独り言

腰痛の治し方

アップロードファイル 595KBアップロードファイル 571KBアップロードファイル 586KB

先週の金曜日の夜、腰をひねって、えらく痛みが出て、主日集会のときはメッセージをPeenyさんにお願いしていたので、座っておれて助かりましたが、実際歩くのもきつかったのですね。

ところが、福島ではS兄弟が、山歩きをしようと言うわけで、困ったと思いつつも、「腰が痛いから」と逃げるのはカッコ悪いと思って、道なき道を(彼はあえてヤブを好むのです)S兄弟の後をついて延々と歩いたわけです。腰の痛みに耐えながら・・・。昨日は2時間ほど。今日も2時間ほど。いや〜、実にシンドかった。・・・

ところが、ところがです、驚くことに、気がつくと腰痛が治っていました。家に帰って私がピンシャンしているので、カミさんが一番驚いておりました。

土曜日にかかった病院は「K大腸肛門科クリニック」という看板でして、待合室には若い女性などもいるわけです。私はそこで腰痛のために変な格好をして歩くわけですが、一見すると痔の痛みに堪えているようにも見えるわけです。で、私は心の中で「僕は痔じゃないんだよ。これは腰が痛いからだからね・・・」と自己弁護しつつ診察室に入ったわけです。このくらいに痛かったのですが、今は、さっぱりと痛みが消えました。

いやあ、人の体は不思議なものです。パウロは地上の幕屋の中でうめいていると言いつつ、福音のためには体を打ち叩いて従わせると言っていますが、この体はなまけさせるとキリがないのですね。「喝うっ!」を入れることも大切なんです。

体が弱いのだ

今日はやや疲れが出ました。しかしあす検査があるので、午前中にプールとサウナ。体がモヤモヤとするときは、けっこう思い切って泳いでしまうとシャキっとするものです。50を迎えると体もそれなりにいろいろ出て来るようです。

主がゲッセマネで血の汗を流すほどの葛藤しておられた間、弟子たちは寝てしまったのですが、彼らに主は言われました、「霊は燃えていても、体が弱いのだ」と。また詩篇に「主は私たちの成り立ちを知り、私たちがチリに過ぎないことを心にとめてくださる」ともあります。ロマ書には、「体を生ける捧げ物とせよ、これが神が求めておられる礼拝である」ともあります。

体がなければ内なる感動も表現できないわけで、体は主にとってもとても大切なのです。ですから「神はキリストを死者の中から起こされた御霊によってあなたがたの死ぬべき体にもいのちを与えるであろう」とあるとおりです。

多分ファイバースコープで診ることになるのでしょうが、ちょっと興味があります。自分の体内を見てみたいとも思っているのですね。

嗚呼アメリカよ

世界の警察。自由と平等。正義の国。アメリカ。ベースボールはアメリカの魂であり、その象徴とも言える。が、ここではセーフがアウトになるのだ。観客のアッピールによって。アメリカの本質を見たゲームだった。

"水戸黄門"の登場

2日の日記に水戸黄門のテーマを書いたら、民主党の"水戸黄門"こと渡部氏が登場した。「なごみ系」と言われているらしいが、何となく空気も一変してしまった。由美かおる氏からもプレゼントをいただいて満面笑みの氏は「ぼけキャラ」かと思うと、実はけっこう計算ができているらしい。若いと何かにつけてガチンコしてしまうが、70も超えると「柳に風」となるようだ。何かとビョウキの人が多くて疲れるニッポンキリスト教界にもこういったキャラがいると「風」が変わるのだが・・・。

信じることとは?

昨日のようなことを語ると、また質問が来るのですね、「私は自分が本当に信じているかどうか、分からないのです。どうしたらわかるのですか?」。嗚呼、もうアカン・・・涙。

使徒信条を「一、われは・・・を信ず・・・;二、・・・」とやったところで、それは信仰ではない。それは教義だから。実際、正教からすれば、プロテスタントも異端であって、プロテスタントの使徒信条は認めていないわけですから。再建主義からすると私はクリスチャンではないわけで・・・。

では、クリスチャンって何なの?信仰は頭で一連の体系化された神学や○○信条を信じることではありません。その「方」とひとつになることです。英語では"believe"と"believe into"とありますが、前者は対象を客観的に信じること。後者は対象とひとつになってしまうこと(into)。

「私は何をすべきか」とか「私は信じているのだろうか」と問いを発したときに、すでにその「方」を対象化(客観化)している。森の中に入ったら、その森自体は見えません。見えるのは1本1本の木々です。森の中にいて、果たして自分は森の中にいるのだろうか、と誰も問いませんよね。そのようなオツムのグルグル回りに客観的な回答を得ようとして、不毛な努力に陥る人があまりにも多い。

主は私たちのうちにおられ、私たちは主のうちにおり、こうして父と子がひとつであるように、私たちもひとつになること。これが信仰。そして信じた者は自らのわざをやめて安息に入る、ピリオド。アーメン。

はい、以上で質問は打ち切りです!

