーフは兄弟より固い契りを結んだ幼馴染との裏切りと相克や(ベン・ハーだね)、出自を巡っての父と子の葛藤(万俵家だね)、そこにモンゴルの大草原での壮観な肉弾戦・・・。まあ、映像は一応観られますが。しかしあまりにも内容が稚拙。以前の『天と地と』のノリで、当時角川は『ベン・ハー』を超えたかったらしいが、とてもとても。今回も同作品のモチーフを入れたりもしているが、人間の深みを描くのが何と下手なことか。役者も反町隆史に菊川玲じゃあね。やたら仰々しい演技だが、学芸会のノリ。観た後のカタルシスも感動も何もなく、ただシラケた。角川映画だから大体予想はしていたが、しかしね・・・(ブツブツ)。

ご参考までに映画評論家の評です→コチラ(映画よりこの評の方がオモシロイ^^)

Dr.Lukeの一言映画評

午前中はいつもどおり『ぶらり途中下車の旅』を観た後、プールとサウナ。午後は映画。その前にこの数日間エクセルと共に確定申告書類と格闘してきたが、ついに完成。来週、退院した後、ただちに提出できる体制を整えた。

アップロードファイル 38KB映画は『ドリームガールズ』。ハリウッドの黒人系俳優勢揃いと言うところ。元々はブロードウェイ・ミュージカルだったようだが、映画化。3人の黒人少女たちのアメリカンドリーム実現の旅。愛があり、裏切りがあり、嫉妬と妬みがあり・・・。3人のあどけない少女が、今話題の叶姉妹みたいなオトナの女に成長する様は役とは言え、お見事。ミュージカルだけあって、けんかする場面も歌になっている。しかしファンタスティック。実に良かった。曲もジャズあり、ソウルあり、ブルースあり、ポップスあり、ディスコあり・・・と。しかし黒人はやはりスゴイ。

それにしても私の音楽の原点は70年代にある。何だか学生時代のディスコのノリで郷愁を駆られた。思い起せば、当時のディスコは、あの『サタディナイトフィーヴァー』のノリで、いつもかかっている曲と言えば、日本のは大橋純子の"シンプルラヴ"、外国のでは"I Was Made For Daincing", "Hello, Hello, Mr.Monky", "ラスプーチン"、そして"YMCA"など。私は勝手に踊るのが好きだったので、"YMCA"で振りが揃うとしらけたものだ。特に今回の"One Night Only"などはまったくこれらの曲調で、つい青春時代にタイムスリップ。

思わずサウンドトラックCD+DVDを買ってしまったが、しばらく車の中で楽しめそう。日常性からトリップしたい人にはぜひお薦めの作品。

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 26KB午前中はいつもどおりプールとサウナ。午後はチネチッタで映画−ケビン・コスナー主演、『守護神』。コスナーは『JFK』ではまって以来かなり好きな俳優なのだが、う〜ん、いまいちか。一言で言えば、『トップガン』と『アルマゲドン』を足して二で割った感じ。アクション物にするか、内面の深い葛藤を描くのか、どちらかに焦点を絞ったほうがよかった。

その後LAZONAにまわり、ビッグカメラでパソコン用品の買い物と旨いラーメン。最近ややラーメンにはまり気味。博多とんこつスープ、細直めんでけっこういけた。LAZONAはまだまだ相当に開拓できそうだ。

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 27KB午前中はプールとサウナ。午後は映画−『バブルへGO』。90年3月にMOF(大蔵省)が不動産融資への総量規制を決定してから、不良債権の山が発生し、失われた10年以上を経験したわけだが、タイムマシンで2007年から1990年に飛んだ主人公の活躍によってその規制を発効しないようにするわけ。大体どんな映画かは見えていたが、いやあ、実に抱腹絶倒、楽しい映画でした。

90年のワンレン・ボディコン・ファッションの風俗に現代の若い子が飛び込んだらどうなるかと言うシミュレーション。ケータイもなく、駅ではSuicaもなく、カチカチと駅員が切符を切っているわけで。六本木のディスコでお立ち台のイケイケダンス。六本木交差点のアマンドが懐かしかった。主人公がボディコン姉さんを見て、「眉毛、ふってえ!」と叫ぶのが笑えた。

私の当時はと言うと、5,400万のローンで、毎月36万を返済してなお、未払い金利が積もると言う状態。で、その総量規制の後、不動産投資に対する税制も変わり、私もアメリカのオフィスビルの投資がポシャッたわけです。それから8年間の裁判となったわけですが(→記録)、主の御手の介入により全面勝利だったので、生活自体は何も変わっていないのです。ちなみに映画でも出たが、私たちが訴えた長銀はつぶれてしまった。あのバランスの悪いビルの前でシュプレヒコールをやったものです。結果としては、この10年近くの低金利は助かった。しかし確かに社会は変わりました。

同時にキリスト教界も。わけの分からんアメリカの油注ぎの器とかが訪れるようになり、クリスチャンが金歯金粉を求め、床を転げ回り、獣のように叫び・・・となっちゃったわけで。

まあ、こういった映画ができるのも、人々が少しはホッとしつつあるからかも知れません。しかし依然として800兆の国の借金と、地方を合わせると1,000兆近くあるわけで、映画では後2年で日本経済は崩壊すると言っておりましたが(→借金時計)。夕張市を100倍するとニッポンの現状になるそうですから、予断は許しません。で、今、日銀が金利を上げる時期を伺っているわけですが、上げればこれでまた借金は増えることは確実。しかしこのままだと円安が進みます。さてさて、日本の舵取りは・・・?

