最近の日記

早寝早起きはイイ!

アップロードファイル 550KBダイエットと仕事の連続で体はけっこうキツイが、おかげでウェイトは確実に落ちており、適度な疲労感で早寝するために朝も快調。福島の山小屋のわが兄弟は夜7時には寝て、朝4時には起きる生活だとか。彼はラジオもテレビも新聞すらない生活。もちろんネットなどはまったく。この自然派は私も憧れている。早く引退の時を迎えたいもの。オプス・デイのように体を鞭で打ち叩かないまでも、早寝早起き小食はなかなかイイと実感。

私は禅が好きで、永平寺や臨済寺を訪れたことがあるが、あの修行の生活には憧れがあるわけ。永平寺などは道元の正法眼蔵(私の本では現成公案からの道元の言葉を上げて置いたが)に従った生活をするが、朝4時に起きて、唯座る。これを「只管打座」と言うが、悟りだとか何とかを何も求めないで唯座る。そして作務。食事作法もトイレの入り方、風呂の入り方など、すべてが規則あるいは作法に従った生活。これらは「典座(てんぞ)教訓」・「辧道法(べんどうほう)」「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」など。

ココで精神はある種の緊張を強いられるが、精神の安定のためには、実はこの緊張が必要なのだ。走っている自転車や回っているコマが安定するのと同じ。このとき生死といった二元的世界を越えた生き様が展開する。これは善悪を超えたはからいのない世界だ。道元のこの「生死」などは実に名言と思う。鍵はいのち(もちろん霊のそれではないが)。この生活はどうも修道院の生活とよく似ている。函館のシトー会の生活スケジュールを見て、これは禅寺と同じだと感じた次第。(しかしオプス・デイではほんとうに体を鞭で叩いているのだろうか?)

なお、キリスト者と禅者の異同についてはこちらを。

キリスト教と聖書の謀略

と言うややトンデモ系の書物がわが書棚に眠っておりました。著者はモーリス・シャトラン。その筋ではけっこう有名。1909年フランス生まれ。パリ大学で数学と物理を修め、NASAでアポロ計画に参加した後、UFOや宇宙考古学、古代文明などを研究しているそうです。

この人は何とイエスの子孫と言われるメロビング家の血統を引くそうで、幼児洗礼を受けたものの、やはりキリスト教につまづいて異教徒となり、キリスト教(カトリック)の血塗られた歴史を暴いております。前には積読だったようで、今回パラパラと見たところ、何とダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のいわば原作と言うか、ネタ本みたいな書。
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Commented by Luke 2006年05月22日(月)23:22

ご紹介がてら・・・

・かつてのわが同僚の意見です(信仰はない人です)→副島の学問道場(http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi

あと書棚から出てきた本を2冊ほど:

・ロラン・エディゴフェル著:薔薇十字団、文庫クセジュ、白水社
・ポール・ノードン著:フリーメーソン、文庫クセジュ、白水社

Commented by Luke 2006年05月23日(火)12:46

訂正:シャトランの本でもイエスとマグダラは夫婦らしいと言っていました。

シンクロニシティ

ダ・ヴィンチ・コードがすごいようです。あのハリー・ポッターを抜いてしまう勢いのようで・・・。この種のファンタジー物が流行る理由は、現実においてあまり夢がないからなんですね。人は現実から逃避したい願望があります。子宮復帰願望です。柔らかい温かいものにヌクヌクと包まれていたい感覚。まあクオリアなわけですが。実際私の内にもありまして、映画やマジックが好きなのも、その現われでしょう。さらにダ・ヴィンチ・コードはプロモーションも実にうまい。リアルとヴァーチャルをごっちゃ混ぜにし、ユダの福音書も相まって、人々の興味を高めています。こういった流行では実にタイミングよくいくつかのエポック(事件)が重なるものです。これをユングはシンクロニシティ(同時性)と呼んでいますが、これもアイオーンがなし得る業なのでしょう。

