最近の日記

ルワンダのプロジェクトX

今日は雨で、トランクルームから運び出すことができませんでした。あと1日−ほぼムリだなあ〜(溜息)

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NHKの『プロジェクトX』は毎回感動を覚えるが、今日のは厳しかった。ひとりのOLがルワンダの男と出会い、人生をかける対象を見つける・・・と、これだけならばよくある話であるが、ルワンダの内戦がその背景にある。

ツチ族とフツ続の二つの部族が仲良く共存していたルワンダをベルギーが歪んだ統治を行なったことにより、内戦と憎悪の嵐がルワンダを包んだ。かくして足のない者、手のない者がちまたに溢れる。

この女性はこのルワンダ人の心を共に担うことに人生をかけた。私たちはしばしば"正しい"教えによって人々を救おうとするが、それは実はヨブの3人の友人の"名アドヴァイス"と化す。彼らはヨブをさらに頑なにし、追い詰めただけである。主は言われた:「泣く者と共に泣き、笑う者と共に笑え」と。実はこの共有すること、これが一番難しいのである。イエスは私たちのもろい人間性を負ってくださっている。

ルワンダの内戦はイスラエルとパレスティナの争いと重なる。文明国の利害関係に巻き込まれて、現在の中東情勢があるが、親イスラエルの原理主義クリスチャンが「イスラエルを呪う者は、神に敵対し、悪魔につく者である」と、自らの"正しい"教えを叫べば叫べぶほど、現地は過酷な惨状と化す。善悪の木の実を食べてこの平面に落ちた人類の宿命である。

今後イラクも、イスラエルも、ほとんどルワンダと同じ運命をたどるであろうし、多くの人々の血と涙が飛び散ることであろう。神のうめきをどれだけ分かち合えるか、これがクリスチャンの熟成の度合いのバロメーターである。

ふう〜ッ

本日はトランクルームから6箱分戻しました。あと10箱位?壁の書庫は充填率50%です。まだ行けますね。自分を騙し騙し、ようやく道のりの半分。あと2日です。ふう〜ッ

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すごいソフトを見つけました→http://www.softether.com/jp/

Softetherというソフトですが、EthernetのHUBとLANカードをソフト的にエミュレートして、VPN(Vertual Private Network)をインターネットの中に構築できるのです。つまりプライベートLANをインターネットを拝借して構築できるのです。これを使うと大学のPC、自宅のPC、チャペルのPC(サーヴァ)がシームレスに一元的に管理できます。革命的です。

現在自宅と大学からチャペルのサーヴァにはリモートディスクトップでアクセスし、HPの更新なども家からチャペルのPCを操作して行なっていますが、レスポンスのラグがあるのです。しかしこれを使うと自宅のPC上のソフトでチャペルのファイルを直接操作でき、完全にシームレスになります。ただしファイアウォールを透過するので、セキュリティがちょっと問題となりますが。

そしてこの開発者はなんと19歳の筑波大学1年生!驚きですね。ふう〜ッ。

福音派?

「ルークさんは聖霊派と言われることにえらく拒否反応を持っているんですね」とメールをいただきました。ええ、確かに。正直言って、生理的にその臭いに嫌悪感を覚えています^^(すみません、「聖霊派」の皆様・・・)

しかしこれは私が福音派と言うわけでもありません。福音派は福音派のプライドと臭いがあって、これもあんまり・・・です。えらく立派な神学と理論をお持ちのハイソな先生ばかりで、私などはちょっと・・・ですね。まあ、社会派は論外ですが。

というわけですが、これはその「派」の中の個人個人を嫌っているわけではありません。事実私のKFCにはきわめて様々のバックグランドを持っている方々ばかりです。個人はお互いにキリストのいのちを分かち合う兄弟であり姉妹です。また頼まれれば、どこでもメッセージはしています。真理はパブリック・ドメインですから。

いろいろな慣習や教義はそれぞれですが、私たちはそれをすり合わせることも議論もすることもしていません。ただジーザスにフォーカスしてキリストをエンジョイするだけですね。セレブレーションに入り込むとジーザスのみで、周囲は見えなくなります。

ワンネス・ペテンテコスタル?

