* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
『文藝春秋七月号』にある記事。ニッサンのカルロス・ゴーン氏の改革が挫折しているとのこと。下の記事と関係するが、要するにコミットメントと称する収益目標の達成をすべての物差しとした結果、生産ラインでの人間関係が壊れてしまい、中には生産中の車を蹴飛ばしたり、ペンキで落書きをするケースもあるらしい。
昔は高卒レベルの職工を、現場の監督が公私にわたりメンドウを見て、10年がかりで育てたのだが、今はそれがない。寅さんの義弟のヒロシをメンドウ見たタコ社長のような存在である。かくしてニッサンは一時はV字回復したものの、その後は低迷。ゴーン氏の手法は日本では無理があることを露呈した。
私は前から、日本人はアメリカ型新自由主義的な会社経営には耐えられないと指摘しているが、ニッサンの事例で十分であろう。昔は藩(これは実は江戸時代にはなかった称号だそうだ)のお抱えになり、現代は会社のお抱えになることによって、アイデンティティを得ていたからだ。
そもそも個がない日本人にとって、そのフレームを失うことは自分を失うことである。その意味で終身雇用制度は日本には不可欠なのだ。ただし、年功序列は不要だろう。人間関係の中から物を生み出すのが日本人である。人間関係が切れた会社は日本では結局成立し得ないのだ。日本人よ、グローバルスタンダードなるアメリカの独善に騙されるのはもう十分だろう、と私は言いたい。
帰宅途上の車の中で観ていたNHK『クローズアップ現代』でレポートされていたネットカフェ難民。20台から30台が6割近くを占める、新しいホームレスの形だとか。驚きましたね、聞いてはいましたが、その実態に。時給800円の日雇い仕事で、アパートなどを借りられず、寝泊りは1泊1,200円程度のネットカフェで。
昔は田舎から出て来ても、あの『三丁目の夕日』のように、住み込みで家族同然の生活を送り、その中で手に職を付けて自立して行ったもの。現在はそのような人間関係が切れてしまっている。長女の会社は某大企業なのだが、話を聞くと、結局人事構想がすでに正社員と時間雇い社員とでまったく違っている。正社員はコストが高いため、残業を減らし、そこに時間雇いを補充する構想なのだ。よって時間雇いのレッテルを貼られた者が正社員になることはほとんど無理だ。一度落ちたら這い上がれないことが最も問題だが、結局這い上がってもらっては企業としては困るのだ。
かくして個人の価値がすべて仕事生産性に置き換えられ、企業の論理に貢献できる部分だけが買われる。GDPは3%近い伸びを示しているが、これはマクロな統計であり、この数字を生み出すために、ミクロなレベルでいかに多くの人間性疎外が起きていることであろうか。聖書の黙示録にあるバビロンには宗教面と経済面の二面性があることを前から指摘しているが、後者においては
その商品とは、金、銀、宝石・・・小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人間(原語:魂)である。
とあるとおり、人の魂が商品とされる。この御言葉も間違いなく成就しつつあるようだ。
(影の声:もしかすると牧師たちが自分の教会の信徒数は何千名とか誇ることも、実は魂を商品としているのかも知れませんね。これは恐ろしいことだとおもうのですが・・・)
本日の精神保健学の講義にて、相変わらずガヤガヤとうるさい連中(小学13年生)を、時にどやしつけ、時に慰めつつ、話を進めていた。
で、自己防衛機制の「反動形成」に入り、「しばしばやたらと腰の低いヤツとか、表面がソフトな人物は、内に敵意とかプライドを隠し持っているんだよ」と話すと、いつも一番前に詰めている丸刈りの学生が(と言ってもトラックの運ちゃんなどを経ているため25歳だとか、中々面白いヤツなのだが)、「じゃあ、先生はけっこうやさしいんだ」と叫ぶので、「何でだ?」と聞くと「だって先生、強面だからさ、全日本プロセスみたいだから・・・」とのこと。
なるほど、学生にはそう映っているわけか、と納得した次第。全日本プロレスとは面白い感性であるが、実はずっと前には「唐沢先生は、絶対ホモだ」と噂が立ったこともある。つまりけっこうマッチョに見えるようなのだ。「マッチョ=ホモ」。これも何とも困った刷り込みではあるが、しかし学生諸君とやり取りするのはけっこう楽しいのだ。しゃべって稼げる仕事もありがたいものである。
