最近の日記

カウントダウン1日

本日は駿台で6コマの講義。午前はお茶の水。午後は横浜。大学よりもはるかにテンションを上げますので、けっこうキツイ。その分、そこそこいただいておりますので、それに見合った仕事をしないとね。

二人の娘も、また今、息子がお世話になっとりますので、親の気持ちも分かるわけです。先生たちで、それぞれの専門に応じてお互いに、「子供をよろしく」と預け合うのです。学費も師弟割り引きもあり、助かります。まあ、あと10年は、と思っております。

今風呂で汗を流して、ビールを飲んで、ホッと抜けたところです。さあて、休日まで、カウントダウン、あと1日。土曜日をどうするか、カミさんと食事と映画を楽しもうかと、少々ワクワクしております。

(株が軟調な地合い。こういった時は、ジッとガマン・・・)

中国の本音

今回の中国の行動は、ギリギリのところでなされたようで、「非礼だ」との批判を覚悟の上でのことゆえ、相当に深いものがある。

一方、小泉氏は「キャンセルしたの私ではありませんから、本人に聞いてください。挑発なんかしても効き目がありません」と言った発言をしているが、このような木で鼻をくくった態度を示すほどに、将来に深い禍根を残す。当面は彼一流の口先八兆で乗り切れたとしても、その後がどうもあぶなかっしい、と感じるは私だけであろうか?

中国やロシアみたいな国を本当に怒らせたら、相当にコワイことになる。相手を自分と同じまともな者と先入観を持って追い詰める(その意識はなくとも)ととんでもないことになる(私の失敗の経験からも自戒を込めて・・・)。彼らについてはある種(パラノイド)の病者として接するべきと私は思っている。

自分の主義主張を貫くのは結構だが、そもそも本人が何だか子供っぽいし、病的な相手の本音が読めない不気味さを感じるのだ。

対中関係のバランスが崩れたりする時、北から本当に核ミサイルが飛んでくることもないとは言えないだろう。とにかく相手はまともではないのだ!

(休日へのカウントダウン・・・あと3日・・・)

クリスチャンが政権を取ると・・・

小泉さんの独走態勢が目立ってきていますが、ではクリスチャンが政権を取って運営すれば、すばらしい国家運営ができるだろうか、とご質問をいただきました。結論から言いますと、NO!です。私自身は正直言って、クリスチャンの政権などはコワイです。アメリカのい福音派を見れば分かりますよね、集団ヒステリー化しています。

考えてください、神学オツムや、金縛りを悪霊のせいにする先生や、紅貧みたいな人の油注ぎに与って忽然としている人たちが政治を行う様を。あるいはニッポン中がそのような人物の周りに群がる様を。相当に無気味だと思うのですが、業界にだけいるとその違和感に対しても無感覚になってしまうようです。

政治はフツーの人が野心に燃え、自分の名誉と面子のために、また金のために、そして最後に国民のためになして下さる方がはるかに健全なのです。具体的には田中角栄氏の手法が現実的ですね。民主党はキレイキレイで実質がありません。

"民主主義"による独裁

やれやれ、どうもキリスト教業界は疲れます。私はますます教界から逃げ出して、山に篭りたくなりますね^^。まあ、疲れることはなるべくしたくないのですね。

 * * *

小泉氏の強硬姿勢にはちょっとアブなさを覚えてきました。靖国参拝に他国からとやかく言われる筋合いはないとして、中国の副首相との会談が流れ、郵政問題では審議拒否する野党は無視せよ、と。

彼のやり方を一言で言えば、要するに当初に過半数を取れていれば、議論の必要なしと言うこと。ポピュリズムに頼った形式的民主主義による独裁ですね。ある種の偏狭な妄想確信的な頑なさがあります。さて、さて、ニッポン丸の明日はどっちだ?

