最近の日記

貢君ニッポン

結局ニッポンはイラク復興に1500億円を拠出するようだ。これはEUなどの3倍もありダントツ。一応円借款の形にするらしいが、まだまだ貢君状態は解消されない。私の知り合いのアメリカ研究者によると、ニッポンの政治家がアメリカに招かれると、ほとんど直立不動状態となるそうだ。近々ブッシュも来日するらしい。あの貧相な表情は何とかならないものか。

アメリカが散々壊したあげく、日本の金をつぎ込んで、復興するという構図。さてさて、この金の流れはどこに注ぎ込んでいるのだろうか?答えは明らかであるが、ある有名な金融ジャーナリストですら、その真実(シカケ)を本に書くことができなかったほどである。書いたらまず、ケネディの時のギャリソン地方検事のように、妄想病者扱いされ、人格攻撃によりクレジットを落とされ、ほとんど社会的に抹殺される。

「JapanはATMではない」など、つい口をついて出る言葉にアメリカの無神経さと横暴さの本質がある。この無神経さと横暴さもどこにルーツがあるのだろう?答えは明白。結局日本は主権国家ではないのである(否、させてもらえない)。政治も教界も。お墨付きをアメリカから得なくてはならない始末。このような中でイラクにほとんど丸腰で派遣される自衛隊員とその家族が気の毒である。必ず死者が出ることであろう。

一方であの藤井氏はやはり解任無効の行政訴訟に出るようだ。さらに名誉毀損まで。やれやれ、このような人物が巣くってきた日本の官界の腐敗もそろそろ限度であろう。猪瀬氏が「納豆のようだ」と言っていたが、ホントいい加減にしてほしい。「人は歳を食ったからと言って賢くなるわけではない」と、ヨブ記でもエリフが喝破しているが、まさにそのとおり。この粘りを対アメリカで発揮してくれればよいものを。

ちなみに『文藝春秋』の今月号に鈴木宗男氏のインタビュー記事が出ていたが、彼もある面でやんごとなき外務省の"犠牲者"のようだ。一介の叩き上げのガサツな政治家が、東大出のスマートなエリート官僚に体よくはめられた部分もあるらしい。家族のことを語ると涙でボロボロになる宗男氏に少々感情移入してしまった次第。ミニ田中角栄的色彩もあったが、残念ながら今度の選挙は厳しいだろう。

かくしてニッポン丸は完全に"ある筋"によってはめられている。ヤコブ・モルガンという人物が10年ほど前にUG系の一連の本を書いていたが、そのシナリオが驚くほどに実現している。かつてはUG系、トンデモ系とされていた内容が、ここへきて急速に表に出てきている。歴史は偶然の産物ではない。必ずシカケがある。しかし、自己顕示欲は霊的闇の勢力のひとつの特徴であるから、つい自分を表してしまうのであろう。よくよく目を覚ますべき時代である。

捨てること−サラサラと生きる

ここ1ヶ月ほど家の中の不用品を片付け、大整理をしているが、出ること、出ること、要らないものが。捨てても捨てても・・・。面白いもので、何となく使えるからとか、いつか必要になるかもとか言いつつ、溜め込んであるわけ。人生もこんなものなのでしょうね。溜め込めば溜め込むほど自由が利かなくなるのですが、なぜか溜め込んだ方が安心するような感じがするわけ。

かくして、様々の地位や肩書きを、子供がワッペンをぺたぺた貼るように得たくなるわけです。あるいは自分の教会の教勢がこうなったとか、礼拝堂をいくつ献堂したとか、手柄のご披露となり、散々自分をひけらかして後、ようやく最後に「すべての栄光を主にお返しします」とやるわけ。この言葉をはじめて聞いたときには本当に違和感を覚えました。栄光ははじめから主のものでしょうに。お還しするものではありません。これもニッポンキリスト教の七不思議のひとつ。

軽く、軽く、身軽にシンプルに、淡々と、サラサラと生きたいと願う。生きるのにはそうたくさんの物は要らない。パウロが言うとおり、着る物と食べ物があればそれで十分。この点禅の坊さんなどはすごいものだ。何も持たずこの世に来て、何も持たずに帰っていく。ある禅の高僧は99歳で、「浮世狂言はやめじゃ」と宣言して食べなくなった。高齢では食べないと眠るように逝ってしまう。私はニッポンキリスト教の脂ぎったセンセイたちや、アメリカに洗脳されている原理主義者たちを見ていると、禅僧の淡白さ、サラサラ流れる生き方の方にはるかに惹かれるものである。正法眼蔵を著した天才道元などはその極致である。

