最近の日記

普通的生活在基督

リック・ジョイナーが天国に行ってきたとか、シンディ・ジェイコブズのリバイバル預言がどうのとか、死人がよみがえるとか、見えない剣を振り回して悪霊を神社仏閣から追い出すとか、そのうち神社仏閣を破壊するわけで・・・。う〜ん、私は何か霊的ディズニーランドにでもいるのだろうか?それとも何かのファンタジー漫画でも見ているのだろうか?

マジックならばマリックさんか、セロさんにまかせておいて・・・。面白おかしい牧師の説教を聴くくらいならば、吉本でも行った方がよろしいでしょう。金を稼ぎたいならば、株の神様邱永漢に弟子入りして、派手なパフォーマンスがしたいなら宝塚歌劇団か叶姉妹に教えてもらって、ベンツに乗りたいボクシ先生は代ゼミの講師にでもなればいい・・・。

普通であること―単なる無力なおじさんとおばさんでいいではないですか。日々是好日在基督。感謝主在基督。我的満足在基督。キーワードはエヴリシングIN CHRIST

Commented by Luke 2007年05月15日(火)09:04

もひとつ:個人預言が欲しいなら、細木さんか、新宿の母のところに行けばいい・・・と。

でもいつからニッポンキリスト教ってこんな風になって来たんでしょう?

Commented by kenji 2007年05月15日(火)13:46

ベニーヒンの癒しのディナーショーなどはいかがでしょう。いいビジネスだと思う次第です。

Commented by ぽん 2007年05月15日(火)21:26

もう何もいう気がしないですね・・・
あぁ・・・・そうなんだぁ・・そうなの・・・
っていう感じですかねぇ。

いつからこんな風に?ですか。
うーんどうなんでしょうねぇ。

意外とはじめからこうだったりしてね・・
それも怖いか・・・

正気に戻ってほしい。ただそれだけです。
言えるのは・・・

これがゲームなら完全にリセットするんだが。
神様が許したゲームなら、もう十分楽しんだので
終了してくださーい!って言いたいですが・・・

Commented by Luke 2007年05月15日(火)22:53

私はリバイバル新聞の谷口社長に引きずり出されて、現在の状況を数年前に知ったわけです。「個人預言」なんて、何のことか分かりませんでしたねぇ。

それまではメインラインとか、福音派とか、聖霊派なんてものがあることすら知らなかったのです。クリスチャンは皆同じだと単純に思っていたのです、もろくも崩れました。

でもこうして問題意識を持っている方々がおられることを知って、うれしくも感じている次第です。

Commented by kenji 2007年05月16日(水)07:54

ベニーヒンなどはもはや小生の中ではエンターテイナーなのです。いわばしるし不思議癒しのショービジネスです。
であるから彼が自家用ジェットでやってきて煌びやかなホテルに宿泊しようと一向に構わない。
どうぞ聖霊派の旦那衆、ヒン一座に御ひねりをはずんでやって下さい。

よみがえりの信仰!?

先日癌で亡くなった方は、患部が腐り、悪臭を放つようになっても、なお医学を拒否していたようです。最後にモルフィネを打ってもらうために病院に行っただけだと伺いました。モルフィネを扱うには医師もその資格が必要なのです。立派と言えば、立派なのかもしれませんが・・・。

しかも、驚くことに、周囲の人が"よみがえりの信仰"を持っていたとのこと!?先にベニー・ヒンの元に死者を運んでくると書きましたが、ニッポンでもすでに、と目が点になった次第。

ペンテコステ・カリスマはまとめて聖霊派と呼ぶそうですが、どうも私どもの信仰とは違うものになっていませんか?金歯が生えたとか、金粉が舞ったとか・・・。それとも私どもの信仰がヘンテコステなわけでしょうか?いやはや、この業界、ますます倒錯現象が激しくなっているようです。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2007年05月14日(月)12:56

信仰と"信仰"のもたらす結果の違いの重大さに、身が引き締まります。Lukeさんが"信仰"と言われるものも、自己のひとつの兆候なのでしょうか?

Commented by kenji 2007年05月14日(月)16:49

風邪を引いた際に癒しを祈ったもののよくならず結局医者に行ってしまった「不信仰」を悔い改めていたペンテコステの牧師のことを思い出しました。

Commented by ぽん 2007年05月14日(月)18:03

以前から?でしたが、
いろんなリバイバル集会でそのようなことが
言われてましたねぇ・・・
金歯が入る?なんで?????
ありえないでしょう。これも不信仰なのでしょうか・・
仮に金歯が生えたからどうなの?と思いますが・・・
どうせなら背中に天使の羽が生えたなんてー話なら
まだセンスありかな、とも思いますけど・・・
まぁ、天使の羽ならカバン屋さんにあるようですが
映画で「奇跡を呼ぶ男」だったかな?
インチキ伝道師のツアーの話・・・
まだそっちの方が救いがあるかな??・・・

ものでなく霊や心を扱ってほしいものです。
教会といわれるところは・・・

自分も按手でバタバタ倒れると有名なある伝道者の
リバ集に行った事があるが、目の前で
されたが何も感じませんでした!

