* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
NHK『今日までそして明日から〜吉田拓郎・35000人の同窓会』―今終わったところ、余韻が消えないうちに。
何なのでしょうね、この魂がゆれる感覚。泣けます。客層は(人のことは棚において)、見事なまでにオジサン&オバサン。彼らと同世代か・・・やや・・・。しかし彼ら(incld.ME)も昔は若者だったのだ。あの頃の拓郎は教祖みたいな存在だった。当時はいわゆるカルト宗教などは必要なかった。私もギター片手に『結婚しようよ』なんてジャカジャカやったもんだ。
その教祖的な彼も確実に老い(失礼)、肺がんを患って、死にたくないと涙を流した。インタビューでも言っていたが、ここで私たちの拓郎像は脆くも崩れ落ちた。「何だよ・・・」と。いわば彼は敗北者として「人間宣言」をしたのだ。しかし等身大の「拓郎オジサン」としてよみがえった。私たちと生身の生を共有する存在として。私たちの魂の叫びの代弁者として。実はこれで拓郎の魅力がさらに増大した。それは等身大の人間吉田拓郎。
同様にイエスも生身の人間として、私たちと生を共有して下さる。生の共有がなしえない神学だの、ミニストリーなどは何も生み出さない。
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
ラストの曲が染みた。若い頃とは違った受け止め方で・・・。 →温泉までT-35Days ルークさん、こんにちは。実は私も観ていました。そしてブログに書こうかと思っていたら、先を越されてしまったようですね。ほぼ同じ感想ですね。ラストの曲で私もジーンときました。60歳の拓郎でこその、真意が伝わってきましたね。 こんにちは。 ♪自由を語るな〜 不自由な顔でぇ〜わたしはきょうまで生きてみました。・・・そして今、わたしは思っています。明日からも、そうして、生きてゆくだろうと・・・
>NHK『今日までそして明日から〜吉田拓郎・35000人の同窓会』―今終わったところ、
私も、当直室で、朝、たまたま見ました。(残念ながら、最後の15分だけ)
>何なのでしょうね、この魂がゆれる感覚。泣けます。
この感覚、私もわかります。
最後に、拓郎が、観客に深々と(1分くらい?長く)頭を下げる姿は、特に「泣け」ました。
>私もギター片手に『結婚しようよ』なんてジャカジャカやったもんだ。
私も友人と、高校の「フォーク・ロック・コンサート」で、拓郎の「落陽」を、エレキでやったことがあります。(ミスってしまいましたが。。。)
>同様にイエスも生身の人間として、私たちと生を共有して下さる。生の共有がなしえない神学だの、ミニストリーなどは何も生み出さない。
昨日の深夜、再放送していたNHKの「仕事の流儀」の中で、陸上の末次選手を育てた高野進さんが
「結局、人間(←確か、自分のこと)に影響を与えられるのは、人間(←確か、末次選手のこと)しかいない」と言っていました。
聞いていて、はっとしました。「人間に影響を与えられるのは、神というよりも、人間(になったイエス)しかいない」という風に聞こえました。
>わたしはきょうまで生きてみました。・・・そして今、わたしは思っています。明日からも、そうして、生きてゆくだろうと・・・
この曲を、皆で「一体になって」、ステージの方を向いて歌っている、おじさん&おばさんを見ると、感動と言うより(キリスト者としては)「悲哀」を感じてしまいました。。。
(では、これから、帰宅します)
口先だけのぉ〜 知識人よぉ〜 ♪
救われた今、私はこの歌詞が胸にしみますっ。押忍・・