2006年06月05日

人格障害者と犯罪

今回の秋田の事件で公開された彼女のビデオにおける行動と発言を見ていると、自己愛性人格障害および虚言性乃至演技性人格障害あたりが疑われる。自分の娘の死に対しては実に巧みに「被害者」を演じており、また男児の事件でも「親しかった者」の役割を実にうまく演じている。あれが演技やウソと思う人は、少なくともビデオを見る限りないであろう。彼らはそうやって生き抜いてきているから。自分でもその役になり切ることができるのだ。

この点、和歌山カレー殺人事件の真澄氏ときわめて類似する。彼らの特徴は自分本位な価値観と世界観に生きることにより、一種の異様な雰囲気を漂わせる。そして発言も周りの空気が読めないため、浮き上がる。かくして孤立感を強め、そのはけ口として子供などにあたることはよくある。今回最悪の場合、女児も同じ手によって殺害されている可能性が高い。孤立感・疎外感を持つ人格障害者による犯罪はまさに人間のつながりが切れてしまっている現代の象徴だ。

PROUT

バトラ氏のPROUTは教会についても言える。いわゆるメガチャーチの幻惑で眼がくらんだ野心的牧師たちが、その流れを日本に入れるならば、商店街の小さな駄菓子屋的教会は成立しなくなる。すでに韓国では"倒産"する教会が出て、勝ち組みボクシと負け組みボクシとかも出ているとか?ニッポンキリスト教でもデカサによって牧師会での地位と発言力が決まるとか。サル山社会ですな(笑)

「現代の使徒・預言者による宗教改革」とか、肉の欲、目の欲、暮し向きの自慢を煽るにはまさにピッタリのスローガンだ。私は見栄えのしないおっちゃん・おばちゃんによる駄菓子屋教会があちこちに植えられることを願っている。そこで二人または三人がわたしの名によってあつまっているならば、わたしもまたそこにおる、と言う主のきわめて親密な語りかけを聴くことができるだろう。

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秋田の事件は、やはり、でしたね。やりきれない気分です。あのような閉鎖社会においては、人間関係の縺れで自分を見失ってしまうのでしょう。しかしこれからさらに最悪の展開もあり得ます(意味は・・・言いたくない)。これはキリスト教界も同じ。この業界は人を病ませる「何か」が働いています。クリスチャンたちよ、キリスト教界をエクソダスせよ!世にあって生き生きと生きよ!

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村上さんはインサイダーを認めたらしい。LBがらみの取調べで相当に証言があったようだが、金だけで結びついた者たちは互いの利益がなくなれば、さっさとバラバラになるのだ。アメリカ型資本主義の末路や哀れ。

Commented by まるふぁ 2006年06月07日(水)10:58

>私は見栄えのしないおっちゃん・おばちゃんによる駄菓子屋教会があちこちに植えられることを願っている。そこで二人または三人がわたしの名によってあつまっているならば、わたしもまたそこにおる、と言う主のきわめて親密な語りかけを聴くことができるだろう。

アーメン。