もうそろそろ日本の教会もいい加減、目を覚まして
真実な本当の信仰に気づいてほしいものです・・・
いつまで時代遅れの聖霊論を戦わせているのかなー
悲しく成っちゃいますね!

Commented by 通行人 URL2007年05月14日(月)18:25

このサイトをご覧ください。金粉の奇跡だそうです。
やたらと数式を使っていますから、ルークさんはご存知かも知れませんが。
このサイエンスと聖霊派の匂いのバランスが独特の雰囲気です。

神のホームページ―http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/

Commented by Luke 2007年05月14日(月)20:32

はい、知っております。量子力学や相対性理論は学部レベルの内容ですね。確かにこのサイトのコラボレーションは一種独特の印象があります。そもそもここに出てる油注ぎの器たちは、聖霊派バリバリのようですね。ここにある日本への預言とかは、私はやや、と言うか、カナリ引いてしまいますね。

それとリック・ジョイナーの「天路歴呈」とか、やや、を超えてカナリ???ですね。神はすでに御言葉によって万人に啓示を下さっているのです。何ゆえ、特別な器だけにこんな光景を見せる必要があるのでしょう。いかがわしいだけです。

Commented by リベラメ 2007年05月16日(水)01:02

私も○○ミッションというような名前の集会及び純福音派という教会にてバタバタ人が倒れる様子を目撃しました。あれは正常な感覚をもった人間が見たら、気持ちが悪いという意外の表現は見当たらないと思います。あれを見たノンクリスチャンでクリスチャンになりたいと思う人は恐らくいないでしょう。実際私もその集会にて按手を受けましたが何も起こりませんでした。あれは特別な人のみが反応するのでしょうか?それ以前に呼吸法を名乗っている怪しい団体にお邪魔致しましたが、そこでも人がブンブン飛ばされており、なにか非常に似たものを感じました。恐らく何かしらの悪しき霊の力が働いているのではないでしょうか?奇跡と名の付くものは先ず疑ってかかるクセが付きましたが、本当に神から来ている奇跡はあるのでしょうか?疑わしいものです…。

Commented by Luke 2007年05月16日(水)07:33

幼弱性のひとつの特徴は被暗示性です。人を飛ばすことは、何とかバレー団でもやっていますからね。種々の現象を判断する鍵は、主イエスのご性質にふさわしいかどうかです。

今週のメッセージ

はColin Urquhartの「神から受けること」の同時通訳です。40年間のミニストリーを通じて、神と人々に絶えず自分を注ぎ出し、時にはもう何も注ぐものがないところまで追い詰められることもありました。が、自分の何かが尽きてしまう時、神の新しい霊的次元が開かれ、いのちのリフレッシュを得て、新鮮なアノインティング(油塗り)を得て、また前進することができるわけです。こうして私たちのキャパが広げられていきます。

昨今の、自己(Self)をすべての基準とし、自己を大切にし、自己の利益を求める、煌びやかないわゆる「繁栄神学」などが、特にアメリカで流行していますが、その風潮に対して警鐘を鳴らしています。私たちはすでにキリストにあってすべてを得ていますが、それを経験するためには、私たちが自分の十字架を取り、自分を否むことが必要です。自己に仕える人からみれば、立派なカルト思考となるでしょう。しかし主イエスご自身が

わたしに従いたい者は、自分の十字架を負って、自分を否みつつ、わたしに従ってきなさい

と言われるのです。問題は間違った十字架を負っていることです。信仰の究極はキリストを選ぶか、自己を選ぶかになります。バプテスマのヨハネが言うとおり、「私は小さくなり、あの方が大きくなる」こと。

今後、この世はいわずもがな、キリスト教会でも牧師たちが自己をすべてとする人々の肉を喜ばせ、人間を喜ばせるメッセージを語り、自己をすべてとするようになるでしょう。いや、すでにそうなりつつあります。かくして自分の何かや自己の達成を誇る自己栄光化の霊が広く蔓延することでしょう。

実際、私がニッポンキリスト教においてどうしても理解できないことがあります。それは「すべての栄光を主にお返しします」と言う台詞です。とてももっともらしく聞こえますが、ここには巧妙に自己が忍び込んでおり、自己の臭いがするのです。なぜ、「お返しする」のでしょう?自分が持っていたからでしょう?栄光は元より神のものです!

もうずっと前に書いてきていますが、今、クリスチャンがふるわれる時代に入っているのです。何を第一とするか、それぞれの心が明らかにされる時代です。

自己愛の病理を脱する十字架の道

Commented by ぽん 2007年05月14日(月)20:24

そうだねぇ・・・
日本のクリスチャンは自分を
低くして謙遜に見せるテクニシャンだからね!
栄光は元々主のもの、そのとおり。

いかに日本のキリスト教が見せる宗教に
成り下がってるかが分かる・・

自分で十字架を背負わなけりゃ,と言ってるのに
人に自分の考えた十字架を負わせようとする
教会、牧師、信徒、偉い人?のなんと多い事よ!

