* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
本日は大学。成績発表日で、学生の問い合わせに対応するため。ちなみに講義は20日過ぎからなのだ^^
で、うれしいニュースが^^。温泉の効能についての日本温泉学会での報告。
ご存知邪馬台国論争には畿内説と九州説があります。これは歴史学界での東大派と京大派の対立によるらしいですが(どっちがどっちかは忘れた・・・)、それから離れたところにとても面白い研究がありますので紹介します。→邪馬台国の会
安本美典氏と言う産能大学の教授をしていた方の見解です。同氏は計量言語学/文献学と言う、言葉を推測統計学(要するに数理)を用いて分析研究する分野の第一人者でした。心理学畑出身ですが、古文書の研究からついに邪馬台国の専門家になってしまったのです(プロファイル)。
で、結論から申しますと、歴代天皇の在位期間を統計的に分析し、邪馬台国の時代まで遡ると、神武天皇では到達できず、なんとアマテラスまでたどり着くのですね。つまりアマテラスとは卑弥呼のこと!?これが推測統計学の結果です。で、アマテラスは高天原で祭祀を行っていたわけですから、邪馬台国=高天原となるわけ。そこで邪馬台国は九州から東遷して畿内に大和朝廷を確立した説を同氏は提唱しました。
で、実は‘言霊’著作を数多く書いている井沢元彦氏も「アマテラス=卑弥呼」説を唱えているのです。天岩戸伝説は卑弥呼が殺された事件を描いていると。理由は当時皆既日食があったのです(これは天文学的事実)。これで昼が真っ暗になり、当時の人々は卑弥呼の霊力は消失したと解釈し、彼女を殺したわけ。詳細は井沢氏の本を参照して欲しいですが、計量統計学的にも同じ結論が導けるとは実に面白い!
私の印象ではいまだに日本は幻想の上に築かれていますね。天皇家自体がそうです。天皇が象徴化されたことはかえって天皇家の真実を研究する道を閉ざして閉まったと言えるかもしれません。左翼クリの人々のように天皇制と言う社会システムを廃止したところで、いわゆるリバイバルなど起こりません。反対に右翼クリの人々のように天皇をキリスト教徒化し、キリスト教国家ニッポンを造るというのもコワイです。主イエスのことば―「わたしの国はこの世のものではない」に鍵があると思います。
いやあ、日本古代史は実に面白い。改めて日本人っていったい何者?
畿内説=京大派、九州説=東大派とのことです^^
アマテラスの霊的病理についてはこちらを→http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity6.html
時代の風とリバイバルの意味についてはこちらを→http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity14.html
こんにちは。天皇制の起源などについて、久保師や小石師らが著作を書かれていますが、それらの説をもとに年表を試作してみました。http://www.geocities.jp/bluewhitered34/seishotonihon060829excelshousai.htm
Commented by Luke 2006年09月23日(土)21:25拝見しました。これは面白い資料ですね。ただ私的には久保&小石師の御説に対してはやや距離感を保っております。少々思い入れが強いような印象を覚えています。
Commented by Sky URL2006年09月23日(土)23:51コメントありがとうございます。
私も、思い入れが強くなり過ぎないように心掛けつつ、吟味してゆきたいと思っています。
(ただ、もともと凝り性なので、ついつい。。。といった傾向も無きにしもあらずですが^^)
再建主義の富井氏が述べていますね。統一協会は一部の米福音派組織にも資金提供しているなどの話も漏れ聞こえています。安部氏はTime誌でも「危険なナショナリスト」として紹介されていましたが、実はグローバリストに利用されていると言う主旨です。BBSでも通行人さまが紹介してくださったビデオで統一協会との関係は明らかですが、果たしてその正体は?私の印象では表の現われには相違して、霊的にも、精神的にも、かなり深い病理的要素を持っていると感じているのですが・・・。
Commented by kenji 2006年09月23日(土)20:30全く根拠はありませんが、彼は文さんを再臨のメシアだと信じているのではないでしょうか。
Commented by Luke 2006年09月23日(土)21:17う〜ん、私はやはり資金繋がりのように思いますが。今晩TVで安部家のドラマを美しく描いていましたが、どうも先代からしてやや胡散臭いですからね。
・脳と人間―精神病理学と大脳生理学をブリッジする。
・始皇帝と兵馬俑―昨日の興奮から。
・日本神話と古代天皇家の謎―ゴルゴ13のリード社が!?
