最近の日記

婚約式がつつがなく終わりました

イラクのことは私たちが真剣に祈る必要があります。今日の田原さんの番組で、チェイニーがイラクの核購入疑惑において偽りの報告をなし、かつ自分が役員をしている石油関連企業において、国防省経由で莫大な利益を得ているそうです。すでに告発もされているようです。今後イラクはますます混乱するでしょう。地に落ちていますね、自由と平等の理想の国アメリカも。怒るべきです!

・・・と言うような話はもういい加減うんざりですが、今日は新鮮な若いカップルの新しい出発の約束がなされました。結婚の奥義は偉大である。私たち老(?)夫婦も新鮮な思いにされました。結婚の本質はひとつにあります。私たちも唯一の男子キリストに嫁ぐ身です。否、霊的には私たちはすでに夫婦であり、キリストと私たちはひとつの霊にされています。キリストとくびきを共にする者、キリストの内にとどまること−ただ感謝です。

あなたの大庭にいて、あなたの魅力を知り尽くすこと、あなたの庭にいる1日は千日に優るとあるとおりです。たっぷりとイエスの要素が沁み込んだ、味わいのあるおいしいクリスチャンになることを願いますね。

いろいろ・・・

バイブルカレッジの4回目。ヨセフ→モーセ→ヨシュアの予定がヨシュアまでいけなかった。ひじょうに味わいのある部分で、話しているうちについ深入りをする。ヨシュアは来週に。

あす新しい主にある家庭の婚約式。結婚の奥義は深い。聖書は結婚に始まり、結婚に終わる。共に主の恵みを受け継ぐこと、家庭が祝福されることは教会の祝福につながり、キリストの体の豊かさを証しする。

私たちも8月28日に21年目を迎えたが、あまり古びた感じはしていない。のろけではないが、今でも新鮮であり、気分はあの当時と変わっていない。外見はそれなりに、子供たちは大きくなってしまったが・・・。しかし味わいは深くなる。互いの存在をいつくしみ、互いを楽しむこと−キリストと教会の関係である。公園のベンチに黙ったまま座っている、絵になる老夫婦を夢見ている。

右脳と左脳

★このコーナーもみなさんに結構ご覧いただけているようで、KFCサイトのアクセス数も180ヒット/日位になってきている。感謝なことである。私の日記だけではあまり面白みもないので、いくらかでも役に立つ記事をと考えているが、今日は大脳生理のお話をちょっと。

★かつて当時東京医科歯科大学の角田先生が聴覚刺激反応を見ることによって、右脳と左脳の働きを分離することに成功した。つまり被験者がどちらの脳を用いているかが分かるのである。文化なども実はこの脳の使い方で決まるらしい。例えば−

★日本人は秋の夜、虫の音を聞いて、秋を感じ、風流を覚える。ところが西欧人は虫の音は単なるノイズであって、何らの情緒も生まない。実はこのとき、日本人は右脳で聞いており、ガイジンは左で聴いている。右は感性やイメージを生み、左は言語による理屈の世界である。かくしてガイジンには虫の音は意味のないノイズと化す。

★また月齢と関連して、右脳と左脳が切り替わることもあるらしい。案外狼男などもこのあたりに根拠があるかもしれない。

★クラシック音楽も音符の読める人は左脳で聴き、私のような音痴は右脳で聞いている。よって前者の人にはクラシックは必ずしも安らぎにならないらしい。この点、何の音楽の資質もない私はクラシックを楽しめるので幸いである(ヴァイオリン曲が好きなのです)。

★そして、どの分野にせよ、天才はしばしば右脳が発達している。数学や物理なども計算ではなく、イメージで解いてしまう。「数学は情緒である」といわれる所以である。

★昨今のアメリカの所業は表向き理屈を通してはいるが、現実はボロボロ。また米国原理主義者の発言も理知的ではあり、また"聖書的"かも知れないが、血肉の温かみがなく、人の心の琴線に触れない。今後彼らは理屈の通った論理を振り回しつつ、何でもありの世界に走ることも十分にあり得る。典型的左脳型行動パタン。

★私は政治論争や聖書解釈論争に口角泡を飛ばしているクリスチャンたちの脳波をぜひ測定してみたいと思っている。また角田先生の方法によって、彼らがどちらの脳を使っているか調べてみたいものだ。表向きの主義主張などがいかに表層のものに過ぎないかは、脳の機能を見てやれば一発で証明されてしまう。