Commented by Melody Bell 2006年05月22日(月)20:21

マレという牧師が特集を組んでいるようです。
http://www.marre.jp/davinci/index.html

精神病理学から診たキリスト教

ダ・ヴィンチ・コードにも自分の体を鞭で打って主の痛みを知るカトリックの修行僧が登場していた。かなりコワイ雰囲気で、これだけ見ると、信仰者はみなビョウキに見えてしまうが、確かに立派なビョウキである。肉体を痛めつけなくとも、自分で自分を精神的に痛めつけるビョウキはニッポンキリスト教ではかなり多い。聖くなろうとして「聖化」の追求などに入れ込むご苦労様な方々がいらっしゃる。あるいは「神の声」を聞いたと証する実は妄想を持った方々とか。前者は強迫神経症。後者は妄想性人格障害あるいは分裂病質障害あたり。それと境界性や自己愛性、さらには虚言性や解離性などの障害がきわめて多い。多分この映画の原作者の周りの「クリスチャン」たちはこういった種類の人々が多かったのだろう。下のドイツの方と同じ。確かにこのギョウカイ、人間の病理サンプルには事欠かないのだ(汗)

これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。

Commented by ICHIRO 2006年05月22日(月)11:05

カトリックがえらく反発しているようです。
カトリック信者10億人でSonyの不買運動だそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000089-kyodo-bus_all

昨日テレビでジャン・レノのクリムゾンリバーをやってましたが、
あれにはフランスのモンタナス派の陰謀が出てきます。
どうもフランス系のキリスト教は気味が悪いですね。
、、、あ、私も怒られるかな、、、汗

Commented by Luke 2006年05月23日(火)13:03

その団体オプス・デイの公式サイトが日本にもありました。
http://www.opusdei.jp/

Dr.Lukeの一言映画評−ダ・ヴィンチ・コード−

カミさんと次女とで中華と紹興酒の夕食を取り、タップリと観ました。ストーリーと謎解きはそれなりい面白い。発想がかなり飛んでいるとは思うが。ダ・ヴィンチが教会(と言うよりは教界)に反抗したにしても、それは所詮当時のカトリック。真理ではありません。偽りが偽りに対して抵抗したわけです。それにしてもマグダラのマリアをイエスの妻かつ聖女にしたてたり、ユダの福音書ではユダを英雄にしたりと・・・。人間のイマジネーションは豊かなものです(笑)

しかしこの小説のメッセージは「すべては何を信じるかだ」と主張しつつ、暗に信仰の無意味さ、特に神が肉体を取ったことを否定したいようだ。まさに

偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。・・・人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

とあるとおりです。

でもね、やはりキリストご自身と真理、あるいは神のロゴスと書かれた御言葉に対する最大の障害(もっと言えば敵)は「キリスト教」と言う人間が作り出した宗教です。ダ・ヴィンチは当時のキリスト教には真理がなく、自然において真理(もちろん物理化学的)があることを見出したわけです。まあ、私も当時であれば、同じこと(=キリスト教への反抗)をしたかもしれません。今もそうなわけでから^^

* * *

しかしダイエットと仕事でかなり疲労感が強かったが、今日はやや十分食べて豊かな気分でした。あと3週間・・・。

敵前逃亡

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あのK-1選手のボブ・サップが試合の30分前に逃亡したとか!?やっぱりパンチやキックは痛いのでしょうね。あのボディでも逃げてしまうとは・・・。で、K-1から追放だそうだ。けっこう彼は気が優しいのでしょう。

さて、英語のわが学生も、訳の担当箇所を当てられながら、当日逃げてしまうヤツがいるのです。先週逃げた学生が今日来ていたので、「あのね、君、アメリカ軍隊では敵前逃亡すると銃殺もありだよ。君も試験から10点マイナスするからね」とやや脅し気味に、しかし笑顔で宣告すると、彼はうつむいて「それで、いいです・・・」。内心でガクっとしつつ、「あのね、君ね、人生はそう簡単に投げちゃダメよ」と金八先生的に諭すと、他の学生がドッと受けるわけ。これが現代の学生気質です。何というか、こちらに関わってこないのですね。諦めが早いと言うか、すぐ投げちゃうと言うか。私の方は「先生、何とか助けてよ〜」と言う言葉と関わりを期待しているのですが・・・。

実は神も同じ。アブラハムがソドムとゴモラのためにとりなした時、実は神は全滅などは願っておられなかったのです。誰かがその神の心を汲んでとりなしの祈りをして欲しかったのですね。アブラハムはその神の気持ちを汲んで祈ったのです。私たちは祈るとき、「主よ、あなたはこれこれを願っておられますね。御心どおりになりますように」と、神の心を汲んでしまうのです。私たちが勝手にあきらめて、「もういいです・・・」とうなだれて神の前から退いてしまうのは、あの金持ちの若者のように永遠の損失です。その時、父なる神は何と寂しいと感じられるでしょう。子である私たちは、あくまでも執拗に願い、求めましょう。まさにそれを父なる神は私たちに期待しておられるのですから!