明日にも23万ヒットですね^^
Commented by Luke 2006年09月21日(木)23:24あ、ほんとだ。ありがとうございます。いつの間に、という感じですね。
国文学と漢文学の先生と天皇制についてディスカッションした。その覚え書き―
1)天皇制が「万世一系」であることは系図の上の話であって、生物学的にY遺伝子が保存されているかどうかは不明。アマテラスから続く「万世一系」は政治的意図がある。
2)古代において天皇たちは暦を支配した。それは歌会初めなどの四季折々の行事を通してなされた。もっと言えば時間をコントロールしたである。この時間とは物理的な時間ではなく、主観的な時間である。
3)時間と人の感情あるいは情緒は同期しており、時間の制御によって人の感情・情緒もコントロールされる。これが「和歌」などの効果である。かくして政治システムと共に民衆の感情レベルからの支配を意図した。
4)大和ことばも感情と密接に関連している以上、暦の制御を通してコントロールを受けた。つまり大和ことば、あるいは日本語の中にすでに天皇制が組み込まれており、私たちの感情や情緒をも支配している。
5)ことばと深層心理が密接に関係して以上、私たち日本語を共有する日本人の集合的無意識として天皇制は組み込まれており、意識の上で天皇制を否定しても、深層心理までは否定し切れない。
6)日本語自体に天皇制が組み込まれているとすれば、日本語で天皇制を否定することは、日本語自体を否定することになり、自己撞着に陥る。それほどに深く天皇制は日本人の中に組み込まれている。
要するに日本人の集合的無意識として、あるいは共同幻想として天皇制は存在し、それを否定することは日本自体あるいは日本人自体を否定することになる。それほどに日本人のアイデンティティとなっているというわけ。このあたりを医師でもある国学者でもあった本居宣長は深く考察していたらしい。さらに小林秀雄の本居宣長論も読んでみよと勧められた。
大筋で私の見方と一致していますが、日本語自体の支配と暦の支配と言う見方は初めて聞きました。神事あるいは祭りなどもまさに暦と情緒の一体化の表現ですね。なるほど、それによって情緒を支配できるわけで、見事にミームが蔓延化して、「日本人」と言うマインドウイルスに相当に深くまで感染しているわけです。実に面白い。
言語学と言えば先週のゲストTimのサイトを見つけましたので紹介しておきます。ロンドン首都大学の教授ですね。彼に漢字の霊的意義を説明したら関心を持っておりました。(たとえば「義」は「羊+我」となることなど)
言語学にはシンタクス、セマンテクスなどがあり、その大御所がチョムスキー(最近では反ブッシュ的な政治的発言も多いが)の生成文法であり、言語は先見的にアル普遍文法に従って個々の言語の文法が生成されると言う理論。
私たちからすると、その普遍文法は果たしての大脳のどの部分にどのような形で存在するのかが関心の的となるが、言語と脳の働きの関係はまだまだ分かっていないのだ。この辺りまで突っ込むと、天皇制とは大脳の機能とも関連するわけで、日本人の脳を持つ私たちとしては、大脳生理学的にも天皇制が組み込まれていることになる。養老先生的には唯脳論的天皇制となるだろうか。
【付記】考古学的には最も価値のある、例えば仁徳天皇陵などの発掘が行われないのは、この共同幻想を維持するためらしい。もし発掘してトンでもないモノが出てくると、日本国の根幹が崩れるのだ・・・。と、言われると、ますます掘りたくなってしまうが^^
http://bbs.infoseek.co.jp/Board03?user=agapeestin&pn=2
の59〜外科医さんと提案さんが議論してます。
実に興味深い論考ですね!
御論を読みつつ、小生は、ガラテヤ4:8-10の聖句を想起しておりました。
そこでは、支配する諸霊(ストイケイア)が、日、月、時節、年など、「こよみ」としての時間を通して、わたしたち人間を統制し管理していることが、示されています。
してみると、諸霊(ストイケイア)は、「ことば」と「こよみ」を通して、わたしたちの感情と情緒を支配し、さらに、深層心理と集合的無意識をも支配している、という図式になりましょうや?