・・・文化や思想などは大脳生理の表現に過ぎないからである。

アフガンの現状

田中宇氏がまた興味深いレポートをしています。アフガンにおけるタリバンに関するものです。アメリカの政策がいかに自分本位であり、自己矛盾しているかが分かります:

「タリバンの復活」
http://tanakanews.com/d1001afghanistan.htm

9・11テロではパキスタン政府からテロに金が流れていたようですがタリバンはアメリカとパキスタン政府が作り上げたものです。お分かりになりますか、この構図。「ヤラセ」です。

ヴァーチャル化の病理

■また今晩、サリン事件で活躍した医師や、完全犯罪を暴いた医師のドキュメンタリがあった。トリカブト殺人事件のことが取り上げられていたが、ここでも鍵は「何かおかしい」というカンであった。このカンによって30ccの血液を採取したことが決定打となった。

■またイラクの混乱もレポートされていた。失業者数が7割、警察への攻撃や米兵への攻撃がますますひどくなっている。すでに戦争終結宣言をしてからの方が、戦争中よりも米兵の死亡者数が多くなるという有様。

■米国原理主義者の価値観の中心にはイスラエルがある。彼らにとってイスラエルの利益にかなうことは善であり、損なうことは悪である。この時点ですでにある種の聖書預言解釈システムの刷り込みによるヴァーチャル化が進行しており、彼らにはイラクの現状は見えなくなる。その感受性もどこかフツウとはずれ、その発言も一種のヒステリ症状を呈する。そして本人はそのことに気がつかない。つまり自分は絶対に正しいとなる。病識の欠如は深刻な心の病の兆候である。

■カルト化している兆候である。よって対話は決して成立しない。自分と意見の合わない相手をこき下ろすだけになる。例えばイスラエル主義者による次の論考などを読まれてどのような印象をもたられるでしょうか?

「イラク攻撃を支持する声明文」
http://members.jcom.home.ne.jp/i-kawag/index.html/wariniraq.htm

自由と民主主義を守るべしということらしいが、仮に言っていることは正しいとしても、私はある種の違和感を覚える。もしこのような主張を持った人々が政治権力についたとしたら、彼らに任せるどころか、少々こわい。

■神は御自身の聖に逆らって、ブッシュなどを建てることはなさらない。ブッシュが純粋なクリスチャンであると考えているならば大きな誤りである。彼は「スカル&ボーンズ」というオカルト組織のメンバーでもあることはすでによく知られている。オサマ・ビンラディンとの裏の関係も、彼らの石油ビジネスの歴史を調べれば分かる。

■「思い込み」を英語でspeculationというが、ダビデは詩篇において、「自分をspeculationの罪から守ってください」と祈っている。この祈りが今こそ必要であろう。

直感と論理

きょう研究室のPC(アシュロン)のCPUを焼いてしまった。クーラーをはずしたままONすると、あっという間にやばいニオイがしてアウト。指で触るとチンチン状態。アシュロンは発熱がすごいのを実感したが、後の祭り。さてさて、また出費だよ。

          *   *   *   *

リバイバル新聞の論説に「美しい霊的感受性」と題して書いたが、数学者の藤原氏や岡潔氏が言うように、論理の積み重ねの出発点にあるのは、情緒あるいは直感である。「どこか変」といった違和感や、「だいじょうぶ」と言ったシックリ感。これを間違えると後は「論理の虚構」となる。

私は時に人の運命が「分かる」ことがある。例えば逸見正孝氏がフジテレビを独立した時、私は家族に言った、「これで彼は自分の身を滅ぼすよ」と。またタケシがバイク事故(最近の彼の本では自殺企図だったと告白しているが)の1年前、やはり家族に話した、「彼は自殺するかも」と。事が起きてから家族に、「パパ、どうして分かったの?」と問われたが、理由を聞かれても分からない、ただ「分かるから分かる」としか言えないのである。

今晩、犯罪捜査における法医学者や交通事故鑑定人のノンフィクションをやっていたが、これらの人々が証拠と論理を積み重ねる契機となるのは、カンである。犯罪現場を見て、たとえ事故と判断がなされても、「おかしい」と感じるところからすべてが始まる。あとは客観的な事実とそれらを線で結ぶ論理の勝負である。