(写真は嵐の合間の日光の差す空です。これが何なのだ、と思われるでしょうが、雲が面白かったのですね・・・)

メガフェイクの時代

以前に「私たちは巨大なフェイクを見させられているかもしれない」と書きましたが、驚くことに、通りすがりさまのリンク先によると、ダ・ヴィンチ・コードをモロに信じている人が6割とか!?たかが小説でしょう、とはいかないのが現代のようです。古典的には、名優オーソン・ウェルズが火星人来襲のラジオドラマの語りをしたら、人々がマジに信じてしまって、パニックが起きたとかの逸話がありますけどね。

ペンタゴンの件といい、まあ、平和ボケなんでしょうが・・・。リアルとヴァーチャルの境界線が消失しているわけで。最近のマジックもかなり高度になっていて、車のボディに手を突っ込んで中の物を取り出すなんてこともできてしまうくらい。騙されることも楽しみなんですが、程度がありますよね。そもそも911自体が仕組まれていたようです。田中レポをどうぞ。

ちなみに『週間文春』によると、自衛隊員のPCからWinnyで流出したファイルはフロッピーで270枚分。高度の機密事項も流れたようです。中国あたりにとっては垂涎の的だそうです。ああ、平和だなぁ〜。

Commented by Luke 2006年05月19日(金)20:51

アジアでも大変だそうです。
http://www.asahi.com/culture/update/0519/017.html?ref=rss

ペンタゴンに突っ込んだ民間航空機?

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まずはこちらを見てください。今回アメリカが公表したペンタゴンに突っ込んだ何かの映像です(Video2の24秒時点の右下に注目!)。ほんの一瞬白い細長いものが右から飛んできますが、皆さん、これが民間航空機でしょうか?どう見てもミサイルかなにかにしか見えませんが。考えてください。この監視カメラが1秒に数コマだったとして、これだけ早く飛んでいる民間航空機が、地面に何の痕跡も残さず、超低空でほぼ地面に平行に飛んで、ペンタゴンに消えてしまうのです!?ここの写真を見てください。さらにこちらこちらこちらもどうぞ。どう見てもおかしいと思いません?どこか変だよ、アメリカよ。一方でこんなコンピューターシミュレーションもありますが。元サイトはこちら

(上の写真はシミュレーションです。ビデオと比べて下さい。)

ダ・ヴィンチ・コード

この土曜日に封切りとなる同作品を楽しみにしている。実はダ・ヴィンチは高校時代から好きで、彼の作品集なども持っているのだが、この映画が何で信仰へのチャレンジとなるのか、ちょっと調べてみた。ダ・ヴィンチ自身も当時のキリスト教界に対する反逆を試みていたらしい。

要するにマグダラのマリアとイエスの間には子供がいて、それが後のメロビング家の祖先となり、カトリック教会はそれをひた隠しにするために、ルーブル美術館長を殺すわけ。その犯人とされるのがトム・ハンクスで、館長の孫娘と一緒に隠されたミステリーに挑むというお話らしい。テンプル騎士団とか十字軍とかが出てきて、さらに聖杯(最後の晩餐で用いたもの)の行くえを巡って謎は深まるわけ。お話としてはなかなか面白い。

が、私たちの信仰を揺るがすものではない。先のユダの福音書もグノーシス主義(マグダラのマリアが創始者だそうだ)のものであり、私たちの知っているイエスとは関係がない。ただイエスの磔刑はインチキとか、復活はなかったと言っている向きもあるので、真理に対する挑戦ではあるが、真に受けるまでもないと思う次第。

下にも書いたが、カトリックの歴史がいかに魔女を数百万焼き殺したとしても(プロテスタントも同じだが・・・)、私個人の信仰とは関わりがない。しかし世の人にはキリストご自身とキリスト教の区別はつかないだろう。その意味で下に書いたとおりの感覚を持っているが、私個人の信仰が挑戦を受けるものではない。

ただし、やはりこの世の霊(ストイケイア)が活発に働いていることは間違いなかろう。何とか真のイエスから人々の目を逸らそうとしている意図を感じる。このような霊的雰囲気の中で、少しばかりの力しかない私たちではあるが、淡々と御言葉を語り続けることだ。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月17日(水)08:57

