No.2461の記事

人格障害と言う生き方(2)

人格障害者の特徴として、他者から受容されたいと言う願望と他者からの拒絶を自ら招く行動と言うアンビバレンツな要素があることを指摘したが、この心理は「2ちゃんねる」あたりのキャラを診ていると実によく分かる。彼らは他者に不快感を与え、他者から拒絶され嫌われるキャラほど、目立ったキャラ、あるいはその場を支配する「神」として君臨できるようだ。自分の主張を認めさせないように、しかし無理やり相手をねじ伏せるためにエネルギーを空転しているのだ。

例えばこのアンビバレンツ性のひとつの際立った現れとして、自分が擁護したい対象は「2ちゃんねる」などを見ていないと言う主張がある。今回も「クリスチャン・トゥデイ」の高柳社長をなぜか必死で擁護する面々がいるわけだが、彼らの主張は、救世軍の山谷少佐は妄想者であり、彼を擁護する人々が「2ちゃんねる」で各種工作を必死にしているが(「空詐話」もそのひとりだそうだが、実にうまい当て字だ・・・笑)、CT側は余裕の構えで、まったく相手にしてなどいないと言う弁護が見られる(苦笑)。

ここに実に面白い乖離と言うか矛盾があることにお気づきだろうか。自分は「2ちゃんねる」においてCTを必死に擁護しているわけだが、その擁護の対象は「2ちゃんねる」などは鼻にも引っ掛けていないと言うわけ。見事に少佐に対する加虐性が、実は自虐性の合わせ鏡になっている。そこで賢明に自己主張しつつも、彼ら自身の言葉、「所詮2ちゃんねるだ」によって自己疎外している。自分は決して熱くなっていないが、相手はなっている、相手は必死だと、自分自身が必死になっているわけで(笑)。かくして下に書いた人格障害の病理が、そのまんま現れている。鏡の中の自分に向かって延々と攻撃をしているわけだ。

今回山谷さんの件でずっとフォローしてきたが、どうもこの「2ちゃんねる」なる場は病理の共有体として、それ自体がひとつの病理的人格を構成しつつあるような印象を受ける。一説によると管理人のひろゆきの母親は在日であると言う。もしこれが事実であるならば、ひろゆきは日本社会におけるネガティヴな要素をその意志によらず不条理にも引き受けてきたのではなかろうか。彼の根底には他者から拒絶される痛みが横たわっている。その恨みあるいは憤りを、表面的にはへらへらと軽いノリで、「2ちゃんねる」なる場で晴らしているような感じを受ける。

表面上「へらへら」、あるいは「軽いノリ」、あるいは「おちゃらかし」、あるいは「皮肉屋な態度」を取る人では、心の奥深くに癒されていない深い傷あるいは深刻な挫折感を隠し持っている場合が多いのだ。それに直面するだけで、自己存在が脅かされるような・・・。これを反動形成と言うが、まじめさとか、真実さとか、一生懸命さをあざ笑い、貶める人たちに共通する病理である。

もっと言えば、彼は日本社会に対する復讐をしているのだ。日本人のモラルを日本人自身が失う場を提供することによって、内部から腐れを起こさせる。誹謗中傷を書いた本人のIPなどを提出することを頑なに拒み、自身が訴えられ、多額の賠償金を要求されても、なお継続すると言う根性は実にたいしたものだ。「裁判には、まぁ、ヒマだったら行く」、「(裁判に)勝とうが負けようが、(賠償金を)払わなければ一緒」とうそぶく彼の心のルーツはどこか。何ゆえそこまで張っている必要があるのか。彼は関連企業から1億以上の収入を得ているようだが、金に対してわりと淡白な印象を受ける。金をヒラヒラさせ、むしろ人々を挑発する道具としているのだろう。

彼の真の動機は日本社会への復讐にあると思える。彼の深層心理においては、自分は加害者ではなく、あくまでも被害者なのだ。だから「2ちゃんねる」で自殺者が出ようと、プライバシーが暴かれて人生の破綻を招く人が出ようと、彼の良心は決して痛むことはない。これは英国の売春婦連続殺人事件の犯人と共通する心理であろう。加えて「2ちゃんねる」は所詮遊びの場だから、まじめに批判などする者たちはオトナではなく、オトナであればさらっと流すべきだとして煙幕を貼りつつ、実質的犯罪行為がまかり通っている。「必死」になってはならないのだ。しかし最近ではマスコミも表立って批判を開始したようだ。

あの爬虫類のようにヌメッとして、すべてをジョーダンと化し、ヘラヘラっと流すあの場の空気は、まさにひろゆきの人格の拡張あるいは肥大化である。もっと言えば、人々の心の深層に横たわる「邪悪」を非常に巧妙に引き出し、それを良心の呵責なく表現し得る場であり、その集合的無意識の共有体として、ひとつの人格を構成しつつあると言える。よってひろゆきと同じように、果たせなかった挫折感の解消や鬱屈した復讐をしたい人にとっては格好の場なのだ。

ニッポンをひとりの人として見たとき、分裂する自己の病理の現れとして歴史を論じたのが岸田秀氏であったが、その乖離性を有するニッポン自身が人格障害を抱えているわけ。その病理性がひろゆきの動機とピッタリはまって、乖離したニッポンのもうひとつの病理的人格として現れているのが「2ちゃんねる」であろう。悪魔は実に便利なツールを獲得したものだ。私たちは主イエスの御名によって対峙しよう。

Commented by Luke 2006年12月22日(金)11:34

面白いですね。けっこうあそこの人はここを覗いておられるようです。茶々を入れつつ反応するあたりが何とも・・・。それにしても文章が読めない人が多いようですが(笑)ただし、そろそろ食傷気味ですので、あそこがらみのネタはこれまでとします。後は主の御手が置かれるのを待ちましょう。何ならこちらにきてくださればお話しますよ^^