今も自衛官の"自殺"事件において不審をいだいた家族が警察と対決しているが、警察も一度出発点を"自殺"にした以上、それに合致しない証拠はあくまでもすべてつぶしているようである。

今回、Time誌でも、さすがにブッシュの愚かな「論理」に対して「どこが間違ったのか」という特集を組んでいたが、さすがの愛国心の塊で愚鈍なアメリカ人もようやく気がつき始めている。その出発点がすでにおかしかった、と。

ちなみに私のところのご婦人がアメリカのある大きな教会に行ったところ、星条旗を皆でかかえてチャペルをぐるぐる回りつつ、むせび泣く光景を目にして異様だったと言ってましたね。

イスラエル主義者によるブッシュ礼賛記事の筆者や、ブッシュは神が建てた素晴らしいリーダーであると絶叫していた米国型原理主義牧師たちは、現在どのように感じている(考えている、ではなく)のだろうか?これ以上の偽りを重ねるべきではないと私は警告したい。

注:(このような注を与えなくてはならないのがこの問題の病理性を証明しているが)
私は「反ユダヤ」あるいは「反イスラエル」ではありません。イスラエルには実際に訪れてある種の親密感を覚えていますし、神のエコノミーにおける経綸的選びにある彼らの役割を知っていますし、彼らの救い(本質的選びへの転機)を真に願うものです。あえて言えば「反"イスラエル主義"」でしょうか。BBS(消えてしまいましたが)に書いた「メタの病理」によります。ガンジーが「イエスは好きじゃが、キリスト教徒は嫌いじゃ」と言ったそうですが、これと同じですね。

リバイバルの条件

クリスチャン系のBBSを見ていると、いわゆる自称"預言者"の預言がはずれたとか、当たったとかのギロンが盛んになされている。ある有名な"預言者"のサイトには、新約の預言は的中率は15%から60%だとある。私はこの手の話は率直に言って、アホらしい。預言の意味がほとんど見当外れである。日本にいつリバイバルが起こるとか、起こらないとか・・・幼稚である。

預言については
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/prophecy.html

クリスチャンは一体何を求める人々であろうか?自分が何を求めているのか、よくよく自分の心を探っていただく必要がある。MSGでも話したが、R佼成会が新聞を入れてくださるのだが、内容はほとんど教界の新聞と同じである。聖会が盛会だったとか、動員数がどうのか、自分の教会の教勢がどうのとか、本がベストセラーになったとか・・・。霊性の浅さを証明しているに過ぎない。

クリスチャンは何を求めるのか。このポイントがずれている限り、いわゆるリバイバルは起こらないし、そもそもリバイバルは地震のように「来る」ものでもない。預言があったから、いつ来るか、いつ来るか、これでは占いと同じだ。私たちの心を占めるものが何か、ここに鍵がある。現在の教界の霊的雰囲気を見るときに、クリスチャン自身が真の霊的覚醒を得る必要があろう。

サーバがおかしい・・・・

日曜日夜に突如@kingdomfellowship.comドメインのメールサーバがおかしなメッセージを出し、メールの送受信ができなくなりました。かと思うと、アクセスログが真っ白になったり、BBSにカキコしようとしたところ、ログが全部飛んでしまいました。せっかくのカキコを飛ばしてしまってすみません。「げすとぶっく」とこのページには手をつけませんでしたので、ログが助かっています。何が起きたのだろうか?

急遽、再びサーバを私のPC内に立ち上げて、今そこから発信しています。ですから、みなさんは私のPC内を覗いている(ウン、言い方がアブナイ?)わけです(笑)。cgiは何とか復旧しましたので、次はメールサーバの立ち上げです。もしオンライン注文をされた方や、メールを下さった方がおられましたら、再度お願い致します。

教会の方ではバプテスマを受ける方が続き、また主にある新しい家庭が誕生することになった。次回のセレブレーションで婚約式を行なう予定。小生もちょっと結婚の時の写真を引っ張り出したところ、いやはや、若い!20年前だからなあ〜、と家内としみじみ・・・、「思えば遠くへ来たもんだ」とちょっと感傷的にため息でした。