ご紹介-Colin UrquhartのNEW CD-

アップロードファイル 66KBやや生臭い話が続きましたので、ちょっとリフレッシュを。英国Kingdom FaithColin Urquhartの新しいCDセットが出ました。題して"The Gospel of John"。ヨハネの福音書からのメッセージです。紹介を紹介しておきましょう:

FOR MANY YEARS PASTOR COLIN HAS STUDIED THE DETAIL OF JOHN'S GOSPEL AND HAS AN INTIMATE KNOWLEDGE OF EVERY WORD AND PHRASE. IN READING THIS GOSPEL ACCOUNT FROM THE NIV, HE BRINGS IT ALIVE FOR THE LISTENER AND OPENS UP THE OPPOTUNITY FOR FRESH REVELATION OF THE WORD OF GOD.

ディスペンセーション主義の本質はサタン教である

と再建主義の富井さんがおっしゃっていますね。

いつものことだが、私と議論すると、その人の信仰の内容が明確化される。
それまでキリスト教であると思っていたものが、私と議論を戦わせるにつれて、実質的にはサタン教であるということが明らかになってくる。
意固地になって、自説を主張し続けることによって、ますます「サタンが王であり逆らえない」という敗北主義を強く主張することになる。

う〜ん、すると私なども立派な「サタン教徒」になるのでしょうか!?

やれやれ。ローカル・チャーチでも人の体にはサタンが内住すると言うのですが。私などはサタンに唆された反逆者となるわけですね。加えてクリスチャン・トゥデイに、再建主義にと・・・。何ゆえか、絡まれてしまうのですが、この業界、カナリ疲れることが多いようであります(汗)。

お知らせ

午前中から4時過ぎまで四谷にて仕事。帰ってからプールとサウナ。やはりこれでスッキリと・・・。すでに一種の中毒かも知れません。

さて、韓国系カルトの摂理の教祖チョン・ミョンスクが中国で逮捕された模様。韓国では10,000人の女性に対して性的暴行を働き、日本でも100人の被害者がいるようだ。脱カルト協会でも情報が回ってきているが、一昨年の聖神教会を初めとして、この手の隠された話題は多い。

で、件のウイットネス・リーのローカルチャーチ(主の回復、地方召会)でも、かつてリーの息子が10数年に渡って姉妹たちに対して性的陵辱を行っていた。ところが父親であるリーはそれを見て見ぬ振り。エリの末期と同じだった。かえってそのことを糾弾した長老たちを検疫した。その息子フィリップも最近死んだそうだ。彼らもすべてを時の流れに封印してしまいたいのだろう。

前から懸案であったウイットネス・リーに関わる真実を集めた情報サイトが、まだ8割方ですが、とりあえず見切り発車いたしました。私の手元にはこの倍以上の情報があるのですが、何分体力と時間が追いつきません。最近はやたらと"反逆者たち"の検疫が次々に行われております。

それについて彼らの側の声明も出ておりますが、これを読むとまさにどこぞの国の粛清を髣髴とさせるような雰囲気。日本語での糾弾集会も公開されていますが、「個人的な意見を持ってはならない」として体制維持に汲々としている様が分かります。こんなものを堂々と出してしまうわけですから、彼らは閉鎖社会のカプセル化現象で私たちとは感受性がずれている証左なのですね。

というわけで、今後皆様におかれましても、「福音主義の中の福音主義」を自称する彼らとの接点も増えると思いますので、情報を得て備えておく必要があろうかと思います。それにしてもクリスチャン・トゥデイがウイットネス・リーの主張に基づいて自分たちの正統性を訴えるとは、思いもかけない展開でありましたが・・・。

ウイットネス・リーの地方教会(召会)・主の回復情報サイト

明日は仕事;;;

と言うわけで、やや重いかなあ〜。

それに今ウイットネス・リーのローカル・チャーチのサイトをまとめているのですが、これが資料が多く、中々・・・。現在8割方できています。

前のサイトは売られたケンカを買う形でして(→コチラ)、一度はもう用なしと判断したので、geocitiesのシステム改変に伴って降ろしたのです。ところが昨年2ちゃんねるあたりでの粘着的工作があったり、クリスチャン・トゥデイとの絡みとか、これも予想外だったのですが、むしろこれから必要であろうと感じ出した次第。

欧米には相当に多数の情報サイトがあるのですが、日本にはまったくありません。と言うわけで、広く情報を網羅したサイトにしようと考えています。また私は憎まれ役を引き受けることになりそうですが、どうもやらねばならない雰囲気になってきました。この手の仕事はかなり疲れるものなのです。

救世軍の山谷さんも今事態が佳境に入っているわけです、が、どちらに転んでも彼は心を決めていますし、体制も整っていますから、磐石の構えで臨めることでありましょう。むしろCTがいかなる次の一手を打ってくるか、少佐、23様と共々、楽しみにしているところです。

Commented by Luke 2007年05月11日(金)22:16

今見たところ、2ちゃんねるの私どものスレに面白い記事がありましたので、ご紹介しましょう。「宗派」などのローカルチャーチ専門用語を使うのはほぼメンバーですが、文体の雰囲気などから、どうも同一人物が自作自演的に2週間おき程度で書き込みして下さっているようです。するとこのスレが一杯になるのは8年程度かかるわけですが、新しいサイトをここでも宣伝して下さっているようですから、ありがたいことです^^

125 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/04/26(木) 17:22:42 ID:lvyy1lur
>>116
主の回復が出してるニーの本は改竄されてるとか
たしか言ってた気がする。
ニーが自分で出した本が残ってるそうだから
現物確かめたらどっちが正しいかすぐわかる。