最後の晩餐、去年実物を見てきました。 さすがはレオナルド!ダ・ヴィンチって出身村の名前で、実は私生児だった彼には苗字が無かったんだそうですね・・・その辺がやはりカトリック教会と反りが合わない最初の理由の一つかもしれません。 構図がイエスを囲む12使徒の間のドラマを見事に物語っていました。 画家としてこれだけ才能のある人が、しかしカトリック=キリストだと言う構図から抜けきれず、本当のイエスに出会えなかった(?)としたら、その方が悲劇ですね。 

個人的にもっと好きなのはゴシック様式の影響から抜けきれていないフラ・アンジェリコの作品です。 画僧の作品だからカトリック教会に対する反逆精神は当然無いでしょうが、それ以上に、神への子供のように無垢な信仰心を感じ、それに私の内にある霊が共鳴して感動します。

ダン・ブラウンの著書は小説で読みましたが、フィクションとしてはスピード感もあってなかなか面白く書かれていると思いました。 ただイエスとマリアが仮に結婚していてイエスの磔刑死後、マリアが子供を産んでいたという説ですが、完全な『花婿』であるイエスが、自分はこの世を去り、母子をこの世に置き去りにして行くという運命を知りながらも結婚したり、子供を作ったりするかな?と、この説はイエスのご性格を考えると疑問に思うし、イエスが刑死しなかったという説も良く聞きますが、歴史的記述から言ってもこれはまずあり得ないです。所詮はイエスご自身を知らない世の人が書いたものだと思います。

聖書の偽典、外典と言えば、ユダの福音書が復活を否定する一方で、同じ聖書の偽典、外典のヤコブの福音書には、マリアが産気づいた時に面倒を見た産婆が、マリアが処女であった事を確認して驚いたという記述があるそうです。 

Commented by ICHIRO 2006年05月17日(水)13:44

場所によっては大変なことになっているようですよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000016-nnp-int

Commented by 通りすがり 2006年05月18日(木)17:14

何の根拠もないヨタ話に、yumemiさんのように本気で考えてしまうクリスチャンもいるわけで、いわんずや、聖書を読んだことがない人々には相当な影響があると思います。
イギリスでは、小説を読んだ6割の人が、このヨタ話を信じているくらいですから。↓http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000084-kyodo-soci
切実な問題ではあると思いますが。。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月18日(木)19:39

<通りすがりさん、
私は全然本気で考えてる訳ではありませんので、あしからず。 
ただイエスを知る恵みに預かった者として、歴史的、また霊的、個人的に、この説は義経がチンギス・ハンになったとか、ローマ人の祖先はトロイの落ち武者だと言うのと同じ程度の信憑性しか感じないと言いたかったんです。 だからお話としては面白いと思います。 ただ映画としては失敗作みたいですね。 カンヌ映画祭では失笑を買っていたそうですしね。所詮はその程度の物、という事です。

冒涜の叫び

前から気になっているサイトがある。在日ドイツ人のサイトですが、内容はあらゆる権威を拒否するアナーキズムと反聖書的発言に満ちています。歴史的キリスト教がいかに狂信に走って、大量殺人をし、人々を蹂躙してきたか、聖書の神はいかに残忍非道であり、人を人と思わぬ残虐な神であるか、彼は切実なまでに書き連ねている。この人の写真の目を見ると、なんとも言えない孤独感を漂わせている。

私はこのような叫びに触れると、反キリストの霊につかれているとか批難する前に、うめきを覚えてしまう。この方は目に見えるキリスト教によっていかに深い傷を受けてこられたか、と・・・。「お茶ら化し」に対してはむしろ気が楽である。責任は彼らにあり、彼らが自身が自分の言葉の実を刈るだけ。ところがこのサイトにはある種の真実の叫びがあるのだ。もちろん彼の神観には同意できないが、そのような神観をいだかされてしまった彼の人生を思うとき、かなり深刻な気分になる。なぜなら私もキリスト教は大嫌いであるから。

が、幸いなことは、主イエスは、そして父なる神は、また聖霊は、私にとっては大いなる慰めであり、希望であり、そして愛なる方なのだ。もちろん神は義であるから厳しさもあるが。願わくは、このドイツ人の方も、このようなイエスを知り、このような慈愛と憐れみに満ちた父を知って欲しいと願うだけである。(多分、このような境遇にある人々は相当に多いのだと思う。)

Commented by まるふぁ 2006年05月16日(火)15:34

アーメン。

「アンチクライスト・スーパースター」のマリリン・マンソンも「憎んでいるのはイエス・キリスト自身ではなく、人々が信じている『神』だ」と言ったそうです。彼にとってキリスト教こそ「この世の権威」なのでしょう。

