最近の日記

キレ味とサッパリ感

ニッポンキリスト教がうっとおしいのは、互いの甘えを裏切らないように、いわゆる「お気遣い」がはびこるからです。信徒は先生の顔色を伺いながら、先生も信徒の評判を伺いながら。こうして互いに相手の目に映った自己像を杖として、自分を支え、自分を確認するわけです。これが日本人に多い対人恐怖の病理です。

御言葉は霊と魂を切り裂くのですが、この十字架のメスのキレがない。ベトベト、ドロドロ、うっとおしいわけ。ある方がメールで、私みたいな白黒明白な人物は珍しい、初めてお会いしたと感想を下さいましたが、まあ、私はしがらみに縛られたくない、楽に生きていたいだけなのですね。箴言にあります:

・人を恐れると罠に落ちる
・あからさまに責めるのは隠れて愛するにまさる

罪定めと健全な批判の区別がつかない人ばかりのようです、ニッポンキリスト教は。「心が痛い」人々が多いのですね(やれやれ)

ニッポンキリスト教がサラサラのパウダー感覚になれば、お風呂上りのようなキリストの新鮮な香りで、もっと気持ちよい爽やかな状態になるのですが、その前に自分の真実が暴かれる必要があるわけです。まあ、癌告知と同じです。

私は「白い巨塔」の財前というキャラにはある面で惹かれますね。あの打算的なストレートなメスのキレの良い医師像ですね。しかしどこか愚かしくて、憎めない。対して里見はややジメジメ的で、きわめて日本人好みです。

よくこんな質問がありますね、「メスの切れのいい腕は立つが冷酷な外科医と、メスの切れが悪く腕はボロボロでも優しくて親切な外科医と、癌を切ってもらうのはどちらにします」と(^^;?

この質問の本質はどこにあると思います、Hさん^^

****

高校の教頭が女子生徒に「可愛い子猫ちゃん」なるメールをして停職処分となったとか?中学校の教員は性犯罪を起こす率が普通の15倍あるとか?由々しき事態が教育界には起きているようです。でもね、表に出ないだけで教界の率もかなり高いでしょうね。老いてますます御盛んなセンセイ方がたくさんいらっしゃるようです(汗)。

読者の声

本日の感想をいただきました。この手の論調では必ずこの種のレスが出ることはいつものとおりですが、実は深いところに裏切られた甘えが潜んでいるのです。これが、愛し合って、赦し合って、慰めあって・・・のベトーっとした人間関係を生み出します。きわめて典型的日本人の反応です。

... 続きを読む

視聴率のメカニズム

ここに詳しいことがありました。ちなみに対象世帯は約1500万世帯で、その中から無作為系統抽出で600世帯をピックアップするようです。統計的バイアスも一応考慮しているようですが、数字はあくまでも統計量ですから、その性質を知らないで盲信するのは愚かです。

これは受験の際の偏差値も同じでして、偏差値で志望校(人生)を決めるのは、われわれからするとナンセンスです。ちなみに私は12月時点である模試で東大の合格可能性が50%でしたからね。一発勝負でも、受かれば灘高だろうと、私のような地方の無名校であろうと、ピッカピッカの東大一年生ですから(笑)

http://www.videor.co.jp/rating/wh/contents.htm

人に仕えることと神に仕えること

朝日記を書くのもまた一興。イエスはなぜペテロに「サタンよ、下がれ」と言われたのか。イエスは続けて語る、「あなたは神のことを思わず、人のことを思っている」と。

今回日本テレビで視聴率操作の件で経営陣が降格、本人は懲戒解雇かつ流用した制作費一千万を返却しない場合は詐欺で刑事告訴もあり得るとのこと。この件ではじめて知ったが、何と視聴率は関東圏の600世帯を調査しているだけ!関東圏にどのくらいの世帯があるのか不明であるが、多分0.何%ではないだろうか?この600世帯が何を見ているかで、製作者とその番組の価値が決められる。いあや、驚きました。統計学的に言っても、視聴率の数字にどれほどの意味があるのか?無作為抽出で選んだとしても、たまたまその嗜好が偏ることは大いにあり得る。せめて数万世帯をサンプリングする必要があろう。