ジーザスにフォーカスすることと、「ワンネス・ペンテコスタル(AKA:ジーザス・オンリー)」(異端です)の違いはどこにあるのかとご質問をいただきました。まず確認しておきたいことは、私はペテンテステ・カリスマあるいは第三の波などとは一切関わりがありません。つまり「聖霊派」との関わりはまったくありません。

「ワンネス」は、神の三つのパースンズ(複数形)を否定します。つまり聖霊はイエスの霊であるとし(聖霊が「イエスの霊」と呼ばれるのではなく)、父が子になり、子の霊が聖霊であるとするわけです(あるいはイエスが御霊になった)。よってこれはサベリウスの古典的「様態論」のひとつのヴァリエーションです。日本でも「イエスの御霊教会」とかがありますね。(注意:彼らが救いを得ていないとは言っていない。)

神は人との関わりがあろうとなかろうと三にして一ですが(本質的三一)、人とのかかわりにおいても、もし神が三つの区別されそれぞれ自存しかつ同時・同在する方でなかったら、そもそも十字架の贖いが成立しません(経綸的三一)。ワンネスでは、神のご計画が根底から崩れます。この霊的法理はバイブルカレッジでは詳しく話していますが、おいおいHPにも書きましょう。

「聖霊様」or「イエス様」?

ある聖霊派の方が私のメッセージやKFMのワーシップではすべてジーザスにフォーカスしていることで混乱したと言ったきたことがあった。

彼女曰く:「私はこれまで、三人の神様にそれぞれに義理を忠実に果たすために、お父様、イエス様、聖霊様、ありがとうございます・・・と祈ってきたんですが・・・。これから誰に祈っていいのか分からなくなりました。」というわけ。おこられるかも知れないが、正直言って、心の中で笑ってしまった。なるほど、彼らは三神論に落ちている。

神の三一について二つの異端がある。ひとつは「三神論」、一つは「様態論」(ひとりの神があるときには父のペルソナ(面)で、あるときは子のペルソナで、あるときには御霊のペルソナで現れる)である。

今、神と人の仲保者は人なるイエスただおひとりであるとあるとおり、この受肉し、いまだに人であり続けるイエス(イエスは人間性を脱ぎ捨てて天に昇ったのではない)において回復され栄光化された人間性に私たちは与るのである。鍵は人間性である。「霊的になる」ことや「聖化される」ことは、「人間になる」ことである。霊能者になったり、仙人になることではない。人になるのである。

イエスにおいて回復され栄光化された人間性は、父を100%表現していた。よってこの人間性に与るとは、神の御性質に与ることである(2ペテロ1:4)。これは「神になること」ではない。人間性において神の御性質に与ることである。これを初穂として成就された方がイエスであり、そのイエスのなされた事実を私たちに伝達し、実体化してくださる方が御霊である。

ジーザスにフォーカスすることは実は神の三一をすべてあがめることである。聖書はアダムとエバの結婚で始まり、子羊と新エルサレムの結婚で終わる。主賓は誰か、子羊である!神の永遠のご計画は、イエスにあって受肉した神が、花嫁を得ること。これが結婚の奥義である(エペソ5:32)。かくして神の幕屋が人と共にあり、神と人が共に住まう(黙示録21章)。

ジーザスを知ることは永遠のいのちをもつこと。ジーザスをあがめることは三一の神をあがめること。ジーザスに栄光を帰することは三一の神に栄光を帰すること。かくして私たちのセレブレーションは毎回次の祈りで終わる:

神に栄光がありますように・・・・In the mighty Name of JESUS!!!

聖霊という方

ある方から

1)御霊の内住とキリストの内住の関係は?
2)御父は内住されるのか?

とのご質問をいただき、とても大切なので、ここに回答を採録します:

聖霊は新約においてと旧約においてはその役割において決定的な違いがあります。私が「聖霊派の聖霊知らず」と言うのは決して単なる揶揄ではありません。事実、彼らは知りません。

御霊の内住を得るときに、同時にキリストの内住を得ます(ヨハネ14:15-20)。また御子と御父は"一緒に"信じる者のうちに来てくださいます(ヨハネ14:23)。ここには「"わたしたち"が来てその人の内に住む」とあります。

神の三にして一であることは奥義です。聖霊派のイメージである、「天に父がいて、右にキリスト、地上には聖霊様」というのは三神論です。キリストは復活の肉体を持って天におられますが、同時にいのちを与える霊として(1コリント15:45)、私たちのうちにいます。また子を持つ者を父をも持つのです。父のうちに子がおり、子のうちに父がおり、その相互内住を私たちのうちで実体化される方が御霊です。神はひとりの神です。三者はバラバラの神々ではありません。