民主党の行方

おぼっちゃまたちなんです。東大出て、大蔵省からすっと政治家になった人は、要するに人が良すぎるわけです。ニッポン政治界は一筋縄ではいきませんし、道理や高邁な理想で動くわけでもありません。これはニッポンキリスト教界も同じ。真理や神の御旨で動いているのではありません。裏と言うか、実際に動かしているダイナミクスは何だか同じのような・・・。私も永田氏とけっこう同じようなものでして、このギョウカイではとてもではないが、やれません、としみじみ。

手放すこと

フィギュアを見ていて感じたのは、スルツカヤなどは荒川のことを意識して練習していたが、荒川はひたすら自分のものを出し切ることだけに集中していた。自分と対峙していた。彼女自身、天才少女と言われて、人に流されていた自分から一歩を踏み出したと言っている。あの練習風景を見ていても、荒川が勝っていたことが分かる。

本番でも他人のスコアを聞かないようにヘッドフォンをしていたが、これで彼女は心を騒がせることがなかった。人を一切寄せ付けない中で、ただ演技に没頭した。結局勝負は人ではないこと、自分と対峙し、自分の何かを十分に注ぎ出せるかどうか、これがすべて。自分に対して自分がどう関わるか。相手は自分なのだ。

クリスチャンも同じ。人と比べ、自分の不遇を嘆き、人の責任を問い、神と人からただ受けようとし、自分の満足だけを求め、自分は決して損をしたくない、傷を受けたくない。これが現今のキリスト者の貧しさ。物や人や神を消費するだけのキリスト者。前に花見酒の経済の話をしたが、互いに互いの資産を食い潰すだけになっている。

その中心にあるのは、強烈なエネルギーを蓄積した自己(Self)。「明け渡し」も自己責任を負いたくないところは「あなた任せ」、自分のものとしていたいところはけっして手放さない。かくして問題を抱え、あくまでも神と人の責任を問い続け、消耗する。自分を省みて、自分を手放せば、よほど楽になれるのにと思うのだが。

表情台の荒川はただ金を取っただけの輝きではなく、自分から解かれた解放感を漂わせており、ほんとうに美しかった。

GOT IT !

今朝はなぜか5時代に目が覚めて、フィギュアを見てしまいました。安藤は4回転失敗。荒川は欧米の選手と比べても身体も貫禄も遜色なく、ある種の風格がありました。向こうではアジアン・ビューティとされたようですが、演技も感動もの。あまり感情も出さず、淡々としているところがまたいい。で、金。たったひとつのメダルが金というのもカッコいい。

幼児洗礼の必要性?

驚きました。再建主義の富井氏によると、「新約時代の割礼である幼児洗礼を実行しなければならない」のだそうです。モーセ律法では誕生後8日目に割礼をしましたが、新約の「割礼」は幼児洗礼であると・・・。

かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。

マリアの処女懐胎を、ローマ兵によるレイプを婉曲に表現したのだとする某大教団の牧師の説を読みましたが、このギョウカイ、私の知らない世界がまだまだ相当にあるようです。

どうする民主党

前原さんから何も出なかった・・・。やや失望。時間稼ぎをしているのかな?しかしこれでこけると、本当にあるかも知れない政治家との関係の追求の腰が折れてしまう。もし誰かがそれを企んで、このメールで民主党をはめたとすると、これはなかなか・・・。罠は、それと分かっていても入り行く必要のある場合と(昨日の映画のように)、絶対はまってはならない場合があります。民主党が隠し玉をもって、形勢不利を演じているならば、これもなかなか、ですが。

いずれにしろ、ライブドア事件は深いことは間違いない。これだけのスイスや香港にまで及ぶ金融操作を、学生サークルのノリの連中だけでこなせるわけがない。ラビ・バトラの指摘のとおり、裏に国際的フィクサーがいることは間違いないのだが。パンドラの箱は開かないまま終わるのか?

どうもね、うそ臭かった

民主党の木俣議員が離党するようだ。彼はいのちのことば社からも本を出しているが、ちょっとうそっぽかった。大体選挙でS学会票で当選などというのはそもそもいかがなものか。クリスチャンが国会を占拠したら立派なニッポンが作り上げられるなどと言うのがそもそも幻想。前から言っているが、政治家に求められるのは、まず社会工学としての政治力・テクである。日銀の速水氏もその手腕はいまいちで、今の福井総裁の方がはるかに熟達している。私は"霊的で・信仰深く・愛に満ちた"腕のないクリスチャン外科医のオペなどは受けたくありません。むしろ野心家で愛のない、しかしメスの切れる財前五郎を選ぶでしょう。みなさんはどうですか?