126 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/05/10(木) 18:18:17 ID:J9986upy
ニーの「正常なキリスト者の教会生活」と
「教会生活をさらに語る」
を読んだ。

ニーの教会観によれば
キングダム フェローシップ チャーチは
「宗派」に分類され、教会とはいえない。

ニーは牧師制度は人の発明品で神の定めではないから
そんなものはやめてしまえと言っている。

唐沢治牧師の教会観は
ニーのそれとは著しく異なっているというわけだ。
彼の教会観のルーツは一体なんだろうか?
リーの教会観はニーの教会観とそっくり同じだから、
リーでないことだけはたしかだが。

Commented by 23 2007年05月11日(金)23:45

クリスチャントゥデイ関係者と思しき方がこんな発言をされています。

563 名前: 神も仏も名無しさん [sage] 投稿日: 2007/05/10(木) 10:11:53 ID:knZcSfvM
>>562
ああいうの和解案って言わないから。一言で言うと、「山谷御大の御前にひざまずけ」案でしょう。


…裁判を覚悟されたようですねw

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2007年05月12日(土)00:15

なるほど、私の地方にも<○○に在る教会>がすでにあるのです。するとリー様の御前にひざまづかないと、伝道もできないし、礼拝もできないわけですね。

サイトの公開をお待ちしております。

本日の二冊

アップロードファイル 5KB加藤周一著『日本文化における時間と空間』。日本文化は「今-ココ」に生きる文化であることを氏の博識によってあらゆる分野の素材から論証している。日本人の時間論は、「今」に集中し、空間論は村社会で象徴されるとおり、「ココ」に集中する。よって内と外が分けられるわけ。さらに氏は「今-ココ」からの脱出の道を探るが、物理的には亡命すること、もっと精神的には禅などの二分論を超える生き方を志向すること。

氏は東大医学部卒、医学博士で、確か血液学で学位を取得されたと記憶している。『日本文学史序説』などの著作があるほどに、文学に傾倒する。大学時代も医学部の講義はほどほどにして、もっぱら文学部の講義にもぐっておられたとか。私も若い頃、氏の『羊の歌上下』を読んで憧れたもの。またわが読書術は氏の『読書術』に負うところが大なのだ。

現代日本の知性であり、聖書に基づいたキリスト教的西欧文化から、道元の『正法眼蔵』による禅文化まで網羅する。しかし多分信仰はお持ちでないようで、出エジプトに代表されるように、西洋文化に影響を与えたユダヤ文化は、始めと終わりを持つ時間論で、「今-ココ」的な時間論ではないと主張されるが、私的には神は「ありてある方」、永遠の現在形の「ある」であり、永遠の「今の方」である。この方と、まさに「今-ココ」で交わりを持つことが私たちの永遠のいのちである。この「今-ココ」は永遠と直結しているのであり、この集積が人生を構成するが、そこには神の御手による摂理が働いているわけだ。キリスト教文化は確かに氏が言われるとおりであるが、キリスト信仰は、まさに「今-ココ」であり、この姿勢は道元の時間論である「前後裁断」である。

アップロードファイル 16KBフラット化する世界―上』―現代の特徴がネットの普及により個人の情報発信が可能となり、このため世界がフラット化することを指摘し、未来の世界のあり方を予測する。

これは私的に言えば、ネット上では個人が勝手なことを語ることができ、いわば「神」になれることであり、これによって専門家も素人も同じ土俵で語ることができるわけ。と言うよりは、声のデカイ者が勝つ、あるいは壊れた人物が勝つという現象が起きるわけ。かくして常に低い方へとフラット化されるリスクがある。

昨日のNHK『クローズアップ現代』では、カリスマBlogライターが大きな影響力を持ち、企業も彼らを利用して商品を普及させることに力を入れているらしい。かくして流通、広報、販売、維持管理など、これまでとは違うパラダイムが求められている。いずれネットもPCからケータイにシフトし、テレビもいわゆるワンセグ化していくだろう。

極論すれば、これらのメディアによって、個人と個人の脳がダイレクトに繋がっていくわけで、岸田秀的には人間は本能が壊れており、社会などもすべては幻想であるとする唯幻論と、養老先生の唯脳論が結び合わさった世界とも言える。ある意味、脳内妄想がそのまま共有されて現実となりかねないコワサも覚える。

このような中でクリスチャンにとってもどのように信仰を保つのか、ひとつの大いなる課題であろう。オジサンにとっては、これからの10年はこのような社会にどう適応すべきか、それとも一切を捨て去り、山に篭って自給自足すべきか、そんなことを考えさせる一冊。下巻はこれから・・・。

Commented by サラ 2007年06月13日(水)23:25

 身に染みる話です。ルークさんの説明で、自分の周囲に起きている奇妙な現象の謎が解けます。声のデカイ者が勝つ、あるいは壊れた人物が勝つという現象。どうしよう。本当にそうなんです。昔と何かが違うなあと、節度がないんです。分を超えてどうどうと、ずうずうしいんです。そうすると自分の分の中でマナーをもっている人たちの方が押されていくんです。怖いですね。本当の弱者を日本は守れない時代に確実に入った、そう感じています。