聖霊は新約では単なる神の霊ではなく、人間イエスの霊のうちに住まわれる経験を経て、イエスを証しする霊として私たちにあたえられています。よってこの意味での御霊はイエスが栄光を受けられる(=十字架)前には「なかった」(ヨハネ7:39原語)のです。「注がれていなかった」は意訳です。「なかった」のです。

神の霊として聖霊はもちろん永遠におられますが、新約ではイエスを証しする霊とされています。ここがベニー・ヒンや一般に聖霊派の聖霊理解がおかしいと私が言っている根拠です。彼らは旧約的な神の霊の現われを求めるだけで、イエスの人性をあかしし、私たちのうちにキリストを作り込む御霊の働きを知りません。だから、しるしだ、不思議だ、になるわけです。もっと面白いのはヒンの霊的パワーで飛ばされて感激したとか・・・(アホらしい)。西野バレー団の会長でもやってるでしょう。

キリストは父からのものを受け、キリストから御霊が受けて、それを私たちのうちに実体化するわけです(ヨハネ16:14,15)。父と子はひとつです(ヨハネ10:30)。そしてキリストと御霊はひとつです(2コリント3:17)。ただしこれらは位格の区別がないということではありません。

父がいるところには子もおり、子がいるところには御霊がいるのです(ヨハネ14章)。よって御霊は三にして一なる神を私たちのうちに実体化して下さいます。イエスと御霊を切り離してはなりません。KFCのある方が言っていました:「今は聖霊の時代だから、キリストの時代は終わったと思っていた。」と。それどころか、聖霊は「イエスの霊」また「キリストの御霊」と呼ばれています。旧約では単なる「神の霊」です。

新約と旧約には致命的な違いがあるのです。今回のヒンの聖霊論は幼稚であり、彼の人格に欠陥があることもイエスのご人格を証しする聖霊の働きを受けていないためです。はっきり言います、ただ単に癒しが欲しい人は心霊治療家、あるいはオルターナティヴ・メディシンにかかりなさい。

新約と旧約の相違を明確に見ていないので、律法主義や、「主はこう言われる!」式の偽預言者たちに振り回される諸兄が多いのです。天国に行ってパウロと会ってきた超霊的な"預言者"には私はこう言いましょう:「私は常に内なるイエスとお会いして、イエスと会話している」と!聖霊派諸氏よ、ぜひ1ヨハネ2:24-28をよくよく読んでみてください。対してマタイ7:21-23を比べて御覧なさい。何が大切かよく分かるはずです。

さらなる詳細は「Q&A」や「トピック」を参照して下さい。

御霊に酔う

酒もエタノールにフレーバーを入れ、色をつけてガシャガシャとカクテルして飲めば確かに酔うことはできる。しかしアルコール臭くて、悪酔いしそうだ。その後はアルデヒドの悪臭に満ちる。

御霊に酔いたい人も、どうも安いエタノールの酒で酔うかのように、品の無い酔い方をする人がけっこういる。前にここでも秘蔵のビデオをご紹介したが、あれはごく一部。これらはとてもではないが、キリストの高貴にして芳醇な香りがない。

品の良い、十分にねかされた熟成の御霊で酔いたいものだ。

熟成される-コクとマロミを醸す-

いかりや長さんの告別式には1万人のファンが集合した。あの低俗番組と悪名高き長さんの告別式にである。私は正直言えば、ある種の喪失感を覚えている。彼の"味"に慣れ親しんだためであろう。

ウイスキーやワインにせよ、味噌や醤油にせよ、"寝かす"ことが大切である。こうしてコクやマロミが生まれる。熟成である。

昨今のクリスチャンはあまりにもこの熟成がない。エタノールにフレーバをいれ、色をつけ、ガシャガシャとカクテルしたような浅薄さを覚えることを禁じ得ない。

イエスはあの3年半のミニストリーに備えるために、30年の淡々として人間生活を送られた。神が人なる彼をじっくりと熟成させるためであった。徴だ不思議だを目の色を変えて求める聖霊派諸氏よ、よく心されよ。イエスの熟成の30年を思うべきであろう。

熟成したクリスチャン。長さんはこの世的に練られ、あの味を醸した。われわれは大いなるワザをなすことを求める前に(しばしばそれは野心に過ぎない)、主のみ手によってじっくり練り上げられ、コクとマロミを熟成される必要がある。これがキリストの香りを放つ。

