2003年9月

リバイバルの条件

クリスチャン系のBBSを見ていると、いわゆる自称"預言者"の預言がはずれたとか、当たったとかのギロンが盛んになされている。ある有名な"預言者"のサイトには、新約の預言は的中率は15%から60%だとある。私はこの手の話は率直に言って、アホらしい。預言の意味がほとんど見当外れである。日本にいつリバイバルが起こるとか、起こらないとか・・・幼稚である。

預言については
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/prophecy.html

クリスチャンは一体何を求める人々であろうか?自分が何を求めているのか、よくよく自分の心を探っていただく必要がある。MSGでも話したが、R佼成会が新聞を入れてくださるのだが、内容はほとんど教界の新聞と同じである。聖会が盛会だったとか、動員数がどうのか、自分の教会の教勢がどうのとか、本がベストセラーになったとか・・・。霊性の浅さを証明しているに過ぎない。

クリスチャンは何を求めるのか。このポイントがずれている限り、いわゆるリバイバルは起こらないし、そもそもリバイバルは地震のように「来る」ものでもない。預言があったから、いつ来るか、いつ来るか、これでは占いと同じだ。私たちの心を占めるものが何か、ここに鍵がある。現在の教界の霊的雰囲気を見るときに、クリスチャン自身が真の霊的覚醒を得る必要があろう。

サーバがおかしい・・・・

日曜日夜に突如@kingdomfellowship.comドメインのメールサーバがおかしなメッセージを出し、メールの送受信ができなくなりました。かと思うと、アクセスログが真っ白になったり、BBSにカキコしようとしたところ、ログが全部飛んでしまいました。せっかくのカキコを飛ばしてしまってすみません。「げすとぶっく」とこのページには手をつけませんでしたので、ログが助かっています。何が起きたのだろうか?

急遽、再びサーバを私のPC内に立ち上げて、今そこから発信しています。ですから、みなさんは私のPC内を覗いている(ウン、言い方がアブナイ?)わけです(笑)。cgiは何とか復旧しましたので、次はメールサーバの立ち上げです。もしオンライン注文をされた方や、メールを下さった方がおられましたら、再度お願い致します。

教会の方ではバプテスマを受ける方が続き、また主にある新しい家庭が誕生することになった。次回のセレブレーションで婚約式を行なう予定。小生もちょっと結婚の時の写真を引っ張り出したところ、いやはや、若い!20年前だからなあ〜、と家内としみじみ・・・、「思えば遠くへ来たもんだ」とちょっと感傷的にため息でした。

世相二題

<<その1>>
かの詫間被告が控訴を自ら拒否し、一審で死刑判決確定という異例の結末を迎えた。小生もこの事件は初期に論考を書いているので、ずっと関心を持ってきたが、詫間被告には人格異常の部分とその自分を拒否してきた世間に対する憎悪、そしてその恨みを自らの方法で晴らし、その結果は自ら背負うというある種の確固とした覚悟が感じられる。「無駄には生きたくない」という彼の言葉がすべてを証明している。小生の論考は次を参照:http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Osakajiken.html

他者と自己を破壊するある種の霊の働きを受けているかもしれない。いたいけな被害者家族の心情は察して余りあるが、このような加害者を生み出してしまった社会に対してもある種の憤りを禁じ得ない。同質社会の中で浮き上がった者は敗者復活戦すら許されなくなる。詫間被告の内面性を思うとき、何か哀れを感じる結末ではある。最後の悔い改めの機会が備えられることはないのであろうか?

<<その2>>
慈恵医大の若い外科医が功績を上げるためにマニュアルを見ながら慣れないオペをし、患者を出血多量で死に至らしめる事件が起きた。

これは世間の人には驚くべきこと、信じらないことであろうが、医学の裏を少々知っている私からすると、さもありなん、と思うことである。私が学生の頃、東大の脳研の教授が精神病患者の脳を使って実験していたことで辞職した。野心がムラムラと燃える場面に置かれた時、医者はそれを抑えられなくなる。

今回の例は多分に氷山の一角である。裏には金も動くし、選挙の票も動く。みなさん、医者をただ信じて、あなた任せは止めた方がよろしい。必ずセコンドオピニオンをつけ、二股かけることです。

(陰の声:う〜ん、でもこれは牧師についても言えるかな?)