教界でも楽しいメッセージや退屈させない礼拝の方法を伝授する牧師のためのセミナーがあるという。「5分おきに笑いを取る説教」のコツとか。ある有名牧師の説教のテープをいただいて聴いたが、やれやれ10分でギブアップ。立て板に水の流暢な説教はかえって御本人様の強烈なニオイと浅薄な霊性を証明している。人に受けることを念頭においていることはあまりにもミエミエであった。この牧師センセイ、これで信徒を沢山集めて、日本有数の教会という評判を取っていることが自慢であるらしい。商売である。

パウロは言っている、「私は今人に仕えるのか、神に仕えるのか、人に喜ばれようとしているのであれば、私はキリストのしもべではあるまい」と。商売繁盛のコツはきわめて簡単である。人の肉を喜ばせばよい。すべて大衆において受け入れられる物、価値観、思想、人物はみな肉を気持ちよくする。先の600世帯はまさに「お客様は神様で〜す」。

人のことを思い、神のことを思わないセンセイや、臭いものには蓋で表だけを白く塗った教会、チョウチン記事だけのクリスチャン・メディア、どこにエレミヤの叫びがあるのか?かえって信徒様や購読者様を神様にしている牧師やメディアがはびこる。このような風潮にあってどうして大リバイバルなどが起こり得ようか。<リバイバル=教勢拡大>ではない。神はいつの時代にもレムナントによって御業をなさる。大衆はむしろつねに神の敵となる。

今、私たちは誰につき、誰を喜ばせるのか。信仰の根本が問われている。

心が痛い?

この言い回しはニッポンキリスト教と関わるようになってよく聞くようになった。というか、私の言葉で心が痛くなる人がけっこういらっしゃるようだ。Dr.ルークの言葉は鋭いとよく言われる。ならば、ペテロに向かって「サタンよ、さがれ!」と言われたイエスの言葉の方がはるかにするどい。

実はこの言い回しの裏には巧妙な自己愛が隠れている。「心が痛い」とはその対象の立場に自分を置いて、自分が傷つくであろう場面が予想された場合、自己防衛する時に使われるようだ。

「心が痛む」のは大変結構であるが、今日ニッポンキリスト教では当たり前が当たり前でなく、黒を黒、白を白とすることで「心を痛める」繊細な方々が多過ぎるようである。姦淫している牧師に対して、「先生が可愛そうだから」として見て見ぬふり。「相手を傷つけたくないので、求められると性的関係も許してしまう」とか。かくして教会の中に罪がいたるところに隠蔽されている。

「相手を傷つけたくない」とは、実は、「自分が傷つきたくない」の裏返し(これを「同一視的投影」という)。自己愛の変形が他人に対して、「心が痛い」と感じさせている。実は自分を愛していることの事実に気がついていない。

「心を痛める」前に、まず客観的な正確な情報を得て、十分にアセスメントし、善悪をわきわえまてからでも遅くはない(ヘブル5:14)。一方的な情緒的な話に踊らされ、見当外れに「心が痛い」とするのが、ニッポン人の得意とするところだからである。メッセージでも語っているが、聖書には一切の甘えの入り込む余地はない。「あながたのことばは、しかりか否かであるべきだ。それ以上は悪から出る」とあるとおりである。

私たちが本当に心を痛めるべきことは、信じない人が多過ぎること−主の十字架が貶められていることである。

進むも地獄、退くも地獄

アルカイダがエジプトの雑誌で、日本がイラクに自衛隊を派遣するならば、東京の中心部を攻撃すると宣言した。岡本氏はすでにイラクに派遣しなければ、テロリストの思惑通りになるから、必ず派遣せよと報告している。これで政府は完全に前にも後ろにも進めなくなってきた。将棋で言えば、王手金取り、詰め一歩直前である。

ラムズフェルドは日本の主権を尊重するとか言いつつ、本音はすでにアメリカで不満をぶちまけている。ブッシュも早期主権委譲とやらで体よく逃げ出す姿勢を見せ始めた。いよいよ、混乱はピークに達しようとしている

が、それにしても北の拉致問題にせよ、本件にせよ、政府のお偉いさんたちの煮え切らない態度にはほとほと呆れてしまう。結局日本は主権国家ではないことだけが明らかにされている。福田氏の「危険と言えば、危険。安全と言えば、安全。みなさんも分かって・・・ネ♪」にすべてが証明されている。

自衛隊員はプライドがあるし、これまでベンチにいるだけだったから危険を賭しても行きたいと言っている。彼らは男になりたいのだ。せめて武器の自由使用を許可してあげたらどうか。それにしても日本で男が男たり得たのは忠臣蔵まで(そろそろその時期だなあ・・・)。あとはハッタリをかましているだけ。さてさて去勢された国家の、あしたはどっちだ・・・?

