2006年1月

ようやく・・・

本日で試験も終わり。採点も終了して,あとは400名分の成績報告書を作成するのみ。これで実質的に2005年度は終了で,4月まではわりと時間が取れる。これが大学教師のいいところでして・・・。しかしインフルエンザがまだ気管に残っていて,冷たい風で狭窄を起こして苦しくなる。体力もまだ十分に戻っていない。今日も試験監督をしている間についうたた寝をしてしまった^^今晩は早く寝て,あすは少し寝ていよう。

時代の霊に逆らうこと

時代は英雄を求め、たてまつる器を拝し、強いリーダーを求めている。美しいもの、見栄えのするもの、力のあるもの、影響力のあるもの、言葉の立つもの・・・。時代のアイオーンが私たちに迫ってくる:「お前に何ができるか。この時代の霊に服し、私を拝するように。そうすれば、あなたは繁栄し、富を得、影響力を行使できるであろう」と。主イエスを誘惑したとおりに、語りかける存在がある。しかし孔子ですら言っている:

子曰、巧言令色、鮮矣仁。
(子の曰わく、巧言令色、鮮なし仁。)

先生がいわれた、「ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、人の徳は。」

見栄えのしないもの、力のないもの、小さなもの、魅力のないもの、弱いもの−それらを顧みてくださる主の真実を求めたい。

Step Forward

一歩を踏み出すことは、もちろん、日常の生活でこれまでできないと思っていたことにチャレンジすることも、奉仕や伝道に踏み出すこともそうですが、もっとも本質的なことは、「自分から離れること」です。足りない、足りないと、求めてきた自分、傷ついて自己憐憫に閉じ篭っていた自分、その自分から一歩を出ることなのです。禅の天才道元もこう言っている:

仏道をならうとは、自己をならうなり。自己をならうとは、自己を忘るるなり。自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるいふとは、自己の身心、および侘己の身心をして脱落せしむるなり。−正法眼蔵・現成公案

この「万法」とは「自然の法則」であり、もちろん私たちの得ている「いのちの御霊の法則」ではありません。しかし私たちも自分を忘れて身心脱落するならば、いのちの御霊の法則に証せられるわけです。禅学の大家鈴木大拙は「わしはイエスが覚者であることは分かるが、聖霊と言うものはどうしても分からん」と言った。ここに禅者とキリスト者の違いがあります。

再建主義者はこのいのちを見ていないので、あくまでも廃棄されたモーセ律法の適用となるわけですが、私たちはこの法則に乗るのであれば、孔子も言っているとおり、

七十にして、心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず

となるわけです。手離しで自転車を走らせるようなものと私は喩えていますが・・・。

Commented by Sky URL2006年01月31日(火)23:51

>仏道をならうとは、自己をならうなり・・・脱落せしむるなり。
・・道元も、なかなか深いですね。

>インフルエンザがまだ気管に残っていて,冷たい風で狭窄を起こして・・。
どうぞ、ご自愛ください。お祈り致します。

One Desire

地上の幕屋に制限されている現在,その制限のゆえにパウロですらうめきをもっていたが,ひとつのことを願っている。それは一度でもいいから真に自己から離れた,セルフレスな礼拝を捧げる経験を得たいと言うこと。

Lord, I'd like to worship you solely for what You are, apart from and denying myself.

Commented by kawa 2006年01月29日(日)08:02

アーメン。真の礼拝は内から自然に湧き上がるキリストの叫びのような感があります。自分のことで精一杯の者が多い日常生活のなかで、地上で我々は既に小さな主の備え”I AM WHO I AM”を持っているから今在ることに誇りと勇気を持って今を生きていられるのではないかと思う。

真の礼拝

今のキリスト教界を見ていると、自分の必要の満たしのための礼拝、教会生活、学び、奉仕ばかりである。救世軍の山谷氏が指摘されていたが、米国のメガチャーチの成功の鍵は、あらゆる必要の満たしの設備とスタッフをそろえて置くことだ。

ここにあるのはまず神を拝する事ではなく、自分の問題解決や必要の満たしを得るために神を拝すること。つまり神を手段としている。すべての判断が「自分にとって」に基づいている。自分にとってやさしく、自分にとって益になり、自分にとって満足を与える者がGOOD。

これは特に心を病んでいる人たちに言えることであるが、彼らは自己の確立が不明確であるために、絶えず自分を受け入れ、自分を認め、自分を評価してくれる存在を求めている。この期待にこちらが沿っている間は、「Dr.Lukeは素晴らしい!」なのだが、いったんその期待をはずすならばエライことになる。お分かりになります?すべての基点が自分にあるわけ。

かくして教会ジプシーがあちこちをさまよい、様々の噂を流しつつ、このギョウカイを混乱させていく。本人自身も真の満足を得ることができないので、フラストレーションをさらに発散しつつ、悪循環に陥る。

真の満足や真の喜びは自己を離れる時に味わえる。礼拝を自己実現の手段とすることがないように。礼拝はただキリストにあって、キリストのため、キリストの満足のためのもの。自分にとってどうか―このような幼児性から一歩踏み出す必要がある。

しかしセルフ・オブセッション(自己がすべて)の今日このようなメッセージはあまり好かれないだろう。現代に主が地上におられたら、多分言われるであろう:「今人気がない者は幸いである。天において神の心を勝ち取るからだ。」

ホリエモンばかりでなく、私たちもすべてをゼロクリアして初めの一歩を踏み出す必要があるようだ。

Commented by emi 2006年01月26日(木)23:01

すべての礼拝は究極的に神とその御子の主権の認識である。それは敬虔な服従を持って生きるために御座の前に出て行き、また敬虔な服従の生活をするためにそこから出て行くという認識である。Colin Urquhart

これって、セルフ・オブセッションの全く逆ですね。

Commented by えすてる 2006年01月27日(金)19:22

セルフ・オプセッションを抜けつつある私にとって、この間のメッセージは何ともいえない腹の奥からのうめきを感じました(なんと表現していいかわからない)。1歩、踏み出さなくてはいけない何かを感じました。

Commented by kg 2006年01月28日(土)17:13

「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。また、だれがまず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです」。(ローマ11:33〜36)
私たちキリストのものが、ますますキリスト様だけを求め、心から自分を主に明け渡して、主に従っていけますように。ただ主だけがあがめられますように。

どうも東大出身者は・・・?

