最近の日記

切ないことです

酒酔いの暴走車に追突されて海に転落。3人の子供を失ったご夫婦の様子に違和感を覚えた人も多いと思う。奥さんが「子供たちは写真の中に入っただけで、前と何も変わっていない・・・」と、笑顔でいる姿。そう、彼女にとってはまだ子供は生きているのだ。

おそらく彼女の中では否定(事実を認めない)と分離(感情を切り離す)が行われているのだろう。こういった被害者がよく口にする言葉は「実感が湧かない」というもの。心が壊れてしまうような感情が湧きあがる場面ではこの感情を置き去りにする。そしてこの置き去りにされた感情が深いほど、心の癒しには時間がかかる。

今後、このご夫婦がその事実に直面し、その感情を折々に経験しつつ、その事実を自我の一部として統合し得るときに真の癒しとなるが、それまでの道のりを思うと気が遠くなる感じを覚える。一方の加害者も普段は悪い人ではないのだろうが、こうなると極悪人扱いされ、彼の両親もこの事実を生涯負わなくてはならない。こちらも厳しい。むしろ彼の両親が自殺などの形にならないように配慮する必要があろう。

酒と車・・・。そしてそのタイミング。何とも言葉がない。

神経験を阻む者は誰か

下の『国家の品格』において、西洋人と日本人では大脳の使い方が違うことを指摘したが、日本人にとって哲学や神学が「小学生にダブルのスーツ」となる理由もここら辺にあると考えている。だから、私はこういった議論には巻き込まれたくはない。

鈴木大拙は対象と自己の間に隙間のない経験、あるいは客観と主観が未分化の経験を「即非の論理」と表現した。「AはAにしてAにあらず」。臨済禅の公案と同じ。アリストテレス的論理学では決して理解し得ない。大拙の盟友であった西田幾多郎は「多即一の絶対矛盾的自己同一」と表現した。一方科学はこの主体と客体を分離しようとするが、その物理的実在ですら、例えば電子は波動にして粒子でもある。物質自体がド・ブロイ波として波動なのだ。かくしてミクロの世界では客観的観測自体が成立し得ない。客観と主観と言う概念が意味を失うのだ。
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Commented by kamekame 2006年08月31日(木)00:53

>最近売れ線の本の中に「私の十字架」を語っているものがあるだろうか?

最近というのが10年くらいの範囲でみますと、

Lukeさんの「真理はあなたを自由にする」では明確に私の十字架が語られているのではないでしょうか?しかも出版から現在に至るまで、すごく売れているのではないのでしょうか?最近も広告を見たように思えます。こんなに長年に渡って広告が出続ける書は珍しいのではないでしょうか?私も初版からの愛読者ですが、今も読んで新しく感じます。感謝です。

またニールアンダーソン氏の著作もそうだと思います。

また、ファミリーネットワークから出版されているスティーブマクベイ氏の「恵みの〜」シリーズもニール氏の主張とかなり重なっているように思います。

私が思いつくのはこれぐらいでしょうか。

やれやれ・・・

それにしてもこの妄想男は人騒がせなこと。ジョンベネちゃん事件は振り出しへ。この男、目つきが明らかに変。分裂病者などのこういったおかしな雰囲気をプレコックス感と言うが、キリスト教界にはけっこう多い。妄想持った人たちは最近はネットやゲームの影響でますます妄想を膨らませます。正常世界へ妄想者の世界が介入することにより、波紋を引き起こす場面が今後さらに増えるでしょう。西側世界にイスラム世界が入り込むようなもので、一種の"文明"の衝突とも言えます。特にキリスト教界はそのリスクが高いのです。

 * * *

温泉を探している。この時間がまた楽しいのだ^^

『国家の品格』読後感

アップロードファイル 49KBさっそく買って読んでみた。藤原氏が講演会で話したことをまとめたもので、1時間ほどで読める。内容はと言えば、先にふれた『学士会』での論考と『文藝春秋』での論考のまとめ的内容。ご本人も「話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷」と言う意見があることをことわっている。