真実な神御自身が、一番うめき苦しんでおられると思います。私もうめきを覚えつつ、
主よ、私たち(キリスト教会)を赦し、憐れみたまえ…
まさに、どう祈ったらよいかわからないですが、
真実な主のとりなしにすがり、うめきを共にしたいです。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2006年05月16日(火)17:08

何だか考えさせられますね。キリストご自身と、キリスト教界(教会ではありません)。微妙にズレているようです。しかし世の人が見るのは、混乱に満ちてる「教界」です。どこに真実があるのか分からなくなっている、ルークさんの言われる閉鎖世界です。その混ざり物や飾り物を排して、ただキリストご自身だけを知ることができることはまったく奇跡なんですね。

Commented by Luke 2006年05月16日(火)19:22

この方の証は相当に歪曲されたものであり、彼の心が病んでいることが分かりますが、その心の叫びには応えてあげる必要があるでしょう。それはその方の吐き出すものを受けて自分が傷を受けることです。キリストはすでにそれをなして下さっているのですが、

今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たす

必要があるわけです。今のクリスチャンは自分のことでイッパイ・イッパイで、これが私たちにもっとも欠けていることでしょうね。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月17日(水)07:12

お久しぶりです。 こういう人は私の周りにはたくさんいますよ。
皆、乳児洗礼を受けカトリックとして育てられたにも関わらず、『信仰』を捨てた人達です。 アイルランドの30〜40代にはこういう人々がたくさんいます。実は私の主人もつい最近、自分がキリスト教徒でない事に気がついたばかり。 歯痒い事ですが、彼の知るイエスと私の主イエスとは全然違うという事をなかなか上手く伝える事ができません。 彼の中では宗教とイエスご自身を分けて考えられないのです。

本日の講義

精神保健学の講義で、昨年同様、「アバタもえくぼ」が分からない。さらに「三つ子の魂、百までも」が、また分からない。さらにエディプス葛藤の例として『巨人の星』の一徹と飛雄馬の関係を説明しても、まったく知らない。しかし最近では亀田三兄弟がいるので、ありがたいわけ。

またカインコンプレックスの説明でカインとアベルの物語を語るとき、「カインは嫉妬でアベルを・・・」と「嫉妬」のアクセントを「−ツ_」としたら、女子学生が「センセ〜、それ発音が違うよぉ〜。しっと(_ツ−)だよ!」と黄色い声を上げた。私は語尾を下げるのだが、彼らは語尾を上げる。「え!?じゃあさ、君たち、嫉妬心はどう言うの?」と聞くと、これは私と同じ。そこで「変だよ、心が付くときと付かないときで変わっちゃうのは・・・」と言うと、学生たちが「え〜っ、変なのは、センセイだよぉ〜。だっておかしいもんっ!」と合唱を始めた。「ヤバっ・・・汗」と内心で思いつつ、「はい、はい、分かったよ。確かに君たちは彼氏も−__じゃなくて、_−−だもんね」と言うと、これでみなさま一応納得。彼らとはガチンコしてはならないのだ・・・。かくして私もこの時間は彼らのアクセントで発音したが、なんとも違和感が・・・。

ちなみにわが田舎の諏訪では、「藤森」を「----」、「小口」を「---」と同じ強位で発音する。ところが東京では前者は「_−__」、後者は「−__」となる。これがなんとも違和感があるわけ。言葉はけっこう人のアイデンティティの根幹に関わるわけ。「言葉は人」とか「言霊」とか言われるとおりです。かくしていつもながらワイワイガヤガヤとうるさいながら、楽しい講義を二つこなしてきました(ふぅ〜っ)。

愛によって働く信仰!

本日も仕事。ダイエットも重なって、かなりキツイ。が、メタボリックシンドロームで死にたくないので、ややガンバッています(私はほとんどガンバルことはないのだが・・・)。

それにしても驚きました。再建主義の富井さんが、伝道の鍵は「愛によって働く信仰だ」とおっしゃっています。これは私たちのスローガンでもあります。よく「信仰・希望・愛」のうち「最も尊いのは愛だ」として、「何でも許して・認め合って」式の甘えでベタベタのニッポンキリスト教的キモイ人間関係ができる。しかし聖書は「信仰によらないものはすべて罪だ」と言っているのです。つまり信仰によらない愛は罪なのだ!では、愛と信仰どっちなの?回答は「愛によって働く信仰だけが尊い」(ガラテヤ5:6)。

