最近の日記

自他のジレンマ

宮内氏が鋭い指摘をされている。いわく、世間の喪失は個人の肥大化を意味し、それは恥を失って獣欲の解放を促し、結局は他者を喪失することにより自己をも失う。これが現在のニッポンの病理。処方箋は肉となった神、イエス・キリストのみであると。キリストとキリスト教は別物であることを知らしめる必要がある。まったくもってアーメンです。

いわゆる牧師はこういった真実を語ることができない。あなたはオンリーワン、高価で尊く、人生マイナスがプラスになり、商売繁盛家内安全・・・と、彼らはキリスト教商売をしているからだ。そういった証しならば○○学会の方がはるかに優れている!ニッポンキリスト教に必要なのは、宮の両替人を追い払ったイエスの鞭である。

Commented by Rutsuki 2006年12月07日(木)09:36

思わず拍手! 全くその通りだと思います。しかし、商売をしているとは気づいていません。献身しご奉仕していると信じています。キリスト教に献身し、キリスト教に奉仕しているのですのですが見えていません。

Commented by kenji 2006年12月07日(木)17:52

そもそも「献身(者)」って何でしょうか?
聖書のどこにも出てこない不思議な概念。
さてルークさんは献身者なのでしょうか?

Commented by Luke 2006年12月07日(木)18:23

献身はイエスの血で買い取られたことの自分の意志による表明です。いわゆる世の仕事を捨て、「教職者」になって献金で暮らすことではありません。このニッポンキリスト教の「献身制度」がすべての問題のルーツではないでしょうか?

私はキリストには献身していますが、キリスト教にはしていません^^

Commented by くろねこ 2006年12月07日(木)21:05

おっしゃる通りだと思います。とても不思議な制度ですね。
献身といえばとても聞こえがよいですが、いわゆるたかりのようなものでしょうか?元教会の牧師さんなどは信者の献金だけでは家をたてたり、子供を私立高校にもやれないので、正社員で働いているそうです。それもなんだか。。。
本来は皆、イエス・キリストに献身、ですね。

Commented by エタ 2006年12月08日(金)09:22

アーメン!!最近、未信者の方2人にそれぞれに、キリストとキリスト教の違いとイエス様の宮での商売人への怒りを話したら、今まで信仰の話しに成ると目がとろ〜んとしていた人、そして怒っていた人が、目をぱっと見開いて話を聞き出す・・・・この世の人の方が「宗教」そのものには非常に敏感であることを、改めて知りました。
 「『隠れキリシタン』でもいいから、聖書の言葉でその問題を祈ってみて!!」

なんだか、めちゃくちゃな事を言ってしまいましたが
このことを大胆に言える後ろ盾、エクレシアとしての教会がここにあるということ、すごく感謝です。

イジメ体質のニッポン

例によってSalt氏が面白いことをお書きになっている。

国からのお便りの次は、県からのアンケートだ。これがまた甲乙つけがたいほど情けない内容である。

道ばたや歩道橋の上でいきなり通りすがりの人を立ち止まらせて「あなたは神を信じますか?」とたずねるのも,漫才のネタにされるぐらいくだらない質問だが,それにどこか似たところがある。つまり,たとえ大事なことでも,ふさわしくない場面や方法で聞いてみたところで,何も得られないということだ。
・・・
半強制的にくばらされる手紙やアンケートの存在自体が、いじめを生み出すシステムの一部であることに気づくことがいじめ解決の第一歩であろう。

こういった時間と気分を浪費するペーパーワークが好きな連中が、先に述べた強迫傾向を有するニッポンの官僚たちなのだ。本音は彼らの言い逃れに過ぎないのだが。われわれ大学の教員は幸いこういった事柄から解放されているのだが、小中高の先生方にはほんとに同情申し上げる。

ちなみにわが中学の友人も校長先生コースを走ってきたのに、数年前にうつ病になってしまった。自己疎外の結末なのだが、無意味な雑用作業をわざわざ作って先生たちをこれ以上イジメるなと言いたい。先生たちが楽しく伸び伸びすれば生徒のイジメも少なくなるのだが。・・・と、ニッポンキリスト教界でも牧師と信徒もけっこうネチネチと互いにイジメ合っているような予感。