で、結論は−どうも私も白痴と呼ばれそうな予感(汗)。基本路線では同意。日本古来の「情緒と形」を重んじるべしと。私的に言えば「情緒」が形化されたのが「道」である。桜の散り際が命であると。もちろん彼は真の神を知らないし、罪の問題への言及もない。が、ローマ書にあるとおり

たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。

の意味における自然人としてのあり方を言っていると私は感じる(下手をすると再建主義との議論が再燃しそう・・・汗)。
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Commented by ジョナサン 2006年08月29日(火)05:10

素早いですねぇ。もう読まれましたか。私も、「白痴」と評した、エゼキエル(?)さんの批判を読みました。
その言葉の当否は別として、エゼキエルさんがどうにも我慢ならなかった点が、私にもわかるように思えました。
藤原さんのような情緒と数学には、「歴史」が位置をもつことができないのです。『国家の品格』でもたしかに様々な「歴史」に触れてはいますが、それは、どこかで聞きかじったお粗末な知識を羅列しただけです。
しかしそれは、エゼキエルさんが指摘するように藤原さんが学的謙遜さを欠いている(とか、白痴だ)というより、はっきり言って藤原さんの「悪意」でしょう。たとえば梅原猛さんなんかがヤるのと同じ手法です。
アカデミックな業績や責任にならない著作や講演(『国家の品格』もそうです)では、わざと恐ろしく幼稚で誤った手垢のついた知識をもってきて、一般の読者や聴衆を愚弄するのです。自分の主張をもっともらしく思わせるために、けっこうよくやりますよね(Lukeさんは違いますよね?)。

藤原さんは、ただ日本人を元気づけようとして調子に乗りすぎたのかもしれませんが、キリスト教的西欧的伝統とそこに真実に生きる人々を虚仮にしただけでなく、こうしたやり方によって、日本的情緒をも著しく汚したと思います。
私などは、こういう輩に飄々と日本の情緒や桜など語ってもらいたくないですし、「この野郎、・・!」などと、激しく情緒的に反応してしまいます。(´・ω・`)

Commented by Luke 2006年08月29日(火)07:46

う〜ん、「悪意」ですか・・・。そこまでおっしゃいますか。まあ、私としては好意的に理解して、藤原氏の論に「歴史」が欠如しているとすれば、それは私と同様に理系バカのゆえだとは言えるでしょうね。「言霊」の時も触れましたが、私たちはなるべく単純なモデル化をして議論を進めますから。多分脳の使い方の差が関係しているのかも知れませんが。私も怒鳴られる覚悟をしておきましょう。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2006年08月29日(火)08:45

再建主義の富井さんなどもアングロサクソンに逆らうのは危険だと言っていますね。彼らに神の真理、特にカルヴァン神学が委ねられているからだ、と。とすれば藤原氏などはまさに神の裁きの最先端にいるかも知れませんね。ややこわいですが。キリスト教神学とイエスご自身、この両者には相当のギャップがあるようです。

Commented by ジョナサン 2006年08月29日(火)16:13

「悪意」と言いましたのは、「わざと」意図的にといったほどの意味ですので。念のため。

香の話

私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

と言う聖句はお馴染みであるが、私たちは無意識のうちにある種の香(物理的にしろ霊的にしろ)を放っている。香と言うと富良野のラベンダーなどをイメージするが、臭いと言うとやや不快な気分がする。家や車なども特有の臭いを放つが、そこにいる本人には分からない。

で、今、中年男性の間で食べると薔薇の香りが体から発散するガムが大流行とか?ギャルから「オジサンは臭〜い」と言われるところの加齢臭対策だそうだ。実際私も大学のエレベーターで年配の先生が出た後に入ると「うっ」と来るもの。逆に気にし過ぎて、病的になると、神経症の一種で自己臭恐怖症があるが、この人たちは外出もままならなくなる。

私はと言うと、面白いことに脇の下の匂いがなぜか甘いのだ!どうも芳香族系の酸が分泌されるようで、なんとシャツが融けてしまう!?講義をして汗をかくとプーンといい香りがしてくるわけ(自分の体臭をいい匂いと感じるのもアブナイかな?)。それでも一応グランドマリン系のコロンはつけている。若い連中を相手にしているので、「くさ〜い」とは言われたくないという中年男の気持ちはよっく分かる。

・・・はたして地上におられた時のイエスの放つ匂いはどうだったのでしょうか?