とりあえず、この17年間を振り返りつつ、自分の愚かさも賢さも笑い飛ばしたい人はぜひご覧下さい。しかし当時はこんなサイトを作って、ニッポンキリスト教界のわけの分からないビョウキの人たちに絡まれたりしてるなんて、誰が想像したことでありましょうか(汗)

追記:思い起こしてみると、私の人生の青写真の原点は85年の『金曜日の妻たちへ』によるかも。郊外のパティオのある家で友人たちを呼んでパーティ。そんな家を持ちたくてと夢を見ていた20台が懐かしい今日この頃であります。

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 28KB実は昨日観た映画−『墨攻』。原作はビッグコミック(ゴルゴ13も連載中)誌連載の同名の漫画。漫画はメディとしてすでに侮れない存在となっている。ちなみにあの『20世紀少年』も映画化されるようだ。これはビッグスピリッツ連載で同誌上では完結しているようだ。

時はBC370年戦国時代。趙と燕の国境にある粱城は、趙によって攻撃されようとしていた。10万の趙軍に対し、梁城の全住民はわずか4000人。頼みの綱は墨家の救援部隊だったが、間に合いそうもなく、粱王は降伏を決断する。墨家の革離(かくり)がたった1人で駆けつけたのは、その直後だった。兵に関する全権を粱王から与えられ、早速城を守る準備に取りかかる革離。趙軍の指揮官・巷淹中は革離を好敵手と見なし、やがて激しい攻撃を開始する。

かくして革離の的確な状況分析と戦略により、梁城は守られるも、革離の評価と人気が高まり、梁王は嫉妬に駆られ、恩人である革離を排除しようとする・・・。と言うわけで、サウルとダビデの物語的展開になるわけ。

それにしてもこの墨家と言う思想家の集団は実に不思議な存在。BC450年、孔子の没後30年ほどの時代、墨子が魯に拠点をおき創始した学団。自ら戦うことはせず、守りに徹する。その面ではまさにプロ。孔子の儒家と匹敵する存在だったそうだが、秦の始皇帝時代に忽然として姿を消す。その教えは次のようなもの:

墨家十論
一、兼愛−自分を愛するように人を愛せ。
一、非攻−侵略と併合は人類への犯罪。
一、天志−天帝は侵略と併合を禁止する。
一、明鬼−鬼神は善人に味方して犯罪者を処罰する。
一、尚賢−能力主義で人を登用せよ。
一、尚同−指導者に従って価値基準を統一せよ。
一、節用−贅沢をやめて国家財政を再建せよ。
一、節葬−贅沢な葬儀をやめて富を蓄えよ。
一、非楽−音楽に溺れず節約と勤労に励め。
一、非命−宿命論を信ぜず勤勉に労働せよ。

天帝とは神のことだろうが、何とこれ聖書的ではないか?そして現代のニッポンに必要な教えではないだろうか?これが2,500年も前に説かれていたわけで・・・。ちなみに主演のアンディ・ラウが何となくイチローを髣髴させた。私的にはすごく好きなプロットの作品だった。

Dr.Lukeの一言映画評と本日のニ冊

アップロードファイル 13KBダーウィンの悪夢』。内容についてはチネチッタの解説が秀逸だから、ちょっと引用しておきます:

 一匹の魚から連鎖的に起きた環境の変化。グローバリゼーションは何を生んだか?南北問題を問う硬派のドキュメンタリー。
 アフリカのヴィクトリア湖。かつてそこでは多様な生物が棲む「生態系の宝庫」だった。しかし半世紀ほど前に放流された外来魚ナイルパーチが、他の魚を駆逐していく。それと同時に湖畔では、ナイルパーチの一大漁業産業が発展。加工された魚は、毎日のように飛行機でヨーロッパへ運ばれていく。それは湖畔に住む人々に、大きな影響を与え始める…。
 タイトルのダーウィンは、ご存じ「進化論」の提唱者。この説により、「現存する生物は適者生存による進化の結果の産物」ということになった。つまり環境の変化に対応できないものは敗者として滅び、生き残ったものは勝利者として繁栄できる。この湖でナイルパーチが他の魚を駆逐したように。
 しかしそれをそのまま人間の世界に当てはめるとどうなるか。現在のシステムは常に「強国が弱い国を喰い殺していくことになる」という事だ。本作でも湖畔の町には貧富の差が生じ、ストリートチルドレンが増え、売春や犯罪がはびこるようになる。魚はEU、そして日本へと運ばれ、地元の人間は捨てられた残骸を食べるしかない。富は北へ吸い上げられ、公平に配分されることは決してない。永久に解決しそうもない南北問題。それがこの湖畔の町に集約されているのだ。