温泉までT-22Days

Commented by ひろこ 2006年12月06日(水)23:06

友人の言うことに教師たちは忙しい。書類提出が多く、学年会議も出来ず話をする余裕もないと。書類出しなければ、評価が下がるとか?校長は何年か前からあり、良心的な方は、心病み定年より、早めに退職されたかたもいる。

Commented by Luke 2006年12月07日(木)07:30

おっしゃるとおりですね、良心的な人ほど病んでしまう。かくして生き残る連中は良心が麻痺している者ばかりと。経済でグレシャムの法則があります。悪貨は良貨を駆逐する。同じことが教育現場でも起きているわけです。

人とは何者か?

"What is Man"―オースチン・スパークスの論考ですが、非常に重要であると思います。先のColin Urquhartのメッセージと絡めて理解する必要がありますね。特に今日の偽りと倒錯現象がはびこっているキリスト教界に対する予言的警鐘があります。

ネオコンの終焉と神の御手

ブッシュに対しては私はこう述べ、またこう書いた。神の主権を侵したブッシュには神の裁きがあるだろうも言った

今回民主党の勝利の後、ラムズフェルドの更迭、そして今回ボルトンが辞任(→記事)。これでネオコンが総崩れとなったわけ。田中宇氏のレポートでは米国の自滅シナリオの実現だと述べている。ラムズフェルドに至っては、切られる前にイラク政策は失敗であったと白状し、ライスもそれを追認している。かくしてブッシュ猿政権も櫛の歯がこぼれるように着実に崩壊しつつある。

ライブドアや村上ファンドも同じだが、神の義と裁きは確実に実現される。神は侮られる方ではない。すでにすべてに勝利され、あらゆる権威を得られた方イエスは、再建主義のようにモーセ律法を適用せずとも、この地上を確実に治めておられる。邪悪はますます満ち、倒錯者たちも跋扈するだろうが、神の主権に服する者たちがいる限りは、不法の力は制限される(2テサロニケ2:7)。しかしキリスト教界は確実にアポスタシ(廃教)の道をたどるだろう(2テサロニケ2:3)。「クリスチャン」を自称する者たちが落ちるならば、未信者よりも腐敗し、なまじ聖書を知っているため毒を撒き散らす。かくして人間的にはまったく希望を失う時代が来る時、私たちのまことの希望の星が現れる(2テサロニケ2:8)。その前には

終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。

すでにこの状況は展開している。聖書はこう警告する

こういう人々を避けなさい。

あざける者たちは自らの頭に炭火を積んでいる。聖書はまたこうも言っている

悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。・・・神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。・・・だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。

真に神の御前に歩むことができれば幸いだ。

温泉までT-23Days

Commented by Luke URL2006年12月05日(火)15:47

アナン事務総長がイラクを内戦状態と宣言。さらに「一般国民が、残忍な独裁者がいても、今よりもましだったと考えるのは理解できる」と述べ、イラク当局の治安能力の欠如を批判した。記事は上のURL。ネオコン・ブッシュの置き土産の代価はあまりにも大きい。しかし愚かな者だ。

Commented by ICHIRO 2006年12月05日(火)17:44

確かにブッシュによってイエスの名が貶められました。
キリスト教福音派・原理主義こそ悪だとTVでもやられました。
Lukeさんのメッセージでクリスチャンが神の名を
貶めるために用いられると言われたこと、ほんとですね。

Commented by Luke URL2006年12月05日(火)19:42

クリスチャンではないですが、山口敏夫氏は3年6月の実刑が確定してしまいました。お年は66歳、労働大臣までやった人だけに、骨身に沁みるでしょう。ホリエモンや村上さんはまだ若いからいいんでしょうが。ブッシュも本当のクリスチャンか否か、怪しいですね。

Commented by ジョナサン 2006年12月05日(火)23:05

ブッシュが批判されるのは、もうあたりま過ぎて、もはや何の意味もなしませんが、疑惑のデパート(懐かしス)アナン事務総長がまだ何か言っている姿は、なんだか情けない形の終末という感がします。

あなたは神の宮である

11月19日の英国KFCのColinのメッセージは重要です。神は石の宮ではなく、あなたの霊を至聖所とする、あなたの肉体を神の宮として、人の手によらず、ご自身の手によって建て上げておられます。これは主の再臨ときわめて関係するのです。励まされます。

The message given through Colin Urquhart at Kingdom Faith is very crucial. The Lord has been building not any phsycal temple but a spritual one, i.e. YOU! YOU are the temple of God for which Jesus died and shed His precious blood. God does not want to live in a temple built by man but in THE temple built by His own Hands. Your spirit is the holy of holies and your soul is the holy place and your body is the temple. It is the very point for us to prepare for the second coming of the Messiah.