十字軍@NHKスペシャル

11世紀に起きた十字軍の特集があった。時のローマ皇帝の一声で、イスラムによって占拠されていたエルサレムを奪還すべく、燃え上がった人々が十字軍を結成し、イスラムの人々を大量に虐殺した。

見ていて、正直言ってキリスト教は恐いと感じた。絵においてもイスラムを虐殺したキリスト教徒の目が逝っている。彼らは「キリストの名」によって、「神のために」なしたわけであるが、完全にカルト化し、狂信者と化している。宗教は恐い、これが私の実感である。

では私たちクリスチャンとは何なのか。私は自分をキリスト教徒と思っていない。私が信じているのはキリスト教ではなく、キリスト御自身である。宗教ではない!生けるお方との関係である。私たちは別にエルサレムなど奪還しなくとも、どこでもいつでも礼拝することができる。否、むしろそのような礼拝を神は求めているとイエスは言っている。

目に見える場所や方法を、目に見えない方(パースン)よりも優先すること、これが宗教である。現在モリヤの山の神殿の跡には嘆きの壁とモスクが建っている。ディスペンセイション主義によれば、ここに第三神殿が再建され、そこに666が自分を神として立つはずである。しかしこの予言解釈を金科玉条にして、青筋立ててこれを守ろうとするならば、これはすでに立派な宗教である。

イラク戦でもアメリカの一部の狂信的牧師が「サダムを殺せ!」とほとんど逝っている目を持ってメッセージしていたが、これもすでに宗教であり、カルトである。また現在でもイスラエルに入れ込む牧師たちが、ブッシュに対して「イスラエルの領土は一歩たりとも譲ってならぬ、譲るならば神の裁きが下る」と叫んでいるが、これも狂信であり、十字軍と何ら変わりはない。そこに働く霊は御霊ではない。

すでにまことの神殿は建て上げられつつある。まことの神殿とは私たちである。至聖所は私たちの霊である。霊と真理による礼拝、これが神が求める礼拝である。物理的なイスラエルという地は神がメシアをもたらすために経綸的に選んだ地に過ぎない。本質は教会(エクレシア)である。私はイスラエルと教会が置き換わったとする「置換神学」ではなく、「元から神学」を唱えている。神は元々教会を得ることが御旨だったのである!

まことの神の神殿として私たちが建て上げられることが神のエコノミーを完成し、私たちがキリストの花嫁として用意される時、主が迎えに来られるのである。どうして成長していない教会を花嫁として迎えることができようか?一部の人がメシアニック・ジューなどを奉っているが、何も彼らを特別に扱う必要などない。彼らの肉の誇りに応える必要はない。肉のものは何ら意味はない!

イスラエルとエクレシア−あなたはどこで真の礼拝をするのですか?

イラクの真相@NHKスペシャル

結局アメリカは都合のよい情報のみを集めて、やりたいからやったわけである。人を治めるに必要な徳を失っていると言っていた。金を中心とした物質主義のアメリカの価値観とみかけの熱心な"信仰"、つまり狂信による米国型原理主義のバックアップによってなされた因縁をつけての戦争である。ヤクザと代わりはない。

すでに私は聖書の言葉を単なる白黒の文字としてとらえ、予言解釈にジグソーパズルのようにのめり込む者たちに警鐘を鳴らした。ここで再び鳴らしたいと思う。人の徳を忘れた統治は、仮に民主主義を旗印としてもフセインの独裁と何ら変わりはない。表がきれいな分、よけいに偽善となる。

"信仰深き"ブッシュに対して<仁・義・礼・智・忠・信・孝・締>の玄妙なる世界を教えてやりたいものだ。

ちなみにバイブルカレッジではようやく預言者たちを終えた。預言者の苦悩とうめきを共有し得ない者は予言解釈などにのめり込むべきではない。イザヤ、エレミヤ、アモス、ホセア、エゼキエル・・・、これらの預言者たちの心の奥深くのうめきと叫びを分ち合うことができることがまず求められるのである。彼らと同じ霊に与ることである。これがオツムを異常にでかくしているニッポンキリスト教の聖書学者・教師たちに最も欠如しているものである。

