独り言

粘着の精神病理

人はなぜ人に粘着するのか。粘着とは拘りである。拘りとは力動精神病理的には、リピドーのカセクトが解消されていない問題。つまりそこにはエネルギーが蓄積され、緊張感が持続しており、これが不快感として意識される。そしてしばしばそれを本人は認めたくない。これが自己欺瞞。そこを人から指摘されると、これが粘着を生む。

つまり粘着する部分とは、すでに自分で変だ、と前意識的には分かっているのに、その事実に直面することを避けている領域。自分を自分で裁いているのだ。だからこちらが問うてもいないのに、自分から弁明を始める。ウソを隠している人が「自分はウソをついてない」と言い出すのと同じ。すなわち人の意見や主張に対して論じる形を取るものの、実は自分の内の真実の声に対して戦いをいどんでおり、いきおいその葛藤は自作自演的となる。なぜなら自分の心の声と戦っているだけだから。サルが鏡に映った自分に戦いを挑むと同じ。

かくして以前にも書いたが、いわゆる議論においては相手を論駁する必要はない。相手のその葛藤・病理性をあぶり出せばよいわけ。

しばしば「クリスチャン」と称する人々は、聖書の御言葉に躓いており、御言葉をそのまま受け入れることができない場合、自分を否むのではなく、自分を助けるために、神学や特定の解釈の形を取って、その葛藤をカモフラージュする。よって彼らの批判は、自分の心の声に対する批判であり、御言葉に対する批判となるので、こちらとは無関係となる。かくして彼らは神の言葉と延々と論じ争う。これが閉鎖的倒錯空間「2ちゃんねる」あたりで見られる精神エネルギーの大いなる空転の病理である。いずれにしろ、ニッポンキリスト教界はついの住処にあらざるなり。

なお、ストーカーについてはもう少し別の要素が入るので、これは後ほど(あの学生大丈夫かな・・・)。

水谷はかく訴える

アップロードファイル 27KB「夜回り先生」こと水谷修氏なる人物がいる。子供たちの訴えを全身で受け止めるが、説教じみた事は一切言わない。常に一人称で、「水谷は・・・」と訴えかける。やや「矢沢」が入っているが、中々渋くてエエことを言っていた。

曰く、「問題児の根本には自己評価の低さがある」(まったくそのとおり)。「シンナー、ドラッグ、売春、リストカット、何でもやりたけりゃやってみろ。しかしその結果は自分で刈り取れ!甘えんじゃねえ」。「教育基本法改正とか言っているが、アレは生徒を信じられないから法とするんだろ。信じることができなきゃ、何やっても無意味だ。結局は何を信じるかだよ」。「今日まじめさが馬鹿にされ、おちゃらけているが、人間はまじめさを失ったらおしまい。最後はまじめに生きた者が勝つ」・・・。

実は、私はこういった「臭み」を持つ人物はどっちかと言うと嫌いなわけ。「うっとおしい」と感じる方なのだ。が、この人中々イイ。第一に一人称で語っている。昨今の匿名の陰に隠れる屈折した自己主張とは大違い。第二に自己責任を求めている。人は撒いたタネの実を刈り取るもの。テレビコメンテータの某氏も言っていた、「人から相手にされないと自己憐憫する前に、まず人を愛することを学びなさい」と。これは法則。このことをキチンと教えないから自殺などに逃げるのだ。

昨今の世も教界も倒錯した時代にあって、中々貴重な人物である。ただし、ご本人の精神と体の消耗がやや心配であるが・・・(ご自分でも体調不良とおっしゃっているが)。病んだ人々のネガティヴなエネルギーを受け止めるのは、相当に汚され傷つけられるし、芯から消耗させられるものだから。

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学生が来て、「先生、オレ、告られちゃったんだけど、どうしたらいいっすか?」。小生「いいジャン、愛を告白されたんだろ^^」。「ええ、・・・でも・・・、男からなんすけど・・・。まとわりつかれて・・・」。小生「ええっ、・・・でもさ、君にもその気ないの?類友かも・・・(笑)」。「ぜ、ぜ、ぜったい、ソレはありませんっ!」。小生「じゃあ、逃げるしかないよな。でも下手するとストーカー化するから、気をつけてな」。・・・今日(ルビ:きょうび)、この手の相談がやや多いかな・・・。私自身「2ちゃんねる」あたりでやや「気」のある人たちに粘着されているわけで、誰かに相談したいんだけど、と言いたくもなるのだが・・・涙。