TVでかつての東大生山崎氏の光クラブ(高利貸業)、江副氏のリクルート、そして今回の堀江氏のライブドアと、歴史的な大経済犯罪事件を解説していた。キリスト教界でもある人が東大は偏差値教育で歪んだ連中が多いからだと言っていたが、ちょっと、ちょっと・・・と私などは思うのだ。確かに東大出身者が派手にして複雑な経済犯罪を起こすことはあったでしょう。が、彼らは東大出身者のごく一部の連中なのだ。統計的に見て、他の大学出身者と東大出身者の間に優位な差があるかどうか、きちんとサンプリング調査をしてから結論付けて欲しいもの。

どうも何でもかんでも偏差値教育の歪みとする人たちは、偏差値に代表される学歴に対して何か屈折したコンプレックスをいだいていますね。偏差値は実に便利なひとつの物差しなのだ。われわれはそれを利用するが、縛られてはいない。事実私などは偏差値から見たら東大合格可能性は40%だったのです。

牧師なども世の価値に縛られないとか言う人ほど、実は学歴とか社会的地位に対するコダワリを抱いているもの。実はわれわれから見るとこの手の人はすぐに分かってしまう。ニッポンキリスト教界の妬みや嫉妬などの陰湿さは、世で得られなかったものを補償的にこのギョウカイで得ようとすることによるのだろう。真に貧しくあることを喜こべないのであれば、世で大いに儲けたらよかろう。真に低くあることに満たされないのであれば、世で学歴も社会的地位も大いに得たらどうだろうか。このギョウカイでジメジメとくすぶっているよりはよほど健全であると思うのだが・・・。

Commented by 外科医 2006年01月25日(水)21:31

 医者が、脱税や青少年保護条例違反などを犯しても、面白可笑しく報道されてしまいます.
 東大の定員が何人かは知りませんが、大雑把に3000人と計算しても、10万人を遥かに超える東大生や東大卒業生が存在する筈です.同様に厚労省の資料によれば10万人以上の臨床医が存在しています.
 数人の例外的人々の逸脱行為のために、十羽一絡げに、東大は...、医者は...、国T公務員は...、先生は...、という意見が出て来ます.
「大多数の医者は、目の前の患者さんの事に汲々としているだけで、決して脱法行為の策略を思い巡らしているわけではありません.国T合格者が全員ノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けているわけではありません.私の弟も含めて、大多数の官僚は真面目で、社会の公僕として、日々の仕事に誠実に取り組んでいます.一部の例外的な人々のために、酷い場合はN=1のケースであっても、その集団全体を代表しているかの如く言われるのは不本意です」
 ところで、以前研修医だったころ、派遣された病院近くの客員として礼拝出席していたある教会の牧師先生は、自分の教会に「外務省キャリア、東大卒の大企業の重役、弁護士、複数の医師が」いる事がご自慢でした.自己紹介した私に、自慢げに話す様子は滑稽でした.その牧師先生のアイデンティティはそんなところにあるのかなー?と話を聞いていて、何だか白けてしまった記憶があります.
 乱筆乱文をお許し下さい.

コリント後書10章15節〜 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。
 それは、私たちがあなたがたの向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです。
 誇る者は、主にあって誇りなさい。

Commented by ひろこ 2006年01月25日(水)22:46

品物にもピンからキリまであるように、人の中にもいろいろあり。
 10パ

Commented by ただ 2006年01月25日(水)23:01

ルークさんにあっては、牧師などは十把一絡げかと、いてみるテスト

Commented by ひろこ 2006年01月25日(水)23:31

先ほど書きかけたところでとんでどこかへいっちゃた。
コリャ困ったと驚いた。Newにはいっててまたびっくり。
心臓に悪いぞ。書くところ出てきたので
 つづきと思ったが(なくてもよいかな10ぱを消せば)
けしかたわからない。

Commented by Luke 2006年01月26日(木)08:09

コメントを書く時に、「削除キー」を設定しておいて下さい。で、上のメニュの「記事編集」で、そのキーを入れて、編集したい記事を選択してください。

堀江氏の逮捕

いざ実際になってみると、ちょっと虚脱感を覚えます。いい意味でも悪い意味でも、彼はお祭りを盛り立ててくれました。祭りの終わりの虚しさみたいな感覚を覚えております。PCゲームの目立つキャラが引っ込んでしまったような・・・。やや複雑ですね・・・。

祭りの終わりの大事な日に、イエスは立って叫んで言われた。誰でも渇いている者はわたしのもとに来て飲むが良い。

Commented by ICHIRO 2006年01月24日(火)21:12

確かに、、、(嘆息)
全裸にされて身体検査、3畳一間、暖房無し、便器丸見えの独居房、、、
あのバベルの塔の主にとって、さすがに気の毒とも思えて来ました。

お断り

堀江氏が逮捕される公算が強まりました。ここで彼の件についてイロイロ論じておりましたが、ここまで追い詰められた人物をさらに云々することは不適切な感覚を覚えますので、一連の関連カキコを削除しました。ご了承下さい。

彼がある意味で若者の希望の星であり、古い体質の日本経済に風穴を空けた功績は大いに認めたいと思います。彼はある意味で無邪気過ぎたというか、学生のノリでうまく行き過ぎてしまったのだと思います。多分、彼などよりもよほど悪を行なっている人々がいるのでしょう。この意味で私自身もきわめて残念です。

彼が償うべきものを償って、また復活する日を待ち望みたいと思います。

二宮金次郎再考

前に金次郎の徳政にふれたが、リバータリアニズムの長所(自立性)を生かし、その過酷さ(1か0か)を避ける絶妙のバランスを彼は見せたようですね。案外ややこしい政治哲学などではなく、人の情が鍵なのでは?

