2005年3月

プライドと命の天秤

わが友人はどうも私たちとだけでなく、ドクターとも良い人間関係を作れていないようだ。ドクターに対して何か挑発的な姿勢を見せている。そのためドクターも警戒して、踏み込んだ治療をすることを避けて、お茶を濁している感じがある。

彼はかつてかなりの資産家の御曹司であって、昔からプライドが高かった。何かにつけ、私が下りる場面が過去に何度も繰り返された。しかし、兄弟よ、プライドを守ろうとすることは、今回の場合、命取りになりかねない。自らの弱さに直面し、その真実を受け入れることができれば、主は道を開いてくださる。

まだ希望の炎は費えていないのだ。立ち返って欲しい。主の憐れみのタッチを受けて欲しい。

またしばらく凍結します

21-23日までお袋と家族で北海道に行って来ました。今回は流氷は残念ながら観られませんでした。

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友人の状況が少しクリティカルになりつつありますので、ここをまたしばらく凍結いたします。

その後の経過

お祈りいただいている友人のその後ですが、私たちの執拗な説得により、ようやくK大学病院泌尿器科を受診し、膀胱鏡での検査の結果、やはり腫瘍がありました。良性か悪性かは22日に告げられるようです。すでに尿管が閉塞しており、片方の腎臓は尿で水浸し(水腎症)になっています。

ところが彼の信奉する東洋医学の"医者"はK大学の所見に反対し、「帯状疱疹が内攻化したもの」とかいうおかしな"診断"をし、"治療"と称して高価な特殊な水を飲ませるようです。ふたつの診断の間で揺れている彼が正しい判断と処置を選び取ることができるようにお祈りいただけると感謝です。

Commented by まひるパパ 2005年03月19日(土)17:56

Free discussionにツリー立てます。よろしく。

次女の卒業式

6年は早いものです。S女学校には家内、長女、次女と歴代お世話になりました。学院長のH野先生が逝去されたことは残念なことです。

所有権は誰に?

BBSでも触れたが、私の体が自分のものであったら、かなり酷使してもいいかもしれない。私は25歳で人生に絶望した時、ふと思った、「そうだ、この体は僕のものではなく、将来の妻のものであり、子供たちのものだ・・・」と。すると他人のものだから大事にして、節制しなくてはと感じ、それまで1日20本、5年間吸っていたタバコを止めた。そして26歳で救われた。今考えると、この想いは天からものだったかも知れない。現在この体は聖霊の宮であり、主の血によって買い取られたものである。

ちなみに私の父はチェインスモーカーで、1日60本、50年以上にわたりタバコを吸った。「墓に入ってからタバコをもらってもしょうがないわい」と屁理屈をこねつつ・・・。こういった理屈は家族にとってはきわめて冷たいことに気がつかないのだ。で、ついに"Worse Than Death(死よりも残酷)"と言われるCOPD(肺気腫)で、呼吸困難のあげく逝った。CTで見ると、彼の肺はほとんどヘチマ状態だった。肺胞が崩れて互いにくっついて、スポンジ状態から、ヘチマ状態になるのだ。

自分のものであると考えると勝手気ままに陥る。しかし尊い子羊の血の値段で買われたこと、他人の所有であることを意識するならば、大事にするだろう。神のため、また家族のために自分の主義主張を下ろし、医師に体を預けて治療することもできる。N兄弟よ、ここが分かって欲しい。この体で神の栄光を現すことができたら幸いである。

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私の肺が換気機能が悪く、1秒率(1秒でどれだけ排気できるかの指標)が63%(正常は70%以上)しかなく、加えてこの時期は花粉症で呼吸が困難になることをメッセージで話したら、癒しの賜物があるY姉妹が重荷を感じてくださって、今日背中に手を当てて祈ってくださった。何だか不思議にも、胸腔内が暖かくなって、呼吸が楽になった感じ。感謝です。

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60-70年代の学生運動と、90年代のオウム真理教と、最近のホリエモンと、どこか似ていると感じるのだが。いずれも理屈は通っていても人の心の機微を置き忘れて、一種のヴァーチャルリアリティ的無機質な様を呈している。団塊の世代がホリエモンを支持しているのもうなずける。自分たちの学生時代を思い出しているだろう。で、結局、会社って誰のもの?

1日ドッグ検診

花粉症でグズグズしながらも、毎年恒例のドッグに行って来た。胸部と胃のX線、腹部エコー、心電、肺の換気機能、血液など、脳以外の全身を検査。自覚症状は肺の換気機能の低下と高中性脂肪、そして脂肪肝。これは毎年のこと。前立腺も指診とPSAを計る。昨年までとは健康に対する姿勢が変わったことを覚える。

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90歳以上が100万突破!驚きますね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050314-00000211-yom-soci

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ホリエモン氏は、何故か一言一言が神経に引っかかる物言いで、自ら事をややこしくしている感じ。挑発的な霊を感じる。株式資産評価で世界一を目指すとのこと。どこからそのようなエネルギーが出て来るのだろう?私も株式投資はしているが、せいぜい温泉に行くためのこずかい稼ぎ。普通の暮らしができれば十分であるが。

Commented by まひるパパ Eメール 2005年03月16日(水)21:46

「お腹の脂肪が厚すぎて、肝臓の中の胆管や血管を見えないんですよぉ・・・」遂に40歳の大台にのって、覚悟はしていたものの、うーむ・・・診断は高脂血症と脂肪肝でD判定。Luke先生、お体を大切に・・・って説得力ないですね?