美味いクリスチャンとなるべきである。

もっと苦しみなさい

クリスチャンはもっと苦しむべきです。○○ヒーリングなどが流行し、自分の安楽や満足を求める者ばかりの昨今、神の豊かな実を結ぶ苦しみに与りなさい。そうすれば自分の不毛な苦しみから解放されるでしょう。

羅針盤は?(預言を追記)

イラクはますます混迷を深め、イスラエルは自らを苦難の中に追い詰め、アメリカはイスラエルべったりの姿勢、ロシアは虎視眈々と機会を狙いと・・・。アメリカとイスラエルに共通する病理は脅迫反復である。自らの偽りの上塗りをし続ける悲劇。これも私が分析した通りである。
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/index.html

現在、アメリカによる独善的"正義"により、神の公議による統治権が犯されてしまった。テロ撲滅どころか、さらなるテロが起きるだろう。ニッポンも例外ではない。
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html

クリスチャンの間でもほとんどカルトまがいのイスラエル主義者牧師たちによる「フセインを殺せ」などの愚かな叫びと反イスラエル主義者の叫びに分裂し、また神学論争でも分れ、その隙間におかしな"油注ぎの器"たちが次から次へと登場し、ニッポンキリスト教も無邪気にも振り回されている。

私はいつも言っていますが、聖書預言解釈を得意とする、人の心の叫びを知らない人々のように、「これも聖書の預言のとおりですね。終わりの日は近いのです・・・」としたり顔をする気持ちにはなれない。時代の当事者でありたいと願っている。

どこに心を置くべきか。何を信じるべきか。私は前にこれからはクリスチャンがフルイにかけられる時代となると書いたが、これもそのとおりになってきている:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Hardcore/hp1.html

私たちが焦点を定めるものは、ただひとつ、十字架である。ここから目を離す者は、目に見えるものにより容易に欺かれ、信仰の破船に遭遇するであろう:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Tero.html

神の心と私たちの心がつねにチューニングされ、神のうめきが私たちの心のうめきとして共鳴する霊的状態に留まる必要がある。天の事実が地における私の事実とされること、ここにとどまることである:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Iraq_War.html

こうしてここ数年の間に発信してきた私の言葉を読み返してみると、ほとんどポイントをはずしていないことが確認できる。ここで再び私は預言したいと感じる:

多くのクリスチャンが盲目に囚われながら、偽りのリバイバルを求め、また自分は聖書を知っている、自分は霊的に正しいと主張しつつ、兄弟が兄弟を訴え、自分は神に仕えていると思う時代に入るであろう。特に地的イスラエルがキリストの体にとってのトゲとなり、これがために真理を損ね、パウロのガラテヤ書の葛藤が再現され、これによって傷を受ける肢体が多く出るであろう。教会は世の価値観の侵食を受け、霊的真理を主張する人々がむしろ排他的かつ独善的、さらに狂信的と罪定めされるであろう。人々は自分の満足、幸福のみを追求し、クリスチャンですら、自分が恵まれること、自分が祝福されることがすべての動機となり、十字架は忘れられ、自己を「神」とする者が増えるであろう。かくして神のわざは残された者、レムナントに委ねられることになる。彼らは大衆からは評価されず、キリスト教界からすらも排斥されるであろう。純粋な真理を委ねられる者、人から評価されない者、しかし神に愛でられる者は幸いである。最後まで真理に留まることができる者は幸いである。

真理の見極め

今医学では「オルターナティヴ・メディシン(代替医療)」という分野があり、自然治癒力でガンの癒しなどがふつうに起きています。例えば私が東大にいた頃お世話になった人工心臓(世界記録を作りました)の渥美先生のページを紹介しましょう:
http://www.jact.gr.jp/jact/jact.htm

ここにはすでに「スピリチュアル・セラピー」という言葉が出ています。文字どおり「霊的癒し」です。あるいは一般人向けの書籍:「癌が消えた−驚くべき自己治癒力」(新潮文庫)など。

彼らはクリスチャンではありません!つまり癒しなどがあることをもって神の器であること、あるいは真理か否かを証拠立てることはできないのです。では主の癒しとこれらの、しばしばニューエイジが入っている癒しとどこが違うのでしょう?