The same temple by Colin Urquhart

不気味な者たち

テレビでも報道されていたが、事故死した子供の遺体写真や、海やプールでの水着姿の子供たちの写真を自サイトに掲載していた男が書類送検され、さらに小児ポルノで刑事告発されるようだ(→記事)。

で、その男の仕事が、何と小学校教諭!ペドフィリア(小児性愛)と言う自分の性癖を満たすために小学校教諭になったと言う。実に不気味。

私にとって考えただけで虫唾が走る存在がある。それはこのようなロリコン教師。次にホモの寿司職人の握った寿司を食すること(いるかあ〜?)。そして処女降誕・死と復活・肉において現れた神を信じないゲイやレズビアンの牧師の祝祷を受けること(これはいる)。

倒錯が倒錯と感じられなくなる世界。何とも不気味である。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2006年12月04日(月)21:41

昨日のメッセを楽しませていただきました。真っ赤な偽牧師宣言は特に面白かったです。右に立ってる人から見れば左で、左に立ってる人から見れば右、というのもかなり。あと牧師と伝道師の関係がおかしいのも、言われればそのとおりですね。ニッポンキリスト教の常識はどうもかなり偏向しているかも知れません。でもこの業界にどっぷりの人から見れば、相当に危ないことをおっしゃっていますから、お気をつけ下さいませ。

Commented by Luke 2006年12月05日(火)07:24

はあ、お心遣いをどうもです。まあ、倒錯した世界で何を語っても通じないでしょうから、心ある兄弟姉妹に届けばよいかなと思っています。これから世も教界もネガとポジがさらにひっくり返ることでしょう。良心が麻痺した者が勝ちみたいな世界ですね。宮内さんのおっしゃるとおりです。→http://blog.goo.ne.jp/ezekiel2000/e/e5d1b7545b0da9c1d4821810005980d3

Salt氏のライブ&ディナー

これは驚きました!Salt氏はライブ&ディナー・コンサートまでされる!?こんな小学校の先生がおられるとは、私も彼の生徒になってみたいです。近くなら絶対出張るのですが、残念。でも、年末に福島の山小屋キャンプでご一緒できますので、その時が楽しみであります^^V

Salt氏のライブ&ディナー

温泉までT-25Days

Dr.Lukeの一言映画評

午前中はプールとサウナ。午後は映画。あちこちにデコレーションが見えるようになったが、私自身はクリスマスにはあえては関わらないが、風俗として年末を感じる。しかし時間が経つのは早い。またひとつ歳を取るのだ・・・。

アップロードファイル 6KB映画は『エンロン』―全米第7位、売上高13兆円のメガ・カンパニー・エンロンのたった2ヶ月での崩壊過程を描いたドキュメンタリー。

牧師の息子ケン・レイが興した企業が15年間でこの規模に成長するも、その裏はフェイク(偽り)で塗り固められていた。粉飾決算はもちろんのこと、規制緩和の波に乗って、人の道を外れ倫理を無視した商法。電力の買占めなどにより巨大な利益を生む。彼らのモットーは「弱い者は滅びよ、強い者が生き残る」の論理で、すべてのしわ寄せは庶民に回された。で、やはり陰でブッシュ・ファミリーが関わっているのだが・・・。

映画中、ニンゲンはいかに邪悪になり得るかを証明した有名な心理学実験が紹介されていた。人は責任が自分にないと知ると、当初は良心の呵責を覚えつつも、一度悪に手を染めると後はいかほどにもエスカレートし得るのだ(一度許せば、二度三度)。こうして良心に焼き印を押される(1テモテ4:2)。まさにエンロンはこの実験の実証例であったわけで、日本では愚かにもホリエモンや村上らが真似をして墓穴を掘っている。ネットもまさに絶好の道具。