Commented by ICHIRO 2006年08月28日(月)17:23

エイリアンみたいですね(笑

Commented by Luke 2006年08月28日(月)21:23

ですね^^

実は臭覚神経は大脳辺縁系あたりに入り込んでいるので、ひじょうに深い情緒と関係するのです。視覚は表層的ですが、臭覚は人格の根幹と関わるのですね。匂いで幼かりし頃の記憶がヴィヴィッドに蘇るのはそのためです。

Commented by emi 2006年08月28日(月)22:15

Happy Anniversary! (^^V

Commented by Luke 2006年08月28日(月)22:57

Ah! It is today! I've forgotten. You have made it come up in my mind. But I don't feel it is so long past 'cause we are still fresh:-) Your today's essay is just fit to my concern. Those who are not drived by the spirit of ages, i.e. the spirit of fake, are blessed. Thanks a lot!

(a voice of truth: on matter of these cases it is easier to write in English than in Japanese.)

亡国の書-『国家の品格』?

アップロードファイル 6KB前に数学者の藤原正彦氏の論考を参照してある論説を書いたことがあるが、今回BBSでご紹介いただいたエゼキエル氏のBlogで同氏のベストセラー『国家の品格』が酷評されていたので驚いた。

この方は私と同様に実名をもってネットで批判や主張を繰り広げておられる方で、その主張には大いに耳を傾ける価値があると感じているが、藤原氏を「白痴」とまで言われているので、かなり驚いている。藤原氏の言う感性とか情緒についてやや誤解されている部分があるのかなと感じている。数学者の情緒は相当に普通の方のそれとは異なるからだ。厳密な論理の上にある研ぎ澄まされた情緒だから。

個人的なことを言えば、藤原氏の父上は新田次郎氏であり、私と同郷の諏訪出身。高校は諏訪清陵高校。私はその格下の高校だったが^^同氏の彦の兄が気象学者の藤原咲平氏で、実は喘息と気圧の関係などの気象医学の創始者でもある。私もお弟子さんにお世話になったことがある。というわけで、藤原氏に対してはやや思い入れがあるわけ。

ただし、読まずしてこれ以上語ることはやめておこう。私は天の邪鬼なのでベストセラーもすぐには読まない。人々が忘れ去る頃にこっそりと読むことにしているのだ。

Commented by ジョナサン 2006年08月28日(月)01:00

まあ読んでみてください。私もちょっぴり期待して読んだんですが、「厳密な論理の上にある研ぎ澄まされた情緒」などとは無縁であることは、すぐにおわかりになります。同時に、なるほどよく売れるはずだと納得もされるでしょう。
「白痴」とまでは言いませんが、白痴と凡の中間です。これを暴露させてしまった編集者は、相当な悪党です。
もし、新田次郎が生きていたら、、、、、(恐

Commented by Luke 2006年08月28日(月)13:41

そうですか、さっそく読んでみます。

それにしてもこの宮内氏は実に興味深い方です。こう言っておられる:
http://blog.goo.ne.jp/ezekiel2000/cmt/f258255b45259a1ab3a87caa6f440aac

「キリストとキリスト教は別物!」−阿門。我完全同意彼的意見。

再度タイムスリップ

アップロードファイル 55KB午前中はプールとサウナ。午後は6時から昔の仲間との会食。場所は前にご紹介した日本橋たいめいけん。この人たちはかつて禅を追求した時代の仲間であり、私の青春の一コマ。クリスチャン化したのは私ひとりで、やや異端児なのだ。久しぶりに会った人もいて、いやあ、お互いにオツムがかなり淋しくなったり、白くなったりで、それぞれにいい歳の取り方をしておりました^^