注ぎ出すことの祝福

下にも書きましたが、ニッポンキリスト教にあっては献金が大きな躓きになっているようですね。特にいわゆる1/10献金を強制されて、それで相当にまいっている人や、神に呪われるのが恐ろしいとか、さらには恨みを抱いている人などが多いようです。

実は、自分の何かを捧げること、さらには自分自身を注ぎ出すことあるいは自分を無にすること―これはもっとも大いなる祝福なのですが、キリスト教と言うシステムの中ではあまり味わえない経験のようです。私も献金では主を試みたことがありますが、御言葉どおりでした。

どうもニッポンキリスト教で躓きますと、「自分を注ぎ出す」などに対しては、「Dr.Lukeはカルトだ」とか言いたくなる人もいるようですが、そのような心の状態は貧しく哀れなものです。自己をすべて("神")とする人の兆候です。

英国のKingdom FaithのColin Urquhartが最近のメッセージで、自分を注ぎ出すことの祝福をシェアしています。よろしかったら、お聴きください。またウォッチマン・ニーの言葉も紹介しておきます。

"Receiving from God" by Colin Urquhart

働きに倦む時に by ウォッチマン・ニー

Commented by 23 2007年05月09日(水)23:13

笑いましたが、私もほぼ同じ考えです。

自分や自分の教会のためだけに注ぎだすことを求めるのではなく、
主に注ぎだすことを勧められたり、
主に注ぎだせたりする兄弟姉妹は幸いだと思います。

Commented by Luke 2007年05月10日(木)06:37

救世軍の皆さんは、この時代にあえてご自分を貧しさと言う弱さの中に閉じ込められていること、感銘を受けております。真に注ぐことの祝福をクリスチャンが知れば、これは主がリバイバルへの道を得られますね。

Commented by 23 2007年05月10日(木)10:46

全くおっしゃる通りだと思います。
ダビデ張のためだけに注ぎだされている彼らが、
主のために自分を注ぎだすことができれば素晴らしいですね。

Commented by ぽん 2007年05月10日(木)19:09

なんと人間の肉の業におぼれた教会と名の付く
団体の多いことか・・・・
教会ではあるがエクレシアではない!組織。
ケンキン袋というものがあるということに受洗した後
非常に驚きを感じたが、イマダに私はなじまない・・・
聖書で言うところのセカイと全く違うとかんじるから。
執事や役員達は少しでも経済的に安定させ、
「神の国を前進させるには必要なこと、」そう思って
いるのだろうが、いくら払ったか、ささげたかは
主のみが知っておられればいいこと・・・
たとえ教会がそれによって目に見えるところが
不安定であっても、一向に構わないのではないか?
そう思う。それなりの信仰にシフトしてゆくわけだし
会堂が無くても礼拝は出来ます・・・
思うに日本の教会から会堂をなくしたほうが
教会?群れは成長すると思う・・・
4,50人しかいない中で、信仰によって
なんちゃって会堂をなまじ建てたりするから
お金で縛られる。会員同士が裁く、奉仕の件で
もめる・・・霊の解放どころか、重荷の負わせ合い。
神の群れは人を管理する場所ではなく、
人を見つけ出し活かし自由を与えるものであるはず!
この世の地上の法則から解放されなければ、
(少なくともお金や、経済、教理的縛り、組織依存)
魂の救われる場所には程遠い???
ような気がしますが・・・・・

雑感

かつて私のところに来られていた方が、最近癌で亡くなったと伺った。どうもバリバリの聖霊派出身の方のようで、私の聖霊派批判でつまづかれたようで、このところ見えなかったようなのだ。

伺うところによると、癌に罹ったが、医学的治療を拒み、"信仰"によって癒しを受けようとされていたようだ。私はこの手の話を聞くと、何とも言えない憤りを覚え、さらに躓く人が出ることも恐れずに、聖霊派を批判したくなる。悔しいのだ。

私はリバイバル新聞に記事を書き、本やヴィデオも出したが、ニッポンキリスト教のペンテコステ/カリスマ派、あるいは聖霊派とはまったく関係がないことを改めて表明しておく。ましてや「霊能者」でもなければ、「預言者」や「使徒」でもない。ニッポンキリスト教的「牧師」でもないし、私は単なる普通のオジサンにして、サイエンティストなのだ。ただ霊的要因を考慮に入れる「霊精神身体医学」を提唱している。

昨年亡くなった友人もヨガにはまっており、彼特有の「癒し論」を聞いてもいたが、私からすれば単なる迷信。彼も霊験あらたかな水を飲んで医学を拒んだ。欧米ではベニー・ヒンあたりに頼る人々もいて、死んだ人を彼の元に運んでくるケースもあるようだ。ほとんどビョウキの世界である。

現代でも神の直接介入による癒しはある。が、現代では人間の裁量権が及ぶ領域が広げられており、医学を通して神は癒しをなさる(まあ、神学的には「一般恩恵」とか言うのだろう)。私たちは神の宮である肉体を適切に管理する必要があるのだ。これは自己責任の問題である。歯を磨かないで虫歯になって、ヒン様の聖会に行って金歯をもらうとか実に愚かしい。毎日歯を磨きなさい。その意味で、癌は早期発見、早期治療である。