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福祉の現場が寒い状況であるのは、われわれの常識であり、CMで「コムスンの力誓いぃ〜」とか、若い女性がやっていたが、あれは前々からインチキだと指摘していた。ジュリアナ東京からどうしてこの業界へとも思うが、彼は防衛大学から商社入りした人物だそうだから、ある意味何でもアリなんだろう。が、彼も国家が投げ出した荷物を引き受けてしまったのだ。
しかし福祉で儲けるという発想は絶対にハズレである。30歳前後の福祉関係者の離職率がこのところ高くなっているのが実情。福祉の現場にまともに関わるならば、スタッフの側が参ってしまうのだ。学生でも実習に出かけて帰ってくるとその現場のショッキングな光景により、立ち直るのに数ヶ月はかかる。何を隠そう、わが管理栄養士の娘も老人ホームを見たショックから解かれるのにけっこうかかった。
人間にとって人間の真実を直視することは、かなりシンドイのだ。これは私も寿町にいた時に散々に経験した。精神科の病棟なども同じ。かくして福祉現場のスタッフや精神科の医師で心を病む人々が実はけっこう多い。福祉を受けるべき人々や精神科の患者さんの秘めたネガティヴなエネルギーをまともに受けるからだ。彼らの破壊力は、時に自分自身を、時に他人を破壊する力を持っている。
今回のコムスン事件はまさにその病理が噴出している。老人大国かつ福祉国家ニッポンの先はかなり暗いことは、少しでも現場を知っている者であれば容易に分かること。で、かく言う私はやはり若者を相手にしていたいのがホンネ。
不思議なものでして、この人々は、他者から疎まれること、嫌気されること、呆れられること、これらのことをあえてして、結果は他者からますます遠ざけられることになる。そして結果として、他者の評価を失い、拒絶されて孤独感を深め、自分を疎外した他者を恨むようになる。
加えて何故かいつも挑発的なのだ、表情も態度も。自分がココにいるんだぞ、自分は立派なのだぞ、自分はこうして生きているんだぞ、とつねに自己主張していないと、消え入りそうな脆弱な自我構造を有している。ある種の「声」を聴いている節もあるし、つねに自分の内的世界で自作自演の空回りをしている。内部表現が歪んでいるために、勝手な思い込みで他者と関わる。これでこじれる。
もっとも困ることは自分のしていることの異常性に気がついていないか、指摘されても決して認めないこと。かくして何度も何度も同じ問題を繰り返す。これを強迫反復と言う。そしてニッポンキリスト教には実にこの種の人々が多い。別の施設に紹介したいが、薬が効かないので、臨床医も人格障害は逃げることが多い。自己を病んでいる人―あまりにも現代的な人々ではある。
今日は愛餐会でして、賛美に、証に、ショートメッセージにと、イロイロと豊富でした。先週に続いて英国のPenny姉妹に交わっていただきました。ワーシップとメッセージと証が収録されています(→コチラ)。またミッション・ラザロの元ホームレスのMさんも証して下さっています。実に味のある兄弟でして、抱腹絶倒の証しです。
午前中いつもどおり『ぶらり途中下車の旅』を観て、プールとサウナ。このパタンどおりであると体調がよいのだ♪
午後はチネチッタの『らぁ麺トラットリアDue Italian』でラーメンでランチ。何を隠そう、この店のオーナーは第二代目ラーメン選手権名人。イタリアンテイストのラーメン。スープがあっさり系で、醤油と塩があるが、共に実に上品な味。お薦めです!映画は『300』。紀元前480年。あの聖書のエステル記でお馴染みのクセルクセス王率いる100万のペルシャ軍に対して、国と家族と子供を愛するスパルタの精鋭300人が立ち向かうスペクタクル。何となく3,200人を選りすぐって300人の軍隊を組織したギデオンの物語を彷彿とする。
当時のスパルタの精鋭教育が、いわゆるスパルタ教育と呼ばれるようになるわけだが、本邦の『風林火山』の武田信玄と言い、スパルタ軍と言い、抜き身の刀を振り回して肉弾戦を演じる古代に生まれなくてほんと良かったと思う次第。