メンバーはと言うと実に多様で、CPA(公認会計士)、製紙会社の社長、某大出版社K社の元局長など。それになぜかM.D.(医師)が多く、ひとりは産婦人科病院の経営者(助産婦問題はクリアできているとか・・・?)。他に今回の幹事を務めて下さった癌研のドクターなども。それぞれ身の上話をしつつコース料理を堪能し、ひとときの話しに花が咲いた。しかしいろいろ考えておくべき課題も与えられた。

マスターの茂手木さん、出血サービスを感謝でした。たいめいけんは凧の博物館があり、テレビでもよく紹介されるが、今度ナイアガラの滝で凧を揚げてくるとか・・・。主婦の皆さんにはこちらのレシピをご紹介します。

次会は11月と言うことで、またそれまでダイエットし貯めをしておかなくては。

にごり湯とコミック

アップロードファイル 23KBにごり湯百選』(山と渓谷社)。ジョッギングを終え、風呂から出たところ。冷たいビールが沁みる。私はかなりの風呂好きにして、特にある時期を置くと禁断症状のように温泉が恋しくなる。で、つい手にとって買ってしまった。紹介にあるとおり、眺めているだけでワクワク気分を味わうことができる。病んで倒錯したニッポンキリスト教はちょっとご遠慮だが、ひなびた温泉に入るとき、嗚呼、日本人で好かったぁ・・・と、そのクオリアに包まれて心底幸せを味わう瞬間。この28日にて結婚24年目に入るので、これを口実にして、ちょっとふらっと・・・^^

        * * *

20世紀少年』−時代背景の郷愁も誘って、実にはまる。たかが漫画、されど漫画。手塚治虫で育った私にとって、漫画は立派なメディアのひとつなのだ。ついに"ともだち"は正体を隠したまま、死んで復活し(!)、世界の救世主として崇められるに至る。"ともだち"の真実を知る者たちは反逆者・テロリストとして排除される。大衆はものの見事に"ともだち"を崇拝し、彼に従う。ヤクザあがりの神父なども登場してきたが、う〜む、この物語ってキリスト教界でもよくあること。

アップロードファイル 20KB欺かれている人たちは、自分が欺かれていることに気がつかないし、また指摘されても決して認めない。それが自分自身と一体化されているため。こうなると行き着く処まで行くしかない・・・。主は「あなたがたは何をどう聞くかによくよく注意せよ」と言われたが、信仰はあくまで自己責任。今日、"預言者"を自称する者が多く現れていることは周知のこと。しかし主はこう言われる:

わたしのひつじはわたしの声を聞き分けて、わたしに従う。

関連してこんな本もある。「何か変・・・」と感じつつある人たちに一読をお薦めする。

さらに奇々怪々

われらをじさんは幼少のみぎりより、太陽系の惑星をもて、水金地火木土天海冥と覚えおりしが、なんとちかどころにては惑星、さにあらず。その数をもて、9個から12個、いや8個と学者のうるさき論争にいふ。

と、頭を悩ましをりしが、くわへて「ワニは魚なり」との決議がなされたり!嗚呼、われらをじさんの固くなり、忘却の容易なりしオツムもここへきてつひに窮せり・・・。

基督教界に人の神にならんといふ"預言者"もをりしが、ひとの目玉を傘で突くものなど、目の点にならん事、この暑き日々にありてうちつづくなり。つれづれなるままにそこはかとなく書き連ねるに、わが心ものぐるをしけれ。

Commented by Luke 2006年08月24日(木)18:40

もひとつおまけに・・・。

三ッ池公園をジョギングしていると、なんと飲料の自動販売機に電光掲示板が!?<1ドル=116.43円・・・日経平均202円安の15,960円・・・>。「はあ?」と思いつつも、何気に犬連れたおばちゃん・おじちゃんたちの中に、もしかして名うてのトレーダーがいるのかも・・・。

次女が合宿から帰って来て久しぶりに家族が揃いましたので、これからステーキを食べに・・・と。

Commented by Luke 2006年08月25日(金)08:57

結果は8個に!冥王星(プルート)が外されてしまった。この元惑星はアメリカ人の発見だそうで、ディズニー漫画キャラの名プルートで親しまれている。どうも最近のアメリカの独善・独走に対するチクリかなと思えるが、私の思い過ごしかな・・・。
http://www.asahi.com/international/update/0825/002.html?ref=rss

Commented by デンスケ 2006年08月25日(金)18:11

日本人なら冥王星を省くだけでいいけど、
アメリカ人の子供たちは、「ママ9つの何をくれるの?」

My Very Educated Mother Just Served Us Nine Pizzas.

