* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
彼はどこまでもきまっている:
・自分は人からの評価を得るために努力しているわけではない。ただ自分の設定した目標をクリアすることが喜びなのだ。
・人に勝つことに意義はない。自分の目標に向かって前進するその過程自体に喜びがある。
一方、パウロは言っている:
・私は人からの評価を得ようとしているのか。もしそうであればキリストのしもべではあるまい。
・私はまだとらえたと思っていない。後ろのものを忘れて、キリストを求めて前へ前へと進むだけ。
イチローとパウロの違いは求める対象。私はあまり人の言葉などには左右されないし、ヨイショもまずしない方であるが(特にセンセイ方の言葉などは・・・)、イチローの言葉には「アーメン(用語の流用)」である。イチローに今の女々しいクリスチャンたちに「喝」を入れてもらいたいものだ。