画面の作りが何となくブルース・ウィルス主演の『シン・シティ』に似ていると思ったら、案の定製作総指揮原作が同じフランク・ミラーだった。「クラッシュ」と呼ばれる画像処理を施しているらしい。
帰りに、来日中のPenny女史に、日本人の心の分裂のルーツである開国から明治維新の時代を描いたトム・クルーズの『ラスト・サムライ』を観てもらうために、DVDを購入。何と980円!?最近では映画も消耗品と化している。帰ってから、映画で刺激されて、筋トレ。主に胸と背中を。で、『プリズン・ブレイク・シーズンU』。これは実にハラハラ・ドキドキで、一度観だすと止められなくなる。
というわけで、やはり土曜日は、一切のデューティから解かれ、頭をアイドリングモードにして、完全にフリーとするのがイイ。
ウイットネス・リーのローカルチャーチは世界的にも本邦でも、すでにけっこう有名ですが、別のローカルチャーチがありました。リーのローカルチャーチは"The Church in ○○(○○に在る教会/召会)"と称していますが、彼らは"The Church at ○○"です!?"in"と"at"の本質的な相違は・・・?と、言うわけですが、やはり現在のリーのリーカルチャーチと同じく、どちらが正しいか、あるいは聖書的かで、"検疫"をし合っているようです。
・The Church at Hebron
・The Church at Antioch
本日は一限の講義があるのだが、何と高速が事故渋滞でアウト。降りてあちこち裏道を回るも、みんな考えることは同じで、どこも渋滞に次ぐ渋滞・・・。ついに開始時間までに辿り着けず、その上30分過ぎると休講となる定めがあって、講義が流れた・・・。リリーフ投手が、出来上がっていたのに出番がない時の気持ちがよく分かる。何とも言えないモヤモヤしたフラストレーションが内側に残るわけ。・・・参りました。
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昨年の自殺者が32,000ほどだそうだ。9年連続で3万人を超えた。特に生徒や学生が増加傾向だそうだ。先進国では自殺者数はナンバーワン。杜撰な管理で、年金システムは崩壊寸前。コムスンに代表される福祉現場はきわめて寒い状況。病院では医師不足。HIV感染者の増加率は先進国でやはりダントツ。女子高生が学校のトイレで赤ちゃんを産み落とし、死亡させる。これが「美しい国ニッポン」の真実。で、ニッポンキリスト教では・・・?
この国も教界も一度悲惨の極みを通過しないとダメだと前々から言っておりますが、今の連続性の上に何かを建てることなどは、まさに何とかの上塗りに過ぎない。ドラスティックなガラガラポンが必要なのだ。
外務省のラスプーチンこと佐藤優氏の『国家と神とマルクス』。前にも紹介した鈴木宗男事件で国策捜査により、二審も有罪となった佐藤氏の論考。彼はクリスチャンであり、同志社大学院の神学部を出ている。が、新自由主義の侵入と共に、外務省に裏切られ、投獄。しかし負けると分かっているが、最後まで闘う同氏の試練から生まれた思考の結晶。2,3日楽しめる。
クリスチャンであると言われている台湾の李登輝氏が靖国神社を参拝(昨日だったら大変だった・・・)。同氏の兄が祭られている事を感謝すると言っている。
李登輝については、ウイットネス・リー(李常受)も自分の教会のメンバーにしようと画策したことがあるが、失敗した。どうも自分の教会や団体に政治家や大企業の経営者など、世での有力者たちを招き入れようとする動きが目立つ昨今である。しかるにパウロはこう言っている:
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
有力者がテレビで成功を証し、大層なパーティーを開いて、果たしてニッポンが霊的に覚醒するとでも考えているのだろうか。愚かなものである。人の浅知恵は滑稽ですらある。そしてこのような空気がCTなどの侵入を許すのだ、色気のある人々によって・・・。 またパウロは言っている: けだし、人の評価はしばしば破滅をもたらす。