ジェシカ・リンチさんの証言

イラク戦で捕虜となり、特殊部隊によって無事救出され、一躍イラクでの英雄とされたジェシカ・リンチさんの証言が今週のTime誌に取り上げられていた。

一言で言って、要するにヤラセであったわけ。アメリカの大義なき戦いに覇気をもたらし、愛国心を高揚させるために見事に利用された。今、ラムズフェルドが来日しているが、確固たる姿勢を小泉氏はとり得るだろうか?

みなさん、そろそろ気がつきませんか、政治も教界もアメリカ由来のものはあまり良いものがないということに!?

「アメリカから何の良いものが出ようか?」

アメリカの本質は霊的にはメーソンと政治的にはユダヤ人の影の支配です。ブッシュがスカル&ボーンズのメンバーであることはフツウのメディアでも報道されています。今回の日本のイラク援助の資金(ダントツ!)も巡り巡って誰の手に入るのでしょう?

一般社会でも有名なクリスチャン・エコノミストの某氏(オフレコなのです)も背後のユダヤ資本によるシカケを指摘しています。日本のバブル崩壊も見事に演出されたのです。しかしこのことは表で発言すればクレジットを落とされ、「反ユダヤ」のラベルを貼られて、社会的には抹殺されます。

ユダヤ人が経綸的選びの民であり、神の御計画の中で特別な位置を占めることを認めることと、現在彼らがやっていることの真実を指摘することは別の次元のことです。もし天皇が犯罪を犯せば、それは天皇の地位と関わりなく指弾されるべきでしょう。これと同じです。

いわゆるイスラエル・シンパの人はここにバイアスがあり、すべて「反ユダヤ」の烙印を押してしまうわけです。これを「思考停止(エポケー)」と言いますが、この精神病理は教祖に対する批判を一切封じるカルト・メンバーの病理と同じです。

BBSにも書きましたが、今後キリストの体はイスラエルというトゲで損傷を受けることになるでしょう。パウロのガラテヤ書の格闘が再現されます。

世界に対する姿勢

BBSにもあったトピだが、どうも聖書のそこそこの知識があり、特に予言解釈などが得意な人々には、人の心の真実を忘れ、世界情勢なども字義通りに当てはめて、評論家的スタンスを取るようになるケースが多い。対していにしえの預言者は政治状況にも積極的に関わり王をいさめ、国を憂えている。

現イラクに関しても、イスラエルの利益との関係でアメリカの行動を正当化し、ブッシュを神が立てた素晴らしい指導者と絶賛する御仁まで出現する。ここにはユダヤ人の選民意識によるプライドとその裏返しのパラノイドを共有する病理が観察される(詳細は「論考」を参照)。知識は人を高ぶらせるとあるとおりである。

ここへ来て、結局私がこれまでに指摘したことがほとんど100%実証されている。一種の病に罹っているが、自分では病識が欠如しており、自分の見方が聖書的であり正しいと主張し続ける。プライドとパラノイドは同じ心の裏表。アメリカは人を治めることの高貴な徳を壊した。

今後、イラクはますます泥沼に陥り、アメリカは主権委譲を急ぐようであるが、彼らが荒らした後の同国は内戦状態に陥ることであろう。かくして再び強大な独裁者が出るまでは収拾がつかなくなるであろう。

****

はちこさんのHPが何者かによって抹消されるという事態に立ち入っているとの御連絡を受けた。彼女の日記は楽しみにしていたので、残念である。しかし一体誰がこんなことをするのであろう。

早急な復旧をお祈りします。

ヴァーチャル化の極致

大学生が家族を殺し、付き合っていた女子高生が殺人予備で逮捕された。お互いにネット上で付き合っていたらしいが、完全にアチラの世界に逝ってしまっている。言っていることが仮想現実的で、家族を殺す動機もよく分からないし、自分たちも共に死ぬことを計画していたようである。