あるいはブラザー・ローレンスのような主の前における隠遁的生き方。天の父は人に見えないところでなされたことに豊かに報いて下さる。多くの偉いセンセイたちはその報いを得損なっている。大衆が評価するものはたいてい嘘である。人から評価されない道をあえて選び続けたいものだ。

ブッシュと自殺する兵士たち

イラク派兵の兵士に自殺者が増加(通常の3倍ほど)しているとのこと(BBS参照)。人は意義の感じられないことや自分の良心に逆らうことに対しては心を病むものである。理屈は通っていても、心の真実を偽ることは出来ない。

テレビでも現役兵士がラムズフェルドあたりをもろに批判している場面が放映され、後にその兵士は処分を受けた。また現地の報道でも反米的な新聞などは徹底して取締りを受けている。自由と平等の実現の旗印のもとで行なわれている欺瞞である。すべて人工的なのである。

私は4月の時点で、イラクの国民が自立することはできないと"預言"しておいたが、そのとおりになっている。きょうの日経夕刊でも、ブッシュは自分が責任者であり、イラクには明確なビジョンがあり、必ず復興させると強弁している記事が出ていたが、彼がそのように叫べば叫ぶほど、彼の心の空虚が証明される。

このような指導者を神が立てた素晴らしいリーダーだとリバイバル新聞に書いていた者がいたが、メガネを変える必要があろう。このような指導者の下で自分のしていることの矛盾と無意味さに絶望する若い兵士がこれからも多く出てくることであろう。

近い将来において、ブッシュに対して、神の重い御手の介入があると感じている。

ご説明・・・汗

「馬鹿には話が通じない」という意味は、頭が良い悪いのことではなくですね、例えば物理学者に歴史の話は通じない、また逆も言えるわけですね。この意味の「馬鹿」なのです。

もっと言えば、将棋をするには将棋のルールを知らないとならないわけですが、碁のルールで将棋をするような場面、あるいは「1+1=10」と書いたら、お前は間違っていると叫ぶようなものです。

要するに話の土台が違っている、情報を共有できていないままで、ギロンをケンケンガクガクとなる様を「馬鹿の壁」と言うのですね。よくありますよね(^^)

メガネの話

『唯脳論』で有名な元東大解剖学教授の養老先生が、『馬鹿の壁』で百万部突破のベストセラーとなった。「話せば分かるは嘘である」と喝破した若干毒舌調である。要するに馬鹿には話が通じないと言う。

話が通らないことはクリスチャン同士のケンケンガクガクの様を見ているとなるほどである。なにしろ同じ聖書をはさんで、己が正しい、相手が間違いと延々とやっている。よく疲れないものである。

さらに『逆さメガネ』という本もお書きであり、要するにわれわれが現実を認識する際にはメガネを通して見ているのであり、現実そのものを見ているわけではないのである。私たちの内的世界像は歪んでいる。

ある方とメールのやり取りをしていて意識したのであるが、いわゆる聖書預言解釈なども、これまでの思い込み(ドグマ)をいっぺん御破算にして、新たに先入観無しに御言葉に触れる必要はないのであろうか?私などもどちらかというと「レフトビハインド」系であるが、どうも浅薄に過ぎる印象を覚えている。

映画『ベンハー』の中に、「神意は測りがたい」という台詞があるが、今回ブッシュを褒めちぎった米国原理主義クリもそろそろ現実を否応なしに知るべき時期が来ている。彼らにとってはブッシュの正体とその実態が暴かれることは、まさに天地が逆さになることである。日本が終戦で経験したことも同じである。

実はこれまでかけてきたメガネが逆さだっただけなのであるが・・・。

自由と依存症

★最近の若い子の間ではケータイ依存症が多いようである。ケータイをいつも持ち歩き、メールを交換しつつ、互いの関係を確認し合っていないと不安に襲われるとのこと。若い一人暮らしの女性が寂しさのために出会い系サイトに関わり、犯罪に巻き込まれる。中には高校生で月に7万のケータイ料金となるらしい。

★主婦の間では万引きがそのスリルを味わうと止められなくなるらしい。あるいはパチンコ。男ならばアルコールやタバコ、さらにゴルフにマージャンにフーゾクにと。これらはすでに古典である。

★いずれも心の空洞を埋めようとする切ない営みである。人のぬくもりをケータイという間接的な媒体によらないと確認することができない。否、むしろ現実の付き合いよりもケータイを介した方が安心なのである。一人でいると寂しいが、人と近づきすぎるとトゲで差し合ってしまうジレンマ。これを「ヤマアラシの精神病理」と言う。