そう考えますと、諸霊・ストイケイア・言霊(ことだま)・歳の神(としのかみ)の「支配」から脱して、キリストにある自由を満喫するという境地は、まことに希有なこと、有り難い事、と思わざるを得ません。
つまらないつっこみですが、シンタクス=統語論ですヨ。
生成文法も一つの理論であり、普遍文法も、あくまでその中での概念です。ごめんなさい、私はどちらかというとanti生成文法の認知言語学系だったので、言語学の大御所は生成文法と言われると、ちょっと待ったと言いたくなってしまって。(笑)
ルークさんの論考は、生成文法よりむしろ認知言語学から攻めた方が面白いかもと思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/認知言語学
ちなみに、チョムスキーは、私が大学生だった頃からすでに政治的な論文をいろいろ発表して、言語学者の間からはちょっと煙たがられていましたね。
>諸霊・ストイケイア・言霊(ことだま)・歳の神(としのかみ)の「支配」から脱して、キリストにある自由を満喫するという境地は、まことに希有なこと、有り難い事、と思わざるを得ません。
これはおっしゃるとおりですね。このためのポイントは、やはり御言葉による霊と魂の切り分けにあるのだろうと考えております。"私の十字架"の死の機能が鍵であろうと。
>はちこさん
あ、ご指摘方感謝です。そうですか、生成文法はone of themなわけですか。私たちの観点からすると、言語・文法を大脳機能の一部としようとしたところに生成文法の魅力を感じるわけですね。普遍文法は果たしてどこにどのようにして埋め込まれているのか。
関連して昨日の日経の夕刊で東大の大脳生理の宮下教授が、言語・文法は遺伝子レベルで組み込まれていると言っていましたね。すると利根川先生の抗体生成のようなメカニズムによって、普遍文法から個別文法が作り出されるのかなとか夢想しています。
ついでに、Tim Pooleyはこのワークショップでレクチャーしたようですね。はちこさんとも関係ありますか?
http://www.coelang.tufs.ac.jp/conference/workshop2006.htm
おお、Tim先生はコーパス言語学ですか。私はコーパス言語学は全然分かりませんが、今Tim先生のサイトも拝見しました。フランス語がご専門で、translation とありましたね。翻訳理論などをなさっているのでしょうか。大変興味深いです。
>私たちの観点からすると、言語・文法を大脳機能の一部としようとしたところに生成文法の魅力を感じるわけですね。
なるほど。いえ、大脳のことは私の理解力を越えているので、難しいことをぶつけないでください。(笑)私は、ルークさんがこの記事でお話されている「ことば」が人間の情緒を支配する云々ということなら、生成文法よりは認知的アプローチの方がしっくり来るんじゃないかなと思っただけなので。
>深層心理と集合的無意識をも支配している、という図式になりましょうや?
これは私が最も関心のあるところです。霊的存在と私たちの深層心理がどのように関連しているのか。私は著書の中で「霊感情観念複合体」と言う呼び方をしていますが、現在の精神医学では霊的要因を考慮していません。やはり聖霊によって深層心理(大脳辺縁系辺り)までも取り扱っていただかないと、真の自由は味わえないだろうと考えています。
>はちこさん
そうですか、言語学の領域もかなり細分化されているのですね。私的には上に書いたような動機で言語には関心があります。私たちはある意味でことばで構成されているわけですから。
Timのご婦人Joelleはフランス人で、もろ英語がフレンチでした。フランス語を聞いている感じでしたね(汗)フランスの霊的状況は日本ととてもよく似ているようです。
昨日から耳がモワ〜として、ピーピーと鳴っているので、小学校以来耳鼻科にかかって来た。ついでに鼻も診られて、鼻が悪いと。さらに聴力検査をされて、低音部が落ちていると・・・涙。ドッグでは別に指摘されてなかったのですが。外耳炎か何かと思っていたのですが、レントゲンまで撮られました。50過ぎるとイロイロ出るなあ〜。
* * *
で、見てきました、始皇帝の兵馬俑展。一言、スゴイ!こんなものを2,200年前に建造していたとは。秦の始皇帝の統一国家の証しであるわけですが、改めて国家とは何?統治とは何?と考え込んでおります。
昨今、日本ではついに同世代の安倍さんが総裁になり、タイではクーデター、ローマ法王はテロ組織に油を注ぎ、ブッシュは法王を擁護しつつ相変わらず対テロにヒステリック、北朝鮮はミサイルか核実験を・・・と。何やら時代の霊はあちこちで落ち着きがない雰囲気を醸しています。
日本について言えば、前に述べたとおり、またTime誌でも言われていたとおり、今後安倍さんは『美しい国』建造のため国粋主義のややアブナイ傾向へと向かうでしょう。キリスト教界はと言えば、ますます病的倒錯傾向と混乱を深め、種々のラッパに吹き回され、消耗する人々が出ることでしょう。
終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。
今私たちに必要なことは 当たり前を当たり前に、普通の生活をただひたすらに生きること。騒がしいキリスト教界からエクソダスし、当たり前の日常に戻ることです。そして淡々と生きる。「おはよう」と言われて復活された主は、普通さの中におられるからです。 肉の衰え、感謝ですね^^ チャぺス大統領が国連でブッシュに向かって、そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。
日々聖書預言が成就していますから。
悪魔だ、硫黄の臭いがする!