まさにリバータリアニズムの極地。適者生存・効率主義のダーウィン・モデルの行き着く先。生物界でも不気味な外来種が繊細な日本種を駆逐して蔓延る。これは現在「新自由主義」として蔓延している日本の将来かも知れない。おっちゃん・おばちゃんの営む温もりのある駄菓子屋的商店街が郊外の大スーパーによって駆逐される今日。個性尊重と称する価値と尺度の一元化。それによって人が窒息している。人の温もりが感じられない、無機質なショッピング光景。映画の帰りにLAZONAでショッピングをしてきたのだが、なぜか疲れる(が、実に旨いお茶漬け屋を見つけた♪それと丸善がすごい!)。「パワー・フォー・リビング」に覚える違和感もこの辺りにありそう。

アップロードファイル 13KBで、本日の一冊は先日二審でも有罪となった佐藤優氏の『国家の罠−外務省のラスプーチンと呼ばれて−』と、ついでに『獄中記』。アップロードファイル 5KB同志社大学で修士まで神学を学んだ彼が外務省にノンキャリとして入省。鈴木宗男氏を"処理"する外務省の策略によって自らも逮捕・起訴。拘置所で512日を過ごす。前者は事件の詳細を記録。後者は獄中でつけた日記。何を隠そう、この人はクリスチャンでして、獄中で哲学から神学まで幅広く学び直している。聖書の御言葉も豊富に紹介されており、実にユニークなノンフィクション。これから楽しみます。

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 15KBアル・ゴア氏の『不都合な真実』。CO2の蓄積による地球温暖化は予想以上に深刻であることが分かる。最近の異常気象もあの映画『ザ・デイ・アフター・トモロウ』にそっくりの様相を呈してきている。ゴア氏は単に政治家としてこのような活動をしているのかと思いきや、大学時代からのある意味で彼の専門なのですね。

共和党とブッシュを皮肉って笑いを取っているが、マジでこの面でもブッシュはヤバイ。京都議定書を批准しないのはアメリカとオーストラリア。そのアメリカは世界のCO2産出量の30%以上を占めている。ここでも独善。実はKFCには環境問題の専門家の兄弟がいるのですが、京都議定どころではなく、水面下で2012年度以降の駆け引きが各国で進んでいるとのこと。特に中国とアメリカの駆け引きは熾烈を極めている。実際中国が目覚めたらこれは大いなる脅威。CO2産出量の権利を商品として売買するマーケットもある位だから、環境問題も結局は金の流れに還元される。この仕組みを考えたのはアメリカ。いかにもアメリカ的なわけ。

結論的に言えば、本質的な解決策は、モラルであるとゴアは主張する。さてさて、そのモラルはどこにあるのでしょう。昔、道徳の時間に聞いたお話:ある村である人にお祝いをしようとなって、各家からワインを集めようとなった。村の広場に空の樽を置いて、そこに集めたわけ。で、それが一杯になって、お祝いに送ったところ、飲んでみてビックリ。何とそれは水でした・・・。イエスのカナでの奇跡を逆回しした不思議。なんでだろ〜。環境問題も同じなのだ。果たしてこの映画は間に合ったのだろうか?

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 187KB午前中はいつもどおりプールとサウナ。最近ちょっと体をなまらせているので、やや気合を入れる。昔は1,000mほどは軽かったが、今日はとりあえず500m+ウォーキング500m(手を帆のように張って抵抗を作りつつ)。さらに筋トレもほとんどご無沙汰で、かつてのマッチョ振りが消えつつあるので、トレーニング・マシーンを新調した。30台の頃のキレを戻したいと願いつつ。

 * * *

アップロードファイル 14KB午後はまた映画。レオナルド・ディカプリオ+マット・デイモン+ジャック・ニコルソンの『ディパーテッド』。監督マーチン・スコセッシ。ストーリーは警察に入り込んだマフィアのスパイと、マフィア組織に潜入捜査に入り込んだ警察の捜査官を巡るサスペンス・アクション物。ニコルソンの恐るべき存在感が迫るが、それに負けず劣らずディカプリオも好演していた。彼は体もややマッチョ系になりつつあり、かつての『タイタニック』のヒョロヒョロのアイドル・イメージとずいぶん違う。そこそこの汚れ役もできるようになっている。彼は、同じくスコセッシ監督、強迫神経症にして大富豪のハワード・ヒューズの鬼気迫る生涯を描いた『アビエーター』でタッグを組んでから、演技に深みが出たと感じる。俳優も私たちも出会いで人生が決まるようだ(もちろん神の摂理が働いているわけだが)。マット・デイモンはどうも『ボーン・アイデンティティ』のイメージが強く、やや演技が単調で、重なって見えてしまう。で、最後はとんでもないドンデン返しのドンデン返しで・・・。「あっ!?」、「えっ!?」っといった感じ。