* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
の前に、週刊文春によると、あのコムスンの会長様は何と、キリスト教徒のようだ。田園調布に90坪の家と、320坪の土地、さらに軽井沢に2500坪の別荘、外車は20数台。それで毎週近くの教会の礼拝に出席されているとか!?いやあ、これみんな介護保険料の上がりなんでしょうね?かつて日本で最初のエイズ患者もキリスト教徒、支援者から数億を借り倒して自己破産した何とか大臣の奥様もカトリック教徒・・・。やれやれ。
(私も結婚した当初1ヶ月だけ、田園調布の豪邸に住んだのだ。本籍も田園調布だったが、その後移してしまった。田園調布に残しておけばよかったかなあ・・・)
と言うわけで、本日の一冊は、ここでも何度(こちらとこちら)も紹介しているリチャード・ドーキンスの『神は妄想である-宗教との決別-』。TIME誌での論争も紹介したが、彼はあらゆる面から徹底的に神の不在を証明しようと試みる。
実は私もキリスト教は大嫌いであるし、キリスト教徒はけっこうビョウキが入っている、と前から何度も指摘しているので、ドーキンスの論にはかなりアーメンなのだ(無神論の論証に対して、「アーメン」は不適か・・・?)。独善的キリスト教の異常さはまったくドーキンスの指摘するとおり。これが現代社会の病理のルーツであると言う。
確かに創造科学などの狂信者や、人工中絶を行う医師を殺す原理主義者、さらにテレビで金を巻き上げるテレンヴァンジェリトを見ていると、ドーキンスがこれほどにムキになる理由も理解できる。科学と神が切り離されている現代では、創造科学などはまともな科学者は相手にしないだろう。またドーキンスが好きなジョン・レノンの『イマジン』の世界のように、宗教がなければどれほど地球上は平穏になるだろうか?かくして私も脱宗教には大いに賛成であり、現代のキリスト教などはいっそのこと消滅した方がよいとすら考えている。
BUT、私と彼との違いはひとつ―神はいます。すべての根源である、ありてある方は、まさにいます方。極私的にはキリスト教などは消滅しても一向構わない。日本が1%の壁を越えるか超えないかなどはどうでもよい。無意味なキリスト教徒を増やしたところで、問題が次々に出現するだけだ。また狂気の入った神学などが滅び去ることもまったく問題ではない。ありてある方は、私たちが何をしようとしまいと、ある方だから。
昨日書いたとおり、神学は護教論と論争論に分かれるそうだが、別に護教する必要もないし、論争する必要もない。私たちに必要なのは神学でもなければ、キリスト教儀式でもない。ただ、キリストと言うお方だけ。この方はドーキンスがいくら論証しても、不在とすることはできないのだ!私たちの信仰とはただ一点:キリスト・イエスその方のみ!ペテロはこう言っている:
心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
そしてその希望とは
Commented by Luke 2007年06月14日(木)21:59
ついでに >かくして私も脱宗教には大いに賛成であり、現代のキリスト教などはいっそのこと消滅した方がよいとすら考えている。 文芸春秋の季刊夏号「心の時代を生きる」に、有名著名人が「神や宗教」についての論考を載せています。 他ならぬ神御自身を宗教化しようとしたところに、キリスト教が最も悪しき宗教である因があると思います。 アメリカ建国の父トマス・ジェファーソンは、なんと「キリスト教はこれまで人類に投げかけられたもっとも倒錯した体系である」と言ったそうです(私と同じことを言っている!)。確かに、キリスト教は倒錯していますし、キリストご自身とはまったく違うものと化しているわけですが・・・。 その人が真のキリストに従う弟子かどうかは >全ての教団教派は一度なくなって、全て個人の なんだか宗教と信仰の違いも分からない方が多いと思います。あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
とあるとおりですね。ところが今の伝道は、人の知恵でなされているのですから、何ともな自己撞着ですね。ニッポンキリスト教はこの自己矛盾にも気がつかないほどに病が進行しているのです。
激しく同感致します。
キリストは真理でありますが、この世は真理に耐えられない。なぜなら、自分の積み上げてきた真善美を疑問視されるから。宗教という形であれば、この世の片隅に存在することを許し、ある程度の賞賛と利益を与えるものです。他ならぬ神御自身を宗教化しようとしたところに、キリスト教が最も悪しき宗教である因があると思います。
(そういう意味で、仏教や儒教の方が健全にさえ思える)
参考にはなりますね・・・。でも、闇を増す事によってキリストの光を隠そうとしているようにしか、私には感じられません。
<ところが今の伝道は、人の知恵でなされているのですから、
十字架の真実の前では、人の知恵ほどむなしいものはありませんね。
(そういう意味で、仏教や儒教の方が健全にさえ思える)
宮内さまのコメントに、とてもすうとしました。仏教や儒教が嫌いではないので、なるほどと思います。やはり、神御自身は在って在るお方、何故、その畏れ多いお方を人の思いにまで引き下ろすのか、この世は真理に耐えられない。アーメンです。
でもこうして同じことを感じておられる、主を愛し、主を求める兄弟姉妹がいることは励ましですね。
実を持って判断する他無いでしょうが
「実」とは何か?で、また分かれる訳で
なんともかんとも・・・・
全ての教団教派は一度なくなって、全て個人の
信仰に戻した方がいいのではないですか?
どんな小さな根で、どんなに土の上はきれいで
花を咲かせていても、地下にある根が腐ってるなら
いつかその実も茎も花も種子もくさるはず・・・
元から立たなきゃダメ!でしょう
>信仰に戻した方がいいのではないですか?
これは大いに賛成します。いずれ主の前に立つ時には、ペテロのように、「あなたは・・・どうでしたか?」と主に問われるのですが・・・。この時には教団がどうの、先生がどうの、とは言えないでしょう。
何とかヒルトン嬢は「以前よりは私は宗教的になったと」。
え、宗教的ってなんなの?
また「刑期は神からもらった試練のようなもの」と言っているとか。
神は、あなたに罪を認め悔い改めて欲しいと願っているに気付いていない。。。
アカの他人の小生には良く分かります。