一言で言いますと、十字架です。十字架があるかどうか、真理と偽りを分ける分岐点はここにあります。お分かりでしょうか。すでに先に述べた聖霊派の有名な"預言者"が「自分は十字架は語らない」と言ったとおり、彼らの癒しは霊的癒しではあっても、そこには十字架がないのです。真理と偽りはこれによって明らかです。御霊は十字架と共に働くのです。

Wake Up!!!(エホバの証人ではありませんが)

ヒンの真実については例えば、アメリカのNBCによる記事があります。偽りの癒しと行方不明の巨額の金の流れ・・・おいおい、これは何ですか、自民党の話ではありません。これが"聖霊(聖なる霊)の器"と称される人物の実態です。
http://www.religionnewsblog.com/archives/00001684.html

また私の元には、金銭問題についてレポーターに突っ込まれて涙目になり、ゴルフ場のある大豪邸に住まいベンツに乗るヒンがレポーターに問われて、「俺にホンダに乗れとでも言うつもりか!」と捨て台詞を吐いて去ったり、また空港で彼の取り巻きがカメラマンを蹴散らかし、その間を悠然と立ち去る姿が収録されたビデオがあります。

「紺屋の白袴」、「医者の不養生」とはよく言ったものです。「聖霊派の聖霊知らず」です。聖霊はイエスを証しする霊です。聖なる霊です。聖霊はイエスのご人格を私たちのうちに造り込む霊です。聖霊は自らを証しすることなく、イエスの言葉を語り、イエスを栄光化する霊です。しかし聖霊派はイエスと聖霊を分離します。ここに致命的な欠陥があります。

「聖霊様現象」をニッポンキリスト教にもたらした超有名なC.Y.氏の息子を巡る暴力団絡みの公金不正流用事件など、どうもこの種の破廉恥な事件が頻発します。しかしヒンについてもこの人についても真実がほとんど語られません。彼らを暴くことまた批判することは"聖霊様を汚す罪"であるかのように、タブーのようです。このような脅しによって真実を葬り去るなどは、ほとんどカルトですね。

どこか間違っていませんか。聖霊派のみなさま。もう一度繰り返します。聖霊は、聖なる霊、イエスのご人格を証しする霊です。そしてイエスはこう言われました:「偽預言者はその実で分かる」と。「実」をごらんなさい。野心と功名心と自己追求の実か、イエスの実であるか、一目瞭然でしょう。違いますか?

盲目の時代

ブッシュの側近による内部告発が続出していますね。クラークさんでしたか、911の後、すぐにブッシュが、イラクとの関係を探せと命じ、ラムズフェルドもフセインを叩けと叫んだそうです。私は前から言っていますが、ブッシュはとにかくイラクを叩きたかったのです。

一説にはブッシュが911を仕掛けたとか、例のキム・ヒョンヒは韓国のKCIAの工作員だったとか(つまり韓国がKAL機を爆破した)、何だか推理小説のように面白い諸説が出てきています。ま、金大中を白昼堂々と埒する国ですからありえないこともないですが。ともあれブッシュが事前に情報を得ていながら何もしなかったのはほぼ確実のようですね。

加えてイスラエルがヤシン師をミサイルで殺しました(個人を暗殺するのに3発のミサイルを打つ神経は?)。シャロンによる確信犯のようですが、アメリカと言いイスラエルと言い、どうも彼らに働いている霊はまともではありません。これは以前も指摘したとおりです。かつてブッシュ礼賛記事を書いた在米の女性クリスチャンがいましたが、ほとんど幻惑されており、カルトです。もう一度繰り返しますが、ブッシュの霊はクリスチャンの霊ではありません。

世界は今、盲目の時代に入っています。何が真理で、何が偽りか、目に見えるもので判断するならば欺かれます。内なる御霊に頼ることです。御霊はイエスを証しする霊、イエスの御性質にふさわしいか否か、基準は神と人のただひとりの仲保者である人なるイエスにあるのです。

ヘブル5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

長さん逝く

いかりや長さんが逝ってしまった。思えば小学校4,5年ごろだったか、土曜日の夜の楽しみは「8時だよ!全員集合」でしたね。その後は「キーハンター」でした。まあPTAあたりでは低俗番組として目くじら立てていたようですが、私はそのような育ちではないので、楽しかったですね。

伺うとあのコントはみな緻密に計算されていたそうで、アドリブはまったくなかったとのこと。それを生み出すまでの苦しみは相当のものがあったようです。

その後長さんは俳優として「取調べ室」などのドラマでいい味を出していました。1万人近いファンが告別式に集まったようですが、長さんの人徳です。こういった苦労人というか、練られた人が逝ってしまうのは寂しい限りです。ご冥福を祈ります。