* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ちょっとこの数日は疲れが溜まり、今日は昼から風呂につかってゆっくりです。
BBSについてはイロイロご意見・ご感想があるようですが、ここでは少なくとも霊的ブリッコはしたくないのですね^^あくまで地でいきたいと思っておりますので、そこんとこヨ・ロ・シ・ク。(またYAZAWA調だ・・・)
私たちの霊はすでに主とひとつにされていますから、私たちが何かに触れて何かを感じるとき、それは自動的に御霊が共有して下さいます。そこで私たちが、ふと「主よ〜」とうめく時、それはまことの祈りです。朗々とカッコいい祈りの台詞を唱える必要などはないのです。北森氏の『神の痛みの神学』は私も一応持ってはおりますが、何を言っているのか、サッパリ分かりません^^。シンプルに主に心を注ぎ出すことができれば十分ではないかと・・・。
Dr.Lukeは危険だとか、カルトだとか、そろそろ言われているようで、私のテープもどうも地下で出回っているようなんですね。Dr.Lukeを聞いていると牧師先生に知られるとまずいようなんですが、どうも結構な数が回っているようです。どんなルートか不明ですが、コピーに次ぐコピーで、とんでもない方から「聞いています」とか言われるわけです(あ、ご自由に用いてくださってけっこうですよ^^)。まあ、喜んでイイのか、悲しんでイイのか、どう申し上げてよいのか分かりませんが、ニッポンキリスト教界と言うところは、表と裏を使い分けなくてはならないギョーカイであることは間違いないようです。
私は今日本史に関心があってイロイロ学んでいるのですが、専門の先生や古典の先生に聞くところによると、いわゆる古墳がアンタッチャブルとされている理由は、そこから出たらまずいシロモノがあるからとのこと。天皇家やら日本のルーツの真実があると言うわけです。よって民には知らしむべからずと、第一級の史料であるにも関わらず封印されているわけ。日本の拠って立つ基盤が根底から覆されてしまうのだそうです。
同じようにニッポンキリスト教の真実も平信徒には知らしむべからずと言うわけで、それに触れ出すとこのギョーカイではやっていけなくなるらしい。この「ニッポンキリスト教」という言い方は私の発案ではなく、明治学院の鹿嶋春平太氏(ペンネーム)の言葉なんですが、彼は「ニッポンキリスト教はスタートから暗闇だった」と喝破していますね。彼は名前から分かるとおり経済学者で、大学の教員ですから、ニッポンキリスト教のタブーにも触れることができるわけですが、名を上げた牧師先生になるほどにそれを蓋しているわけです。まあ、このギョーカイには入る込むべきではありませんがね。君子危うきに・・・です。
と言った次第でして、このサイトはキリスト教ゴッコを意図していませんので、共に何でも問題意識を共有することができればうれしく思っております。ニッポン社会もニッポンキリスト教界も真実があまりにも隠されていますからね。
注:鹿嶋氏の漢字とリンク先が間違っておりました。
鹿嶋春平太氏のニッポンキリスト教の分析はコミカルな中に鋭い指摘があるように思います。
メールマガジンやホームページ内で教会をやっておられていました。おもしろかったです。
さて、北森氏の本で顔を覆ってこれから昼寝です・・・。
おやすみなさい・・・
つくづく、面倒な世界なんですねぇ…(ため息)。
いちヒラ信徒である私の狭い世界(自分の母教会)も、面倒なことがイロイロあるのですが、
求道者など、「外」には問題がないかのように見せて振舞っていて、
求道者の方に心苦しく思っています。
私個人も、もう「ゴッコ」は辛い。「イイ子」は止めます。
「然り、然り」「否、否」と言います。
御心にかなった痛みであるなら、主が共にしてくださると信じ、自分の足でまっすぐな道を歩みたいと願います。