SNSデビュー?

アップロードファイル 133KBちかごろ都に流行るもの、われもしてみんとてすなるなり。その名をもてSNSといふ。そーしゃる・ねっとわーきんぐ・しすてむ。聞き及びしに、かの美国にては参加せしもの1億人。すめらおのわが日の下の国にてもmixiなるものがあるよし。

とかくわれらをじさんにはわかりかねつる世界なりしも、「ともだち」を求めよと、かの学士会われに勧めるなり。わがデビューせしSNSといふは、ありがたくもかしこくも、なんとその名を「東大OB.NET」。亀田にならひて「どうじゃあ!」。

と、心はやりつつ入りしが、何をどうせしものか不明なり。われらをじさんには名簿にて住所電話をしらべおり、手紙をしたためるか電話すなるが容易。さては奇々怪々なる世界のあることを知らん。はたして「ともだち」はいかほどつくりべかりしに・・・。

(写真は駒場東大前駅のカンバンといふ・・・)

ペレルマン氏フィールズ賞辞退

孤高の数学者ペレルマン氏がポアンカレ予想を解いたが、40歳までしか受けられないフィールズ賞を辞退したとか(→記事)。彼の数学の動機は金や名誉ではないのだ。こういった世離れした人は数学界にはかなり多い。私の友人にもひとりアブナイのがいるが。

多様体におけるポアンカレの予想と言われても、私もこの分野はさっぱりだが、なぜ私が数学にはまっているかと言うと、数学は脳のどこに存在するのか不思議だからだ。日本で受賞された小平邦彦先生は「仏師が木材の中にすでに存在した"仏"を掘り出すように、数学も掘り出されてくる」と言われたが、その感覚はすでにあったものに形を与える作業と言える。

イデアがどうのこうのと哲学的形而上学の話にするつもりはなく、数学と言うもっとも美しい構造体がどこに存在するのか。大脳生理学的には、ニューロンのネットワークとシナプスでの神経伝達物質の作用が脳の機能となるわけで、すると数学もこの電流と化学変化のあり方として存在することになる。

数学者は「何か」を「見て」いると思われるが、彼らの見ている対象はどこにあるのか。しかし一方で岡潔は「数学は情緒である」と言っている。つまり感情・感性の作用があるわけ。

聖書的には魂(psyche)の知性(nous)と物理化学的存在である脳の相互作用が起きているわけ。「私(ego)」が意志するとき、物理化学現象が生じる。この接点がどうなっているのかも不思議な点である。創世記2:7に

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息(霊)を吹き入れられた。人はこうして生きる者(原語では魂)となった

とあるとおり、体と霊の相互作用で魂が生じているのだ。この記述などは実は現代の大脳生理学や精神科学から見ても実にすごい本質的なことを語っているのだ。

ウォッチマン・ニーや彼のルーツであるペンルイス、さらにペンバーなどもこの辺りを考えていたようであるが、残念ながらサイエンスとして表現されていない。あるいはサイエンスになり得ない領域なのかもしれないが。

(影の声:私もノーベル賞を辞退してみたいが・・・^^)

Commented by ころさいじん 2006年08月24日(木)15:31

あ、それ昨日ラジオで聞いたよ!MBSラジオの昼の番組「こんちわ!こんちゃん!」で。

賞金が200倍だったとしても彼は辞退したのかなあ。。。
…。

Commented by あ 2006年08月25日(金)14:17

Luke様、下の方でレスありがとうございました。

実験系では設備とか人に結構お金がかかるから、
やっぱり具体的な形での報酬がモチベーションに関わってくるのかなと思います。
#考古学でマスコミに良く出演している某教授は、
学界からは「目立ちたがり」って非難されている
らしいけど、発掘調査にかかる費用を考えるとねえ。

