* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
イエスの周りにはエライ人々はほとんど集まらなかった。集まったのは収税人、売春婦、らい病人、無学な者など。それからご婦人が多かった。彼らはイエスの聖さに惹かれていた。
まことの聖は人を遠ざけるものではなく、人が安心して近寄れるもの。それは健やかさであり、解放感であり、安心感であり、安らぎである。
しかしながらニッポンキリスト教を見るに、どうも「聖、聖、愛、愛」とヒステリックに叫びながら、実態はその逆である。それどころか、むしろ人々を病いへと導くようだ。
私の実感は一言:ニッポンキリスト教は病んでいる。しかも自分が病んでいることを知らない。病識の欠如は致命的である。自ら省みることができないのはまさにビョウキの証拠。
神が人々を導きたくても、とても、とても・・・。リバイバルどころではなく、サバイバルの問題と感じている。
>イエスの周りにはエライ人々はほとんど集まらなかった。集まったのは収税人、売春婦、らい病人、無学な者など・・・。
いつもこの事を思います。
ルークさんのHPに辿りついたのは、昨年寿町のホームレス伝道を調べている時・・・私もまた、ホームレスの方々を教界へお連れしてる時でした。
イエスさまの側には弱い方々や世に疎まれてるような方々ばかり・・・。
その事と教界や兄姉たちの心無い対応のギャップに戸惑い、何度も涙を流してきました・・・。
つい先日、H兄から連絡があり「牧師の一人に、目障りなので教界の前を通らないで裏の道を通ってくれ・・・!」と言われたそうです。
胸が詰まりました・・・。何も言う事ができませんでした。。。
イエス様も人に蔑まれてきたものね・・・と、言うのが精一杯でした・・・。
人に迷惑をかけるような人ではありません。一生懸命缶集めをしながら仲間を食べさせてる人です。
教界って、愛って、何だろう・・・又々考えさせられたK兄からの電話でした・・・。
幸いなのはK兄がしっかりイエス様を見ていて下さる事です!!!
牧師はこの世から聖別されて、この世の汚れた仕事はしないで、献金で食べているのだそうですが、この世のエライ人たちに弱いと言うか、むしろこの世のVIPが大好きなんですね。自分の身の周りをエライ人たちで固めるのです。世の勲章が大好きで、それが彼らにとっては水戸黄門の印籠です。ボクシって、不思議な人種ですよ、実際。
ニッポンキリスト教には、私にとって不思議なことが三つある。いや、七つ(+1)あって、私はそれを知らない。
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/7wonders.html