かくしてエンロンはタイタニックのごとくに沈むわけだが、救命ボートに乗れた者は金持ちばかりだったように、その最中でも情報を持つ上の人間は社員に自社株の購入を勧めつつ自分は自社株を売り抜け、何も知らされていない下の者はババを引かされた。

しかしながら神の公義はかならず成就されるもので、牧師の息子で元会長のケン・レイは今年の5月に有罪判決を受け、7月に心臓発作で死亡。CEOのジェフ・スキリングは5月に24年の禁固刑+53億円の罰金判決を受けた。この企業倒産で3万人が解雇、不正に加担した会計ファームが解散で2万9千人が解雇。巨額の年金原資が失われた。

この企業、何とスキリングが、以前に紹介したミームの提唱者ドーキンスの『利己的な遺伝子』を誤解釈して、それを経営に適用していたのだ。まさに偽りのミーム(教えの風)に吹き回されたわけだが、偽りを信じ込んだツケはあまりにも大きい。しかしエンロンのキャッチフレーズが"Ask Why"(なぜ、と問いかけよ)と言うのも皮肉ではある。

主は「あなたがたは何をどう聞くかによくよく注意せよ・・・人はまいた物を刈り取る」と言われた。牧師の息子ケンちゃんはこの御言葉を知らなかったのだろうか?中途半端に聖書と関わるくらいならば、かえって何も知らない方が幸いなのだ。

温泉までT-26Days

Commented by Luke 2006年12月03日(日)23:23

以前ライブドア(LD)について、私は神の義がなされることを祈っていたと書きました。それをホリエモンのBlogに執拗に曝した方がいましたね。懐かしいですが^^。

で、その後LDにはUSENのイケメン宇野社長が個人で株を買い取ってテコ入れしたわけですが、しかし、非情なもの。USENは自分が危なくなっており、LDからは手を引く模様。LDも後がなくなりましたね。

(http://を付けてください。)
news.www.infoseek.co.jp/topics/business/livedoor/story/03gendainet02029559/

ウイットネス・リー教会の分裂騒動

「主の回復」とか「○○に在る教会」と称するリー教会でこの数年間、否20年近くにわたってくすぶってきた問題が再燃。かつてリーの側近中の側近だったタイタス・チューが検疫された。世界中の長老たちが署名する検疫声明文が公開されると共に、タイタス・チューを糾弾する集会の模様がビデオとオーディオで公開されている。5時間にわたる糾弾集会なので、まだ一部しか聞けてないが、変わっていませんね。このコワイ体質。「神は個人的な罪は赦されるが、教会の行政に関する罪は反逆の罪であり、決して赦されることがない・・・。ひとりの使徒、ひとつの務め、ひとつの教え、ひとつの心、ひとつの実行、ひとつの立場・・・」と。かくしてタイタス・チューと彼の同労者たちは排除されたようです。詳細はこちらのサイトを。

lordsarmy

この中にタイタス・チューを糾弾する集会の日本語通訳の音声ファイルも聞くことができます。やや怖いですが。

アナハイムでの糾弾集会(日本語11月11日2006年)

前回は89年でしたが、"反逆者"を検疫するのは彼らの常で、10-20年ほどの周期で繰り返されているようです。ちなみにこのロサンゼルスタイムズ紙の記事は77年の検疫事件です。

ロサンゼルスタイムズ紙記事12月11日1978年

【付記】「2ちゃんねる」もカルトも、ポイントは自分が「」になれること。前者では検閲なく自由に判断し何でも言える仮想的全能感によって、リー教会ではもろ「神と人が混ざって人は神になる」(神格は持たないらしいですが・・・笑)わけで、善悪知識の木の実を食べるように誘惑されたあの言葉がそのまま肉を心地よく疼かせるのです。

Commented by Luke 2006年12月02日(土)08:43

ウォッチマン・ニーの教えた地上に顕われたキリストの体としての地域ごとの教会のあり方は、各地ごとに直接に主イエスの頭首権に服すること、つまり地域教会の独立であって、ただ主イエスの名の下に集まることだったのです。私はローカルチャーチのある教会がベニー・ヒンを招いたら、ニーの教えどおりだと認めたいと思いますが(笑)パウロも言っていますね、ある者はこうしており、別の者はああしている、と。

