2004年12月04日

日常性に臨在される主

イエスはインマヌエル。「神、我と共にいます方」。何か非日常性の現象中ではなく、当たり前の生の中におられる神。そのためにこそ人となって下さった。

今のキリスト教界、求めるものを間違えているような感じがするですが、皆さんはいかがでしょう?

Commented by 愛知県のさっちゃん Eメール 2004年12月05日(日)01:09

私も以前、何か特別なとき、奉仕をするなど、何か力が必要なときだけ主の御臨在を求めてきた事がありました。主は哀れみ深いお方ゆえに、祈りを聞いてくださいましたが、ある日、それらのときだけでない・・日常の本当に些細な事、仕事でも、家事をするときでも、ありきたりの生活の中にいつも、絶えず、その臨在の中に主とともに生きることを願っておられた主のみ心を知ったときは、胸がいっぱい・・いえ、溢れる喜びとなりました。
 当たり前の生の中におられる神を知ること、何て素晴らしいのでしょう・・。ハレルヤ

揺れる北朝鮮

独裁者の特徴はパラノイド。周りがみな自分を追い落とそうとしているように見え、被害妄想を抱き、それが逆に強迫的な粛清へと駆り立てる。独裁者こそ世界でもっとも孤独な人物。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041204-00000014-san-int

キリスト教界でも霊能力か何かをもって、やれ預言者だ、やれ使徒だとか、祭り上げられたらエライことになってしまいます。平凡がいい、フツウがいい、当たり前が当たり前であること−これが真の幸福。

温泉まであと3週間・・・♪