クリスチャンにとって肉体の死は滅びではないが、この種の迷信によってあたら大切な肉体の命(bios)を損なう人々がこれ以上出ないことを切に願う。

Commented by T55 2007年05月09日(水)11:57

はじめまして。

おっしゃるとおりでございます。
聖霊派はおかしいと感じて、自分の意思で去りました。

Commented by 通行人 URL2007年05月09日(水)16:33

これがリバイバルだそうです。
http://cuttingedge.org/video/wolves.wmv

Commented by Luke 2007年05月09日(水)19:21

聖霊派ではマラキ書をもって十分の一献金をしないと神から盗む者であり、あるセンセイなどは、4倍返しで呪いが来るとメッセージしていました(ある方に勧められて聴いてみたのですが・・・汗)。

私のところにその教会にいた方がいるのですが、私がマラキ書に従って1/10でもよいし、2コリント9:7に従って心に決めたとおりでもいいのです、と申し上げても不安があったそうです。そこである日、献金を一切やめたのですね、実験的に。ところがそれでも祝福はますます増し加わったとのことです。

献金はこのような喜びの中から捧げることが鍵であって、額の問題ではありません。もちろん多く撒けば多くの実を収穫できることは法則ですし、マラキ書に従って神を試してもよいのですが。神は真実であることは、私も経験的に証しすることができます。

それと右の手がしていることを左の手に教えないことですね。名前の書いた月謝袋みたいな献金袋があるそうですが、献金するとスタンプをするようなのはおかしいのです。ある教会では請求されるそうですが(笑)。主が知ってくださればよいのです。

Commented by dogwood 2007年05月10日(木)10:17

癌で亡くなったその方とほんの少し面識があったので、何度かお見舞いに伺いましたが、本当に悔しいの一言です。その方の世話をしてくださったYさんからいろいろと事情はお聞きしていたのですが・・・・
 
 葬儀会場でまた、悔しくて悔しくて・・!!

Commented by Luke 2007年05月10日(木)18:40

そうですか、やはりなのですね。お若く、子供さんも小さいのが心に刺さります。

Commented by ひろこ 2007年05月10日(木)19:46

本など読むと神に癒されている人もいる。コレは薬に頼っていることが其のことが起こる力を弱めているのではと考え、副作用もあることだし、止めてそれにかけて祈り求めようとした。kfcにきはじめて間もない頃だったが、パスターにお聞きしたところ、語気も強く、薬は飲まなければだめ医学をとうしても癒しをなさるといわれた。以後飲み続けているが、いまも生かしてくださっていることを主に感謝しています。

お知らせ

昨晩11時ごろからサーバーが不調で、バックアップで運用しておりましたが、現在復旧いたしました。その間に書き込みをされた場合、それが反映されておりません。よろしくご了承くださいませ。

どうも先にウイルス攻撃を受けてから、サーバーの調子がよくありません。

自然科学者の見方

アップロードファイル 12KB昨日の記事にレスをいただきましたので、ちょっとついでに自然科学者は事象をどのように見るかの一例を紹介します。図にありますように、ある調査でx,yという変数を調べて、xy軸上で散布図を見るとxとyはかなり関係がありそうです。これを「正の相関がある」と言いますが、また別の見方をしますと、この事象はx,y軸では本質が見えないとも言えます。

そこで分散(広がり)の一番大きい方向と、一番小さい方向に軸を取り直します。これは行列の固有値問題となるのですが、大きい方をA軸、小さい方をB軸とします。するとこの事象を最もよく説明できるのはA軸であり、あまり説明できないのはB軸となるわけです。で、問題は、この事象において果たしてA軸は何を意味するのだろうかとなるわけですが、これは数学の問題ではなく、解釈の問題、すなわち個々の経験科学の問題となるわけです。

こうして私たちは本質的な隠れた変数を見出すわけです。それがニート・フリーター問題であれば、A軸とは「自己責任⇔甘え」の軸であろうと考えるわけです(Aが大が自己責任、Aが小が甘え)。社会科学や思想においては、私たちとは逆に、やたらと詳細な変数まで考慮に入れて議論が分からなくなる印象を持っていますが、彼らからすると自然科学はあまりにも「おおざっば」であると見えるのでしょうね。確かに実際のところ、私たちはB軸は捨象して、この事象をA軸のみで説明するわけです。

キリスト教神学にしましても、私たちからすると、「いのちの成長」が最も重要かつ本質的な変数であり、その他の変数の違いによって論争するのは、まさに不毛な論争であろうと考えるわけです。極端な例では、ある教派では、賛美の際の有楽器派と無楽器派で分裂しているそうですから。

と言う次第でして、私どもとしては、Aと言う変数が見つかった場合、その解釈に対しては多くの分野の方々の意見を伺いたいと思っておりますので、よろしくどうぞ。

戦争した方がマシ!?

帰宅途上の車の中で観た今日のNHK『クローズアップ現代』によると、ニートやフリーターの人々は現在の生活があまりにもシンドイため、むしろ憲法9条を改正して、軍隊を作って、徴兵してもらって、給料をもらって戦争した方がマシだと考えているらしい!?