★人との距離感を忘れ、自分のアイデンティティの境界が不明瞭になり、他人との間で自分を確認することが困難となり、ついには引きこもりに至る境界性パーソナリティが、特に若い女性の間で増えている。以前に間接化の精神病理(http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing28.html)として少し書いたが、まさに私の予想通りの展開となっている。しかしケータイでは永遠にその空虚を埋めることはできない。

★クリスチャンはひたすらJesus依存になるべきである。神に依存することは他のあらゆることから自由となることである。人を恐れることからの自由、将来への不安からの自由、病や死からの自由。クリスチャンの成長は神依存の度合いによって計測される。まことの精神安定剤は御霊である。神依存と自由は比例する。自由、自由、自由。しかしその自由をあえて主張せず、キリストにあって制限することも出来る自由である。

"Not I, but Christ" −ここに鍵がある!

ケネディの暗殺の真実

今晩のたけしのドキュメンタリーは面白かった。ケネディ暗殺の疑問点を洗っていたが、結局オズワルドによる単独説はほとんど崩れています。

@ザプルーダーフィルムに6コマ抜けがあること。これはFBIに預けた段階で細工されたもの。

A警察無線による銃声は5発。しかも3種類の銃の音。フィルムの6コマの抜けの間に4,5発目が発射され、4発目が致命傷を与える。

Bウォーレン委員会の報告書の「くねくね曲がる銃弾」の嘘はすでに明らか。

C当日のパレードコースをあえて中央通からエルム通りに変えた点。これができるのはダラス市長であり、彼はケネディにより罷免されたCIA長官の弟。この長官は後にウォーレン委員会の一員となる。

Dその後証人たち32人が不審死をとげている。

などなど。

以上の点について、失われた6コマが見つかり、銃声の録音と映像を照合していた。しかしこれらの点はすでにオリバーストーンの映画「JFK」や、その原作ギャリソン地方検事の本などでも指摘されていたので、新しい推理はないが、その推理を実証する点できわめて興味深い。

黒幕はCIAおよび軍産複合体。この陰謀の構図はその後のアメリカの体質を決めている。かくして9・11テロすらも陰謀の可能性を秘め、今日に至るアフガン、イラク戦に続く伏線となる。

自由と平等の理想国家の暗部はきわめて暗く、また深いものがあるようです。しかし今後神はこれらのことを明るみに出すでしょう。

教界においても、アメリカ発の新しい霊の流れみたいなものにはよほどの注意と吟味が必要でしょう。黄色いバナナにならないようにしないとなりません。アメリカ英語の本を何冊読んだかで牧師の品定めをするような傾向は、ニッポンキリスト教の霊性の浅薄さを証明しています。

ケネディ関係の資料はこちらをどうぞ。
http://www.maedafamily.com/

最近不思議なこと

コンビニなどで勘定をする際、おつりをもらうために手を出すと、若い女性店員が、差し出した小生の手の平を上と下から包むようにしてつり銭を渡してくれた。最近しばしば遭遇するのであるが、はじめは驚いた。おいおい、僕の手を何で握るの!?と。これって何なのでしょう?コンビニの接客マニュアルにあるのでしょうか?しかし今日やはりコンビニで、オジサン店員に同じように上と下から手を握られて、ちとキモイでした・・・(汗)

世の中には不思議なことが流行するものです。若者のファッションも何となく70年代風、また店のBGMやCMで流れる曲も60,70年代、われわれが深夜放送に目覚めた頃の曲ですね。糸居ゴローのオールナイトニッポンや城達也のジェットストリームなど。あの将来右肩上がりの時代に青春を送ったわれわれの年代がプロデューサーやディレクターになっているからでしょう。

バブル絶頂期には東大の工学部の20%が金融系に就職したものですが、中には山一に行った者もいるでしょう、彼らは今ごろどうしているのでしょう・・・。目先を追いかけないことです。世と世のものは過ぎ去る、しかし神の言葉は永遠に立つ、とあるとおりです。

やっぱりですね

う〜ん、やっぱりですね。唐沢寿明と江口洋介ではカルイ。要するにニオイがないのですね。田宮二郎には体臭と皮脂油がありました。濃いオーディコロンがプンプン臭う感じで。まあ、新しいドラマとして見ればいいのでしょう。