今回のタイタス・チューの事件では、彼は現在のローカルチャーチが「ひとりの人」の教えや実行によって統一的であることを指摘したようですね。しかし彼らは一切そのような事実なく、自分たちはウイットネス・リーに従っているのではなく、リーを通して神が与えた「新約のビジョン(啓示)」に従っていると主張しています。見事に<リーの教え=神の新約の啓示>となり、リーの傘の元に置かれてしまっています。これに反することを言うと神への反逆者として検疫されるわけです。最近ロシアでも反プーチン発言すると毒を盛られますが・・・。

ちなみに上のサイトを見ますとある地方の集会の様子がビデオで紹介されていますが、タイタスらの働きによって、これらの集会がロックミュージックで賛美するなどの堕落路線に導かれたと告発しています(カルバリーチャペルのワーシップのようですが)。では私たちなどは地獄路線を行っていることになるでしょうね(笑)。

彼らは全世界のローカルチャーチは統一されていないとしつつ、タイタス・チューを検疫する声明文は全世界の長老たちの署名が並ぶわけですから、自己撞着です。タイタス・チューはキリストの体を傷つけたと糾弾されていますが、どうも彼らの意識では自分たちだけがキリストの体であると思っているようです。自分が何をしているか分かっていないのです。

なお、このように自己欺瞞を抱えたままですと、何度でも同じ問題を繰り返しますが、専門用語では「強迫反復」と言います。彼らの特徴として、この強迫性が目立っています。

Commented by Luke URL2006年12月03日(日)09:36

今回の事件でカルバリーチャペルのワーシップを用いるなどして"堕落"し、「主の回復」に"反逆"したタイタスらの影響下にある教会に対して、「主の回復」のリーダーが書き送った手紙を上のURLに入れておきました。やたらと「ブレンディング」なる用語を用いていますが、これを読むと彼らにとってのウイットネス・リーの位置づけがよく分かりますね。

情報と国家-収集・分析・評価の落とし穴-

アップロードファイル 5KBテレビでよく見かける江畑謙介氏著。ややオタク系かなと思っておりましたが、かなり学術的。

先の論考とも関係するが、日本語には対人関係に関わる語彙はややこしいほど豊富なのだが、情報に関わる語彙がきわめて貧弱。日本人にとっては対人関係は敏感かつ大切なのだが、情報についてはうとい。元々「情報」なる単語もあまり適切ではない。文字通り「情」の「報せ」だから。これってやはり西周あたりの造語でしょうか?

江畑氏はここに落とし穴があると指摘する。第一に"DATA"に相当する日本語がない。第1次的に得られる生の数字なり、文字なりのこと。確かに私たちも「データ」と呼び、日本語では???。データが集まって種類に従って関係性が見えてくるとそこに意味が生じる。これが英語では"INFORMARTION"。それを分析し評価して得られるもの"INTELIGENCE"。こうして生のデータは文脈化され生きたものとなる。

ところが日本語には各レベルに相当する単語がない!?WWUにおいて勝敗を決めたのは情報戦だったわけだが、日本人は「情」に対しては敏感であるが、「インフォメーション」にはうといわけだ。これは現在も同じ。このあたりも「情」先行になってネットを使いこなせない原因だろう。第一、イラク関係の米軍の機密情報すらも自衛隊からWinnyを通して漏れる始末。

なお、国家レベルの情報についても、例えば冷戦時代においてすら、CIAは東側の80-95%の情報を公開情報から得ていたとのこと。問題は公開されている情報を生かすも殺すも、受け取る側の姿勢によるわけだ。かなり面白い1冊だった。

で、私たちもこれからCT関係のデータの分析にかかるわけだが・・・。何が出てきますかね^^

20世紀少年

アップロードファイル 16KBついに『20世紀少年』22巻が出ました。夏に子供のを横取りしてはまったのですが、今回は私が自前で・・・。2008年に映画化されるとか。楽しみですね。

日本人の病理とITメディア-加虐性と被虐性-

昨日紹介したフィンランド人とケータイの関わり方と日本人のそれが本質的に相違している事実は極めて面白い。ネットにおいても日本人の匿名性が指摘されているが、これはアイデンティティの確立と無関係ではない。