落ちたホリエモン

勝ち組負け組みの話をしていたら、この事件です。彼についてはここでも苦言を呈していたが、やられましたね。ちょっと舞い上がり過ぎたようです。私は彼が「人の心は金で買える」と言った時に神の手を感じました。黙示録のバビロンでは、人の魂すら売買対象とされています。人間の尊厳に対する重大な挑発です。

ちなみに再建主義の富井氏は、これは検察のいいがかりであり、ホリエモンをつぶすなと力説していますね。ここに見かけ上似た国家モデルを持っている私との本質的違いが見えます。面白いことです。

真の豊かさ

インフルエンザはようやく収まりつつある。今回はやや重く、かつ長かった。ご心配いただきましてありがとうございました。

 * * *

救世軍の山谷氏とは不思議な縁がありますが、今回は大いに啓発をいただくことができ、主にあって感謝致します。ここでも何度も言及した「二分化社会」と「メガチャーチ」が「再建主義」をキーワードに整合的に説明できてしまうとは、実に鮮やかでした。私たちが真に対峙するアイオーンが新自由主義の姿として侵入しつつあるわけです。

何でも、氏の誇るところによりますと、救世軍仕官(=牧師)としての年収は、ご夫婦合わせて200万台。18万の手取りから3万の献金をされ、親子4人、月15万の生活をすでに15年間されているとのこと。信徒6名の牧会をされているようです。そのような生活をエンジョイすることを究めていると証しされている。(掲示板より)

私もかつて学生結婚し、長女が生まれる頃まで、年収170万の生活をしたが、今から考えると当時は実にリッチだった。しかしそれとは状況が違う。

今回メガチャーチの問題をするどくえぐられた山谷氏であるが、実際にこのような生き方をする主にある兄弟が、牧会の労を取ってくださっている知り、日本にはまだ希望があると大いに励ましを受けた。

主にあって敬意を表したいと思います。

エクレシアと各キリスト教

アップロードファイル 54KBキリストの体であるエクレシアの実質といわゆる○○・キリスト教界の関係と変遷についてシェマティクにまとめました。

巨大なフェイクの時代

われわれは何か巨大なフェイクを見せられているのかも知れません。アメリカの政治・経済もメガチャーチなどの礼拝も同じものを感じます。黙示録のバビロンには二種類があります。商業的バビロンと宗教的バビロン。

共にイエスのご人格とは乖離したものです。イエスはメガチャーチをご自身の栄光と感じておられるでしょうか?言うまでもありませんね。しかし今後多くのクリスチャンが欺かれるでしょう。否、大多数といえるかも知れません。ニッポンキリスト教に現象的な「リバイバル」が起きるすれば、それは間違いなくフェイクです。欺かれない者は幸いです。

欺かれない鍵はフィラルデルフィアの教会に対する主の言葉にあります。

Commented by 外科医 2006年01月15日(日)09:24

 再建主義ウォッチング掲示板で、皮肉を込めてメガチャーチの画像を貼ってきましたが、ルーク師もメガチャーチに?を附しておられていらっしゃるのを拝読して、何だかほっとしました.

Commented by Luke 2006年01月15日(日)11:56

私は以前から、今後において真理を妨害するのはキリスト教界自体であると指摘してきました。山谷氏の言われるように、ワーグナーらの類キリスト教再建主義思想によって動かされたメガチャーチがアイオーンの表現なわけです。そして彼らがリバータリアニズム(再建主義的二分化)社会をもらし得る。つまり私たちは何に対峙しているわけでしょうか?

昔は敵をアイデンティファイすることは単純でした。ローマ皇帝であり、ドイツ第三帝国であり、共産主義であったわけです。彼らは明らかに信仰の「外」にあると見えたのです。ところが現代の敵は・・・。

罠は非常に巧妙に仕掛けられています。「リバイバル音頭」のニッポンキリスト教の節穴的眼ではまず見抜けないでしょう。ずっぽりハマリ、はまっていることにすら気がつかないでしょう。

Commented by Luke 2006年01月15日(日)12:27

この論点については今後きわめて重要になりますから、ハードコアにまとめておきます。

二分化社会の病理

実を申しますと、私自身は、自分の身の預け処を藩から会社に変えただけの、明治維新以降の「一生面倒を見てもらう代わりに滅私奉公する」式の日本のあり方はあまり好きではないのです。勝ち組と負け組みが明確に分けられ、努力した者には十分な報酬と地位を与え、格差を設けるべきと思っているのですね。

今の小学校では走ってもお手てつないでゴールだそうです。一言、あほくさ。できるヤツを潰すのが公教育の現状。私は潰されてたまるかと、そこから抜け出るために努力したわけです。ただし、機会は平等。どんなに貧しくとも、「むしろバカとブスこそは東大へ行け!」の桜木の台詞に燃える方なのです。

おいおい、何だか富井氏的ノリになってきましたが、事実彼の主張にはかなり共感しているのです。今のニッポンキリスト教は負け犬であることが当たり前みたいな感じ。病者のためにキリストは来られた、病者であることこそ幸いであり、教会は病者を受け入れ、大切に省み、保護するべきだ。で、疲れ果てる先生たちが多いこと。あのですね、病者はキチンと医師にかかるべきなのです。

要するに言いたいことは、前から言っているとおり、現在の教会は倒錯しているのです。かくして富井氏は再建主義こそ教会再生のための唯一の真理であるとなったわけです。そしてエリート意識を秘めた人にフィットしますね。私にもフィットしますから^^

以前にも述べたことがありますが、これからの日本のあり方を予想するに、社会は多分リバータリアニズム的に進むでしょう。要するに適者生存で、勝ち負けが明確化する。で、教界にはそこから落ちた人々が難民となって流れ込むでしょう。しかし養うことができない。ヒューマニズムの砂糖まぶしで、教界はフラストレーションのはけ口と化して混乱するでしょう。

さらにもっと深刻な問題は、勝ち負けの判定をされることを避けて、すでに400万のフリーター、80万のニートと言う層があることです。彼らを教育するために国が数百億を使って、彼らに学んでいただき、働いていただくようにする。ここにも倒錯現象が起きています。

しかしサイエンティストとしての私から冷徹な法則を申し上げるならば、会社において真に仕事をするのは全体の20%の人。彼らが80%の大事な仕事をこなしている事実。日本の個人資産が1300兆あると言っても、その80%を20%が占める。(実はその60%を富裕な老人層が占めている。)この「8:2」の統計法則をパレートの法則と言う。これも前に言いましたね。

で、問題は昭和までの日本であれば、あまり役に立たない80%の人を食べさせる緩衝領域があったのですが、これからはこういった無駄な領域はカットされていく。分かります?再建主義に中間領域がないのと同じです。しかし組織論の専門家に言わせると、実は何も役に立っていない空気のような80%の人がいないと組織が機能しないことも法則。彼らの存在が20%を生かすのです。要するに組織あるいは国家にはアソビがないと機能しないのです。