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再建主義の富井さん(11月28日)もイイことをおっしゃっている。彼からは「ヒューマニストのリベラル異端」と宣告されているのだが、私の言いたいことを的確に言って下さるのです。

温泉までT-29Days(宿が決まりました^^)

終わった安倍氏

平沼氏は最後まで貫いてくれた。うれしいです。が、他は総崩れ。特に野田聖子氏は、あの涙の絶叫はどうなったのか・・・。ゆかり氏に盗られるでしょう。そんなに自民党とは魅力があるのかいな?自民党は、以前「ダッチロール」なる単語が流行したが、いささかそんな感じ。前に書いたとおり、イエスとノーが明確に語れない人にはしばしば自己欺瞞が潜んでいるもの。どうもこの現象はキリスト教界ばかりでなく、人間普遍の問題のようだ。今回も安倍氏は汚れ役は平沼氏と因縁関係にある中川氏に任して、自分は手を汚さなかったようだが、国民の期待値が高かった分、彼らが裏切られたと感じるならば、払うべきツケはけっこう大きいものとなるだろう。

温泉までT-30Days

ロシアの不気味さ

湾岸高速の事故渋滞で、何と4時間。ようやくたどり着いた次第。注目の自民復党問題は中川vs平沼の因縁でこじれそうですね。平沼さんは譲らないでしょうが、他の人たちも株を上げるチャンスなのに、何ゆえにスリスリと・・・(→記事)。

と、思ってたら12人全員で出しちゃったとか・・・(→記事)。

ロシアのスパイは脅迫状を受け取っていたようです(→記事)。KGB改めのFSBは本質がソ連時代と何も変わっていないようで、むしろプーチンへの権力集中が進んでいるようですね。前にプーチン・ロシアは不気味だと書きましたが、そのとおりのようです。

ちなみに彼は99年のモスクワのアパート爆破事件は政府の自作自演であったと告発していたようです。これを理由にチェチェンに進攻したようです。やっぱりあるんですね、国家による自作自演。

しかし1/1000万gが致死量のポロニウムとかをどうやって盛ったのか?寿司屋で犯行が行われたそうだが、私も寿司食うときは注意するとしよう。

温泉までT-31Days

モロモロ・・・

自民党の復党問題は安倍さんの優柔不断振りを露呈すると共に、平沼さんだけが男を上げている感じ。安倍さんも支持率が58%程度に落ちているらしいが、これで足をすくわれるかも知れません。安倍さんはこういった問題には弱いでしょう。育ちが良過ぎますから。

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元ソ連のKGBのスパイがその裏の真実を暴露し出したところ、毒、しかも放射性物質を盛られて死亡とか。恐ろしいものだ。プーチンはそれを全面否定しているが、過去においても10名以上のスパイが毒殺されているらしい。私の大学にも例の『悪魔の詩』を翻訳して殺害されたI先生の親族の方がおられるが、真実を語ることにはそれ相応のリスクが伴うのだ。私は大丈夫と思うけど・・・。

で、クリスチャン・トゥデイと山谷さんの問題は依然として「2ちゃんねる」あたりでくすぶっているようです。山谷さんと救世軍に対する中傷的非難が高まる共に、ついに私にまで矛先が向いてきたようです。まあ、これがあそこに顕われたニンゲンの本質です。まさかクリスチャン・トゥデイの関係者ではないと思いますが、参考までにリンクをかけておきます。

ChristianTodayと救世軍山谷少佐のガチンコ対決5
わがKFCスレ

これでほくそえんでいるのは1億円プレイヤーの管理人のひろゆき氏なんでしょうけどね。皆さんはいかがお感じになるでしょうか?

Blogのイロイロ

以前に書きましたが、私が唯一属しているSNSが『東大OB.NET』です。たまに覗いているのですが、これが結構オモシロイ。特にBlogの紹介リストがあるのですが、これに掘り出し物があるわけ。面白いところを2,3紹介しておきましょう:

出来高を制する者は、デイトレを制す!―東大卒の株式プログラマー

身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌―文系出身の医療の研究者

こころの辞典by SMaPGat湘南心療内科 ―何でも開業していたそうですが、つぶれて今は無職とか!?