私も憲法9条の改正は、あくまで自衛軍としては賛成だが、今の生活がシンドイから、戦争がマシだと言う短絡的発想に戦慄を覚えますね。私は自衛軍ができたとしても、戦争する気力は今の日本にはないとタカを括っていたのですが、こういった投げやり的戦争もありえるわけか。彼らにはある種の破滅への憧れがあるらしい。何だか、テレビゲームで負けが込んできたので、すべてをリセットしてしまうみたいなムード。

数日前にニートやフリータの諸氏が「国は生活保障をせよ」とデモ行進をしたらしいが、やはり彼らはどこか倒錯している。一方の国もニートやフリータ諸氏にちゃんと働いていただくために私たちの税から数百億円の予算を組んだらしいが、こちらも倒錯している。どこぞの大学も、ニートやフリータは社会のお荷物みたいな表現をして批判され、人権侵害を謝罪したそうだが、ホンネはどうなのだろう?この人権派と言う連中がニッポンの崩壊を助長してはいないだろうか?

そもそも彼らは価値観の据え方を誤ったのであり、それは何度も書いているとおり、自分を世間に適応させることに自ら失敗しているのであり(障害者たちのケースとはまったく異なる!)、それは自分が世間の一部であることを忘れた自己追求のなれの果てと言える。自分と自分の価値観や欲求をすべて、すなわち世間としてしまう倒錯の挙句に、戦争ですべてをぶっ壊した方がマシ、と言う破壊的幻想。

ニッポンは世も教界もやはり病んでいるし、この倒錯現象は癒し難いほどに深刻だと改めて考え直した次第。

Commented by Luke 2007年05月07日(月)21:09

う〜ん、こう書いてみると、私はやはりアンビバンレツな感覚を有しているな、と自分でも思ってしまう。

再建主義との論争の時もそうだったが、私は社会モデルとして、富井氏の言う新ダーウィニズム的リバータリアニズムにけっこう共鳴しているのだ。それは自己責任の世界であり、聖書が語るとおり、富む者はさらに富む社会。その意味ではフランスのサルコジ氏が、働かない若者を社会のクズだ、と呼んだことにも、実はけっこう同意している。しかしアメリカ型自由競争社会にも拒否感を覚える。

何なのだろうか、この内的相克は、と自分でも思っている次第。多分今の日本型社会主義は、本来援助すべきでない連中を、税を投入してまで援助して、かえってスポイルしていることに違和感を覚えるのであり、アメリカ型自由競争社会は、落穂までも貪欲に持ち去る冷酷さに拒否感を覚えているのだろう。

共にその根本に人間に対する無知と言う共通項があるのだ。これは人間性を無視したキリスト教神学も同様。その意味で思想と言うものはコワイ。これが私の基本的スタンスなんだな、と一応納得しておこう。

Commented by chohsuke URL2007年05月08日(火)00:57

今の若者世代のうちにカタストロフィへの倒錯的な感情があることは確かでしょう。
同時に、為政者の側にも、自身の無能さを棚にあげて、若者世代をスケープゴートにしている面があります。

私が問題と思うのは、本質的に社会構造の問題であるものを、個々人の心的あるいは人格的問題に還元してしまう言説です(例、ニート叩き)。
そのような言説は、結局は叩く側の「理解しがたい者たち」への感情を一瞬解消し、叩かれる側のルサンティマンを助長することで終わります。
つまり、双方がお互いの言説を「あいつらはAだ、だからBだ」の一言で叩き合う関係に矮小化してしまうように思えます。

参考url:
格差社会を容認する類の弱者が望むもの
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/09/post_159.html

自尊心
http://www.journalism.jp/t-akagi/2007/02/post_193.html#trackbacks

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2007年05月08日(火)12:20

個人と社会(国家)の関係は、前に再建主義論争の時にハードコア・セッションで議論したことが懐かしいです。スライド・バーのどこに均衡点を設けるか、フランスはやや右によって来たのでしょう。
http://www.kingdomfellowship.com/cgi-bin/a_patio/patio.cgi?mode=view&no=16

Commented by Luke 2007年05月08日(火)14:33

ずっと前にやはりNHKで特集を組んでいましたが、ニートの諸君が「働いたら負けだと思う」と言いつつ、カップラーメンをすすっていた場面が思い出されました。ここでも彼らは自分が「神」になっているわけで、乳児的な妄想的全能感を失いたくないのでしょうね。このような人々にとっては前から何度も指摘しているとおり、ネットは「神」となれる都合のよい場を提供してくれるわけです。2ちゃんねるの西村博之あたりは、その「神々」の元締め的「大神」なのでしょう(笑)。

Commented by Salt 2007年05月08日(火)19:08

いつも鋭い指摘と分析に多くの示唆をいただいております。

今回も,大筋においてはまさに同感です。

細部においては,若干Lukeさんとは違う視点でものを見ていると思うので,ひとこと書かせてください。

私はいわゆる「人権派」ではありませんが,人権教育に関わる者として,またキリストのしもべとして発言します。

まず,ニートとフリーターはひとくくりには出来ないと思います。また,フリーターをはじめ,パートタイマーや外国人労働者が産業構造のスキマを埋めている事実も見過ごせないので,雇用者サイドや富める勝ち組,そして為政者にはいっそう大きな問題があるのではないでしょうか。