と言ったとか、、、。こちらもひと悶着ありそう。
そろそろ後期が開始。私たち大学の教員は普段学生に、「講義」と称してあれこれしゃべっているが、何しろ言葉には形がない。空中に飛んでいって、ふ〜っと消えてしまう。ある種の刹那的なものだ。バプテスマのヨハネみたいなものか。あるいは発音が忘れ去れた神聖四文字"YHWH"みたいなもの?ドラえもんで、しゃべった言葉が文字化して固まる装置があったが、私はまじで欲しい。
それでも学生と空間と時間、さらには言葉によるある世界を共有できると非常に楽しい充実感も味わうことも事実であるが、何しろ形がない。まあ、それで無理やり本や論文の形に残そうとするわけ。しかし一方で言葉は今回のローマ法王のように、相手によっては大変な事態も引き起こすからこわい。
これに対して陶器師などのアーチストの作業は形が残る。実にうらやましい。小学生の頃、図画工作で粘土をこねて陶器を焼いたが、あの頃がやけに懐かしい。粘土をいじりたいとか、絵を描きたいとかの欲求が最近こみ上げてくる。私の大学にも芸大出身の日本画家の先生がおられるが(彼が私の中学の同級生の夫君の同級生だったりして、世間は実に狭い)、作品を着々と残されている。
「男はつらいよ」で寅さんが人間国宝の作品の価値が分からず、灰皿にしていたと言う笑い話もあったが、アーチストにとっては作品を金で換算することは、人によってはプライドを傷つけるのだ。彼らにとっては無心で作ること自体に価値がある。そんなひとりの作品が写真の湯飲み。友人の明石庄作氏の作品で、ある機会にいただいた一品。俗人であるDr.Lukeとしては、彼が人間国宝になったら、これもけっこうイケルかもと内心期待しているのだが・・・。
ところで今、江戸東京博物館で特別展 「始皇帝と彩色兵馬俑展」が行われている。これもすべて陶器でできている。テトラグラマトンは発音が消失して姿かたちがないが、こちらはそのままに残っている。2,000年以上前のどんな人々が、どんな気持ちで作ったのか、時間と空間を越え、日常性を抜ける体験を、この機会に味わって来ようと思っている。
これは凄かったようです。中心気圧970hPa。名前からしてゴルゴ13のようで不気味ですが、ダウンバーストやトルネードが起きて大きな被害が出たようです。何だかやはり気候がおかしいです。
日本では、地震のいわゆるマグニチュード、つまりリヒター・スケールはよく知られていますが、トルネードのFスケールはあまり知られていません。実はこのFは日本人の藤田教授のFなのだ。ここでもお馴染みのはちこさんの夫君ぼぼる氏が準教授をされているシカゴ大の先生でした。日本人は日本人の仕事をあまり知らないし、評価していないのです。アメリカあたりで評価されると逆輸入で評価が高まると言う不思議な国なんですね。ここでもアイデンティティの希薄さが見えるわけです。
日光東照宮・・・。世界遺産です。
こんな物を建造したせしめた家康とはいったい何者。改めて感動。ちなみに当時平均寿命が50歳だった頃、家康から家光まで三代にわたっての相談役だった謎の人物天海上人は108歳まで生きたそうだ(→こちらも)。彼の人生訓があった。実にイイですね。キレイに枯れたいと思う最近であります。
気は長く/つとめは堅く/
色うすく/食ほそうして/心ひろかれ
ちなみにイギリスのゲストTimとJoelleは、京都の寺や神社が美しくて感動した言って、写真集をみやげに買ったそうです。Timいわく「下手なクリスチャンに見せると、異教のモノ!って破られちゃうかもね、ははは」と・・・。確かに下手に「何とか神学」だの「リバイバル」だのに入れ込んでいるクリスチャンはコワイ人が多いですから(汗)