No.1350の記事

二分化社会の病理

実を申しますと、私自身は、自分の身の預け処を藩から会社に変えただけの、明治維新以降の「一生面倒を見てもらう代わりに滅私奉公する」式の日本のあり方はあまり好きではないのです。勝ち組と負け組みが明確に分けられ、努力した者には十分な報酬と地位を与え、格差を設けるべきと思っているのですね。

今の小学校では走ってもお手てつないでゴールだそうです。一言、あほくさ。できるヤツを潰すのが公教育の現状。私は潰されてたまるかと、そこから抜け出るために努力したわけです。ただし、機会は平等。どんなに貧しくとも、「むしろバカとブスこそは東大へ行け!」の桜木の台詞に燃える方なのです。

おいおい、何だか富井氏的ノリになってきましたが、事実彼の主張にはかなり共感しているのです。今のニッポンキリスト教は負け犬であることが当たり前みたいな感じ。病者のためにキリストは来られた、病者であることこそ幸いであり、教会は病者を受け入れ、大切に省み、保護するべきだ。で、疲れ果てる先生たちが多いこと。あのですね、病者はキチンと医師にかかるべきなのです。

要するに言いたいことは、前から言っているとおり、現在の教会は倒錯しているのです。かくして富井氏は再建主義こそ教会再生のための唯一の真理であるとなったわけです。そしてエリート意識を秘めた人にフィットしますね。私にもフィットしますから^^

以前にも述べたことがありますが、これからの日本のあり方を予想するに、社会は多分リバータリアニズム的に進むでしょう。要するに適者生存で、勝ち負けが明確化する。で、教界にはそこから落ちた人々が難民となって流れ込むでしょう。しかし養うことができない。ヒューマニズムの砂糖まぶしで、教界はフラストレーションのはけ口と化して混乱するでしょう。

さらにもっと深刻な問題は、勝ち負けの判定をされることを避けて、すでに400万のフリーター、80万のニートと言う層があることです。彼らを教育するために国が数百億を使って、彼らに学んでいただき、働いていただくようにする。ここにも倒錯現象が起きています。

しかしサイエンティストとしての私から冷徹な法則を申し上げるならば、会社において真に仕事をするのは全体の20%の人。彼らが80%の大事な仕事をこなしている事実。日本の個人資産が1300兆あると言っても、その80%を20%が占める。(実はその60%を富裕な老人層が占めている。)この「8:2」の統計法則をパレートの法則と言う。これも前に言いましたね。

で、問題は昭和までの日本であれば、あまり役に立たない80%の人を食べさせる緩衝領域があったのですが、これからはこういった無駄な領域はカットされていく。分かります?再建主義に中間領域がないのと同じです。しかし組織論の専門家に言わせると、実は何も役に立っていない空気のような80%の人がいないと組織が機能しないことも法則。彼らの存在が20%を生かすのです。要するに組織あるいは国家にはアソビがないと機能しないのです。

これから日本はある種の実験社会へと突入することでしょう。景気も回復。株価も絶好調。見かけは繁栄が戻るでしょう。現に金は余って行き所を探している。しかし精神的・霊的には真空が残ったまま。オウム事件の時、Time誌が、日本の霊的真空に吸い寄せられたと論評していたが、多分、緩衝領域から追い出された人々は宗教や占いやオカルトや秋葉系などのオタクなどの妄想系世界へと逃げるでしょう。科学万能主義とそれにはまりたくない諸々の主義に二分化するのではないでしょうか。ここにもストイケイアが働いているわけですが。

山谷氏がアメリカにはメガチャーチがあるから身の置き所を確保できるが、日本にはそれがないと指摘されていますが、最後の身の預け所として天皇制です。二分化社会で両者とも疲れ果てて、やはり天皇の臣民として生きることが実は日本人にとってもっとも安楽であるとの共同社会幻想が復活する可能性が大きいですね。この時期に男系女系の論争が急がれているのも意味があるかもしれません。天皇こそもっとも大いなる緩衝領域となり得るのかもしれません。