また,家庭環境の問題や生まれながらに重度の障害のある方など,簡単に自己責任を問えない存在についても簡単に無視することは出来ません。障害者自立支援法などは,そのような間違った責任の問い方をしている具体例だと見ています。

自己責任は誰に対するどのような責任なのかを明確にする必要があるでしょうね。

それにしても今安易に憲法をいじくるととんでもない美しさを追い求めて猪突猛進しそうで,本当におそろしくなります。

ちなみに,私は論理的に破綻している現行憲法を美しいとは思いませんし,ガチガチの護憲論者ではありませんが,この時期のわけのわからない改憲には反対です。

それに世界中で「戦場で最も役に立ちそうにない若者」を育てているのは間違いなく日本ですね。戦場で役に立つことがすばらしいことだとは思いませんが,こういう現状は学力低下よりもっと大きな問題だと思っています。

Commented by サラ 2007年05月08日(火)20:35

 みなさまのコメントに内なるものが触れ、参加させてください。
 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
   マタイ10−16
 ルークさんがメッセージの中で、救いの極みを健全なバランスのとれた人間生活。そう語っておられると受け取っています。それは上のみことばが成就することでもあると思います。世の中に送り出された私たちは、主・イエスにあって泳ぎきれるのですね。
 ルークさんの感覚がとてもよくわかるのです。在沖縄ですから憲法9条は、コメント難しいのですが、甘ったれるな、とどうどうと言えたら気持ちいいなと思いますね。

Commented by Luke 2007年05月08日(火)20:51

皆さまの率直なご意見をうれしく思います。それぞれの立場からのご発言、見ている部分も異なり、また切り口の角度がいろいろでとても参考になります。こういった問題はある意味で現在進行形ですから、一定の結論は多分出せないのだろうと思っています。

私は元々が自然科学者ですから、物事をきわめて単純化する習性があるのですね。変数を本質的なものに絞り込み、その間の関数関係で事象を把握するわけです。しかし一方でSaltさんのおっしゃるとおり、「自己責任」と言う変数も色づけがいろいろできるわけです。

またニート・フリーターも個々の事情があることは想像がつきますが、私的には「甘え」と裏腹の「自己責任」の変数でとらえているわけです。また社会の側の変数(外性変数)を考慮する必要も当然あると思います。

多分、今の日本は現憲法による社会のフレームあるいは外延が、内包である国民の病理に対して、十分に機能できなくなっているのでしょう。私も安倍氏の追及する「美しさ」には、前から書いているとおり、かなりアブナイものを覚えています。ある種の怨念があるような。

この意味で、自然科学者から見ると、国家の運営はあくまでも社会工学として、人間の性能と限界をわきまえて、その本質的な変数を制御できるように、社会のフレームも、なるべく思想性と言うか怨念と言うか、そういったものを排除した外性変数とその制御システムを整える必要があろうかと考えるわけです。

フランスよ、お前もか

これまで社会主義傾向が強く、ブッシュのイラク戦に対しても意義を唱えてきたフランスで新しい大統領が決定。サルコジ氏。アメリカ型自由競争社会の実現を目指すとのこと。経済の沈滞ムードを打開したいフランス国民の希望を託されたのか。

すべての尺度が金(マネー)である世界。黙示録のバビロンには宗教的側面と経済的側面があるが、アメリカから諸々の霊的流行が現れては消え、ベニー・ヒンなどが汚れた霊を撒き散らしているし、経済もアメリカ型がグローバルスタンダードと化している。

このバビロンでは人の魂すら商売の対象となるのだ。現ニッポンはそれに対抗することもできない人々が、その無力感の中でニートやフリーターとなり、ネットカフェで暮らす状況。人の価値がすべて経済的価値に置き換えられているわけで、バビロン化のひとつの兆候である。そしてついには社会もスラム化することだろう。

Commented by Luke 2007年05月07日(月)12:52

フランスの若者はまだ骨があるのでしょうか。抵抗勢力が警察と衝突しているようです(→http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/france/story/07reutersJAPAN258463/)。

Commented by kenji 2007年05月07日(月)17:13

全盲の弁護士竹下氏の働きがテレビで紹介されました。http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=202&date=2007-05-05&ch=21&eid=36946

このような骨のある人物が日本からいなくなっていると思うこの頃です。第9条を中心に改憲議論が酣ですが、実は、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が単なる努力目標に貶められるのではと危惧しています。

Commented by ぽん 2007年05月07日(月)17:51

とうとう誇り高きフランスも
アメリカの追随ですか・・・
残念ですねぇ・・・・
ロワイヤル氏が勝てばむしろ
移民問題など少しは人権、差別的な面が
前進するか?と思っていたのですが。
まぁそんな簡単なもんではないでしょうが・・・
お金中心主義、心を失った社会がまた一歩
地獄への階段を登り?(降り?)つつあるようで。
肉のものと霊のものが羊と山羊のように
分けられるといいますから、人の目には
敗北、貧困、であっても主の目には違った見え方が
あるのかもしれません! 
しかし肉の目で分ける?なら原理主義になる。もう成ってる・・・真の礼拝者、主を賛美するものがだれか
主だけが御存知です。