No.1739の記事

再建主義者による科学論(?)

再建主義の富井氏が奇跡について、

科学の活動が帰納法に基づいており、経験できることから法則を抽出することによって成立する以上、科学は、人間の経験の範囲内のことについてしか明言できないのである

として、

手を放した瞬間にコップに自然法則が働いて、そのコップを下に引っ張るかどうか「絶対の確実さを持って言え」ないからである。次の瞬間に1000億回に1回だけ起こるきわめてまれなイレギュラーな現象「コップが上に上る」が起こるかもしれない

と言われ、さらに

「<絶対>、この法則が働く」ということは科学は主張できない。科学の認識方法が帰納法により、経験に基づき、演繹法や教条主義を排除するならば、「絶対」という言葉を使うことはできない

として、

奇跡について科学は何も言うことはできない

としています。

う〜ん、科学の方法が帰納法(正確には「不完全帰納法」)によるのはあくまでも実験系の話でして、演繹法も教条主義(正確には「公理主義」)も用いるのです。どうもいつもどおりひとり芝居をされているようです。科学は元々奇跡について語ろうともしませんし、神の存在について結論もしていません(ローマ1:20のように感じている人はいるでしょう)。これは私の論考「科学と信仰」あるいはシカゴ大の中村氏の「聖書を信じる」をご参照ください。

元々科学は、例えばニュートンなど、神の創造の秩序を明らかにすることが目的でした。神は無秩序の神ではなく(1コリント14:33)、全宇宙はキリストの言葉(ロゴス)によって支えられています(ヘブル1:3)。科学はこの秩序とロゴスの構造を、特に数学(公理と演繹の体系)によって記述するものです。なぜ数学が自然を記述し得るかはまたひとつの大きなテーマなのですが、神が無秩序の神ではない以上、「1000億回に1回物が飛び上がるかも知れない」ことなどないのです!

現在の人類が見出し得た法則の「理論体系」はもちろん完全ではありませんが(神が制定された法則は完全)、法則がカバーし得る領域においては、その法則が常に働いています。ただニュートン力学から特殊相対論、さらに一般相対論と拡張されたように、それは先の理論と矛盾なく、むしろ包含するようにして適用範囲が広がりつつあり、かつなるべく少ない公理の体系で広い範囲をカバーしたいわけです。

「1000億回に1回物が飛び上がるかも知れない」との主張は、パルカルレベル(高校程度)の確率論に過ぎませんが、これでは「36億年も経てば生命が生まれるかもしれない」と同じことになるでしょう。以前にも指摘しましたが、「確率がゼロ」ということと「存在しない」ことは等価ではありません!確率ゼロでも無限に存在するモノがあるのです。確率論と存在論を混同してはなりません。ただしこのためにはせめて測度論を学ぶ必要があります(神学オツムの人へのお願いです)。

というわけで、どうもクリスチャンの、ややひとりヨガリ傾向のある方々の主張は(最近流行の「創造科学者」たちなど)、一般のサイエンティストをのけぞらせ、ますます福音から遠ざけるだけになるようです(ぼぼる氏)。

奇跡について述べるならば、神は法則の設定者であり、時間と空間を越えていますから、法則を介さずに直接に介入することがおできになる、と言う言い方が正確でしょう。奇跡とは帰納法による理論体系の不完全性による例外などではなく、むしろイエスの処女受胎も、死と復活も、みな自然界と歴史に対する積極的な神の直接介入なのです。そして誠実なサイエンティストであれば、神の直接介入を否定するものでも肯定するものでもなく、不可知あるいは沈黙しているのです。

同様に科学は聖書の内容を否定するものでも肯定するものでもなく、ただ御霊の証明がある時にのみ(啓示)、聖書は単なる白黒の文字ではなく、その人にとって意味のあるいのちの書となるわけです。やたらとリキの入った独り善がりの主張によって福音を損なうことがないようにと願う次第です。

Commented by はちこ URL2006年07月06日(木)23:25

再びこんにちは!

ルークさんのようなスタンスで科学と信仰について語ってくれるクリスチャンはとても少ないので、こういう記事を読むとホッとします。(もっとも、私自身は自然科学はまったく不得手なので、偉そうなことは言えないのですが…)

蛇足っぽいですが、進化論対IDについて、昨年主人がちょこっと書いたものもリンクさせてください。
http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20050811

Commented by Luke 2006年07月06日(木)23:40

あ、こんばんわ(時差ですね^^)。

リンク感謝です。まったく同意ですね。どうも"熱した"クリスチャンがうっかりとサイエンスを語るとかえって福音にとってマイナスになるようですね。謙虚さが必要なのでしょう。

Commented by 通行人 2006年07月07日(金)14:53

これも面白いです―

>悪霊は人生を無駄に過ごさせるために働いている

>サタンは、人間の気を散らそうとしている。彼の願いは、人間を無益な事で悩ませて、一生を恐怖や心配の奴隷にすることである。
>借金も一つの奴隷化の手段である。
>幽霊や金縛りなどで苦しんでいる人も同じように、サタンの攻撃にあっているのである。
>心霊写真というのにも霊が写っているとされる。
>しかし、考えていただきたい。
>どうして現れる霊は、パターンが一様なのか。
>どうして戦国時代の落ち武者とか、太平洋戦争の軍人なのか?なぜ弥生時代や縄文時代の人々が出て来ないのか?
>心霊写真に写っているのは、なぜ正面を向いているのか?なぜ後姿ではないのか。
>答えは、「ウケたいから。」だ。
>彼らは受けを狙っているのだ。

金縛りがサタンのアタックで、悪霊は受けを狙っている・・・???

Commented by Luke 2006年07月07日(金)18:15

う〜ん、聖霊派あたりではよく言ってるようですが、睡眠の生理学を学ぶべきでしょうね(笑)

Commented by kamekame 2006年07月08日(土)18:46

>どうして戦国時代の落ち武者とか、太平洋戦争の軍人なのか?なぜ弥生時代や縄文時代の人々が出て来ないのか?
>答えは、「ウケたいから。」だ。
>彼らは受けを狙っているのだ。

戦国時代の落ち武者とか、太平洋戦争の軍人なのか?なぜ弥生時代や縄文時代の人々が写ってるほうがよっぽど受けると思いますが、、、、。