これから日本はある種の実験社会へと突入することでしょう。景気も回復。株価も絶好調。見かけは繁栄が戻るでしょう。現に金は余って行き所を探している。しかし精神的・霊的には真空が残ったまま。オウム事件の時、Time誌が、日本の霊的真空に吸い寄せられたと論評していたが、多分、緩衝領域から追い出された人々は宗教や占いやオカルトや秋葉系などのオタクなどの妄想系世界へと逃げるでしょう。科学万能主義とそれにはまりたくない諸々の主義に二分化するのではないでしょうか。ここにもストイケイアが働いているわけですが。

山谷氏がアメリカにはメガチャーチがあるから身の置き所を確保できるが、日本にはそれがないと指摘されていますが、最後の身の預け所として天皇制です。二分化社会で両者とも疲れ果てて、やはり天皇の臣民として生きることが実は日本人にとってもっとも安楽であるとの共同社会幻想が復活する可能性が大きいですね。この時期に男系女系の論争が急がれているのも意味があるかもしれません。天皇こそもっとも大いなる緩衝領域となり得るのかもしれません。

二分化社会の到来の可能性

以前から私も予測していた、二分化社会の到来の可能性について、山谷氏が米国のメガチャーチのトレンドから分析しています。実に面白い。私もこのような社会システムに日本人は耐えることができるだろうかと前に問題提起しているが、こんなところにも聖書と言う真理の書を読み違えたやや狂気の入った再建主義が関わっていたとは!?一読をお薦めします。

見分けの鍵

どうもインフルエンザのようですが、胃に来ており、しかも味が分からなくなっています。この数日間、ウイダーゼリーとヴィタミン剤と牛乳でしのいでおります。お陰様でダイエット効果てきめん^^ただ、みなさんにうつしてはまずいので、明日のセレブは私はお休みです(集会はあります。主とみなさんにお任せ)。
 
 * * *

いろいろな「風」を見分ける鍵は何かとご質問をいただきました。そうですね、メディアが好んで取り上げるものはたいていよろしくない。なぜ、金が絡むから。そして最も本質は、

・世の霊:自己増長・拡大・主張・ニーズ・評価を受けることや煌びやかを好む
・主の霊:自己が小さくされる・低くされる・軽視される・争わず人々からの拒否無視を喜ぶ

ある方の教会でも「パーパス・ドリヴン」に副牧師主導でどっぷりだそうですが、その方自身は「この2年間ビッシリ学ばせていただいたら、十字架の死と復活がないものに目ざとくなったようです」と証しされています。でも、大変ですね。周りが踊っているのに、自分は踊らないのも・・・。

教えの風のルーツ

ニッポンキリスト教ががんじがらめのクルシチャンを大量生産することは明らかのようですが、その教えはどこから来るのでしょう?また「パーパス・ドリヴン」などの流行の風はどこから吹いてくるのでしょう。

パウロは言っています:

キリストの充満の〔持つ〕規模に到達し、もはや未成年者ではなく、人間たちのサイコロ遊びまがいの、人を欺き惑わすだけの奸計じみた教えの〔送り出す〕どのような風にも〔挑発されて〕荒波立てたり振り回されたりすることなく、愛にあって真理を語り・・・(岩波訳エペソ4:13,14)

この風のルーツは、エペソ2:2では「アイオーン」と訳され(岩波訳)、人格化された時代の霊であり、天空という権勢領域の支配者に従って、不従順の子らの内に働いている霊(アイオーン)」とあります。ガラテヤ4:3;4:9;コロサイ2:8;2:20では、「世を支配する諸霊(新共同訳;原語ストイケイア)」と訳されています。

つまりこの空中には何か霊的存在があり、彼らが人間にある種の考えのヒントを吹き込むのです。あるいは絶対主権者の神は、温度が原子運動によるにも関わらず、絶対零度でも原子運動を許していますから(論理的には矛盾。不確定性原理により観測の限界)、大脳の不確定性要因によって、何かのアイデアが閃くのかも知れません。前に述べた「間」の病理によって相互作用しているかも知れません。(私たち医学者からすると分裂病者や欝病者の幻覚や妄想が聖霊派のようにすべて悪霊由来とは思いません。大脳生理的要因があります。)

いずれにしろ、私たちの内に生まれたその種は、ここが大切な点ですが、私たちの肉を刺激するのです!十字架と御言葉を経ていない肉にとって気持ちがいいのです(肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢;これが私の言うヒューマニズムです)。この意味で私は「人間的教え」と言っています(新改訳では上の聖句も「この世の幼稚な教え」と訳しています)。つまり人間の責任を無視し得ないのです。かくして肉はふくらみ、論理的肉付けをなし、さらには御言葉の「裏づけ」まで取り付けて、ひとつの確固とした思想体系が構築されます。これが肉の要塞のひとつです(2コリント10:4)。これが風となって時代を動かします。ニッポンキリスト教などはまさに赤子のように吹き回されているでしょう?

では、この空中の権を持つ者たちはどこから生じたのでしょう。これは実は私のカレッジの「スピリチュアル・バイブル・リーディング」と「真理の探究」で詳細に述べていますが、創世記1章を開いて下さい。創造が6日でなされたことが書いてありますが、よ〜く、読んで下さい。第2日目に大空を分けました。他の日ではすべて言われている「神は見て、良しとされた」の句がこの日だけないでしょう?何故でしょう?ここでウォッチマン・ニーと言うよりは、そのルーツのG.H.Pemberは、このときに空中の存在者も解き放たれたのだ、と言います。ではそれまで彼らはどこにいたのでしょう?はい、これから先はカレッジをどうぞ(と宣伝してしまった^^)。

かくしてこれからキリストに充満されていないニッポンキリスト教は、ますますアメリカ産の油注ぎの器や、先生たちの流行の風に吹き回されることでしょう。加えてメディアがヨイショ記事で煽ります。株と同じで、メディアが煽ったらオシマイ。御言葉で啓示されている主の御心は、黙示録3章のフィラデルフィアの教会にあります。ご自分でぜひ声を出してお読み下さい。

見よ、私はお前の前に扉を開いたままにしておいた。それは誰にも閉めることができない。なぜなら、お前は小さな力しかないのに、私の言葉を守り、私の名前を否認しなかったからである(岩波訳)

扉は人がムーヴメントで開くものでもなく、力のあるメガチャーチを打ち立てることでもない。「小さな力」を主は尊んでくださるのです!欺かれてはなりません。

なお、リンクで紹介したMax&Sheilaは何と"Lerning to Spirit-led, Not Purpose Driven"をロゴマークにしてしまいました^^彼らも言っています:福音とは普通の人が偉大な救い主を知ることであり、私たちが偉大になることではないのです!