実は自殺の社会的要因として、ドゥルケムは「匿名的自殺」と「自己中心的自殺」をあげている。前者は社会的拡散と共有する価値観の喪失を原因とする。これは現代の日本で言えば、中高年の自殺の要因と言える。後者は屈折した自己主張的自殺と言えるが、最近の子供たちのイジメを理由とした自殺が該当する。

日本人のITとの関わり方の特性として、実はこの匿名性と自己主張性が非常に巧妙に絡んでいる。すでに述べたように、希薄な自己(匿名性)の屈折した確認法(自己主張)としてネットが日本人の心性にピタリと適合する。日本人の精神病理の本質は強迫性である。いわゆるガンコ・マジメ・完全癖・意地を張る・こだわる・嫉妬深い・妬み深い・・・。

これがためにクルシチャンは自家製の律法(ねばならない・かくあるべし)を設けて自作自演的に苦しむわけ。ひどくなると強迫性障害(強迫観念・強迫行為)に陥るが、日本人の場合、強迫性人格障害者はかなり多いと推測される。前者は強迫神経症であるが、症状が苦痛で(自我疎外性)、治りたいと感じる人々なのだが、後者は症状については自我親和的で、この場合、本人は苦しまないが、他人がとばっちりを蒙る。

この強迫性は分析的には肛門期におけるリピドーの固着と退行として説明される。つまりは2-3歳位になると自我が芽生え、親との確執を経験するようになる。この時期に排便のしつけが行われるが、これが親との交渉の武器となり、自己主張の道具として用いられる。つまり日本人の湿ったネチネチした性格は、この時期における葛藤(これをエディプス葛藤と呼ぶが)に起因するわけ。他者と自己の境界線が曖昧なのは、いわば親子関係の再現であるから。よって無礼を良心の呵責を覚えずに行うことができる。日本人の公共心の欠如も世間は家庭の延長に過ぎないから。大人の人間関係のトラブルは実は親子関係の再現なのだ。

この時期にこじれた感情はエディプス・コンプレクスと呼ばれるが、実はこの葛藤と去勢不安(言うことを聞かないとオチンチンを切っちゃうわよ)によって、子供は超自我(良心)を分化させる。(実はトイレを観るとその国民性が分かるのだ。)この時期には親との葛藤で相当のせめぎ合いがなされ、親に屈する屈辱感と、親から受け入れられる安心感のアンビバレンツ(両義的)な複雑な感情を抱きつつそれらを抑圧する。この要素が強い性格を肛門性格と言う。これが他人あるいは自己に対する攻撃性(肛門加虐性)と逆に受身性(肛門被虐性)となる。

このリピドーが性的色彩を帯びたままダイレクトに表現されると、性的倒錯としてのサディズムとマゾヒズムとして、このリピドーが知性化あるいは合理化されて表現されると、言葉と論理による偏執的な攻撃性になる。最近のイジメの問題も、実は学校制度の問題などではなく、この精神病理によるのであって、制度をいじったところで決して解決しない。しかも加虐性と被虐性は何かの契機によって簡単に入れ替わる。しばしばいじめる側とられる側は同じ病理を有している(cf.「ユダヤ人と日本人」)。

ITメディアはまさにこの精神病理の表現・解消手段として、日本人には絶好のアイテムとなる。かくして肉の中にブロックされたコンプレクス(感情観念複合体)の発散を試みて、延々と掲示板の誹謗中傷・ケータイでの村八分・Blog炎上・晒しなどのITリンチが行われる。しかも見かけは冷静に、世間の常識に沿っているかのように、知的によそわれた形によって。このあたりの消息は昨日紹介しいたサイトを参照のこと。あるいは自殺サイトで一緒に逝ってくれる仲間を求め、互いに暖め合いながら、逝ってしまう。

昨日紹介した『他人を許せないサル』において著者は、ケータイなどのITメディアは進歩と言うよりは、日本人の心の根本的問題へとむしろ回帰させていると述べているが、まさにそのとおり。今後の日本はますます閉鎖性と倒錯性を高めることだろう。その倒錯した閉鎖世界で、病理が加虐性として現れるならば「2ちゃんねる」などに観られる現象が、被虐性として現れるならば、自殺サイトで知り合った見知らぬ者たちが一緒に練炭自殺するような現象となる。