ところでこのBlogはfreeでご提供下さっているのをありがたく使わせてもらっているのです。で、昨日ちょっとスキンを変えたのですが、不思議なことに自宅で見えるのと、大学の研究室で見えるのが違っているのです!?何ゆえ・・・?皆さんにはどう見えていますか?ブラウン系ならばOKなんですが。そしてこのソフトもVersionがすでに古くなり、メンテしてもらえないので、新年からは新しいBlogに移行する予定です。すでに設置は終わっているのですが、まだ空っぽ。Podcastは中々仕掛けがややこしいそうで、先になりそうです。

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しかしネットは面白い。「地方教会」のある姉妹と「再会」しております。私は彼女のことを記憶していないのですが、彼女は覚えていて下さって、親しくメールを下さるのですね。Aさん、お祈りを感謝致します。リーに逆らっても神に裁かれませんから安心して下さいね^^God bless you!

・・・と言うわけで、温泉までT-34Days

視野の届く範囲

今回の件については山谷さんは現在沈黙を保っていますが、実は活発に活動しておられます。本件はかなり深い領域があり、視野を相当にロングポジションに置く必要があるのです。私の元にも情報が集まっておりますが、腰を据える必要があります。長期の収穫のためには短期的な損傷をも受けることもありましょう。これは告発者の宿命なのです。それにしても人は面白いもの。自分をすべての判断基準に置いていると、いかにトンチンカンな議論と結論へと突き進んでしまうことか。実に吉本をも超えます(笑)。箴言に、

自分の知恵に頼るな、自分を見て賢いと思ってはならない。すべて道で主を認めよ。

とあるとおりです。

注目の人物

ややキリスト教界ネタは食傷気味になりつつありますので、話題をガラッと変えまして、万波医師。実に興味深い人物です。移植例は600以上。しかし移植学会には属しておらず、四国グループとか言う怪しげな活動をしているとか。しかし患者には抜群の信頼を得ており、金や地位や業績には関心がなく、服装もヨレヨレ。患者一筋といったところ。

学会で評価を得ることと、メスが切れることはまったく関係ないことは業界ではよく知られていることだが、ここまで徹底するとけっこう感心する。私などはどっちか言うとバックアップしたくなるかな?とかく外科医は切りたくなってウズウズする習性を持つらしいが。ただ、ドゥ・プロセスと言う点からすると疑問はあるが、このような人を役人的思考で殺さないで欲しい。

手塚治虫のブラック・ジャック的であって、赤ひげ先生なのか、それとも移植マニアなのか、と「週刊文春」が論じていたが、マスコミの扱いがややゲテモノ的な感じになっていることが残念だ。アメリカのヤラセ報道や本邦の文科省のヤラセ質問をはじめ、メディアに作られたイメージが真実となってしまうリスクを十分意識する必要がある。とかくメディアは偏向した部分だけを殊更に取り上げるもの。切り取られた写真や映像には要注意。われわれの視覚に頼る「見たら信じる」的信仰は、実は最も騙されるのだ。

ビョウキの世界

今回のクリスチャン・トゥデイの件と言い、ローカルチャーチと言い、「リバイバル」だの、「真理の回復」だのと肩肘張る前に、まずすべきことがあるでしょう?それは当たり前を当たり前に、黒は黒、白は白とすること。クリスチャン・トゥデイのタイトルは、「イエスはイエス、ノーはノー」のはずだが、どうも言っていることとやっていることが相当に乖離していると感じるのは果たして私だけであろうか。同様に、神は各時代にただひとりの器を用意され、ただひとつのミニストリーを通して回復の御業を進めておられ、しかも人は神と混ざって神化すると主張される方々も同じ。表と裏のこの乖離。