「ポピュリズム」については→
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/Jews&Japas4.html

(本音:休日までのカウントダウン・・・あと4日・・・)

長期・中期・短期の目標

クリスチャン生活はマラソンのようなもの。

・長期的には主の再臨を待ち望む。
・中期的には自分の人生の後半に備える。
・短期的には夏休み。

で、極短期的には、今週の土曜日、5週間ぶりに休みが取れる。あと一歩だ・・・。

時代の断絶A

最近の小学生は水道のひねる蛇口の扱い方を知らないらしい。今はほとんどがレバー。で、ひねる手の動きができないらしい。それで、コンパスで円を書くとき、何と、コンパスを回せなくて、紙の方を回すのだとか・・・。

 * * *

英語の授業で(やらされているんです、これが)"vacume tube"とあり、学生が「真空の管」と訳していた。「君、真空管って、知らない?見たことないかな?」、学生「知りません」。小生、つい、「昔ね、ソ連の最新鋭機ミグが三沢基地に亡命した時、ミグの制御機器は真空管だったんだって・・・」。学生たち、どう応答してよいか分からない様子・・・、私は完全に独り芝居状態。まあ、数十年前の話だもんな・・・。

 * * *

私はどうもiPodだとか、電子レコーダーとかはダメです。いまだにカセットテープの方が安心できるのですね。今の夢はログハウスで、暖炉の火を見つめつつ、自作の真空管アンプとスピーカーと長岡の針で、プチプチ音のするLPレコードで音楽を聴くこと。徹底的にアナログに懲りたいと思っているのです。真空管アンプのあのまろやかさは、CDのキンキン音にない味わいがあるわけです。

ちなみに私の秘蔵の68年発売のメリー・ホプキンのアルバムは今なんと8万円です。かつていっぱい持っていたLPレコードをクリスチャンになって、「この世を捨てる」とか言って、全部売り払ったことを後悔しております。数百万にはなっているはずですから、残念。

休みの取れない時は・・・

まひるパパさんも大学で苦労されている由。とにかく例え話とか、例が共有できない。

「最近の犯罪は古典的犯罪とは違って、『太陽にほえろ』みたいに足で解決するんじゃなくて、『羊たちの沈黙』のようにプロファイリングでするんだよ。」学生たち、一様に「キョトン???」
「君たち、石原裕次郎知ってるだろ」、学生たち「キョトン???」。

エディプスコンプレクスの話をして「『巨人の星』の飛雄馬と一徹の関係みたいだよ」。学生たち「キョトン???」

強迫神経症の話をして、「ぜひ、デカプリオの『アヴィエイター』を観てね。ハワード・ヒューズのビョウキを実にリアルに演じているから・・・」。―この辺になるとようやく少しは通じる。

 * * *

疲れていると言いながら、午前中はプールで泳ぎサウナで汗を流す。午後駿台で四コマの講義。夕食後、娘二人とカミさんとでまたまたレイトショーに出かける。夏は夜遊びに出るのが何だかワクワクするのだ。

今回はニコール・キッドマンの『ザ・インタープリター』。『ジ』でなくて、『ザ』であることに違和感を覚えるが。監督はキッドマンのかつての夫トム・クルーズ主演のサスペンス『ザ・ファーム』のシドニー・ポラック。

彼女はトム・クルーズの『デイズ・オヴ・サンダー』で脳神経外科医を演っていて印象に残った。知的な、そして少々過去の傷を引きずるような役どころがピッタリ。小顔でスリムなスタイル。いわゆるセクシー系ではないが、私は好みである。

なかなかスリルがあり、ストーリーもドンデン返しがあって楽しめた。ショーン・ペンの男の哀愁を感じさせる演技も渋くていい。ジョージ・クルーニーなどもそうだが、男はやっぱり50過ぎ。

アドレナリンの分泌が止まらない時は、休息を取ろうとするよりは、かえってアクティヴに動いた方がサッパリする。

最近トレーニングを怠けており、体重が76キロとなりい、かつて筋トレに励んでいた頃はC105,W78,H95だったのが、腹周りがちょっと苦しくとなってきていたので、この1ヶ月間ダイエットを試みている。

で、4キロ減らして、腹周りも楽になって来た。長生きするコツは腹八分目。霊的には油で肥えるべきであるが、身体は脂肪を落とした方がよい。目標は65キロ。体脂肪率15%。

