* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
長女が公務員試験対策の本を探すとのことで、手伝って欲しいと請われ、横浜のモールの有燐堂で待ち合わせて、しばしの探索。で、その後喫茶店でコーヒーを飲みつつ、1時間ほどを過ごす。周りのおばちゃんたちがチラチラと私たちに視線を送ってくるのに気づいたが、アブナイ関係じゃあないんだよ^^
彼女が生まれた夜のことははっきりと覚えているが、あの泣き声がいまだに耳にこだまする。イロイロあったが、節目節目で主の御手を感じてきた。それが今や就職に向けてアレコレ迷っているわけ。主が道を用意して下さっていることを話し、自分の責任を忠実に果たせばいいんだよと、ちょっと金八先生的な話をしている自分に気づいてしまった。
こうして娘とデートできる当たり前の生活にあって、ますます主の配剤と恵みに感謝するのみ。家の駐車場に車を止めて、ふと空を見上げると、放射冷却がきついだけあって、満月がやけにキレイだった。
こんにちは!
素敵ですねー、娘さんと過ごすひと時。
日々のアレコレを本当に楽しめたら、もうどこにいても
イエス様が共におられることを感じられますし、すべては恵みだと思えてきますよね。
結局はその部分(まさに、「そうこうしている」部分」を通り越して、いきなり神学がどーのこーのと言い出すからおかしくなるのかもしれませんね。
でもそれは決して見過ごしていい部分ではないはず。
何せ私たちはふつーにこの世に生きているのですから。
誰と、何を信じて、どう生きていくことでこの世での命を全うしていくか、それを聖書は教えてくれますが、それでもやっぱり「そうこうして」生きていくのがわれわれの姿ですからねー。
ええ、ある種のシアワセを味わっております^^生身の「生」を忘れた神学などは何の役にも立ちません。ナンセンスの極みです。なぜ日本にクリスチャンが少ないか、また根付かないか、理由はもう明らかでしょう。
(本音:ボクシの「カミっさまわ〜」の金太郎飴的説教を聴かされるより、瀬戸内寂聴や細木かず子の方がよほど琴線・機微に触れますから、ザンネン←もう古いか・・・^^)
そうそう、「本音」出しちゃってもいいですよね。それも大切なことだと思います。なんかクリスチャンて本音がイマイチ見えてこない人、多いですけど・・・あれだけ病んでる人が多いということは、何かその本音とか人間として自然な部分を抑圧しちゃってるんでしょうかねー。
ナンセンスの極み(笑)。おもしろすぎます。