キリスト教界においても、例えば見かけの神学論争なども、実はこの病理と密接に関係しているわけで、キリスト教界で起きている事象なども、霊的真理の探求と言うよりは、ほとんどは精神病理の表現に過ぎない。つまり魂の現象。メインラインは福音派を見下し、福音派は聖霊派を見下し・・・と言う「入れ子構造」も、まさに上の病理の現われに過ぎない。神学の立場は異なるとしても、実はいずれの病理も同じなのだ。

しかし真に聖なる神にわずかでも触れ、神に対する正常な畏れをいただいているならば、表現形はもっと変わるだろう。少なくとも現在の状況とは異なるはず。論争の開始はいわゆるこだわりの感覚が惹起され、粘着現象として開始されるが、この粘着性はまさに肛門性格の偏執性そのもの。表面はきわめて知的に装われていても、根底にあるのは同じ。キリスト教界の病理とは実は日本人の病理そのものなのだ。(→閉鎖社会の共同幻想

今回のCT問題で絡まれついでにちょっと考えてみる機会がもてたのだが、これでストーカーの病理を論じる準備もできました。また、後ほど。

温泉までT-27Days

存在の薄い自己の病理

以前にも書いたが、現代は自己の病理の時代。元々埋没型アイデンティティの日本人は他者の関係性の中でのみ、自己を維持し得る。ここで自己と他者の境界線が曖昧になるわけ。このようなアイデンティティにおいてケータイやネットが入ると、それらをチャネルとしてのみ関係性を確認するようになる。これがニッポン人のケータイ文化。

アップロードファイル 5KB同じ事を『他人を許せないサル-IT世間につながれた現代人-』において正高氏が述べていた。ケータイの技術はフィンランドで開発され、フィンランドが最も普及率が高いらしいが、日本とはまるで違った様相を呈しているとか。そのライフスタイルはケータイ普及前と後ではまったく変わっていない。正高氏はこれは日本人とフィンランド人の精神構造の違いにあると指摘する。このITを通して世間と通じるニッポン人の精神構造として、「自分は特別」、「IT引きこもり」、「自分が損している」といった歪んだ自己意識があると指摘する。ちなみに本書でも日本人はサル的であり、サルに鏡を見せる実験を紹介していたのが面白かった。

アップロードファイル 2KBまた『他人を見下す若者たち-自分以外はバカの時代-』において、速水氏は「仮想的有能感」がキーワードであるとし、それは「他者軽視感」と比例すると指摘する。実際、「2ちゃんねる」あたりに書き込みする者ほど、根拠のない「全能感」を抱いていると言う調査報告をしている。現代の若者(ばかりではないのがヤバイのだが・・・)のパーソナリティのディメンジョンとして、「仮想的有能感(他者軽視感)」のx軸と「自尊感情」のy軸を取って、4つの象限に分類する場合、

アップロードファイル 8KB@x>0、y>0の象限は「全能型」であり、自己の能力を過信して、他者に対する優越感を覚えるタイプ。

Ax<0、y>0の象限は「自尊型」で、他者の存在を認めつつ、正当な自尊心を持つタイプ、

Bx<0、y<0の象限は「萎縮型」で、自尊心欠如にして、他者につぶされそうに感じるタイプ、

Cx>0,y<0の象限は「仮想型」で、正常な自尊心を持ち得ず、しかし他者を貶めることで自分を確認するタイプ、

となる。

元々自他の分化がない乳児では泣けばミルクをもらえると言う「ナルチシズム的全能感」の満ちた仮想的世界に生きている(これを「1次過程」と言う)。成長するにつれ、人間はこのような全能感を喪失し、他者との区別の中で自分を確立していく(「2次過程」)。つまり「全能感」は幼児性の特質であり、成長とは何が可能で何が不可能かの見極めをなすこと、つまり「全能感」の喪失と言える。しかし「2ちゃんねる」あたりのキャラを観察していると、このCの象限に属する者が多いと感じられる。