ちなみに、かつて名医の定評高い東大内科の沖中教授が退官するとき、自分の生涯誤診率を15%と公表した。すると素人はこれを「何と多いのだ」と驚き、専門家は「さすが沖中教授、何と低いこと」と言ったそうである。分かります、この感じ方の差!?

バプテスマの意義

このところバプテスマを受ける人が連続した。ニッポンキリスト教ではしばしばバプテスマを受けるまでに長い研修期間があったり、信仰の品定めをされたりと、なかなか大変なことらしい。またクリスマスとかイースターとかに行なうのが多くの慣例であるらしい。

しかし聖書はどう言っているか。使徒行伝にピリポがエジプトの宦官に福音を伝えた場面にはこうある:

 8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たの
 で、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私
 がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるで
 しょうか。」
 8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中
 へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。

ピリポの時にはクリスマスもイースターもなかった!救いは「今」が勝負である。その人の内に真に信仰があるかないかは、私たちの霊で判断できる。研修期間を設けたり、身元調査をしなくとも、私たちの霊は相手の霊の真実を見抜くことができる。

ポイントは霊的実際があるか否か。バプテスマには大きく次の3つの霊的意義がある−@キリストの死と復活に包括される(ローマ6:3-4)、Aキリストの体の一部とされる(1コリント12:13)、B公の証し(1ペテロ3:21)。知識を積むことではなく、この実際に入ることが鍵である。

日本にはイエスを求める人は多いのだが、教会が敷居を高くして、人々を遠ざけているようである。

首が回らない!

>>数日前ストレッチの際、前に痛めた右の僧帽筋に痛みを覚えた。「ヤバイ」と感じたが後の祭り。また痛めてしまった。こうなると右の首筋から肩甲骨の上辺りまで痛み、首が回らなくなる。いやはや、普段は自分の頭の重さなどは意識しないものだが、これが実に重い。特に寝返りを打つ時には、自分の頭を手で支えつつ、体を動かさないとならない始末。

>>普段意識されないものが意識される時はどこかに異常がある。私たちは普段は内臓の感覚は意識されていない。心臓は勝手に動き、胃腸は勝手に消化し、腎臓は勝手に尿をつくり・・・と。ヒポコンドリの患者さんはこれがすべて意識されるようになる。こうして自分の体に注意を集中し、かえって自律神経系の働きを損なう。

>>いのちの特質のひとつは自動性にある。いのちが自分を意識するとき、たいていはどこかがおかしい。WWJDと称してキリストっぽく生きる努力や聖化される努力をするクリスチャンはたいていこの自動性が損なわれており、いのちの法則に逆らった不自然さが見られる。

>>そのうちにある人々はクルシチャン(苦しちゃん)となるが、彼らは幸いである。むしろそれが自力で"できて"しまうクルシチャンは、なまじ"できて"いるがために自分の不自然さに気がつかず、かくしてしばしば偽善に陥る。ある牧師が礼拝を欠席した人に対して、「自分は40年間ただの一度も礼拝を欠席したことがない!」と豪語しておられたが、ここにあるものは肉の努力と臭さだけである。

>>できないことを知る人は幸いである。クリスチャンの歩みは難しいのではなく、元々不可能なのである。神は私たちに不可能なことを求めておられる。よって、自分にはできないことを知ることが実は真のキリストの力の発見と自由への第一歩である。このときすべてはいのちの御霊の法則により、自動的になされるようになる。自分がなしていることすら意識されない。当たり前が当たり前であり、私の意識と離れて無意識になされる、これが真の信仰の行為であり、そこには自己の何かを誇りたくなる要素は微塵もない。

後期の開始が近づきました

あさってから大学の後期が開始。また忙しい日々になる。大学と予備校とバイブルカレッジと主日セレブレーションと、けっきょく3ヶ月間休日はまったくなくなるわけ。これが12月中旬まで続く。回転し出すとさほどの苦もないのであるが、開始の直前はやはり少々気が重い。12月下旬の温泉をニンジンとしてぶら下げて、さあ、行ってみようか!

