* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
午前9時から午後3時までAO入試。試験監督と20名の面接。かなり疲れる仕事(変な疲れが残るのだ・・・)。たまに社会人がいたりすると面白い話ができるが。
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またまたセロの特番があった。以前のネタと新しいネタが披露されていたが、それにしても不思議だ。握りつぶした空のアルミ缶にコーラが戻り、あのプル(フタ)までもが再生される!?さらに破った千円札をセロテープで貼って、指でなぞると元に戻ると・・・。
コイツはいったい何者?っと、考え込んでいたら、お笑い系の進行役が、「考えるな、感じろ(Don't think, Feeeeel !)」と言うブルース・リーの名言を吐いていた。そうなのだ、霊的経験もこのfeeeeelがけっこう大切だったりして。
そもそも感受性が欠如していれば、言語のやりとりはもはや無駄になる。かくしてケンケンガクガク、無意味な神学論争となるわけで。神の愛と御心をfeeeeeelしようではないか。このとき御霊はリンビックシステム(大脳辺縁系)に作用し、私たちの深層意識層の修復を図って下さる。
ちなみに人間性は意識化される領域はごくわずか。青筋立てた神学論争は大脳新皮質のごく一部の働きに過ぎず、それは真の安息や平安と満足をもたらすことはない。霊的快感原則で生きるリンビック・クリスチャンを私は志向している。
読者の方からLukeさんの意図は分かるが、偽の霊的現象が現れている今日、「考えるな」は危険ではないかとご質問をいただきました。確かにDr.Lukeは「考えるな」と言ってみたり、「思考停止するな」と言ってみたり・・・^^。
そうですね、私はこういったご質問をニッポンキリスト教の諸兄と関わるようになってからどれほどいただいたことでしょう。問題を解決するにはどうすればよいのですか?神に従うってどういうことですか?どうやったら聖いクリスチャンになれますか?人間性を知らないのです。・・・まあ、これが強迫性なんですが。
人間性は矛盾の中に存在するのです。これが一方に偏るとオツム志向だけのリベラルになり、他方に偏ると経験志向だけの聖霊派になるわけで。人間性を忘れた悲喜劇です。精神医学的にはイロイロ解説できますが、考えるな、しかし思考停止するな。これが楽しく、しかも振り回されない生き方なんですが(笑)