* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
わたしが「○○主義者」と呼ぶ時の定義を少し与えておきたい。単純に言えば、ある対象について黒を黒、白を白と言わない(言いたくない)人々を、わたしはその対象に関して「○○主義者」と呼んでいる。
例えば昨今のアメリカの所業に対して、アメリカの批判をするとする。これは黒を黒とすることであり、別にアメリカが嫌いで言っているわけではない。しかしアメリカの現在の所業には反対である。これがアメリカに対してニュートラルな人々の正常な反応である。
対して、このような批判をした場合、ただちにアメリカ全体に対して「アンチ」であるとのレッテルを貼る傾向のある人々、あるいはアメリカの所業についての判断をしたくない人々を「アメリカ主義者」と言う。彼らはアメリカに対する客観的な批判精神を失っている。
これは一般にカルトにおいて観察される病理である。カルトではその教祖を批判することはただちにそのカルト全体に対してアンチであり、反逆者あるいは迫害者とのレッテルが貼られる。教祖に関する限り、思考停止(エポケー)に陥るわけである。
また今回イスラエルがシリアに空爆を加えたが、このような所業は普通の精神と感受性を持っている人は、批判的な反応をするはずである。しかしイスラエル主義者は「当然のこと」あるいは「批判は避ける」、もっと深刻な場合、「価値判断を留保する」となる。エポケーに陥っている。
イスラエルの聖書的な経綸上の独自性と役割を認めることと、彼らの現在の所業の判断とは別の判断カテゴリーに属することである。これをいっしょくたにして、イスラエルの所業を批判する人々を「反ユダヤ」とすることはすでにカルトの病理を呈している証拠である。
実はこのような反応はすべてある種の霊と精神病理によって起きている。イスラエル主義者から受ける印象はある一定の傾向があり、またパレスティナ支持者から受ける印象もある一定の傾向がある。表向きの思想性は実は本質ではなく、すでに述べたように、あの地の問題は霊的要素の絡んだ精神病理的現象なのである。政治のレベルでは決して解けない問題である。