2007年06月12日

ゴーン氏の挫折

『文藝春秋七月号』にある記事。ニッサンのカルロス・ゴーン氏の改革が挫折しているとのこと。下の記事と関係するが、要するにコミットメントと称する収益目標の達成をすべての物差しとした結果、生産ラインでの人間関係が壊れてしまい、中には生産中の車を蹴飛ばしたり、ペンキで落書きをするケースもあるらしい。

昔は高卒レベルの職工を、現場の監督が公私にわたりメンドウを見て、10年がかりで育てたのだが、今はそれがない。寅さんの義弟のヒロシをメンドウ見たタコ社長のような存在である。かくしてニッサンは一時はV字回復したものの、その後は低迷。ゴーン氏の手法は日本では無理があることを露呈した。

私は前から、日本人はアメリカ型新自由主義的な会社経営には耐えられないと指摘しているが、ニッサンの事例で十分であろう。昔は藩(これは実は江戸時代にはなかった称号だそうだ)のお抱えになり、現代は会社のお抱えになることによって、アイデンティティを得ていたからだ。

そもそも個がない日本人にとって、そのフレームを失うことは自分を失うことである。その意味で終身雇用制度は日本には不可欠なのだ。ただし、年功序列は不要だろう。人間関係の中から物を生み出すのが日本人である。人間関係が切れた会社は日本では結局成立し得ないのだ。日本人よ、グローバルスタンダードなるアメリカの独善に騙されるのはもう十分だろう、と私は言いたい。

Commented by Luke 2007年06月12日(火)21:55

世界を制したミス・ユニバースの森理世氏を育てた母親の言葉が、このところ久しく聞けなかった言葉で、実に新鮮だった。曰く「根性・忍耐・努力」−これで世界を制したのだった!

Commented by DJ Jerry Eメール 2007年06月13日(水)02:06

自分は自分でありたい。そう思いつつ、今日も満員電車に揺られ、会社の歯車となって働く。その虚しさ、無念さ、苦しみ、悲しみ。そんなものとは無縁の連中が国会議事堂にはたくさんいるような気がする。金よりも、効率よりも、もっと大切なものがあることを忘れている連中が。

Commented by エスプリ 2007年06月13日(水)06:40

久しぶりの書き込みですが、毎回楽しみに読ませていただいています。

>そもそも個がない日本人にとって、そのフレームを失うことは自分を失うことである。

と言う事は、「教会(組織)」というフレームは、日本人キリスト教徒にとって、必要不可欠である事を意味している事ですよね。

Commented by Luke 2007年06月13日(水)07:09

あ、お久しぶりです^^

いえいえ、教会(エクレシア)とは理事会があって、委員会があって・・・、といった組織(フレーム)ではありません。キリストのいのちをインプラントされた人々そのものが教会ですから。この「教会」と言う訳語が悪いですね。

クリスチャンが本当のアイデンティティを知れば、そういったフレーム(教団とか、何とか連盟とか、何とか議会とか・・・)は一切不要となるはずなのです。フレームに頼らなければならないあり方はまさにアイデンティティの脆弱性を証明しているわけです。

Commented by kenji 2007年06月13日(水)07:32

唐突とも思えるウォレン・リヒテンシュタイン氏の突然の記者会見。相次ぐ企業買収は日本の経営者と株主を教育するためなのだと息巻いておりました。あの方よくよく見ると青い目の村上氏に見えてしまうのは小生だけでしょうか。

Commented by kenji 2007年06月13日(水)07:45

企業価値=時価総額ですか?
あの松下幸之助さんは、モノを創る前に人を創ると仰った。幸之助さんも草葉の陰から日本の現状を嘆いて見ておられることでしょう。

Commented by Luke 2007年06月13日(水)13:14

このスティール何とか言う投資企業も臭いですね。村上氏に似ていること、同意です。しかし三角合併が可能となっていますから、10兆円未満の企業は皆狙われるわけです。日本人にとっては企業は株主の物ではなく、その従業員の人生の場ですが、アメリカ的には単なる買収と売却の対象に過ぎません。よほど防衛しないと、日本はほんとに食い尽くされますね。

Commented by エスプリ 2007年06月13日(水)19:06

>この「教会」と言う訳語が悪いですね。

ホントですね。このコメントだけでも、Lukeさんとずれてしまっていますもの。^^
私の中では「教会=フレーム 教会≠エクレシア」の意味で使っています。フレームが必要な日本人のアイデンティティには、自分がどこに所属しているか?その所属している組織が如何であるのか?その所属しているグループの流れに自分は沿っているか?が最大の関心事になっています。多様性が排除される瞬間ですね。

Commented by Luke 2007年06月13日(水)20:26

あ、なるほど。分かりました^^

そうですね、今の理解の仕方では、教会=フレームですね。内村鑑三がいわゆる教会を嫌い、エクレシアを求めた気持ちもよく分かる気がします。

ネットカフェ難民

帰宅途上の車の中で観ていたNHK『クローズアップ現代』でレポートされていたネットカフェ難民。20台から30台が6割近くを占める、新しいホームレスの形だとか。驚きましたね、聞いてはいましたが、その実態に。時給800円の日雇い仕事で、アパートなどを借りられず、寝泊りは1泊1,200円程度のネットカフェで。

昔は田舎から出て来ても、あの『三丁目の夕日』のように、住み込みで家族同然の生活を送り、その中で手に職を付けて自立して行ったもの。現在はそのような人間関係が切れてしまっている。長女の会社は某大企業なのだが、話を聞くと、結局人事構想がすでに正社員と時間雇い社員とでまったく違っている。正社員はコストが高いため、残業を減らし、そこに時間雇いを補充する構想なのだ。よって時間雇いのレッテルを貼られた者が正社員になることはほとんど無理だ。一度落ちたら這い上がれないことが最も問題だが、結局這い上がってもらっては企業としては困るのだ。

かくして個人の価値がすべて仕事生産性に置き換えられ、企業の論理に貢献できる部分だけが買われる。GDPは3%近い伸びを示しているが、これはマクロな統計であり、この数字を生み出すために、ミクロなレベルでいかに多くの人間性疎外が起きていることであろうか。聖書の黙示録にあるバビロンには宗教面と経済面の二面性があることを前から指摘しているが、後者においては

その商品とは、金、銀、宝石・・・小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人間(原語:)である。

とあるとおり、人の魂が商品とされる。この御言葉も間違いなく成就しつつあるようだ。

(影の声:もしかすると牧師たちが自分の教会の信徒数は何千名とか誇ることも、実は魂を商品としているのかも知れませんね。これは恐ろしいことだとおもうのですが・・・)