対して、数学(厳密に言うと純粋数学)は、ペレルマン氏の様に浮世離れする傾向が強いと思います。
それは、学問の性格、誰でも納得出来る様に厳密に証明しなければいけないんだけど、一人の心の中の感覚で味わうことも大きいっていうことに由来するのでしょう・・・実は、私は一応大学で数学を専攻している
のです。もっとも劣等生で、良く解らないことが
多いまま卒業しまった者ですが、それでも代数学の
理論を勉強してる時、頭の中でイメージをつかんでいるうちにバッハの平均律が響くという経験をしたこと
があります。

さて、脳のことも、個人的に何となく気になっており
ます。良く、クリスチャンとしては、人は霊・魂・体の三つから人は成り立っていることを強調されるけど、私の場合、創世記2:7は見落としていたな・・・。
ただし、絶対快復不能と医師からみなされていた
はずなのに家族があきらめずに関わったりした結果、
奇跡的に快復を見せたという事例って、霊(or魂)の
作用が体に影響をおよぼしたということではない
でしょうか。
#脳科学者の一人松本元氏は、著書の『愛は脳を活性化する』によると、そういった事例を身近で経験されて、そのせいか晩年は気の研究に関心があったそうですね。

Commented by Luke 2006年08月25日(金)15:03

そうですか、数学がご専攻でしたか。分野はどちらになりますか?ぜひこちらでもよろしくどうぞ。

松本先生は大脳生理学者(特にヤリイカのニューロン研究のパイオニア)ですが、日本物理学会編/松本元責任編集の『脳・心・コンピュータ』(丸善)においては、何とあの田中信生師による聖書的人間像についての物理学会での講演記録を載せております。

確かに愛によって脳の器質的あるいは機能的な回復があることは事実のようです。こちらによく見えるSkyさんもM.D.で脳の研究に携わった方ですから、面白い議論ができるかもしれません。

いずれにしろ脳と言う人類にとっての最後の秘境について聖書は簡単ではあっても、本質的な記述をしているわけです。現代精神科学と聖書の啓示の関係についてはこちらをご参照ください:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/human.html

伊藤先生ガウス賞受賞

下で確率微分方程式の話をしてたら、これを創始した伊藤清先生がガウス賞を受賞だそうです(→記事)。その御歳90歳。

やや遅きに過ぎたと思うが、アインシュタインのブラウン運動からウイーナーの確率過程まで統一的に扱うことができる理論。物理学・工学・生物学・医学ではもちろんのこと、最近最も有名になったのがブラックショールズ方程式。そう、デリバティヴ(金融派生商品)の基礎理論で、ノーベル経済学賞となった。

ところが、この二人の学者を擁したLTCMは投資の失敗で破産!?わが友人の某経済学者も株はできない、家計は奥様に牛耳られていると言う次第。そう、学者と実務家は違うのだ。しかし賞金が150万とは!?もっと出せば野心に燃えてこう言った基礎分野に邁進する若い学者も出るだろうに・・・。

Commented by あ 2006年08月23日(水)16:50

Luke様は、お金を出せばもっと基礎研究が伸びるだろうにとの旨言われておりますが、単に優秀な個人に
お金を出せば良いものでもない様に思います。

やっぱり、ある程度の科学的考え方が出来る層が、
ある程度はいないといけないだろう。
#それにしても「2次方程式の公式を知らなくても
生きていけるから数学を学ぶことは必要ない」と言った某女史の発言は痛過ぎる。

でも、聞いた話、日本に限らず、先進国の若者たちじたい、忍耐力を要する基礎科学を勉強しない、つまり同じ金額もらうにもより少ない時間で手間をかけずに
方を選びたがる傾向が強くなっているそうですが、
現場の感覚としてLuke様はどう思われるでしょうか?