富井さんとはレビ系モーセ律法(ノモス)とメルキゼデク系いのちの御霊の法則(ノモス)についての理解の相違が乗り越えられれば、かなり真実なよい交わりができるのですね(詳細はこちら)。御言葉ではなく、再建「主義」にはまってしまっているのが残念です。ご自分のサイトで、私のことを徹底的にこき下ろしておられるのですが、彼は真実ですから、私は腹も立たないのです。人を貶めるのは不真実な意図です。真実を分かっていてタメに不実をすること。彼らは「心の曲がった者は幸いを受けない。舌をもって欺く者は災難に陥る」とあるとおり、自分で刈り取りをします。

私たちの神も同じです。神は心の捻じ曲がった者には捻じ曲がる方と書いてあります(2サムエル22:27)。神をどう見るか、神とどう関わるかは、その人の心の鏡の歪みを反映するのです。心のビョウキの人はさらにその歪みが拡大します。また自分が批判を受けるときも、その批判内容を見れば、相手の心の様が分かります。あえて反論するまでもありません。かくして私たちの責任は真実に対しては可能な限り真実に応答するだけ。神の前での責任はこれで果たせます。

というわけで、お説教がましくなりましたが、これから風呂に入って、ビールを・・・と^^(もっとも小さいやつですよ・・・)。これが等身大のDr.Lukeであります。

 * * *

NYダウが100ドルを超える下げ。月曜日がやや心配だ。

やはり懸念が・・・

今日は疲れが出て、午前中の講義を終えて、2時には大学を出た。あと4週間・・・。

 * * *

株が大幅続落。原油や金価格が高騰し、それが素材価格へ波及して、アメリカのインフレ懸念が再燃、金利上昇の可能性が出たため、ダウが大幅下落。それに伴って、日経平均も260円ダウンの16,600円ほど。量的緩和策解除で準備金が30兆から10兆に減っており、加えて6月には日銀が金利を上げるとの思惑もあるため。やはり懸念したとおり、解除が早かったのではないか?今後の景気が気になるところ。

 * * *

アップロードファイル 8KB今月の『文藝春秋』にて「ダ・ビンチ・コード」を特集していた(記事名:「ダ・ビンチ・コード」4つの嘘)。筆者は必ずしも信仰はなさそうだが、西洋史の専門家であり、同書のナンセンスさを歴史学的に証明し、何ゆえにこのような書物が大ベストセラーになるのかがむしろ疑問であると指摘している。かつての駄作「親分は何とか」とか、「パッション」が封切られると、これでリバイバルが起こるとか騒ぐ向きもあったようだが、まことの信仰を持っている兄弟姉妹であれば、このような映画や書物によって振り回されることはないと思う。(はっきり言うが、大衆がイメージしているいわゆる「リバイバル」などは起・き・な・い!注)一部では「冒涜だ!」として騒ぎ立てるキリスト教会もあるようで、ご苦労様なこと。映画もそろそろだが、あくまでもエンターテイメントとして楽しめば?と思うのだが。リアルとバーチャルの境界が曖昧化しているようだ。ついでに、もひとつ「新・昭和史七つの謎」も興味深い。

注:そもそも台風じゃないのだから、「起きたり」、「来たり」するものではありません!

 * * *

捧げ物をいただくことがあります。この場で、主にあって、感謝いたします。

Blessings!

今、風呂から出たところで、これからバルコニーのチェアでビールを片手に夜景を眺めつつぼーっとしてきます。

サラリーマンの悲哀

本日は御茶ノ水で仕事なのですが、京浜東北線が信号機故障でストップ。京浜急行に振り替え輸送となったものの、これがまあ立錐の余地もない混み具合。電車はのろのろ・・・。かくして品川まで1時間30分ほどかかり、御茶ノ水まで何と2時間!電車の中はサウナ状態で、もう途中で泣きたくなりましたね。で、2コマ講義して、東海道線で横浜までバック。午後4コマ・・・。ただでさえ休みがないのに、きつかった・・・。

これが丸の内に通ういわゆる会社員の日々かと・・・嗚呼。これを延々と定年まで続けるわけで・・・。かく言う私も立派なサラリーマンですが、出勤時間は自由(フレックス)。通勤は車ですから、冷暖房・オーディオ・ビデオ・テレビ・ラジオ完備の書斎の延長の様なもの。大学では個室があるわけで、文句は言えません。かくして本日はヘトヘトです・・・。