Commented by Luke 2006年01月13日(金)23:31

山谷さんは、このストイケイア/アイオーンがメガチャーチのルーツと再建主義の間にどのように働いてるか、解説して下さっているわけです。私も前から指摘しているように、「現代の使徒・預言者の宗教改革」はかなりアブナイですね。

Commented by 立ち寄り人 2006年01月14日(土)14:47

あ、ほんとですね。100ヘエです。2日目だけない!?気がつきませんでした。

主の御心とは?

せっかくヒゲをはやしたものの、何とマスクをする際、ムズムズとして耐え切れなくなって、ついに剃ってしまいました(笑)。これは主がヒゲを伸ばすのをお許しにならなかったためで、そのために風邪も主によって許されたのです・・・と、言った「証し」が聖霊派あたりではよくなされるようであるが、私にとってはこれが主の御旨なのか単なる生理現象なのか、判断できない。

このような「証し」が嵩じると「御心を行なえ」→「聴き従え」となって、深刻な事態が生じる。「御心」って何?「聴き従え」って、誰に?かくして「御心」から落ちることや、不従順の裁きを恐れて戦々恐々として、とてもクオリアどころではなくなるわけ。こうして牧師センセイ様が教会のトップにお座りになられる次第。この根底にはパラノイドの病理がある。主から見捨てられる、裁かれるという恐れと不安。

主の御心は何でしょうか?主の御心はただひとつです。「主ご自身を知ること」。私たちの失敗において、主の憐れみを知る。私たちの不従順において、主の愛を知る。生きるにせよ、死ぬにせよ、あらゆることで主を知ること。主のクオリアに触れること。これが御心です。このことだけを動機のすべてにしているとき、万事はOK!

安心して罪を犯してください、とは言いませんよ、パウロも言っていますが。しかし罪の満ち溢れたところには恵みもさらに満ちるのです。不従順のある心には主の愛によるメルティング(溶解)があるのです。あなたは自我を砕かれたいですか。ニッポンキリスト教の「自我を砕き〜」から解かれて下さい。主よ、私の頑なさをあなたの愛のクオリアで融かしてください、と祈りましょう、ね♪

パーパス・ドリヴンへの警鐘

救世軍の山谷さんがとても重要な指摘をされています。人間の目に訴えるものは真理のようで、実はフェイクです。終わりの時代、流れに飲み込まれて欺かれてはなりません。

再建主義ウォッチング掲示板

発熱をおして・・・

この7,8年、熱なんて出したことがないのに、本日は二コマ講義が入っており、しかも学年末で補講期間がないので、ブルブルしがら講義しました。やつれている上に、ヒゲを伸ばしたので、『三丁目の夕日』の売れない作家のような風袋。学生が心配してくれて、彼らはやさしいんだあ〜涙。

というわけで、明日が1日休みですから、もう寝ます。

Commented by うっきー 2006年01月11日(水)21:32

ルークさん
お熱があるのに、お疲れさまでした。
あったかくして、明日もゆっくり休んで下さいね。
茶川風ルークさんも、ちょっといけてるかも・・・?
いえいえ、早くいつものダンディーな(?想像では?)
ルークさんにお戻り下さいませ!

初めに聞いたこと

北海道の岩内からポーランドに移り、また英国に戻ったMax&SheilaからNew Year Greeting Mail が届いた。その中の一節:

‘Learning to Be Led by the Spirit, Not Purpose Driven(Rom.8:14)

「御霊に導かれることを学びなさい、パーパス・ドリヴンではなく」(ローマ8:14)

今日「トランスフォーメイション」とか、上記のだとか、尤もらしい人間の教えが密かに侵入しています。欺かれてはなりません。初めから聴いていた教え、つまり御言葉に留まりましょう。

甘くまろやかな主

どうも今回の風邪は胃に来るようで、ジワジワと胃が焼ける感覚ですね。カミさんと長女も同じ症状です。

こういったサイトを開いているとイロイロと絡まれたり、ご批判を受けたり、告発を受けたりするのですが、それでも皆さんから証しのメールをいただくと励まされるのです。ひとつご紹介したいと思います:

... 続きを読む

Commented by まるふぁ 2006年01月09日(月)19:48

ありがとうございます……
私も、「型にはめない」と言い続けながら、型にはめていたんだなぁ、と気付かされました。(自分のフレームにはめて目に見える形を造って「これが御心だ!!」って……)

なーんか、力がふっと抜けたようです。
ありがとうございました。

私は紅茶が多いですが、甘〜いミルクティーが大好きです。お話読んでたら飲みたくなったので、これからいただきます(^_^)
ありがとうございます。

Commented by Luke 2006年01月10日(火)16:31

ついにキターーーー、発熱が。この数年来なかったのだが・・・。今大学ですが、1.5時間のドライブはややキツイか(汗)

皆様もお気をつけて。胃→喉→発熱のパタンの模様。

新年の初回セレブ

1月1日に礼拝をしないのは何故かと思われるニッポンキリスト教の方もいると思いますが、私たちは家族と家庭で新年を迎えたいわけですね。で、今日が2006年の初回です。

今年のスローガンは「ステップ・フォーワード」。つまり「一歩の踏み出し」です。それぞれプライベートでもパブリックでも、主の招きに従って、一歩を踏み出すと。ヨルダン川をわたる経験でもあります。でも主が道ですから安心して下さい。

私たちはこのニッポンキリスト教と言うギョウカイとはあまり関わりを持ちたくありません。「リバ新」から本を出しましたが、私はニッポンキリスト教聖霊派や、○○教団や連盟や同盟などには一切関係ありません。下の「リバ新」の記事でも、「日本民族総福音化協議会」とか「日本キリスト教団聖霊刷新協議会」とか「全日本リバイバルミッション」とか、何か大袈裟な名前が並んでいますが、これって主のいのちと何の関係があるのでしょう。どうもこの世代の先生たちは全学連や全共闘のノリなんでしょうね。