最近の役者は体臭がなく、存在感が薄いところを、オーバーアクションでごまかそうとするために、滑稽になるわけです。クリスチャンも、同じように、臨在をただようわすのではなく、賜物や金歯・金粉の現象の追求に走っているので、浅薄になります。臨在感を伴う存在感、これを求めたいです。

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駿台での講義の為に朝10時に車で出たときの話。交差点で右折をしようと真ん中に入ったところで、なんとガス欠。車が新しいので、ガスメーターの感覚がないため。焦りましたね。警察を呼び、JAFに電話して待つがなかなか来ない。そこでペットボトルを持って近くにGSに走り、500ccだけ補充して、かろうじて脱出。冷や汗ものでした。

ところが夜9時過ぎに駐車場から出ようとすると、またガス欠。500ccあれば4,5キロは走れると計算していたのですが、タンクの中で気化してしまったようです。またまたGSに走り、今度は5リットルタンクを借りて、ようやく帰路につきました。走りましたね、冷や汗をかきながら・・・。やれやれ。

ちなみに、車はFORDトーラスからエスケープに乗り換えました。わが家は私より大きい子供が2人もいるので、国産車では小さいのですね。

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世界史の先生と話していると、彼いわく、「イラクでは独裁でないと、彼らはやっていけないのですよ。とても自主独立などできません。独裁を壊す前に、なぜ独裁が起きてきたのか、そこを考えていないので、アメリカはド壷にはまっています。それにしても、日本はATMではない(これまではそう思っていたわけですね)、などという発言は彼らの横暴さと無神経さを証明していますね。彼らはアホですよ。」まったくもってそのとおり。

しかしクリスチャンでも「主義」にはまっている人はかえってこのような視点はなくなり、事が見えなくなる。ややこしい預言解釈論争や政治思想論争に落ちてしまう。「教条」にはめ込んだ見方しかできなくなるためである。自然の感情や、自然の感受性を大事にしたいと感じている。

白い巨塔

日記を朝書くのも変ですが(もっとも私はすでに自分の墓を用意していますが^^)、今晩から山崎豊子の「白い巨塔」が始まる。77年に田宮二郎主演による同ドラマに吸い込まれた私としては、唐沢寿明では田宮二郎を超えることはできないだろうと思いつつも、少しは期待している。

山崎豊子は中国残留孤児を描いた「大地の子」や、日航機墜落事件を物語にした「沈まぬ太陽」でもそうであったが、徹底した取材と客観的にして理論的な文章で、真実を記述する。その筆遣いはある種の解剖学者による病理解剖のような印象がある。

大学病院の裏を暴くドラマであるが、財前教授の野心に脂ぎった様は唐沢寿明(淡白・平板すぎる)ではちょっと演じ切れないであろう。この野心に反して、母親を思う単純な子供っぽい部分に彼が単なる悪役ではなく、こちらも感情移入してしまうわけだが、昨今の内視鏡手術の実態から見て、医学部の古い体質はまだまだ健在である。

一方で私はニッポンキリスト教の有様は、大学医学部の医局のそれととてもよく似ている印象を持っている。・・・っと、時間です。

続きはまた後ほど・・・

補遺

で、元組長さんの件はそれからどうしたのですか、とご質問をいただきましたが、これ以上は守秘義務もありますので、ここまで。日本には「あなたの知らない世界」がまだまだいっぱいあるということですね。

高度成長期に高速道路などの社会インフラを作り、用がなくなるとポイ捨てされた人たちが寿町にはたくさんいます。この頂点に例の藤井総裁などもいたわけです。搾取の構図です。おっちゃんたちはダンボール箱の中で世を観察しています。日本を実によく知っています。

年金制度も40%以上の確率で崩壊するなどの予測も出るほどにこの国は心が貧しいのです。中心にある価値観は「I, My, Me, Mine」の「自分」だけです。アメリカによって人工的に移植された「自由と平等」の成果です。

タコ部屋の真実

山梨のゴルフ場で3人の遺体が発見された。日雇い労働者で飯場で働いていた人であろう。寿町にいた頃この手の話はよく聞いた。山奥のダム建設現場などでは、田舎から夜逃げしてきたような人々を拘束して(これをタコ部屋という)、体力が弱くなったら生きているうちに埋めてしまうこともあったという。

ゼネコンが仮に10万/日の仕事を請けると、下請け、孫請け、ひ孫請けと回し、その間にサヤを抜いて、一番下の日雇いの人には1,000円となる仕掛け。間は文書を回すだけで何もしないで分け前に与る。日本社会の象徴である。