残念ながらキリスト教界のモラルと常識はこの世のそれらよりもはるかに劣るものらしい。山谷さんの件については、仮に告訴したにしても(告訴自体は誰でもいくらでも可能)、どうしてまともな検事が立件するだろうか。あまりにも愚かしい。しかし彼らがこうやって動けば動くほど、その本質が露にされるわけで、山谷さんの功績は大きいものがある。ちなみにCTの高柳氏からの私宛のメールにも陰に篭ったある種の恫喝的な要素が感じられた。

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しかしこの自殺の連鎖、私が懸念したとおりになってきている。みのもんたよ、ちょっと引っ込んでいて欲しいが。生徒ばかりでなく、校長までもすでに3,4人・・・。社会ヒステリー現象だ。この国は女の霊が動かしていると前から言っていますが、まさにその本質がこう言った現象にも現れているわけ。「甘ったれるな!」とあるテレビコメンテーターが訴えていたが、まったくそのとおり!マスコミも大衆に媚を売るのはただちに止めよ。あなたがたは立派な自殺幇助罪となっていることに気がつかないのか!?

ケータイ社会の恐怖

アップロードファイル 58KBNHK『クローズアップ現代』を車の中で観ていたが、若者が日本語を知らないそうだ。ある会社では「差異」の意味を知らなかった若い社員がミスをして、多大な損失を出した、と。で、日本語の力はケータイメールを使う時間に比例して落ちるそうだ。ケータイを使う場合、脳の活動が手書きの場合よりぐんと落ちるという報告もあった。

さもありなん。我が学生諸君も、私の試験問題が解けないと言うので理由を聞いてみたら、何と問題文が読めないとのこと!?もっとも私の本も読むのが大変だとよく言われてますが・・・汗。最近では講義の時も、単語を理解しているかどうか確認しながら進めている始末。なにしろ「あばたもえくぼ」が分からない人たちですからね(→参考記事)。

言葉が通じないことはまさに社会の基盤を揺るがす。私は若者を20年に渡って定点観測しているが、昔予想したとおりの社会になっているのが、むしろ不気味である。言葉が通じない以上、殺(や)るしかないわけで、最近も女子高生が交際を断わられた男子学生に刺されている。思えばまことに怖い社会に生きているものだ。

あいみての/後の心にくらぶれば/昔はものを想わざりけり

なんてほとんど宇宙語なんでしょうね、彼らにとっては。かくして「逝け!」とか「死ね!」とか「ウザイ・キモイ・クサイ」だけの世界になるわけです。まさに豊かな色彩のアナログ的情緒の欠如したデジタル語の世界です。だからいじめられてもそれを昇華し表現することができない。この場合は自分を殺るしかないわけだ。言葉の貧困と最近の病理現象は明らかにシンクロしている。

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中間選挙は民主党の大躍進だそうだが、さてさて、残りの任期、ブッシュはどうするのでしょう。Time誌では"The Lone Ranger"と言われていたが。そして次期はヒラリーが、ってことになるのだろうか?

(写真はケータイ社会と無縁の今朝の富士山)

自分の居場所

4人の部活の友人の名前を書いて自殺した女子生徒は、リーダーシップもあり、正義感が強く、つねに弱い者をかばうタイプの子だったらしい。いわゆる「いじめられッ子」のイメージとはかなり違う。その父親が「私は人格者です。娘にも私を超える人格者に育って欲しかった。最後まで人の悪口を言うな、と言う私の教えをまっとうしてくれた・・・」と語っていた。

これを聴いてやや「?」と言うか、違和感を禁じ得なかった。この女子はそのリーダーシップや正義感を揶揄されたのだろう。こういった「浮いた人」に対する言葉が、「ウザイ」、「キモイ」、「クサイ」なのだ。女子高生あたりは周りから浮くことを極度に恐れると同時に、出っ張った人を引きずり下ろして、「平等化」する。また現代は「おちゃらかしの時代」と言え、「2ちゃんねる」に見える病理からも明らかだ。聖書の

すべて真実なこと、気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なこと、また、徳や賞賛に値することがあれば、それを心にとめなさい

と言う勧めにあえて抵触する風潮がある。しかもこの世ばかりではなく、クリスチャンと自称する人々すらも同じ。この御言葉をそっくり否定すると世と教界の現状となる。倒錯者が自分の倒錯に気づかない時代と言える。

