* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
キリスト教界の中でイロイロな教えや、主義や、教義や、実行や、流行や、人物が現れては消えしている中で、何が主からのもので、何か別の霊からのものかを判定するにはどうすればよいのか、とのご質問をいただきました。
それは簡単です。物理学ではなるべく極端な状況を考えて思考実験すると本質的なものが浮き彫りにされます。次のような思考実験をしてみて下さい:
・もしソレまたはそのヒトが教界から社会一般に100%広まったらどんな状態になるだろうか?
・そこに安心感があり、満足感があり、喜びがあり、愛と平安があるかどうか?
・主イエスのご性質を反映しているかどうか?
表向きの理屈や教えなどはあまり本質ではありません。ソレを語るヒトの有様がむしろ本質を証明します。
BGMは英国のNewCDのサンプルです。いかがでしょうか。これはYouth向けのCDですが、他にもかなりイイ曲があります。
Moveとは、youth向けミニストリーの名称。
元気の出る曲ですね♪
ついついノッてしまいました。
#10年20年後もノリノリでいたいです(^_^)
意に反して、ここ数年にわたりニッポンキリスト教と接触して分かったこと:繰り返しになるが、病んでいます。何か、ジメジメ、ネチネチ、イジイジ、イライラ、ブツブツといった冷たく陰湿で暗い霊を感じるのです。それにコワイ。しかも自分のビョウキに気がついていない。すでに相当に深く要塞化しています。あるクリスチャン・メディアの人も「凄い世界ですよ」と言っていた。
パウロはテモテやテトスに対して、「健全な言葉」とか「健全な教え」を何度も繰り返して強調しています。現在この「健全さ=健やかさ」がほとんど感じられません。ガンバッテつくろっている表のキレイさはあるのですが、どこか無理があって不自然な違和感を覚えます。
健やかであること−これは聖の主観的表現。ほがらかさ、解放感、安らぎ、満足、安息と平安、伸びやかさ、あらゆる面で健康であり、満たされること。そして普通であること。これが神の子の特権なのです。健やかになるコツは健やかさ(の霊)に触れること。それはジーザス。
BBSにあるとおり、多くの兄弟姉妹がシンドイ思いをされて来られたようですが、キリストにある自由を見出し、解放を得られていることは感謝です。むしろ苦しさに気がついた人は幸いです。ガムバッテそこそこやれてしまう人は気の毒。一方で、私はますますニッポンキリスト教とは関わりを持ちたくないと感じています。