・・・しかしこう考えると、1年は実に短い・・・。

ちなみに次女は10月の国体に向けて、バスケの練習で早朝から遅くまで、月月火水木金金の日々。選手になるような子は、フツウ幼少時より親が特訓して国体選手となるらしく、両手を使うために箸を左手で食事中も訓練するという。対してうちはある意味ほったらかし。次女もさっそく真似ているが、やれやれ、実に敬服する次第。

休日出勤はつらいよ

▼今日は何の日でお休みだったか忘れておりますが、小生は大学に出勤でした。いわゆるAO入試の試験監督と面接官のお役目なのですね。自分の子供とほとんど同じ世代の生徒を相手にしているわけですが、もう20年近くこの世代を定点観測しています。この層はある意味で世相の病理をもっとも敏感に反映しているので、彼らを見ていると日本の10年後、20年後が予想できてしまうのです。

▼徒然にも書きましたが、彼らのアンテナの短いこと、短いこと、ほんの数十センチの領域しか問題意識が届いていません。自分の世界だけですね。よって面接をするにも、会話が成立しないのです(汗)相手は一応緊張している上に、面接のマニュアルどおりの事を語るのですが、ちょっと別の角度から責めるともうダメ。

▼今の日本は自分が価値観のすべて。年金も自分がもらえないだろうからとして、基礎年金の未払込率が40%を超える社会の将来は寒いものがあります。森さんもうっかり口を滑らせて怒られていましたが(言い方はともかく、内容は正論ですよ)、女性たちも自分の人生を楽しむと称して子供を産まない。人々は人権を口実にして、自分、自分、自分の世界観。かくして人口は2025年あたりから減り始めますが、大学ばかりでなく、国の存亡に関わります。

▼子供や家族、さらには人のため、そしてもちろんキリストのために自分を無駄に注ぎ出すこと、これはもっとも深い祝福です、が、このような事が無意味なことのように思われている社会の未来はちょっとさむいですね。

ブッシュの言い訳

ブッシュはあくまでもイラク戦は正しかったと言い張っているようですね。人は面白いもので、自分の良心と自分の行為がひとつであれば、あえて自分のしていることが正しいとは主張する必要はありません。彼の霊性の浅薄さは論じるまでもありませんが、むしろこれからのブッシュ自身の神の前でのあり方が心配ですね。彼はすでに霊的には一線を越えていますし、嘘の塗り固めで墓穴を掘ることでしょう。

串田さんの地震予知は、結局千葉のM5.5を予知していたのですが、これまでにない波形パタンでその大きさを推定し損なったと謝罪がなされていました。この方はブッシュに比べてはるかに真摯な方ですね。私は感じるのですが、自称クリスチャンよりも、よほど世の中には真摯で誠実な方が多いですよ。

ライブ・メッセージの公開

主日のセレブレーションの私のメッセージを公開することにしました。これまで御希望が寄せられてきていたのですが、つい手間を惜しんでおりました。まだ実験的ですので、音質などに難がありますが、御了承下さいませ。Media Playerがあれば、ストリーム形式で聴取いただけます。

セレブレーション

新しいBGM「REDEEMER(贖い主)」はいかがでしょうか。

私たちのセレブレーションは4時間ほど続きます。最近ではワーシップと、主の臨在に触れそれぞれが直接主から語りかけを受け、主のタッチを得る時間を長く取っていて、私のMSGは1時間ほどにしぼっています。プログラムもありませんし、どのワーシップを用いるかも決めていませんが、御霊に委ねる時、毎回ひとつの流れができていきます。終わる頃にはみなさんの顔が輝き、温泉から出たようにホクホクしているのですね。

(いわゆる日本型礼拝形式に慣れた方にはちょっと刺激が強いようですが・・・^ ^)

大片付けと地震と

わが家の大掃除がこの1週間ほど続いておりますが、やっと生き返った気分です。不思議なもので、なぜかつまらない物を取っておくのですね。これが積もり積もって身動きが取れないところに追い込まれていたわけです。私の書斎など、居場所はほんの50センチ四方でしたから。(人間、生きていくのに必要なものはそれほど多くはないのですが・・・)

午後1時ごろ千葉県のはずれでM5.5の地震がありました。ここでは震度4でしたが、けっこうな揺れでした。串田氏の手法は原理はきわめて単純なのですが、案外専門家の盲点のように思います。専門家はともすると袋小路に入っていますから、視野が私の部屋のようにごく狭いわけです。少しこれからも注視したいと思っています。

バイブルカレッジも2回目、ここでは単なる神学の知識ではなく、主の臨在を招き、主の愛が満ちることを目標においています。終講の時にはいのちが新鮮に潤され、イエスへの愛が新たにされることですね。とにかくイエスご自身をエンジョイすることです。イエスも私たちをエンジョイして下さいます。互いの存在自体をいつくしみ、享受し合うことです。まさに夫と妻です。

大片付けが半分終わりました(汗)

いやはや、出ること、出ること、不用品の山!

