2006年04月01日

ご紹介-脳と仮想-

アップロードファイル 5KB下の桜はイイでしょう?私たちはこのような雰囲気に包まれるとき、そのクオリア(ある種の質感)を味わうことができます。脳が現実と触れるとき、言語や数式に収まりきらない「何か」があるのです。これがクオリアです。数学を用いて現実を記述するとき、何かが零れ落ちるのです。本書は、このような脳と現実との関わり方、クオリアの生成するメカニズム、さらに仮想と現実の問題を論じています。

信仰、すなわち神と私たちの関わりも同じなんですね。言語によって神をいかに正確に記述し、神学の体系を作り上げたところで、そこにはイエスの魅力と香りはありません。人間の言語からもれてしまう要素、それがイエスのクオリアです。それはいのちとも言えます。

禅学の大家鈴木大拙は芭蕉の句

 よく見れば、なずな花咲く、垣根かな

と、テニスンの花を取って、分解して、花の精緻な作りを述べた文章を比較して言っている。東洋的姿勢は対象(なずな)と一体になることであるが(主客不可分)、西洋科学では対象と自己を切り離し分析することにより、いのちを殺すのだ、と。

私たちはいのちに触れるとき、それが自然のものであっても、神のクオリアに触れるのです。それが私たちを癒し、私たちを生かします。キリストのいのちはどれほどに私たちを生かすことでしょう。無益な議論や論争に明け暮れるキリスト教から離れて、イエスのクオリアを楽しみましょう。

あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。

桜@三ッ池公園(3)

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最後です・・・

Commented by ひろこ 2006年04月03日(月)21:41

 びっしり咲き誇っている桜ものすごいですね。
主の作られたこの桜、我が家の前の小さな公園の桜、今年も見ることできて、よろこびです。私いまも生きているのです。花の心がしみとうるごとくにおもいます。

桜@三池公園(2)

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つづき・・・

桜@三ッ池公園(1)

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日本人はやはり桜というわけで。今日は7-8分。

DVD版ベン・ハー

アップロードファイル 89KBご存知ウイリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン主演のアカデミー賞大作。値段は7000円ちょっと。やや高いと思っていたら、DVDが4枚。何と『ベン・ハー』にはいろいろなヴァージョンがあるのです!2枚はワイラー・ヴァージョンですが、1枚は何と1925年のサイレント・ムーヴィ。監督や俳優はまったく知らない名前でした。残りの1枚は特典映像。

で、これが面白い。チャップリンの映画みたいに動きがチョコマカしており、時々に台詞の字幕に切り替わるわけ。多分弁士がしゃべっていたのでしょう。ところが台詞がない場面でも、何となく台詞が聞こえてくるような感じが面白い。それでも例の戦車レースの場面は迫力があり、よくできています。画像は白黒と思いきや、青だったり、赤ぽかったり、時にフルカラーになったりでこれも面白い。ワイラー・ヴァージョンもデジタル処理されており、映像がvividで美しい。

私は『パッション』はついに観なかった。その露骨さが嫌なんですね。自己憐憫を煽るような感じがするわけ。主の苦難はどんなに血が飛び散る場面を描いても、決して私たちには分からないのです。対して『ベン・ハー』では、彼の人生の背後に摂理的にタッチするキリストを描いており、私たちの人生と重なります。旧約聖書ではルツ記やエステル記。神はご自分を隠される方であり、派手な聖霊派的パフォーマンスを好む方ではない。聖書自体も感情表現を排して淡々と神を記述する。

私たちも人生のあらゆる場面で、この隠れた、そして私たちのすべてに配慮して下さる方のタッチを感じることができれば幸いなのだ。今、高3になる長男がはまりつつあり、これも摂理と感じている。

お薦めです。