最後に、ご存知かも知れませんが、文科省が日本の数学研究について以下のような調査結果をこの6月に
発表しているので、ご参考までに紹介しておきます。

「忘れられた科学 数学 〜主要国の数学研究を取り巻く状況及び我が国の科学における数学の必要性〜」
ttp://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/pol012j/pdf/pol012j.pdf

Commented by Luke 2006年08月23日(水)19:02

う〜ん、率直に言って、金は十分なるモチベーションになりますよ。少なくとも私にはね^^だいたい、学生にもよく言うのですが、棒でボールをぶっ叩いたり、穴に転がして入れたりで億単位の金がもらえるのに、ノーベル賞取ったって数千万ですからね。だから早稲田の先生が研究費の流用したりみたいな事件も起きる・・・とは言いませんけどね(あれは自己責任ですが)。サイエンスの世界にも一攫千金のドリーム・ジャンボが必要でしょう。

Commented by 外科医 2006年08月25日(金)20:17

 ご無沙汰しております.尤も、ずっと、ROMっておりましたが...
 人間が幸福を感じるためには3つの満足が必要だと思います.1、社会的満足. 2、経済的満足. 3、知的満足.
 3つの満足がバランス良く満たされれば、それに越したことはないと思いますが、私にとって、医学部に進学した時点でも、外科医を志した時点でも、2>3>1の割合で、経済的満足の占める割合が高かったと思います.
 お金のコトを云々するのはキリスト教信者らしくないと言うご意見もあるかも知れませんが、経済的満足を追求することのどこがいけないのか?と心密かに思っています.

Commented by Luke 2006年08月26日(土)10:39

お久しぶりです。

そうですね、いわゆる「キリスト教」の価値観−しばしば聖書に書いてないもの−によって拘束されて、自作自演の不自由さの中に閉じこもる人が多いですからね。ある種束縛された方が楽な部分も人間にはあるわけです。

御名を用いること

昨日の『太陽』において、マッカーサーと天皇が対決する場面がある。マ:「あなたの親友が・・・」、天:「"親友"とは誰か?」、マ:「ヒトラーですよ」、天:「私は彼をまったく知らない」。

この場面を観て天皇を「神」として祭り上げた人々と天皇の関係が端的に描かれていたが、「天皇の名において」なされたことは、実は軍部の勝手によってなされていたのだ。

同じようにキリスト教界でもいずれ次のような会話がなされることになるだろう:

わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、「主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか」と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。「あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。」

「不法」とは「法に従わないこと」、すなわち神の御旨(=いのちの法則)を外すことである。今後人の目を惹く"偉大な業"が主イエスの名によって次々になされるであろう。巨大なフェイクの時代。しかし次のように書かれている:

偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。

このメガフェイクに対する神の処方は

以上、あなたがたを惑わせようとしている者たちについて書いてきました。しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油いただいた塗油(原語)がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません

パワー崇拝が罠になる。しかるに主はこう言ってフィラデルフィアの教会をほめられた:

あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。

Commented by ICHIRO 2006年08月23日(水)19:41

祈りと絶叫で悪魔と戦った一家、アパートから追い立て
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081155887014.html
だそうです。
まさかベニー・ヒンの影響ではないでしょうけど、、、
何と申すべきでしょうか。

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 16KB太陽』−人間昭和天皇ヒロヒトの苦悩と孤独を描くロシア映画。日本では公開不可能だろうと言われていたらしい作品。小生の印象:昭和天皇の魅力は山下清と同じだ!

先帝は現人神に祭り上げられつつも、戦争を終結することはできず、本人はそのことに窮屈感と苦悩を覚え、東京大空襲の悪夢にうなされている。息子に手紙を書き、皇国は高ぶり自らの実力を知らず戦争をしてしまったと告げる。

そしてついにマッカーサーの前に立つ時が来る。天皇はすべての屈辱を飲み込み、自身を連合国の裁きに委ねることを告げる。マッカーサーも当初は「あなたは何百万人も殺した独裁者だ」と天皇を挑発したり、揶揄したりするが、当の天皇はそれらに対しては無邪気をもって応える。
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Commented by イザヤ・ベン・ハー 2006年08月22日(火)23:05

BBSにもちょっとカキコしましたが、主イエスの統治の実現はこういった「ありがたさ」に人々が触れ、それに服することから始まるのでしょうね。もっとも「ありがたさ」を感じさせる方は主イエスですからね。