No.1983の記事

夏休みor研修?

公立学校の先生は実に気の毒と思う。税金をもらっているためだろうが、「夏休み」は夏休みではない。「研修期間」なのだ。報告書を出して、図書館で研修、自宅で研修・・・と。何が研修で、何が研修でないか、オンブズマンとかにチェックされるそうだ。

あのね、ただでさえ、ニンゲンという不可解な動物を相手にしているのだから、先生たちもどこかで抜かないと、ビョウキになってしまうもの。現に長期療養休暇を取った教員の約15%が精神疾患による。エリートコースを突き進んできた私の友人の教師も、この数年間うつ病で苦しんでいる。ちなみに牧師のうつ病などの精神疾患もかなり多い。(えっ、元々が変?・・・それは言わない方が^^)

「夏休み」は夏休みでよいではないか。自由にしてもらってよろしい。大した額でもない(?)のに「我々の血税を無駄にするな!」とか言うエキセントリックな主張をする人たちは「投資」と言うことが分かってない。ここにもミームと言うか言霊が飛び交って、無意味な消耗戦が起きている。この極致がニッポンキリスト教界。

ニンゲンはホモ・ルーデンス。遊んでいる人は面白い人。ここに見えるSaltさんのように絵も描き、音楽も作り、自らコンサートもすると言う面白い先生に触れるならば生徒も生き生きするもの。「遊び」と「無為」は違うのだ。行政もつまらん箱モノにムダ金を注ぐのではなく(本当に発想がオジサンであまりにも古い)、人間というもっとも大切な資産に注ぐべき。教育は大いなる「無駄」が必要なもの。それがつまらない形式的書類を書いてハンコをもらうだけの役所仕事化しつつあるのが現状。かくして先生が管理され窒息している。

私の愛読書である夏目漱石の『三四郎』の世界などは古き良き時代の大らかな教師像が提示されている。私的には、教師とは高等遊民であるべきと思っている。結局教員を追いつめるならば、生徒にしっぺ返しがくるだけ。それは日本の未来を奪う。言霊で振り回され、自ら窒息社会を招くニッポン人の愚かな悪癖である。

Commented by ひろこ 2006年09月01日(金)23:11

 友と語るに、世の動きが戦前にあったような方向にいきそうということや、学校現場が教材調べよりも書類提出(やたらにおおくなったそうだ)に時間をとられ子供たちと遊んであげられなくなったとぼやき、会議で話し合って決めるというよりも上からの指示が強くなり、ものが言えなくなったとなげいていた。

Commented by kenji 2006年09月02日(土)08:56

教師は事務職ではありません。お上への報告書なんか無用では?どうせ上の方々は真剣に読まないでしょうし。誰のために何の目的なのか曖昧なまま、日々書類作成に追われるなんてねえ。
一人一人セクレタリーがつくといいかも。

Commented by Luke 2006年09月02日(土)09:26

確かに現場は大変でしょう。「無意味さ」との闘いですから。かつて中国の労改では、穴を掘っては埋めてをひたすら繰り返すだけの作業をさせられたそうです。人は狂うのですね、無目的・無意味さで。