* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
下のモラトリアム領域についてご質問を受けました。「もし神の御旨に反した意志の用い方をしたらどうなるのかこわい」と言われるのですね。大変すばらしい感受性です。
もちろんその決断の実を自分で刈ることになるでしょう。例えばあえて姦淫に落ちるならば、AIDSなどのSTDに罹ることもあるでしょうし、幸いな結婚生活を破壊することでしょう。この意味で
神はあなどられる方ではない。人は皆自分の撒いたものを刈り取ることになる
とあるとおりです。 とあるとおりです。が、パウロは と問題提起し、自ら回答を与えています。 鍵はキリストと共なる死にとどまることです! とあるとおりです。鍵は とあるとおりです。鍵は 神は宇宙の全権を有していますから、私たちの不実すらその上に主権を行使できるのです。ハレルヤ!
しかし不従順の罪のためにイエスの血が流されています。悔い改めによる赦しの道がつねに開かれているのです。何度でも十字架に立ち返ることです。律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。
決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。
しかも私たちの不従順あるいは不真実ですら神の真実を無にしません。むしろ神はそれを摂理によって用いて、ご自身のご計画を推進されるのです。かくしてまたもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
石、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。
今回はふと思い立って、奥日光のにごり湯を堪能してきました。いやあ、料理も渋くてなかなかにっこう、ではなく、けっこうでした(サムっ〜)。華厳の滝も霧が晴れて迫力満点。ここはかの旧制一高生藤村操が飛び込んでから、自殺者が続出したのですね。彼の名文遺書に酔ってミームに感染するわけです(これをウェルテル効果と言う)。
巌頭之感
悠々なる哉天襄、
遼々なる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチィーを値するものぞ、
万有の真相は唯一言にしてつくす、
曰く「不可解」我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。
既に厳頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、
大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。
実を言いますと、私もかつて旧制一高生に憧れ、けっこう感染したのであります。
写真は後ほど・・・。
下のモラトリアム領域についてご質問を受けました。「もし神の御旨に反した意志の用い方をしたらどうなるのかこわい」と言われるのですね。大変すばらしい感受性です。
もちろんその決断の実を自分で刈ることになるでしょう。例えばあえて姦淫に落ちるならば、AIDSなどのSTDに罹ることもあるでしょうし、幸いな結婚生活を破壊することでしょう。この意味で
神はあなどられる方ではない。人は皆自分の撒いたものを刈り取ることになる
とあるとおりです。 とあるとおりです。が、パウロは と問題提起し、自ら回答を与えています。 鍵はキリストと共なる死にとどまることです! とあるとおりです。鍵は 神は宇宙の全権を有していますから、私たちの不実すらその上に主権を行使できるのです。ハレルヤ!
しかし不従順の罪のためにイエスの血が流されています。悔い改めによる赦しの道がつねに開かれているのです。何度でも十字架に立ち返ることです。律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。
決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。
しかも私たちの不従順あるいは不真実ですら神の真実を無にしません。むしろ神はそれを摂理によって用いて、ご自身のご計画を推進されるのです。かくしてまたもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。
今回はふと思い立って、奥日光のにごり湯を堪能してきました。いやあ、料理も渋くてなかなかにっこう、ではなく、けっこうでした(サムっ〜)。華厳の滝も霧が晴れて迫力満点。ここはかの旧制一高生藤村操が飛び込んでから、自殺者が続出したのですね。彼の名文遺書に酔ってミームに感染するわけです(これをウェルテル効果と言う)。
巌頭之感
悠々なる哉天襄、
遼々なる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチィーを値するものぞ、
万有の真相は唯一言にしてつくす、
曰く「不可解」我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。
既に厳頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、
大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。
実を言いますと、私もかつて旧制一高生に憧れ、けっこう感染したのであります。
写真は後ほど・・・。