2006年06月17日

雑木林の魅力

アップロードファイル 190KBこの木々のにぎわい。空間スペクトルは多分1/f型。人の心を癒す。

Commented by ひろこ 2006年06月19日(月)16:36

空間スペクトル 1/fって心の揺らぎですか?緑の木立を眺めるたびに なにやら安らぎをおぼえていたので、どうしてかなとおもっていました。
私の心が 見ることで癒されているわけ 主に感謝。

Commented by Luke 2006年06月19日(月)20:22

いえ、スペクトルが1/fになるパタンが癒しを与えるのですね。心地よい音楽(例えばモーツァルト)などはこれです。

正法眼蔵-心不可得-

釋迦牟尼佛言、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。これ佛祖の參究なり。不可得裏に過去現在未來の窟籠を來せり。しかれども、自家の宿籠をもちゐきたれり。いはゆる自家といふは、心不可得なり。而今の思量分別は、心不可得なり。使得十二時の渾身、これ心不可得なり。佛の入室よりこのかた、心不可得を會取す。いまだ佛祖の入室あらざれば、心不可得の問取なし、道著なし、見聞せざるなり。經師論師のやから、聲聞覺のたぐひ、夢也未見在なり。

これが私たちの心の実際だ。ヤコブも言っている:

御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。

私たちの心が実質を得るのはただ「わたしはある」と言う方に対峙すること−

主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。ここでいう主とは、"霊"のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

の時だけだ。徹底的に自分の空疎さを知ることが唯一の希望の道。