リズムの意義

7日周期で社会が回ることは、やはり神の知恵。この周期がなくなると、体はたまらなく疲れる。抜ける日がなくなってしまうため。今も私の精神と身体は100%脱力したいのだが、明日の仕事に備えてアドレナリンが分泌され続けている。

日曜日の午前10時からの礼拝だけが正規のものとか豪語する牧師先生もおられるようだが、私はとてもではないが、ついていけない(その気もないが)。日曜日の午前中はぐったりと抜いていたいから。

<日曜礼拝出席厳守+十一献金厳守+早天祈祷・断食祈祷+奉仕+伝道+デボーション+弟子訓練+セルグループ活動+役員・執事の職務まっとう+清く・貧しく・正しく+(次々に吹き込む)アメリカ産教えの風+・・・>それに加えて、妄想的かつ迷信的教え・・・

はあ〜、これでは日本社会においてキリスト教が広まるとは思えない。教界が<休むこと>と<楽しむこと>と<満足すること>、そして<ただキリストだけ>を教えるようになれば・・・と思ってはいるが、まあ、現状ではとてもではないが無理ですね。

ヘブル4:1−
こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

ココはドコだ?−時代の断絶−

精神保健学の講義で、「アバタもエクボ」と言ったところ、突如「センセ〜、アバタって何ですかぁ〜」と黄色い声。小生、一瞬、「エっ!?」。「君、聞いたことないの?」、「ウン、初めて聞いたぁ〜」。小生内心で、ややショックを受けつつ、「松井の顔だよ・・・」。

で、意味を説明して、講義を続け、今度は「坊主憎けれりゃ、袈裟までも」と言うと、再び、「センセ〜、ケサってナ〜ニ〜」。小生内心で「もうダメだ・・・」(汗)。
(家で大学3年の娘にたずねると、彼女もふたつとも知らないとか・・・、やれやれ灯台下暗し・・・)

そして講義が終わると、女子学生が数人、「センセ〜、シャメとってぇ〜」。小生「シャメって何のこと?」。「やだぁ〜、シャメ知らないのぉ〜」。シャメとは携帯の写メールのことでした。

で、「センセ〜、ピースして」と言われ、一緒にカシャっ。するとその映像を見た彼女たち、「かわいぃ〜!」。小生「エっ?」。一瞬、何のことか意味不明。言葉も出ませんでした。

さらに、帰りに駐車場に向かっていると、芝生の上の10名ほどの男女の学生から、「あ〜、カラサワセンセ〜だ、センセ〜、あそぼ〜、ダルマさん転んだしようよぉ〜」。小生、笑顔で手を振りつつ、内心で、「僕は保母さんだったけ?」。

退官した東大名誉教授の先生方で悩む人が多いのです。彼らには悪意はないし、ただひたすら無邪気なんですが、大学の教授だなんてプライドを持っていたらやっていけないのですね。私の義兄と同じく、患者さんに革張りの椅子を用意するくらいでないとね。

しかしやっぱり休日無しは疲れるぅ・・・。

相場の格言

私のゴルフ好きの友人に、「穴ぽこに玉を入れて何が面白いわけ?」と何気に言ったら、エラク怒られたことがあります。彼は言ったものです:「ゴルフは人生だあ!!!」。

で、実は相場も結構深いもので、人生なんですね。いろいろな格言がありますが、けっこう信仰にも当てはまります。ヨン様とヒン様のオッカケ・ブームに対しては、こんなのはいかがでしょう:

 「人の行く、裏に道あり、花の山」

詳細はこちらを→http://all.toyokeizai.co.jp/kakugen/06.html

まあ、人が喜んで集まるところにあまりいい物はありませんね。

普通の人である幸い

先に書いたが、映画"Kindom of Heaven"の主人公は英雄扱いを拒み、鍛冶屋としての自分を証しした。聖霊派の牧師先生の中にはニッポンのベニー・ヒンになりたくて、ヒンからお声がかかると舞い上がる御仁もおられるようだ。

何もそんなにエラクならなくても、普通であることを楽しめばいいではないでしょうか?普通の生活を普通の人として淡々と生きる。神はその人の内に住まい、人生の総てに関わって下さる。これに勝る幸いがあるのだろうか?

