* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ある方から
1)御霊の内住とキリストの内住の関係は?
2)御父は内住されるのか?
とのご質問をいただき、とても大切なので、ここに回答を採録します:
聖霊は新約においてと旧約においてはその役割において決定的な違いがあります。私が「聖霊派の聖霊知らず」と言うのは決して単なる揶揄ではありません。事実、彼らは知りません。
御霊の内住を得るときに、同時にキリストの内住を得ます(ヨハネ14:15-20)。また御子と御父は"一緒に"信じる者のうちに来てくださいます(ヨハネ14:23)。ここには「"わたしたち"が来てその人の内に住む」とあります。
神の三にして一であることは奥義です。聖霊派のイメージである、「天に父がいて、右にキリスト、地上には聖霊様」というのは三神論です。キリストは復活の肉体を持って天におられますが、同時にいのちを与える霊として(1コリント15:45)、私たちのうちにいます。また子を持つ者を父をも持つのです。父のうちに子がおり、子のうちに父がおり、その相互内住を私たちのうちで実体化される方が御霊です。神はひとりの神です。三者はバラバラの神々ではありません。
聖霊は新約では単なる神の霊ではなく、人間イエスの霊のうちに住まわれる経験を経て、イエスを証しする霊として私たちにあたえられています。よってこの意味での御霊はイエスが栄光を受けられる(=十字架)前には「なかった」(ヨハネ7:39原語)のです。「注がれていなかった」は意訳です。「なかった」のです。
神の霊として聖霊はもちろん永遠におられますが、新約ではイエスを証しする霊とされています。ここがベニー・ヒンや一般に聖霊派の聖霊理解がおかしいと私が言っている根拠です。彼らは旧約的な神の霊の現われを求めるだけで、イエスの人性をあかしし、私たちのうちにキリストを作り込む御霊の働きを知りません。だから、しるしだ、不思議だ、になるわけです。もっと面白いのはヒンの霊的パワーで飛ばされて感激したとか・・・(アホらしい)。西野バレー団の会長でもやってるでしょう。
キリストは父からのものを受け、キリストから御霊が受けて、それを私たちのうちに実体化するわけです(ヨハネ16:14,15)。父と子はひとつです(ヨハネ10:30)。そしてキリストと御霊はひとつです(2コリント3:17)。ただしこれらは位格の区別がないということではありません。
父がいるところには子もおり、子がいるところには御霊がいるのです(ヨハネ14章)。よって御霊は三にして一なる神を私たちのうちに実体化して下さいます。イエスと御霊を切り離してはなりません。KFCのある方が言っていました:「今は聖霊の時代だから、キリストの時代は終わったと思っていた。」と。それどころか、聖霊は「イエスの霊」また「キリストの御霊」と呼ばれています。旧約では単なる「神の霊」です。
新約と旧約には致命的な違いがあるのです。今回のヒンの聖霊論は幼稚であり、彼の人格に欠陥があることもイエスのご人格を証しする聖霊の働きを受けていないためです。はっきり言います、ただ単に癒しが欲しい人は心霊治療家、あるいはオルターナティヴ・メディシンにかかりなさい。
新約と旧約の相違を明確に見ていないので、律法主義や、「主はこう言われる!」式の偽預言者たちに振り回される諸兄が多いのです。天国に行ってパウロと会ってきた超霊的な"預言者"には私はこう言いましょう:「私は常に内なるイエスとお会いして、イエスと会話している」と!聖霊派諸氏よ、ぜひ1ヨハネ2:24-28をよくよく読んでみてください。対してマタイ7:21-23を比べて御覧なさい。何が大切かよく分かるはずです。
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