2005年05月05日

自然と生きる

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               霧ケ峰から望む八ヶ岳

私の知り合いに明石庄作という陶芸家がいる。最近どこかの保険会社のCMに出ていたので驚いた。前に彼から湯飲みをもらったことがあるが、もしかすると彼が無名時代のこの湯飲み、けっこうな値段がつくかも知れない(取らぬ狸の何とやら・・・)。

で、彼はひたすら土に塗れて、練っては壊し、壊しては練り、焼いては壊し、壊しては焼くの繰り返しの日々を送っている。私の義兄も土にまみれて野菜を作りつつ、野鳥観察と夜空の星の観測に夢中になっている。同時に体を鍛え、最近もボストンフルマラソンや、アイアンレース(3.8キロの水泳+180キロの自転車+フルマラソン)を完走している。

思い起せば子供時代、自然にまみれての夢中に生きた時代には何の悩みもなく、日々是好日であった。田舎に帰る度にその泥や藁の匂いがプーンと甦る。臭覚は大脳の古い部分(辺縁系)辺りに神経が入るため、匂いの思い出は視覚的な思い出よりもはるかに深い記憶をビビッドに想起させる。田舎の匂いは私を少年時代に戻してくれるのだ。

義兄も言っていたが、歳を取ると自然が恋しくなる。人間は大脳皮質を発達させて知性で生きているが、インターネットやゲームで象徴されるその生き方はきわめて表層的なもの。いのちを忘れた虚しい神学論争も同じ。決して満足はない。否、むしろ人を狂わせる。自然は多分生命の根幹をコントロールする辺縁系や脳幹部に訴える生き方を提示するのだろう。それはズッシリとした生きる実感と満足感を与える。

そう、人は元々土(アダマ)なのだから。

八ヶ岳探訪B

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               雑木林−何ともいいです

八ヶ岳倶楽部は柳生氏の息子さんの真吾さんが運営している。詳細はこちら→http://www.yatsugatake-club.com/

若い頃、田舎はキライだった。諏訪盆地の中で一生を過ごすことを考えるとゾッとした。で、とにかく東京に逃げてきた。室生犀星の

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや、うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
 帰るところにあるまじや
 
の心境だった。
 
しかし今50を目前にして、何かが変わりつつある。まだ言葉では表現できないのだが、信州に対する抑圧していた愛情が芽生えつつあると言うか・・・。父親が亡くなってから、田舎に帰ることがこわかったが、今回ようやく私の心も父の死を受け入れつつあるようだ。その心の雪解けと共に、田舎に対する気持ちが変化している。実にいいのだ、田舎は・・・。

娘二人は順調に大学に進み、あと一人、息子をこの数年間で鍛えれば、ある意味で私の役目は終わる。そろそろ私と家内の、また二人だけの(いや、主を入れて3人の)人生を考えるべき時期に来ているかも知れない。この10年でじっくりと腰をすえて新しい人生の結末に向かう準備をしよう。

・霧ケ峰グライダー
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2005spring/DSCF0352.JPG

・別荘での語らいの時
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2005spring/DSCF0361.JPG

・柳生氏のハウス
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・柳生氏子息真吾氏と
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・八ヶ岳の渓谷
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