私の世代はノンポリですから、クオリアを楽しみつつ、いのちの歩みをしたいわけです。あまり「決起」や「戦闘」や「奪還」とは縁がありませんね。では、また1年、懲りずによろしくどうぞ。

知恵の道は右手には長寿、左手には富と誉れ、そして楽しい道、平安な道、いのちの道。

少々こわくなってきました

どうもニッポンキリスト教界はこわいです。再建主義ばかりでなく、下で紹介されている『リバ新』の記事なども、「決起」とか、「奪還」とか、「戦い」とか、これじゃ対テロリスト作戦みたいだ・・・。このギョウカイ、先生同士も因縁がくすぶり、先生と信徒の間でも遺恨が残っているようですし、とにかく表の「愛だ」、「赦しだ」と言う標語と裏腹に、潜在的な空気が陰湿でこわい。とてもクオリアどころではないようですし、いのちはどこかへ追いやられている感じがします。このギョウカイ、安心して身を置ける感じがしないのですね。

Commented by はるえ 2006年01月08日(日)17:06

こんにちは♪

本当に、怖いですね・・・私の周囲でも、新年早々、何故日本にはクリスチャンが増えないのか、よーく分かってしまう出来事がありました。
増えない方が平和なんだったら、もう仕方はないかと・・・

イエス様だけ、まっすぐに求める。
単純で健全なまっすぐさを持つ。
もうそれだけで本当に十分です。
「それだけあれば大丈夫、生きていける」
そこに真の安心感があると思いますし、だからこそ、
普通の生活も満喫でき、感謝もしていけるのかな、
という気がします。

いつもこんな内容の書き込みばかりでスミマセン。
でもそれしかないですからね。

クオリア的生き方

この休み中に少々ヒゲを伸ばしてみた。私は若いころは老けて見られたが、最近は40台前半くらいに若く見られる。で、頭の方がややさみしくなっているので(汗)、ちょっと顔の方にと・・・。けっこう渋みが出たかと鏡を覗いて勝手に思っている。(が、カミさんと子供たちにはなぜか不評・・・)

昨日精神と物理化学現象の関係に興味があると書いたが、実はこの大脳が大脳を果たした理解し得るかどうかは分からないのだ。解剖学的にはニューロンのネットワークが徐々に分かっているし、神経生理学でもシナプスでの化学物質の働きなども解明されてきている。

しかしDNAの4つの塩基配列による遺伝情報の保存と再生のメカニズムのような根本的パラダイムが未だに分かっていない。(フォン・ノイマン型)コンピューターはONとOFFの二進数によって、AND回路やOR回路を組み合わせているだけ。その原理はきわめて単純。脳もそれと似ているが、しかしシナプスでのアナログ的要素があって、コンピューターとは相当に異なる。

この意味で私たちサイエンティストは常に己の限界がどこにあるのかと自問自答しつつ話を進めているわけ。デジカメでも画素数によって映像の質が決定してしまう。例えば一画素が1mm四方であれば、それよりも小さい物の像は決して写せない。CDなどもサンプリング間隔で周波数帯域が制限される。これと同じように大脳、そして言語と論理においてもある種の解像度と言うか、理解し得る限界があるのだ。果たして大脳の原理はこの限界の中に納まるのかどうか・・・。

対して神学者は愚かにも神を人間の言語と論理の中に収めようとしている。いや真摯かつ謙虚な神学者も多いのであろうが、己の解像度を知ることなく、自分の愚かさを曝しているだけの御仁もいるようだ。

言語と論理は大脳の、特に左脳の働きのひとつの表現であるが、右脳の感性やイメージはどう見ても表現し得ない。これを最近では「クオリア」と呼んでいる。これを提唱した人物は、布団に包まってぬくぬくとしている時の感覚と喩えているが、実は私はこの「クオリア」が大好きなのだ。温泉もそのひとつかな?トロトロと夢うつつに頭を使う大脳のアイドリング的・緩衝的働きと言える。

クリスチャンも左脳的(理屈と自己努力の世界)になるとクルシチャン化するが、右脳的(直感的感性と信頼の世界)に生きればこの「(霊的)クオリア」を楽しむことができる。昨年暮から正月まで各教会は様々なイベントでけっこう忙しかったようであるが、私は3週間たっぷりこの「クオリア」を楽しんだ。物理的にも、精神的にも、霊的にもぬくぬく感を楽しんでいたいのだ。

(本音:リバイバルのために、祈って、祈って、祈りぬけ!とか、徹底的に聖別されて、神の戦士として、戦って、戦って、戦い抜け!とか言われると、このデリケートな「クオリア」がたちまち壊れてしまうのだ。ゲンナリ・・・)

Commented by kazu 2006年01月07日(土)00:06

 こんばんわ。(&新年おめでとうございます。)

>で、頭の方がややさみしくなっているので(汗)、ちょっと顔の方にと・・・。

 お気持ちわかります・・・(うめきを共有)。
 アンドリュウ・マーレイみたいですよね^^。
でも、東洋人の顔ですとウォッチマン・二ーのような九・一分けでのカモフラージュもいいかも・・・。

 男の頭の毛が抜けても、それははげであって、その者はきよい。(レビ13:40)

 この御言葉にはハゲまされます・・・(汗涙)。

Commented by 立ち寄りびと 2006年01月07日(土)11:26

http://www.revival.co.jp/news/news01.html
↑これとかってクオリアを壊しそうですね(笑

Commented by ICHIRO 2006年01月07日(土)13:10

上のリンクの中で滝本氏が仏壇を壊せ
みたいなこと言っておられますが、
日本民族がみなクリスチャン化されると
奈良の大仏も、神社仏閣もタリバンみたいに
みんな破壊するのですかね?