カーペットを替え、テレビ、ビデオ、クーラーを替え、ソファを替え・・・ようやく空気が澄み渡りました。あとは私の部屋ですね。床は見えるようになったのですが、これからが・・・

BGMについてお問い合わせをいただいていますが、これは英国KFMのワーシップ・リーダーだったCarol Owenの"Worthy is the Lamb"という曲です。彼女の夫君もミュージシャンです。こちらのURLからmp3で落とせます。

Colin Owen Music Ministries→http://www.jesusreigns.co.uk/

Dr.ルークの一言映画評−マイノリティ・レポート

トム・クルーズ主演のちょっと寒くなる映画。実はもうかなり前のものであるが、犯罪を犯すと思われる人物の未来におかすであろう犯罪を超能力者が「予言」して、その人物が犯罪を犯す前に逮捕するというお話。

何だかハリウッド映画は実にプロフェティク(予言的)ですね。ブッシュはこれを地で行っています。

自由と平等という欺瞞的幻想

昨日地理の先生と話をしていたところ、中国は今後元を切り上げる方針だそうで、今のうちに元を購入しておくとよい投資になると勧められた。ちなみに今のところ日本円で1千万もあると中国では金利だけで食っていけるそうである。(現レート:1元=15円)

小生が、元を切り上げたら、インフレを招き、貧富の格差が激しくなって食っていけなくなる人が出るでしょう、と聞きますと、地理の先生いわく「いや、中国は個人の人権がないから簡単ですよ。切り捨てればいいわけです。15億のうち、1億、2億が死んでもむしろ政府にとっては人口問題解決になります」と。

おおっと、スケールが違う。かつて、中国では小学生が日本の人口の倍以上もいると聞いてびっくりしたことがあるが、数ばかりでなく、人権のない国ではモロに政府の意向を押し通せるわけで、社会問題の解決も容易だそうだ。

一方われわれの社会はどうか、見かけは人権と自由と平等が保障されているわけであるが、実はこれもきわめて巧妙な欺瞞として用いられる。この旗印をあげて理屈をこねておけば、実際は何でもできるわけ。水戸黄門の印籠である。

かくして自由と平等の理想国家アメリカがなしていることは、結局神の主権を犯し、自らの滅びを招いているだけである。「自由、平等」と繰り返し叫ぶほどに、真実はその逆であることが虚しく証明されてきている。

実はこの世の真実は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」である。人々はかりそめの自由と平等のぬるま湯に浸かっている。カエルは水に入れて徐々に温めると気持ちよく茹でカエルになるそうである。この世で(神無しに)生きるとはそのようなものだ。

さあてと、今日はリビングのカーペットを替え、ソファを新調し、家の大片付け。不要な物品が出ること、出ること。本の山はダンボールに詰めて貸しトランクに収めたら、ようやく私の部屋の床が現れました・・・。

そろそろ寝ないと・・・。

新設:Dr.ルークの勝手な独り言のコーナー

→最近BBSに私の勝手な感想と意見を書き連ねておりましたが、こちらに新しく専用のコーナーを設けました。「徒然なるままに」にまとめるまでには至らない、たわいもないことや、ちょっと日記風の内容を、気が向くままにまとめてみたいと思います。

お気が向きましたら、よろしく覗いて見てやって下さいませm(_ _)m

→このところアメリカの問題点を指摘しているが、ある方からブッシュが「スカル&ボーンズ」と関わっているとあるが、本当かとの問い合わせをいただいたが、これは欧米のウェッブを少し検索していただけるとすぐ分かる。すでにアンダーグラウンドの情報ではなくなっている。

→アメリカは日本にも多額のイラク復興資金を要求し、また自衛隊の派遣をも求めているが、もし派遣したらこれはエライことになるだろう。今月の「文藝春秋」で引退表明をした野中氏も書いていたが、日本の転機に差し掛かっている。しかし小泉氏のアメリカすりすりは一体何なのだろうか?日本は去勢されているのだ。