また一方でケータイに夢中になっていて電車に跳ね飛ばされて死亡する人も出ている。彼らはケータイのメールがないと不安で、すでにケータイ依存症になっている。お互いの人間関係をケータイメールの中でのみ確認することができる。ヴァーチャル化の病理はすでに極致に来ている感じ。メンタルヘルスの講義のネタには事欠かないが、予想以上の病状の進行に少々危機感をいだいている。

現実において自らの身の置き所を喪失したある種の人々が、現実から逃避する形のネット上での刹那の逢瀬に人の温もりを感じつつ、互いの傷を癒し合う。何とも寂しい人のあり方である。

冷や汗でした(^^;A

今晩2人の方がバプテスマを受けられた。毎回バプテスマする機会が与えられる度に、内側がとても新鮮にされる。不思議なことであるが、さわやかにされ、新しい息吹の流れを感じる。空気がスーッと澄む感じで、何とも言えない気持ちの良さ。お二人のこれからの歩みが祝福されるように。

で、帰りの道すがら、雨の中、ナビに頼って運転しているとナビが音声で右折を支持したので、広い道に右折で入ってビックリ。何と対向車線に入っていた!進入禁止の標識を見落としたのだ。対向車がパッシングをしながら、クラクションを鳴らしている。一瞬冷や汗だったが、幸い中央分離帯が切れている場所に避難し、正規の車線に戻れた。やれやれ。

夕方、千葉で老人が高速で対向車線を逆走して事故って死亡するニュースを聞き、何を馬鹿なことをしているのだと思ったが、まさか運転歴25年の自分があわやということになろうとは・・・。

ナビはとても便利であるが、これにベッタリ頼るのは危険。信仰の歩みも同じく、人の「預言」だとか、新しい「霊の流れ」などにべったり頼るのはきわめて危険である。聖書という地図の上で、自分で自分の位置を確かめ、内なる御霊の指示に従って、自己責任で歩む必要がある。

主の前に立つ時に、主から「あなたは・・・・?」と聞かれるのである。言い訳は効かない。あなたがたの言葉はしかりか否であるべきだ、それ以外の言葉は悪からくる、とあるとおりである。心の病気や、自分の出自や成育歴、さらにはACだPTSDだと格好の言い訳用語が満ちているニッポンキリスト教界よ、ヨブのように腰に帯を締め、心するように。自戒をこめて。

選挙はどうですか?

私はKFCが一緒に入っている民主党の候補者に入れましたが、みなさんはいかがでしょうか?私はやはり二大政党が拮抗する形を期待しています。

社民はすでに時代遅れ、土井党首まで小選挙区では落ちています。共産党は正義感の塊で、弁護士と医者は共産党がいいですが、政治は任せられません。

実は私はかつてある事件で原告団1000人をもって日本の大銀行や大企業を訴え、8年間戦ったことがあります。このときの弁護団は共産党系でしたが、彼らはすごいですね。徹底的に正義を通します。おかげで数十億を勝ち取る大勝利でした。そのうち証をします。

時代の風の流れは変わりますが、神の言葉は変わりません。私たちは絶対的神主主義の国に生きていますからね。この国では主権在民ではなく、イエスにあります。

バイブルカレッジ−預言者の務め-

もいつのまにか第8回目を迎えた。前回から王と預言者たちを扱っているが、このボリュームを3回でこなすことはかなり無理がある。きわめてきわだったハイライトを扱っているが、預言者のポイントは神に立ち返れとのメッセージであり、王たちはこれを拒み、ついには北王国はBC721年、南はBC586年に滅びるわけである。

今日のペンテ・カリスマ系における預言のミニストリーはほとんどがいかがわしいが、20世紀中庸に用いられたオースティン・スパーククス(ウォッチマン・ニーとも交流があった英国のミニスター)の"Prophetic Ministry"を皆さんに紹介した。

マーレーやこういったクラシック系の書物がほとんど顧みられていない昨今の情勢はきわめて危うい。いろいろな自称「預言者」や「使徒」が現れているが、主は「彼らは勝手なことを語っている」と言われていないだろうか?預言者の特質は大衆からは拒否されるのである。

まことの預言者はけッして人受けすることは語らない。先のアメリカの大リバイバルの「預言」などもきわめて嘘臭いと私は感じている。主は決してそのようなことは言われない!大衆受けするものはたいてい偽りであることはほとんど100%間違いない真理である。