* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
本日は韓国の兄弟姉妹が用意されたチャペルをお借りして、交わり会を行った。この2ヶ月で、自前でワンホールを立派な礼拝所にされた。AV設備も私たちのそれをはるかに上回り、立派なもの。おいしい韓国料理の愛餐まで用意していただいた。
彼らとは99年夏頃から01年春まで寿町の教会で交わりを持っていた。彼らのすごい点は、主に対してお捧げすること。とにかく自分の持てるものを惜しみなく捧げる。これはホームレスのオッチャンたちに対する働きを見て、私はよく知っているし、その姿勢から大きな励ましも受けたし、こちらの姿勢も照らされている。
私たち日本人の信仰の姿勢はどちらかと言うと受身的。「してあげる」信仰ではなく、「して欲しい」信仰。自分の問題や悩みを分かって、受け入れて、何とかして欲しいと言うスタンス。だからその期待がちょっとでも裏切られるとヘソを曲げてしまう。つまり甘えの病理。自分を捨てる点においてとても消極的。確かにこの違いは霊的覚醒にとって大きな差を生むだろう。捧げ物の本質は自分を手離せるかどうか、これがもっとも明らかになる。明け渡しの実際が問われる。
彼らのスピリットからは大いに啓発され、学ぶべき点がある。私たちに対する主の「喝っ!」かも知れない。−カムサンミダ−
主の「喝っ!」の方法は面白いですね。彼らから大いに学びたいものです。
次回を楽しみに〜♪
たしかに韓国の方の「もてなし」はすばらしいと思います。「ご飯たべましたか?」が、韓国では挨拶の言葉なのだそうです。その位、もてなしが大切にされているのだそうです。見習いたいと思いつつ、おいらも真似してみたら、かえって気づかれしてしまうのです。。。。
ただ、韓国クリスチャンの十分の一信仰、教会信仰、牧師信仰は、なみなみならぬものが御座いまするぞ!ルーク氏のメッセとは正反対。
ただこちらの方々のことは全然存じ上げないので、あくまで、一般論でございまする。
はい、チョウ・ヨンギなどの韓国系の問題点も一応知っております。文化的背景とか、国民性による要素があるのでしょうね。今回は彼らも私たちの流れに乗りたいと言っておられるのです。ストイケイアによる修飾を排除して、キリストの御霊の純度がどれだけ高まるかと言うチャレンジのひとつかと思っております。
Commented by 東名高速 2006年07月02日(日)23:28ルークさん
そうでしたか!
韓国のクリスチャンがこの流れに乗るならば、どんなにかすばらしい栄光を、神に捧げられることでしょうか。
韓国の教会で泣いてきた者としては(自分もめくらだったゆえ)
これはどえらい「福音」でございまするぞ?!
カムサムミダ。
う〜ん、そうですか。どうもアメリカ系と韓国系によって、か弱いニッポンがかき回されている感じがしますね。
Commented by 東名高速 2006年07月04日(火)01:22ルークさん!こんばんは
ちょっと大げさに書かせていただきましたが
あくまでも韓国のクリスチャンが
Kingdumの流れに乗るならば、のお話で御座います。
ルークさんのメッセに耳をしっかり傾けて下さるならば、が前提でしょう。
本音を言えば、これは大変なことだなと思っております。
ただ、そうなって下さるように祈りつつ見守って行きたいと願っているのです。
韓国の人たちが
従来の牧師然とした牧師様を立てることなく、一人の兄弟と思い、呼べるだろうか。。
『十一献金と奉仕は祝福のネタ信仰』をかなぐり捨てられるか・・・
「聖殿、教会」には「神がいらっしゃる信仰」を捨てられるか。
牧師様の祈りは『霊験アラタカ信仰』を止められるか・・
『すべての集会に出席し大声で祈り、たくさん献金し、必死に働く聖徒が立派なクリスチャン』信仰を捨てられるか・・・
もっとありますが、耳タコだと思いますのでそろそろやめます。
ルークさんの仰るように
「かきまわされた、」ということは、犠牲者を多数出したということでもあるでしょう。
そちらの韓国の方々がほんとうにkingdumの、命の流れに乗られますように。
長々と失礼致しました!。