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『週刊新潮』によるとあのZARDの坂井泉水氏は、やはり表の顔と裏の顔の間の乖離が激しく、本人も葛藤が深かった模様。作詞も自作ではなく、ゴーストライターがいたようだ。イメージが一人歩きしてしまうことの悲劇。人からの評価はむしろ得ない方が、自分のペースで自由に生きることができるのだ。栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。
わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。
午後、英国から滞在中のPennyさんを乗せて、東京ツアーでした。テーマは"The New and The Old of Japan"。まずは靖国神社から始めて、ここには日本の霊性のルーツ(要塞)であり、A級戦犯の東条英樹が祭られており、アジア外交の問題の拠点だと解説し、東大本郷キャンパスへ。私もしばらく振りでしたが、私の学んだ講義棟が消えて、新しいビルになっておりました。やや寂しいか。赤門、三四郎池、そして安田講堂を観てもらって、一路お台場周辺の新しい臨海開発地帯へ。
フジテレビの球体の中で東京の夜景を見ながら、中華料理。やたら愛想のいいマスターで、頼んでもいない杏仁豆腐やコーヒーをタダで振舞ってくれた。さらに六本木ヒルズもと欲張ったのですが、タイムアウトで、またの機会にと。
ちなみにロンドンは高層ビルの建設は制限されており東京のような高いビルはないのです。街並みもレンガ造りですから、簡単に建て直しできないから古くて、道も狭い。おまけに排気ガスもスゴイ。それに高いビルに住むのはロンドンでは低所得者層なのだ。対する東京は実に整然としてきれいで、高所得者ほど高い所に住みたがる。この価値観の違いは面白い。しかし先の大戦で完全に廃墟と化したことを話すと、現在の様を見て、アンビリーボヴォと言っておりました。
一応目的は果たせたかなと・・・。
英国の霊的状況も伺いましたが、はっきり言って、あまり日本と変わらない。"キリスト教"なる宗教と形式主義で、多くのクリスチャンたちが霊的に窒息しているのです。確かに英国聖公会でも、同性愛の牧師とか認めているほどに、セキュラー化しているわけです。
日曜日ごとに教会に通う、いわゆる"キリスト教徒"の数が増えることがリバイバルであるなどとは決して言えないのです。リバイバルとはいのちに目覚めることであって、別にいわゆる教会に通うかどうかとは関係ありません。通って欲しいのは牧師側でして、彼らの懐具合と関係するからですね。ノーウィッチでは、先にも書きましたが、主日礼拝やサービス自体をしていません!これはニッポンキリスト教ではまずセンセイたちから猛反発を受けることでしょうね(苦笑)。問題は動機ですね^^
が最近のキーワードだそうだ。野球とゴルフと。ふたりとも何となく似ている雰囲気を醸しているが、いわゆる美男子ではなく、ある意味平凡だが、ちょっとした気品がある。それと無臭な感じか。一時期の韓流ブームの人気俳優と何か合い通じる要素があるようだ。おばちゃんたちの人気も高いらしい。
ハンカチ王子も、ハニカミ王子も、大衆の前でしゃべると実に初々しく、これでは女性の母性本能をくすぐるであろうと推測する次第。ちなみにブッシュもそういったハニカミの雰囲気で結構女性に人気があるのだとか!?
私たち昭和30年代の谷間の世代にはこういったヒーローはまったくいなかった。今もいない。むしろ最近、この世代の人々が談合や政治汚職で続々と捕まっている。わが世代の出世頭安倍さんも何となくダッチロールに入っているようですし、何ともなコントラストだ・・・とやや苦虫をつぶす的な今日この頃ではある・・・。
どうも安倍さんがまっとうな判断力を喪失しているらしい(→記事)。年金問題で、あれは管さんの責任とかやっているうちに、支持率が急落。あの松岡議員の自殺は相当にダメージだったのだろう。彼らの間には何か特殊な情緒的結びつきを感知する。私は前から安倍氏は脆いと指摘したし、彼の言葉には嘘があるとも言ってきた。どうもその繕いができなくなりつつあるようだ。私は別に預言者ではないが、時に人の運命が見えるときがある。タケシの自殺未遂(彼はまだリスクがある)、逸見さんの早逝、伊丹監督の自殺も見えた。いずれにしろ、安倍氏は相当に深い病理を抱える事は間違いない。
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