昨今の事件

何なのでしょうね?一応大学で「心の病理」を教えている私も、最近の事件はよく分からなくなってきました。呪文でハーレムを作った迷彩服男、29歳離れた妻を刺し殺した50男、幼稚園の同級生の幼児を二人も刺し殺した女、ニッポンキリスト教もよく分からないギョウカイですが、ニッポン社会というギョウカイもよく分からない。閉鎖社会日本の中の閉鎖社会がニッポンキリスト教界だとかなり前に書いたが(こちら)、見事なフラクタル(自己相似形)をなしているわけ。でもね、大学の講義では、「今後ますますわけの分からない事件が起きますよ」と予言していますが、これがスバリと当たってしまうことに、何とも複雑な気持ちでおります。

自民党VS民主党

午後カミさんとまた映画。フランス料理とワインで昼食を取り、『プロミス』を。中国映画で映像はなかなか奇麗。ストーリーはちょっと良く分からないが、まあ、楽しめた。人を信じることができるかどうか、これが運命(プロミス)を一面で決めるわけで、また一面で運命は変えられるというメッセージのようだ。チャン・ドンゴンと真田広之がけっこうはまっていた。これからはアジアだと予感させるものがあった。

 * * *

武部氏の息子をめぐっての攻防、本日の予算委員会の質疑は面白かったです。小泉氏は「ガセネタ」と切って捨て、民主側は新たな証拠は出さずに、圧された形になっています。が、隠し玉があるのかどうか。もしあって、今日のような形を取ったとしたら、なかなかの役者です。もしなかったら、民主はやばいわけで・・・。民主側は数名の目を通しているようですから、それなりの確証を得ているのでしょうが。

それにしても安倍さんがいつもみたいな穏やかさを失って、血管が浮き出るような口調であることが気になっております。あのNHKに対する圧力疑惑のときは、自分が名指しされたわけですが、けっこう冷静だったのに、人事なのにやや剣幕が・・・。なぜなのでしょう。

加えて今週の週間文春によると、野口氏の自殺についてはやはり裏があるようで、彼は闇社会と意図せざる形で関わってしまったようです。あの自殺はそう追い込まれての挙句のようですね。香港に設立した会社役員に奥さんを据えたようですが、奥さんはそれと知らずに判を押しているようです。野口氏は友人に対して、「日本経済に殺されそうだ」という言葉を残しているのですね。どうも表に出せないような不可解さがあります。

アクアラインの夕日を眺めつつ

本日は試験成績の配布を教員が狩り出されて行う日。午後3時間を、ある意味で無駄な時間として過ごす。その帰り道、いつもは湾岸高速を走るのであるが、今日みたいな日はちょっとふらつきたくなる。で、アクアラインを走ることにした。

千葉の側はなんと申しましょうか、遠くには木更津の工場地帯の煙突が何本も見えるが、その他は野原と畑と田んぼ。ほとんど手付かず。アクアラインは、それでも多少は安くなったが、ほとんど車が走っていない。15分ほどで川崎へ抜けるといきなりビル郡が立ち並び、渋滞にひっかかる。結局、湾岸を走るのと時間的には大差がないわけ。

何とも空虚なものを造ったものだ。いや、これの存在価値はあるのだが、走行料金が高過ぎる。運営法が悪い。そのため通行量は増えず、千葉は相変わらず寂れたまま。無計画な金の使い方である。では、<公共投資=悪>なのか。

『文藝春秋』3月で小泉氏の経済政策が誤りであること、実は増税の必要はないことが論じられていた。国の借金(粗債務)は795兆あるが(GDPの150%以上)、実はこれは貸借対照表の右側(貸方)の話。左側(借方)の金融資産状況を見ると、480兆ある。よって、純債務は315兆。これはGDPの60%。しかもこの債務は対外債務ではなく、国民への債務。サラ金から借りたのではなく、ダンナが奥さんのヘソクリを借りたようなもの。対外的には日本は債権国なのだ。

で、このGDPは<消費+投資>であり、したがって景気を良くするには消費か投資を増やすべきなのだが、小泉氏は緊縮財政を取っているというわけ。亀井氏や古賀氏たちが利権がらみでいかにも公共投資で悪いことをしているかのような印象を植え付けられて、<公共投資=悪>との刷り込みがなされているが、実は経済学から言えば、どんどん国は金を使うべきなのだ。これはクリントン政権が実際に行って、米国の双子の赤字であった財政を黒転させたことでも分かる。もし橋本氏が緊縮策を取らず、当時のまま内需を拡大すれば、現在のGDPは600兆、税収も60兆を超えたと推測されるとのこと。

最近はバブルの傾向が出ているとのことであるが、実はもっと金を使う必要があるのだ。ビールと同じで泡がなければおいしくないのだ。ケインズ経済学は死んだといわれて久しいが、<GDP=消費+投資>である以上、現在もケインズは生きている。

ここでマスコミの刷り込みに注意する必要がある。かつて<バブル=悪>として土地・株を冷やした結果が90年代の不況、そして戦後初めてのデフレ。同じように<公共投資=悪>として緊縮財政を取って、首を絞められるのはわれわれ庶民なのだ。私たちが金を使わなければ、ますます不景気となり、ますます税収が落ち、ますます増税を要求されるわけ。

経済は気分で動かずに、理屈で動く必要がある。それともっとも問題なのは持たざる者たちの持つ者への妬みと嫉妬である。これで均して、みんなで貧乏人、これが共産国家。前の藤原氏の市場原理主義の愚かさとオレードオフの関係にある。どこかに均衡点を見つける必要がある。

・・・といったことを東京湾の夕日を眺めながらつらつらと考えた。