2005年08月14日

感動-山口百恵の真実-!

文藝春秋九月号。いろいろ面白い記事が目白押しだが、秀逸だったのは『妻・山口百恵の真実−三浦友和が初めて明かす』。彼女が引退した時に青春を終えた(別れた彼女が彼女に似ていたこともあって・・・)私としては興味津々に読んだが、一言イイです。キーワードは「普通であること」。

普通でない育ち方をした彼女は、普通の主婦の普通の生活を得るために人気絶頂で退いた(今でもあの白いマイク※を置いた場面を鮮明に覚えているのだ)。周囲は普通であることを許さなかったが、彼らは普通であることを願った。かくしてほとんど喧嘩もせず、子供たちもすくすくと育ち、特に父親を敬しているとのこと。以下、記事の抜粋。

※このマイクは小樽の西武警察記念館にあったのでけれど、何で?
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激流の行方

どうも私が予測したとおり、小泉氏のシナリオどおりに進みそうですね。これは別に郵政民有化の賛否を問うているのではありません。小泉氏もそれは知ってのこと。建前なのです。これまでのニッポンの政治の手法がここで淘汰されているわけ。

サンプロで石原氏が「これで社民党は消えるね、共産党も減るでしょ」と予言していたが、これは、間違いない!私の印象ではニッポンキリスト教と社民党あるいは共産党は同じ臭いを発している。「カミっさまっはあ〜」のあの独特の金太郎飴口調もすでに鼻についているが(不思議とどの派でも同じ!?)、社民党の党首のあのオバチャンと同じトーン。

で、今後の命運は多分同じ。立派で・霊的で・清く・正しく・貧しくのセンセイたちの時代は終わりです。否、献金で食べているあまり役に立っていないセンセイにはどんどんご勇退いただくべきだろう。ニッポンキリスト教○○派××連盟理事長だとか、なんとか神学校学長だとかの"ワッペン"は何の意味もない。この世にあって、この世にない魅力を醸していない者に誰が目を留めるだろう。まさにさみしい独り芝居。

今後の流れは二分化。そして下手をすると社会からこぼれた自己責任の取れない、自己憐憫に満ちた人たちがキリスト教界に満ちるようになる。今キリスト教メディアなどが吹いているリバイバル音頭などは幻想であることはすぐに明らかになるが、それどころではなく、これらの人々によって、何でも愛して・許してのニッポンキリスト教界は大きな混乱に満ちることであろう。私はその前に避難するつもりだが・・・。