Commented by Luke 2006年01月07日(土)17:07

Kazuさん、新年のご挨拶をありがとうございます。そうですね、男には男の、女には女の悩みがあるわけで・・・^^。

ICHIROさん、確かに「クリスチャンの決起」とか、「サタンに支配されたこの世の人々を霊的戦いによって奪還する」とか言われると、ちょっと引きますね。ややコワイです。私は神社や寺は結構落ち着くのです(滝元先生に言わせれば、悪霊に憑かれているかな?)。

今年も普通のおじさんとして淡々と生きるだけです。

Commented by 外科医 2006年01月08日(日)10:13

 日本人として生まれ育った滝本氏は、本当に日本人が仏壇を信仰の対象としていると思っているのでしょうか?確かに、日本的バックグランドのないアメリカの宣教師から見れば、日本人が仏壇を拝んでいるように見えるかもしれません.
 しかし、私の感覚からは、偶像というよりも、聖書で言えば、列王記や歴代誌に出てくる「王たちの墓」的な意味合いを持つ、祖先の記念碑的な意義があると思います.祖先を大切に思い(祖先が存在して遺伝子を繋いでくれたので今の私の存在があるわけですから)、偲ぶための位牌が飾られている箱だと思います.
 ですから、偶像礼拝の対象として、仏壇に対して憎悪の目を向けるのではなく、ましてや、破壊したり燃やしたり遺棄したりするのではなく、キリスト者として、仏壇に対する正しいあり方を考察する方が、日本人をキリストに導くことになるのではないかと考えます.
 列王記5章18節〜19説「主が次のことをしもべにお許しくださいますように.私の主君がリモンの神殿にはいって、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります.それで私もリモンの神殿で身をかがめます.私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように」
エリシャは彼に言った.「安心して行きなさい」そこでナアマンは彼から離れて、かなりの道のりを進んで行った.
 エリシャのような賢い解決策を、私たちも、仏壇問題で悩む日本人クリスチャンに提案できないでしょうか?
 ICHIROさんが仰っているように、神社仏閣を焼き払うなんて、言語道断です.キリスト教界は決してタリバン化してはならないと思います.
 実は、私は、神社仏閣が大好きでw、学会で地方に出かけると、必ず、当地の有名な神社仏閣を訪れ、デジカメで撮影します.また、霊山登山も大好きで、色々な霊山に愛犬と登りました.

Commented by ICHIRO 2006年01月08日(日)17:52

よかった。外科医さま、ホッとできます。
それにしまても、尾形氏は「股関節にヒビで歩けない
80歳の女性に、ペテロの水上歩行の聖句を語りつつ、
その場で歩くように勧めた。女性は車椅子から立ち
上がって10歩ほど歩くことができた」とのことですが、
これって医学的に見てこわくないですか?
聖霊派はどうもデモンストレーションばかりで
どこかこわいと感じるのですが、、、。

Commented by 外科医 2006年01月08日(日)23:07

 こんばんは.ICHIROさま.レスが遅くなりまして申し訳ありません.私は整形外科医ではありませんので、股関節骨折に関しては一般的な知識しか持ち合わせてはいないので、断定的なことは申し上げられませんが、次のようなケースが考えられると思います.
1) 骨折は治癒しているが、リハビリテーションが不十分だったため歩行困難になってしまった.股関節拘縮している.
2) 骨折は治癒していないので、歩行困難である.

1) の場合、歩行させる事は、リハビリテーションの一環として許容されるが、法律上本来は医師の指示に基づいて理学療法士が行わなければならない.
2) 言語道断!骨折が悪化した場合、傷害罪で訴えられても文句は言えません.

 いずれにしても、医師は神の許容の中で、癒しの技に携わっているわけですから、神の恵み、一般恩寵である医療を蔑ろにした妄信的癒しに対しては、私はクリスチャン医師の一人として?を附けざるを得ません.

いよいよ2006年始動

ついに明日から始動です。時の流れは実に早い。どうも私は寒冷アレルギーがあって、気管支の狭窄を起こして呼吸が苦しくなるのですね。ちょっとツライ。

 * * *

アーサー・C・クラークの映画『2010年』のDVDを観た。当時から見た2010年ももはや目前であるが、現実の方が進んでいる場面と、遅れている場面のズレが面白かった。HAL9000のような自由意志的意識を持ったコンピューターは絶対無理(HALはIBMを1文字スライドさせた)。コンピューターはまさにカルバン的。運命(プログラム)の中でしか動作しない。現在量子コンピューターが提唱されているが、これも自由意志は持ち得ない。

対して人間の意識は自由意志を持っており、同時に物理科学的現象とシンクロしている。私たちが意志を働かせる時、大脳内における物理化学的現象が生じるのだ。この意識と物理化学的現象の関わりのメカニズムはどうなっているのだろうか。

ウォッチマン・ニーらに影響を与えたG.H.ペンバーの"Earth's Earliest Ages"によれば、創世記2:8に基づいて、神が体(soma)を土から造られ(=物理化学的存在)、霊(pneuma)を吹き込まれたとき、体と霊の相互作用によって魂(psyche)が生じたと説明しているが、これはサイエンスから見ても実に興味深い研究領域なのである。

物質と精神の関わり−私もこの20年ほど考え続けている。

この世の空気

ほとんど使わないケイタイが不調のため、カミさんと横浜駅地下プロムナードをブラブラしながら、ヨドバシカメラで機種変更した。普段大学では自分の研究室にこもっているし(だいたいキャンパスで鶯が鳴くし、たまにタヌキもでるのだ。数年後に都心に移転するが・・・)、世の空気にはあまり触れていないので、人混みを歩くことはかなりの刺激である。東京に出てきた時、雑踏の中で酔ってしまったが、最近もそんな感じ。要するに「御上りさん」状態。

で、店員がケイタイのいろいろなサービスについてアレコレ説明してくれるのだが、サッパリ分からない。「○○をお付けしますか?」、小生「えーと、それ何なの?」。で、説明が延々となされるが、結局は分からないので、「いや、要りません」といった感じ。

要は電話とメールができればよろしい。メールもほとんど受信だけ(変なスジのメールがやたらと多い)。送信はあのちっちゃなキーをチャカチャカできないので、「分かった」、「了解」程度。それにしばしばケイタイを忘れてどこかに置き忘れる、自宅の電話をかけて呼び出し音で見つける次第。便利なんだか、不便なんだか、分厚いマニュアルは見るものもうっとおしい。(要するに歳だよ、と息子に言われている)

 * * *

長女が友人と観光気分で秋葉原を探索してきたらしい。秋葉は昔は電気のオタクで、私もアンプなどを作るためにわざわざ上京しては部品を買ったもの。ところが現在の秋葉系と言われる人種はいわゆる萌え系ヲタクばかりで、腰までGパンを上げてベルトを高い位置で占め、ナップザックを背負ったロリ系のキモイおじさんたちの天国らしい。

