2005年05月20日

リズムの意義

7日周期で社会が回ることは、やはり神の知恵。この周期がなくなると、体はたまらなく疲れる。抜ける日がなくなってしまうため。今も私の精神と身体は100%脱力したいのだが、明日の仕事に備えてアドレナリンが分泌され続けている。

日曜日の午前10時からの礼拝だけが正規のものとか豪語する牧師先生もおられるようだが、私はとてもではないが、ついていけない(その気もないが)。日曜日の午前中はぐったりと抜いていたいから。

<日曜礼拝出席厳守+十一献金厳守+早天祈祷・断食祈祷+奉仕+伝道+デボーション+弟子訓練+セルグループ活動+役員・執事の職務まっとう+清く・貧しく・正しく+(次々に吹き込む)アメリカ産教えの風+・・・>それに加えて、妄想的かつ迷信的教え・・・

はあ〜、これでは日本社会においてキリスト教が広まるとは思えない。教界が<休むこと>と<楽しむこと>と<満足すること>、そして<ただキリストだけ>を教えるようになれば・・・と思ってはいるが、まあ、現状ではとてもではないが無理ですね。

ヘブル4:1−
こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

Commented by Salt 2005年05月22日(日)00:46

まったく然り。アーメンです。無音の隙間にこそリズムがあります。

うるさいどらや、やかましいシンバルは、愛とは関係の無い騒音ですね。

私のところも、午後礼拝に変えて、ずいぶん体が健やかになりました。

ココはドコだ?−時代の断絶−

精神保健学の講義で、「アバタもエクボ」と言ったところ、突如「センセ〜、アバタって何ですかぁ〜」と黄色い声。小生、一瞬、「エっ!?」。「君、聞いたことないの?」、「ウン、初めて聞いたぁ〜」。小生内心で、ややショックを受けつつ、「松井の顔だよ・・・」。

で、意味を説明して、講義を続け、今度は「坊主憎けれりゃ、袈裟までも」と言うと、再び、「センセ〜、ケサってナ〜ニ〜」。小生内心で「もうダメだ・・・」(汗)。
(家で大学3年の娘にたずねると、彼女もふたつとも知らないとか・・・、やれやれ灯台下暗し・・・)

そして講義が終わると、女子学生が数人、「センセ〜、シャメとってぇ〜」。小生「シャメって何のこと?」。「やだぁ〜、シャメ知らないのぉ〜」。シャメとは携帯の写メールのことでした。

で、「センセ〜、ピースして」と言われ、一緒にカシャっ。するとその映像を見た彼女たち、「かわいぃ〜!」。小生「エっ?」。一瞬、何のことか意味不明。言葉も出ませんでした。

さらに、帰りに駐車場に向かっていると、芝生の上の10名ほどの男女の学生から、「あ〜、カラサワセンセ〜だ、センセ〜、あそぼ〜、ダルマさん転んだしようよぉ〜」。小生、笑顔で手を振りつつ、内心で、「僕は保母さんだったけ?」。

退官した東大名誉教授の先生方で悩む人が多いのです。彼らには悪意はないし、ただひたすら無邪気なんですが、大学の教授だなんてプライドを持っていたらやっていけないのですね。私の義兄と同じく、患者さんに革張りの椅子を用意するくらいでないとね。

しかしやっぱり休日無しは疲れるぅ・・・。

Commented by まひるパパ 2005年05月21日(土)23:17

私も縁あって、某私大の非常勤講師になりましたが、専門用語ならまだしも当用漢字一つ、ロクに読めないお坊ちゃま・お嬢ちゃまのに講義してみて、これから先が思いやられ・・・看護学校生はもっと真剣さがありますよ。宿題に「有吉佐和子の『恍惚の人』を一冊読んで・・・」と話したら、皆目が点状態・・・ドッとため息、はぁ〜〜〜^