このような中でこの女子は自分の居場所を喪失したのであろう。が、先の父親の言葉から、友人の間で失う前に、何かご両親との関係において失っていたような感じを受けるのだが、私のうがち過ぎだろうか。もちろんご両親の心痛は、私も人の親であるから分かり過ぎるほどに分かるが、やや懸念を覚える次第。

彼女の遺書の言葉、「もうがんばるのに疲れた・・・」、これは多分ニッポンキリスト教のクルシチャンたちの叫びでもあるかも知れない。そしてもっとも深刻なことはその叫びを互いに共有できず、表向きは「真っ白」に繕わなくてはならないこと。自分が自分でおれなくなるのは何もカルトに限らない。

ただし注意すべきは、神はありのままの私を受け入れることはない。だからこそ、キリストは私と共に死なれたのだ(死のうとするのは罠です!)。そして私も復活し、今や新しい創造とされた。これがゆえに、神は私を受け入れ、私は自分が自分でおれるのだ。すべて十字架を回避した「福音」は偽りである。私たちはすでに死んだ、復活した、新しい創造とされている!あなたはこれを信じますか?

信じた者は自らのわざをやめ、安息に入る。

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アップロードファイル 9KBFaith06-Amazing-のサンプルビデオをもひとつ紹介しましょう。これはイントロですが、福音の伝道メッセージになっています(ただし英語)。こちらからご覧いただけます。

この国の基礎

が着々と崩されています。エイズの原因であるHIV感染者数が最高となり、年に10%増加。これは先進国では日本だけ(→記事)。政府のテレビCMでも「元彼の、元彼の、元彼の・・・」という不気味なコピーがあるが、人と人との関係が着実に壊されていく。HIVの恐怖はまさにそこにある。単なる感染症に留まらず、人と人の関わりと信頼関係を壊すのだ。

この国は自由と放縦を履き違えている。私の友人の産婦人科医の話を聞くと女子高生あたりの実態が実に恐ろしい。自殺連鎖の原因である自己憐憫ミームによるマインド・ウイルスと共に、HIVウイルスも着実に蔓延増殖している。クリスチャンが「私は神のVIP」と浮かれる前に、腹の底から神への憐れみを叫び求める時が来ているのだ。

クリスチャン・メディアの必要性?

アップロードファイル 5KB高々100万程度のパイしかないこのギョウカイに、いくつもの新聞や雑誌がありますが、皆さんどう思われますか?前に『世界が100人だったら』と言う本が出ましたが、まさにこれを地で行っているわけ。ちなみに、聖書の読み方が分かり、いのちの歩み方を知ると、聖書以外にあまり必要性を覚えなくなると、みなさんがよく言われます。

以前にニッポンキリスト教は「花見酒の経済」だと書きましたが、まさに八つぁんと熊さんの世界なんですね。つまりは「ゴッコ」なんです。私はいっさいのクリスチャン・メディアを見ていませんが、必要な情報は入ってきますし、霊的生活には聖書だけで十分。CDなどの広告も、一回3万だとして、これがペイするためには100枚売る必要がある。ところが仕入れは200枚程度ですから、経済学的にはナンセンスなんです。見方によっては、相互扶助、つまり「キリスト教的社会主義」とも言えなくもないですが(笑)まあ、クリスチャン・メディアの広告は別の動機がありますけどね。

そもそも現代社会は情報過多傾向ですし、ニッポンキリスト教では大勢の「耳年増」がいらっしゃるわけで・・・。これからは情報を得ることではなく、捨てることを心がけるべきでしょう。私たちの霊的生活にとって真に必要なものはそれほど多くはないのです。次の主イエスのことばがさらに重要になることでしょう:

あなたがたは何をどう聞くかによくよく注意しなさい。

プロの臭い

CTやそれに関連するCrossMapなどが出現した時、ある種の違和感を覚えた。それまでの閉鎖社会ニッポンキリスト教村とは異なる臭いを覚えたのだ。このギョウカイ、メディアも音楽も、何によらず、小学生の学芸会的な、あるいはごっこ的な素人っぽさが感じられるのだが、それが違った。手練られたプロの臭いがするのだ。ゴルゴ13でないが、プロの仕事とアマの仕事は明らかに異なる。単なる私の思い過ごしであればよいが・・・。