タコ部屋に一人売ると50万ほどが相場。上野駅で東北から家出してくる少女を風俗に売ると一人100万円だそうである。こういう人たちを手配師という。要するに人身売買である。悔い改めたある元手配師のオッチャンは若い頃400万/月の収入があり、かなり羽振りがよかったらしい。

ちなみに、寿町でイエスを受け入れた元ヤクザの組長が真顔になって告白した、「先生、実は、むかし、自分は人を一人やっちまって、○○に埋めたままなんだよ。どうすりゃいいのかね」・・・彼は今ヤクがらみの別件で服役している。

「○○主義者」の意味

わたしが「○○主義者」と呼ぶ時の定義を少し与えておきたい。単純に言えば、ある対象について黒を黒、白を白と言わない(言いたくない)人々を、わたしはその対象に関して「○○主義者」と呼んでいる。

例えば昨今のアメリカの所業に対して、アメリカの批判をするとする。これは黒を黒とすることであり、別にアメリカが嫌いで言っているわけではない。しかしアメリカの現在の所業には反対である。これがアメリカに対してニュートラルな人々の正常な反応である。

対して、このような批判をした場合、ただちにアメリカ全体に対して「アンチ」であるとのレッテルを貼る傾向のある人々、あるいはアメリカの所業についての判断をしたくない人々を「アメリカ主義者」と言う。彼らはアメリカに対する客観的な批判精神を失っている。

これは一般にカルトにおいて観察される病理である。カルトではその教祖を批判することはただちにそのカルト全体に対してアンチであり、反逆者あるいは迫害者とのレッテルが貼られる。教祖に関する限り、思考停止(エポケー)に陥るわけである。

また今回イスラエルがシリアに空爆を加えたが、このような所業は普通の精神と感受性を持っている人は、批判的な反応をするはずである。しかしイスラエル主義者は「当然のこと」あるいは「批判は避ける」、もっと深刻な場合、「価値判断を留保する」となる。エポケーに陥っている。

イスラエルの聖書的な経綸上の独自性と役割を認めることと、彼らの現在の所業の判断とは別の判断カテゴリーに属することである。これをいっしょくたにして、イスラエルの所業を批判する人々を「反ユダヤ」とすることはすでにカルトの病理を呈している証拠である。

実はこのような反応はすべてある種の霊と精神病理によって起きている。イスラエル主義者から受ける印象はある一定の傾向があり、またパレスティナ支持者から受ける印象もある一定の傾向がある。表向きの思想性は実は本質ではなく、すでに述べたように、あの地の問題は霊的要素の絡んだ精神病理的現象なのである。政治のレベルでは決して解けない問題である。

記録です・・・(結局253ヒットでした)

これを書いている20:31現在で、アクセス数が214ヒットありました。裏で密かに(^^)アクセスの統計を取っているのですが、これは記録です。かつてこのページを徒然なるままに立ち上げた頃は、カウンタがちっとも動かなくて、自分でカチカチやっていたのですね^^(100位までは頑張りましたが・・・)

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ついにイスラエルがシリアに爆撃しましたね。アメリカは例によってイスラエル支持です。以前から次はシリアとBBSでも書いてきましたが、いやはや実際にそうなろうとは。イスラエルもパラノイドの極致に達しそうです。

中東の情勢は、実は政治問題もなく、宗教問題でもなく、精神病理的問題なのです。だれがこれを鮮やかに解くのでしょう。多分、政治家と言うよりは、人の心をつかむことに長けている魅力的な人物でしょう。そう666の登場です。サタンは光の天使にマスカレードします。

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パソコンを組み立てているのですが、やれやれ、パーツの相性が悪くて、スイッチを入れてもbiosが立ち上がりません。自作機は初めてスイッチを入れる瞬間のスリルがたまらないのですが、う〜む、どこが問題か、しばらく頭に引っかかります。わたしはなるべく物を考えたくないので、頭にひっかかる事を避けているのですが、ちとうっとうしい。

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それにしてもあの藤井総裁と言うお人も大した御仁ですね。この期に及んで、ボンボン若造大臣の辞職勧告を受けることなど、タタキ上げ薩摩隼人のプライドが許さんと言うわけでしょう(下手すると解任の無効確認訴訟を起こしかねませんよ)まさにテーコー勢力。この手の人物が東大から局長で、官庁を支配していたわけですからね。日本の諸悪の元凶でしょう。(小さな声で)ところでニッポンキリスト教界にはこの手のセンセイは(^ ^;?・・・大丈夫でしょうか?