彼らは知性はほどほど高いが、情緒が未熟と言うか、何か傷ついている部分を感じるのだ。この実現されなかった自己を、現在の自我に統合することができず、疎外したままでいる。この疎外された自己が疼く何らかの刺激を受けると、昨日述べた粘着が始まり、他者を貶めることで仮想的満足を得つつ仮想的全能感を味わう。しかも本人も自分のしている事が虚しいことを知っているのだが、止めることはできないか、あえてしない。加えて疎外された自己は、ある意味で「被害者」なので、その自己の主張はすべて正当化され、良心の痛みを覚えない。これがために罵詈雑言何でもありの無法地帯の様相を呈する。

しかしその批判の内容は他者との正常な関係性においてではなく、その本人の中における空回り的葛藤に起因する。すなわち客観的にはその対象が言ってもいないのに、自分の中で疎外された自己から生じる「内容」に対して憤り、批判を加え、貶める。つまり昨日指摘したように、他者を貶めているようだが、実は鏡に映った自分を相手にしているだけの自作自演となる。よって双方向の対話は成立しないし、まともな発言に対しては「イタイ発言」と無視し、結局は「言った者勝ち」の様相となる。

彼らの精神病理的特徴は、自分に甘く他人に厳しく、努力せず成果を求め、すぐにいらつきキレる、無気力と欝に陥り易く、謝ることをしない、とまとめられる。このような自我構造は現代の特徴であり、ITにつながれることによって、仮想的共同体において、集合無意識的に共有される。実際、特殊用語を用いつつ「2ちゃねらー」と称する一種の仲間意識を生み出す。すべてをおちゃらかす管理人ひろゆき氏なる人物の病理が、ITを媒体として広く仮想空間で共有されているのだ。

かくしてこの現象の根底にあるのはきわめて存在感の薄く、強迫的に「何か」を騒ぎ立てていないと消えてしまう様な自我なのだ。内面の空虚さに比例して、表現は過激になり、他者を貶めることによって補償的に仮想的全能感を持つようになる。人は自己像に従って他者をも扱うもの。何とも虚しく、あまりにも虚しい時代の病理ではある。なお、大脳生理学的にはこちらをどうぞ。

というわけで、良心が麻痺した者が跋扈する「2ちゃんねる」なるものが蔓延るならば日本は滅びの道を歩むと感じられる方は、こちらをぜひバックアップしてあげて下さい。貴重な情報が満載のBlogです。大規模な組織的攻撃も受けるようですね。

2ちゃんねるから子供たちを守ろう

温泉までT-28Days

粘着の精神病理

人はなぜ人に粘着するのか。粘着とは拘りである。拘りとは力動精神病理的には、リピドーのカセクトが解消されていない問題。つまりそこにはエネルギーが蓄積され、緊張感が持続しており、これが不快感として意識される。そしてしばしばそれを本人は認めたくない。これが自己欺瞞。そこを人から指摘されると、これが粘着を生む。

つまり粘着する部分とは、すでに自分で変だ、と前意識的には分かっているのに、その事実に直面することを避けている領域。自分を自分で裁いているのだ。だからこちらが問うてもいないのに、自分から弁明を始める。ウソを隠している人が「自分はウソをついてない」と言い出すのと同じ。すなわち人の意見や主張に対して論じる形を取るものの、実は自分の内の真実の声に対して戦いをいどんでおり、いきおいその葛藤は自作自演的となる。なぜなら自分の心の声と戦っているだけだから。サルが鏡に映った自分に戦いを挑むと同じ。

かくして以前にも書いたが、いわゆる議論においては相手を論駁する必要はない。相手のその葛藤・病理性をあぶり出せばよいわけ。

しばしば「クリスチャン」と称する人々は、聖書の御言葉に躓いており、御言葉をそのまま受け入れることができない場合、自分を否むのではなく、自分を助けるために、神学や特定の解釈の形を取って、その葛藤をカモフラージュする。よって彼らの批判は、自分の心の声に対する批判であり、御言葉に対する批判となるので、こちらとは無関係となる。かくして彼らは神の言葉と延々と論じ争う。これが閉鎖的倒錯空間「2ちゃんねる」あたりで見られる精神エネルギーの大いなる空転の病理である。いずれにしろ、ニッポンキリスト教界はついの住処にあらざるなり。

なお、ストーカーについてはもう少し別の要素が入るので、これは後ほど(あの学生大丈夫かな・・・)。