シェアすることの幸い

クリスチャンの交わりの本質は何か?ある種の神学理論や聖書解釈や○○派の信条を共有することか?Absolutely NO!クリスチャンの交わりはいのちをシェアすること。キリストを交換すること。その中で日常の生活の喜びや悲しみ、さらには「生きること」そのものをシェアすることができる。そしてついには「死」をもシャアできるのだ。

逆に一番つらいことは、お互いの間でシェアするものがなくなること。あるいは一人ひとりが自分の世界に閉じ篭り、互いのタッチがなくなること。私の苦しみの根本にはこのことがあるようだ。

BSE感染リスク者となってしまった;;

80年から96年までフランスかイギリスに1日でも滞在した人は献血ができなくなった。私の家族は93年にイギリスのキャンプに2週間ほど参加した。よって見事に該当者。これで年に2回はしていた献血がアウト。そしてBSEの感染リスク者とされたわけ。あの時、マックでフィレオフィッシュを食べたと思うが(牛肉は食べてないと思うのだが・・・)、ほとんど記憶がない・・・。う〜む。

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友人の状態のその後の情報が入らない。知らせがないのも苦しいものがある。どうか自分の中に閉じ篭らないでほしい。

5年の月日

親父が亡くなってから5年ぶりに家内と田舎に帰ってきた。表向きの理由はお袋が気管支炎をこじらせたため。なぜ5年も空いたのか−信仰上の対立もあったが、私的には親父のいない実家に帰ることが実はこわかったのだ。"そのこと"を認めなくてはならないから。あの時から私の時間が実は止まっていたことに気がついた。

今回時間が十分に経ったためか、"そのこと"を直視することができた。ようやく親父の死を受け入れることができたのかもしれない。お袋も外見上はあまり変化がなく、ホッとした。

『バカの壁』の養老猛司氏が若くして父親を亡くし、そのときは何も感じなかったのに、はるか40歳を過ぎてから、電車の中で突如涙がこぼれ出し、号泣してしまい、それでようやく父親の死を受け入れることができたと証言しているが、私もやはり5年の月日が必要だったようだ。

隣近所の人々のあり様の大きく変わっていた。亡くなった人も多く、刑務所に入った人など、5年の月日は人の人生を大きく変えるに十分な時間だった・・・。そして私にはまだ福音に猛烈に抵抗する弟との和解という大きな仕事が残っている。

Commented by kawa 2005年03月13日(日)06:58

滅多に遊びに来ない弟に「天国で逢えるのでなければ生きる意味は無い」と論争し喧嘩別れしてしまった。お互いに兄弟の縁を切ったつもりの喧嘩だったが、半年後、宗教に無関心な弟は一人そっとキリスト信仰を持った。

生と死のはざま

人の死に直面し、生と死を分けるものは何か、すこしく考えている。もちろんクリスチャンは滅びるわけでもなく、それを決めるのは神であるが、神の御心を見失いそうになることもある。「何故ですか・・・」とうめきをもって問いかけたくなる瞬間もある。

「人の齢は70年、長くても80年」と詩篇にある。ゆえに最低でも70年は祈り求めることができると信じたい。少なくとも地上での責務を果たすまでは、その「はざま」を超えるべきではないのだ。わが兄弟よ!

ラザロのIさん召される

寿町のカナン教会の佐藤先生と久しぶりでお話しができた。とてもうれしく感じたが、その話の中で、ミッションラザロのひとり、I さんが2月16日に昇天されたと伺った。

彼は元手配師であり、上野駅などで上京した若者をスカウトして、男は工事現場(タコ部屋)、女は熱海の芸妓置き場などへ売っていた。月に400万の荒稼ぎをした時代もあったそうだが、流れ流れて寿町のドヤで一升瓶を抱いて寝る生活に落ちた。

しかし主イエスによって立ち直り、細やかな心遣いで奉仕していた。人生の酸いも甘いも知り尽くした感のある味わいのある人だった。家族とは何十年も音信普通で、戸籍も抹消されていたが、数年前復活し、二人の妹さんと連絡が取れるようになっていた。

しかし長年のアルコールによって肝臓がやられ、肝硬変を呈しており、病院をたらい回しにされて入院した時には手遅れだった。彼の遺骨は妹さんが引き取ったそうである。地上の幕屋を脱ぎ、苦痛から解放された彼は、今主の元にいる。

わが民は平和の住みか、安らかな宿、憂いなき休息の場所に住まう(イザヤ書32:18)。

感謝です、道が開かれました!

彼が今日、医学的処置を受ける決心をしてくれました。あす病院で検査を受けるそうです。主が触れてくださったこと、皆様の祈りに支えられましたこと、本当に感謝です。結果や転移の有無などはすべて主の御手にお委ねします。主は真実です!

主が下さった彼(および、私)に対する御言葉です:

イザヤ46:12-13
わたしに聞け、心のかたくなな者よ/恵みの業から遠く離れている者よ。わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。もはや遠くはない。わたしは遅れることなく救いをもたらす。わたしはシオンに救いを/イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。

Commented by Salt 2005年03月04日(金)00:42

感謝です。人の目に何と映ろうと、主はいつも最善のことをしてくださると信じます。