No.1924の記事

神道は日本固有の文化?

今朝のウェークアップにてある若い女性が神道は宗教ではなく日本古来の文化であるから、政教分離の原則から神道だけは外して、靖国神社に戦没者を祀り、国家が保護すべきだと主張していた。対して江川紹子氏が「じゃあ、クリスチャンたちはどうなるの?」と反論していたが、「こんな若い女性がこんな主張するの?」とビックリした。

はたして神道は宗教ではなく、日本固有の文化なのでしょうか?宗教と文化の違いって?でもこれがニッポンの霊的事柄に対する姿勢の実態なのだと改めて確認した次第。

問題の本質は無宗教の施設を別に設けて戦没者を祀ることではなく、死者をどうとらえるかなのだ。死者を「神」として礼拝することが問題であって、そもそも「無宗教で祀る」ことが意味不明。米国のアーリントン墓地は、「無宗教」ではなく、「宗教にかかわらず」自ら希望した人が墓に納められるのであって、礼拝対象になることはない。

どうもニッポンには再び本質を外した言霊が飛び交い始めたようである。このまま行くとまた集団ヒステリーを呈するようになるであろう。

ちなみに私の墓はココ。宗教に関わらず安心して入れるし、南向きの日当たりの良い斜面のプレート式。いつの日かここでポカポカゆっくりとしたい^^

 * * *

午前中はオープンキャンパスでお客様の接待。本日はこれまで記録を更新した。

午後は奈良のSalt氏がこちらに来られたので、ランドマークタワーの69階にご案内し、横浜の景観を楽しんだ後、夕食をしながらじっくり交わった。問題意識を共有できる友がいることは実に幸いである。あすは彼にメッセージをお願いしたので、私は楽ができるぞ♪

Commented by kamekame 2006年08月19日(土)22:55

知り合いの法学部の学生が、「国民の大多数のものが参加するような行事は宗教的な行為であっても宗教とはみなされず文化とされる」と言っていましたが、本当なのでしょうか?もし本当なら、法的に神道が国営文化施設として営まれていく時代、学校の正規のカリキュラムに神社参拝が組み込まれる時代がくるかもしれません。

また、第二次大戦中にキリスト教会がアジアの教会に「神社参拝は文化だから、偶像崇拝にはならないので、安心して行ってください。それぞれの文化を破壊し、殺戮を重ねながら教勢を伸ばしてきた西洋の教会とは決別すべきです。」といった意味の主張をしていたようです。

今日の右よりの意見の活発化は、戦後水面下に眠っていた思想(ある種の霊?)が顕在化しつつあるように感じます。

大本営の偽りのニュースや憲兵に思想統制されているわけではないのに、このような意見が若者からでるとは、、、、。

Commented by MajorMak Eメール URL2006年08月20日(日)15:19

Dr.ルークが感じておられるように、小生も、まさにいま、「時代の霊」が動いていることを、ひしひしと感じます。

小生も昭和史が好きで、いろいろ議論しているのですが、それをやりながら、すーっと無意識のうちに、自分も「時代の霊」に吸い込まれて行く感覚が、よくわかります。それはなんというか、母なる大地の女神、地母神の気持ちよく暖かい子宮の中に戻って行くような感覚です。こわいです。

「神道は宗教ではない」という戦前の政府の通達。これが、おそらく、いまの「時代の霊」が目指して行っている、ひとつの地点でありましょう。

しかし、それは、あくまで通過点であって、その先には、神道それ自体の変質が待っていると思います。

戦前においては、「神道は宗教ではない」と政府が宣言し、内務省が神道の教義内容の改変を行いました。もはや宗教ではなく文化であるわけですから、政府の行政指導で教義が変更されても、何ら問題がない、ということになるわけです。

結果として、古来連綿と続いて来た「大祓の祝詞」の「国つ罪」の最初の二つ、「生きている人間の肌を傷つける罪」と「死んだ人間の肌を傷つける罪」が、祝詞から削除されてしまいました。戦争遂行の上で士気の低下につながる恐れがある、というのが官僚の立てた理由です。

つまり、「神道は宗教ではない」としてしまうと、次に来るのが、「神道が神道でなくなる」ということであり、こうして、「自然法としての諸宗教の法」が、根本からゆがめられることになるわけです。

もろもろの法は、すべて、キリストを信じる「信仰義認」に仕えているわけですが(カール・バルト『義認と法』)しかし、もろもろの法が悪鬼化する、という事態もあるわけですし、かつて本当にあったわけですし、おそらく今後またそれが、繰り返されるのでありましょう。

Commented by Luke 2006年08月20日(日)22:26

なるほど、巧妙なトリックが幾重にもあるわけですね。山谷少佐の論考は要点がコンパクトにまとめられており、とても参考になります。

>すーっと無意識のうちに、自分も「時代の霊」に吸
>い込まれて行く感覚が、よくわかります。それはな
>んというか、母なる大地の女神、地母神の気持ちよ
>く暖かい子宮の中に戻って行くような感覚です。こ
>わいです。

う〜ん、この感覚ですね。私も分かります。どこからくるのか。ユング的には集合的無意識みたいな話しになるのかも知れませんが。その霊と魂の深い部分が共鳴を起こすのですね。ニッポンはひとつのコーナーを曲がったことだけは確かですね。これから教会がどれだけウォッチマンのスタンスを持てるか、よほど意識的でいないと危うい感じがしています。