世相二題

<<その1>>
かの詫間被告が控訴を自ら拒否し、一審で死刑判決確定という異例の結末を迎えた。小生もこの事件は初期に論考を書いているので、ずっと関心を持ってきたが、詫間被告には人格異常の部分とその自分を拒否してきた世間に対する憎悪、そしてその恨みを自らの方法で晴らし、その結果は自ら背負うというある種の確固とした覚悟が感じられる。「無駄には生きたくない」という彼の言葉がすべてを証明している。小生の論考は次を参照:http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Osakajiken.html

他者と自己を破壊するある種の霊の働きを受けているかもしれない。いたいけな被害者家族の心情は察して余りあるが、このような加害者を生み出してしまった社会に対してもある種の憤りを禁じ得ない。同質社会の中で浮き上がった者は敗者復活戦すら許されなくなる。詫間被告の内面性を思うとき、何か哀れを感じる結末ではある。最後の悔い改めの機会が備えられることはないのであろうか?

<<その2>>
慈恵医大の若い外科医が功績を上げるためにマニュアルを見ながら慣れないオペをし、患者を出血多量で死に至らしめる事件が起きた。

これは世間の人には驚くべきこと、信じらないことであろうが、医学の裏を少々知っている私からすると、さもありなん、と思うことである。私が学生の頃、東大の脳研の教授が精神病患者の脳を使って実験していたことで辞職した。野心がムラムラと燃える場面に置かれた時、医者はそれを抑えられなくなる。

今回の例は多分に氷山の一角である。裏には金も動くし、選挙の票も動く。みなさん、医者をただ信じて、あなた任せは止めた方がよろしい。必ずセコンドオピニオンをつけ、二股かけることです。

(陰の声:う〜ん、でもこれは牧師についても言えるかな?)

ちなみに、かつて名医の定評高い東大内科の沖中教授が退官するとき、自分の生涯誤診率を15%と公表した。すると素人はこれを「何と多いのだ」と驚き、専門家は「さすが沖中教授、何と低いこと」と言ったそうである。分かります、この感じ方の差!?

バプテスマの意義

このところバプテスマを受ける人が連続した。ニッポンキリスト教ではしばしばバプテスマを受けるまでに長い研修期間があったり、信仰の品定めをされたりと、なかなか大変なことらしい。またクリスマスとかイースターとかに行なうのが多くの慣例であるらしい。

しかし聖書はどう言っているか。使徒行伝にピリポがエジプトの宦官に福音を伝えた場面にはこうある:

 8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たの
 で、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私
 がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるで
 しょうか。」
 8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中
 へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。

ピリポの時にはクリスマスもイースターもなかった!救いは「今」が勝負である。その人の内に真に信仰があるかないかは、私たちの霊で判断できる。研修期間を設けたり、身元調査をしなくとも、私たちの霊は相手の霊の真実を見抜くことができる。

ポイントは霊的実際があるか否か。バプテスマには大きく次の3つの霊的意義がある−@キリストの死と復活に包括される(ローマ6:3-4)、Aキリストの体の一部とされる(1コリント12:13)、B公の証し(1ペテロ3:21)。知識を積むことではなく、この実際に入ることが鍵である。

日本にはイエスを求める人は多いのだが、教会が敷居を高くして、人々を遠ざけているようである。

首が回らない!

>>数日前ストレッチの際、前に痛めた右の僧帽筋に痛みを覚えた。「ヤバイ」と感じたが後の祭り。また痛めてしまった。こうなると右の首筋から肩甲骨の上辺りまで痛み、首が回らなくなる。いやはや、普段は自分の頭の重さなどは意識しないものだが、これが実に重い。特に寝返りを打つ時には、自分の頭を手で支えつつ、体を動かさないとならない始末。

>>普段意識されないものが意識される時はどこかに異常がある。私たちは普段は内臓の感覚は意識されていない。心臓は勝手に動き、胃腸は勝手に消化し、腎臓は勝手に尿をつくり・・・と。ヒポコンドリの患者さんはこれがすべて意識されるようになる。こうして自分の体に注意を集中し、かえって自律神経系の働きを損なう。

>>いのちの特質のひとつは自動性にある。いのちが自分を意識するとき、たいていはどこかがおかしい。WWJDと称してキリストっぽく生きる努力や聖化される努力をするクリスチャンはたいていこの自動性が損なわれており、いのちの法則に逆らった不自然さが見られる。