  (しかし、株の下げが止まらない・・・溜息)

ニッポンキリスト教界はルネサンス以前?

どうもそんな感じがする今日この頃です。無知による馬鹿げた教えが蔓延り、紅貧だの、何だのといった色物が跋扈する現状。普通の人ではなく、むしろ妄想系の人が霊的とされる。一方、オツム・カチカチで、「物言えば唇寒し」の向きもあるようですね。この業界、未だにルネッサンス以前のようです。ますます"It's none of my business."のスタンスを取りたくなります。

年率換算GDP5.3%の伸び?

という政府発表にもかかわらず、日経平均は7日間の続落。ついに11,000円を割り込み、年初来安値も更新してしまった。

実は統計にはいろいろとトリックがありまして、竹中大臣の「踊り場脱出宣言」をマーケットはあまり信じていない証拠。

私も空売りをかけたものや利が乗ったものは昨日までに手じまってしまったので、今日はなすすべもなく、下がる数字に呆然とするだけ。信仰の歩みと同じで、相場も3歩進んで2歩下がるのです。で、期待を明日につなげつつ、疲れたので寝ます。

お金のこと

聖書では「神とマモン(金)に兼ね仕えることはできない」とある。これでクリスチャンはお金に対してある種の病的な臆病さに陥る。「お金=悪」と思い込むわけ。ところが教会で牧師が「1/10献金しない者は神から盗んでいる!」と脅すものだから、「取られる」と感じている者は不平タラタラとなる。

私はこの種の人々は実に気の毒であると感じる。捧げることは、額の問題でもなく、義務でもない。<神との関係>の問題であって、捧げれば捧げるほど実に神は豊かに供給して下さる。

私もかつては経済的問題について恐れを持っていたのであるが、8年越しの裁判やリストラされる経験を通して、主の真実を経験してきた。確かに主は捧げた分の数倍を与えて下さる!

ベニーヒンの話しついでに言えば、自分の事業を大きくしたい人は、教界ではなく、この世でやればよろしい。リッチになりたい人もこの世から稼げばよい。献金のベンツに乗るなって。手段はいくらでもあるし、この世には金が余っている!出エジプトした民もエジプトから富を持ってきて、それで幕屋を建造した。その金の量は莫大なものである。

私も今、せっせとこの世の富を得ることに励んでいる。仕事も休みが取れないほどに与えられ、相場でも、今日もそこそこにゲインを得ている。聖書はこう言っている:

Tテモテ6:10−金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。

愛することは執着の問題。それは魂の粘着性。実は相場においては執着は致命傷。金に心を置くと直ちに失敗する。儲かっても儲からなくても淡々とした者が勝つ。金は人生の目的でもなく、精神安定剤でもない。それは手段であり、道具に過ぎない。道具の奴隷となることが問題なのである。

前に教界は「花見酒の経済」をやっているから、いずれ破綻すると書いたが、金の流れに対して広く開く必要がある。考えてみればよい、すべてのクリスチャンがいわゆる献身をして、みなが献金で食べる状況を。ああ、それは何と醜悪な光景だろうか。

かくして「清く・貧しく・美しく」メンタリティーから解かれる必要がある。それはもっともらしい仮面をつけた宗教に過ぎない。あなたの奥底の本心を、変な霊性をよそわずに直視してみれば良い。次の御言葉によって励まされるであろう:

・ヨハネ14:13−14
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

・Uコリント9:11
あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。

・エペソ3:20
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に・・・

私たちが神を父として知れば知るほど、「何でも」求めることができるようになる。神は「あなたのために」それをかなえて下さる。やせ我慢をやめ、取り繕いをやめ、「何でもあなたのほしいものを求めなさい」という主の促しに大胆に応じればよいのだ。

神はすべてにあり余っている方。こぼれて来る方。ニッポンキリスト教の白粉は直ちに洗い流すべし。私たちはあらゆる点で豊かになる民である!