そう、メイド喫茶の本拠地なわけ。何とディズニーランドのようにキモイおじさんたちが行列をなしているとのこと。中にはひとりでフィギュアに向かってブツブツしゃべりかけたり、嬉々としてメイドギャルとプリクラを撮る御仁もいるらしい。

いつからこんなになってしまったのか、このニッポンと言う国は。引きこもりやニートがその余った妄想的リピドーを発散する倒錯した世界が現在の秋葉原。いやキリスト教界も実はあまり変わりない。困ったものだ・・・。

Commented by Luke 2006年01月04日(水)23:04

ついでに、買い物リストを忘れないように手のひらに書いておいたのですが、見事に手のひらを見るのを忘れて、あすもう一度・・・。(かなり進んでいるかな?)

伊豆白浜

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伊豆白浜の冬の空と海
実に鮮やかでした・・・

Commented by ICHIRO 2006年01月04日(水)13:18

やっぱり地球は丸いんですね。

Dr.Lukeの一言映画評-SAYURI

午後はカミさんとチネチッタ散策。食事はIL PINOLO(松ボックリの意味とか)。実に落ち着いたイタリアン・レストラン。コース料理をゆっくりと味わえる。ウイター/トレスの雰囲気も日本離れしていて何ともいい。値段もリーズナブル。お薦めです。

アップロードファイル 404KB映画はSAYURI。う〜ん、実にいい。9歳で貧困のために芸妓置き場に売られた「水のような目を持つ少女」が苦難を経て、15歳の時に出会い、カキ氷を買ってくれて親切な一言をかけて下さった「会長さん」を慕い続けて10数年。No.1のGEISHAになり、戦争の悲惨を経て、絶望的事件で想いをこめたハンカチを海に捨てるも、水のように生き・・・、ついに運命は展開してその方の胸の中へと・・・。

先の「大和」は駄作だったが、俳優も韓国中国人やアジア人が多い中、何でハリウッドがこんな日本の心を描けるの?「ラストサムライ」もそうでしたが、日本映画が描けない日本の心を見事に描いています。感情を抑えた、心の機微に触れる台詞(しかも英語!)。抑えている分、泣けますね。映像も日本の美を実に鮮やかに表現している。終わった後もしばらく立てないで余韻に浸っていました。あなたの心に何かを残す作品。お薦めです。

Commented by yumemi Eメール URL2006年01月04日(水)08:27

これはこちらではMemoir of Geisyaという題でロードショーされていて、観たいなあと思っていました。 一部の日本人にはキャストが日本人じゃないから不評だったみたいですが、逆にだからこそ今の日本人が失ってしまった美を表現できるのかもしれません。私が最近はまっているオペラだとその作品の舞台である国出身の歌手が歌うとは限らないのが当たり前なので、個人的には抵抗はないです。 時間ができれば是非観てみたいと思っています。

ご紹介

KFC最年長(お歳は秘密)のひろこさんがついにBlogを開きました。このご婦人は英国のFaith03DVDにドアップで登場され、日本のリトル・レディとして有名になった方です^^

まったくゼロのキーボードから学ばれて、ワープロ、ネット、メール、そしてBlogへとチャレンジして来られたのですね。詩は私に送ってくださっており、ここでもちょっとご紹介しましたが、皆さんにもお読みいただけるようになりました。

信じて一歩を踏み出せば、何事もできてしまうわけです!

Commented by ひろこ 2006年01月03日(火)16:34

 ウワ-はじめてのブログ 
 胸のときめき 高くなり 主に感謝
 弱きおつむでも あきらめずに 歩む時 
 よき友が 救いの手差し伸べる
 これぞ主が心動かされ してくださったこと 
 ハレルヤ!ハレルヤ!と主に感謝 
 
 
 

休みもやることが・・・

大学は木曜日まで休みなので、ちょっとゆっくりできています。でもね、イロイロとやることがあります。一番気が重いのが帳簿付け。私は、教会の会計はもちろんですが、家計もこの10年ほどは複式簿記で記帳しています。家計簿は主婦の仕事と言うのが一般的ですが、収入と支出だけの記帳では不十分なのです。

お金の動きにはストックとフローがありまして、前者は貸借対照表(B/S)で、後者は損益計算書(P/L)で把握できます。これをキチンとつけますと、自分の資産と借金のバランスも、収入と支出のバランスも正確に把握できるのです。そして何よりもあらゆる必要を満たして下さる主の真実を知ることができます。不正の金でも友人を作れと主は言われますが、金に振り回されるのでなく、金を管理すること。これは神のエコノミーの一部です。

昔ドンブリ勘定でやっていた時代はお金については何となく不安がありましたが、簿記で自分の真実を把握できるようになってからは、漠然とした不安は解消しました。不安とか恐れは対象を明確に見抜いていないときに起こります。まずはその対象の真実を正確に把握すること。すると何をどうすべきか、明確な対応法も見えてきます。

アップロードファイル 44KBちなみに日本国の財政はつい数年前まで家計簿と同じで、フローしか把握していなかったのですね。国の貸借対照表ができたのはついこの数年のこと。一般会計80兆、特別会計200兆(これが曲者!)の日本の財政はまさにドンブリ勘定です。かくしてわれわれの年金原資もグリーンピアとかで消えているわけ。このドンブリ勘定を改めないで、増税の足音がヒタヒタと・・・。東大法学部出た連中には庶民感覚はありませんからね。東大こそ諸悪の根源なのだ!

(私は東大に対して文句を言いたかったので、東大に入りました。今人気の『ドラゴン桜』最終回の桜木健二の台詞はなかなかよかった・・・)

ネット年賀状2006

$FILE1_l今年はこの世もいろいろありそうですし、キリスト教業界はさらに混乱することでしょう。そんな中で、普通のオジサン・オバサンとして、当たり前の日常を淡々と当たり前に生きる。そこにおられるインマヌエルなる主の魅力をさらに知りたいと願います。よろしくどうぞ。

(写真は摩周湖です。ここはもう10回近く行っているのですが、いつも霧が晴れているのです。一度霧の摩周湖を見てみたいのです・・・。)