>>そのうちにある人々はクルシチャン(苦しちゃん)となるが、彼らは幸いである。むしろそれが自力で"できて"しまうクルシチャンは、なまじ"できて"いるがために自分の不自然さに気がつかず、かくしてしばしば偽善に陥る。ある牧師が礼拝を欠席した人に対して、「自分は40年間ただの一度も礼拝を欠席したことがない!」と豪語しておられたが、ここにあるものは肉の努力と臭さだけである。

>>できないことを知る人は幸いである。クリスチャンの歩みは難しいのではなく、元々不可能なのである。神は私たちに不可能なことを求めておられる。よって、自分にはできないことを知ることが実は真のキリストの力の発見と自由への第一歩である。このときすべてはいのちの御霊の法則により、自動的になされるようになる。自分がなしていることすら意識されない。当たり前が当たり前であり、私の意識と離れて無意識になされる、これが真の信仰の行為であり、そこには自己の何かを誇りたくなる要素は微塵もない。

後期の開始が近づきました

あさってから大学の後期が開始。また忙しい日々になる。大学と予備校とバイブルカレッジと主日セレブレーションと、けっきょく3ヶ月間休日はまったくなくなるわけ。これが12月中旬まで続く。回転し出すとさほどの苦もないのであるが、開始の直前はやはり少々気が重い。12月下旬の温泉をニンジンとしてぶら下げて、さあ、行ってみようか!

・・・しかしこう考えると、1年は実に短い・・・。

ちなみに次女は10月の国体に向けて、バスケの練習で早朝から遅くまで、月月火水木金金の日々。選手になるような子は、フツウ幼少時より親が特訓して国体選手となるらしく、両手を使うために箸を左手で食事中も訓練するという。対してうちはある意味ほったらかし。次女もさっそく真似ているが、やれやれ、実に敬服する次第。

休日出勤はつらいよ

▼今日は何の日でお休みだったか忘れておりますが、小生は大学に出勤でした。いわゆるAO入試の試験監督と面接官のお役目なのですね。自分の子供とほとんど同じ世代の生徒を相手にしているわけですが、もう20年近くこの世代を定点観測しています。この層はある意味で世相の病理をもっとも敏感に反映しているので、彼らを見ていると日本の10年後、20年後が予想できてしまうのです。

▼徒然にも書きましたが、彼らのアンテナの短いこと、短いこと、ほんの数十センチの領域しか問題意識が届いていません。自分の世界だけですね。よって面接をするにも、会話が成立しないのです(汗)相手は一応緊張している上に、面接のマニュアルどおりの事を語るのですが、ちょっと別の角度から責めるともうダメ。

▼今の日本は自分が価値観のすべて。年金も自分がもらえないだろうからとして、基礎年金の未払込率が40%を超える社会の将来は寒いものがあります。森さんもうっかり口を滑らせて怒られていましたが(言い方はともかく、内容は正論ですよ)、女性たちも自分の人生を楽しむと称して子供を産まない。人々は人権を口実にして、自分、自分、自分の世界観。かくして人口は2025年あたりから減り始めますが、大学ばかりでなく、国の存亡に関わります。

▼子供や家族、さらには人のため、そしてもちろんキリストのために自分を無駄に注ぎ出すこと、これはもっとも深い祝福です、が、このような事が無意味なことのように思われている社会の未来はちょっとさむいですね。

ブッシュの言い訳

ブッシュはあくまでもイラク戦は正しかったと言い張っているようですね。人は面白いもので、自分の良心と自分の行為がひとつであれば、あえて自分のしていることが正しいとは主張する必要はありません。彼の霊性の浅薄さは論じるまでもありませんが、むしろこれからのブッシュ自身の神の前でのあり方が心配ですね。彼はすでに霊的には一線を越えていますし、嘘の塗り固めで墓穴を掘ることでしょう。

串田さんの地震予知は、結局千葉のM5.5を予知していたのですが、これまでにない波形パタンでその大きさを推定し損なったと謝罪がなされていました。この方はブッシュに比べてはるかに真摯な方ですね。私は感じるのですが、自称クリスチャンよりも、よほど世の中には真摯で誠実な方が多いですよ。