2005年08月30日

日本歴史のIF

今のニッポン、政治、軍事、経済の三面で去勢されてしまっているわけですが、靖国神社の帰り、東京の林立するビル群の中を走りつつ、カミさんと話したのだが、もしWWUでの敗戦を経なかったら日本はどうなっていたでしょうね。つまり日米交渉も丸く収まり、ハルノートなんていう挑発的なモノもなかったとしたら、パールハーバーもなかったわけで、その場合、日本のその後の歴史はどうなっていたでしょうか?パールハーバーもルーズベルトが仕掛けた罠との説もあるようですが、果たして・・・?あるクリスチャンたちは、神は原爆を用いて日本の福音伝道の道を開いたのだ、と言う向きもありますが(ちとコワイです・・・)。原爆は神の必然だったのでしょうか?

Commented by kamekame 2005年08月30日(火)23:07

もしもWWUで日本が勝利していたら、、、、、

朝鮮半島、中国大陸、東南アジアを支配し、文化的にも日本語と日本名を名乗ることを強制し、かつ宗教的にも現人神であられる天皇と国家神道を強制する強力な大日本帝国がアジアに君臨する。そして、北アメリカ大陸を植民地化する。

一方ヨーロッパでは、ヒットラーが君臨し、今まで歴史上成し遂げられなかったユダヤ民族の完全抹殺を達成し、帝国を君臨させる。中国・朝鮮半島を除くユーラシア大陸を植民地化する。

そして、アフリカ大陸と南アフリカ大陸をイタリヤ帝国が植民地化する。

Commented by kamekame 2005年09月02日(金)23:49

IFの続き、フィクション「もし日本が戦争に勝っていたら。」

日本の植民地支配下になってしまった東アジア、さらに、北アメリカ大陸のキリスト教会はどうなってしまったのだろう。絶滅してしまったのだろうか?

いや、逆に、どんどんとメガチャーチが生まれ、成長していた。空前のリバイバルがおこっているかのように見えた。、、、なぜか、、、、。その礼拝を見学して、その理由がわかった。

礼拝の最初に、全会衆はまず、皇居にむかって一礼し、教会堂の中に掲げてある十字架の上に祭られている日本神道の神棚にむかって「パン、パン」と神道式の礼拝がささげられた。

一瞬、シーンと静まり、おもむろにピアノの前奏がかなでられた。司会者が語りはじめた、「それでは今日の礼拝をはじめます。、、、、」

お詫び

8時30分頃から9時10分頃までサーヴァーがダウンしていました。どうもVNPを始めてから、安定しません。アクセスログを見るとアタックを受けている痕跡もあるのですね。うちにアタックかけても何もないのですけどね・・・。

見てきました、靖国神社

いやあ〜、スゴイですね、やっぱり。外目には神社自体は他の神社と同じです。境内の雰囲気は、私は、実はけっこう好きなんですね。ヨーロッパのいわゆる教会のカセドラルはやたらと高さを競うわけで、装飾もやたらとキラビヤカで、何となく落ち着きません。エルサレムの聖墳墓教会などはちょっと不気味でしたしね。そこいくと神社は建物が低い。装飾も地味で、独特の落ち着きがある。聖霊派の人たちに言わせると悪霊がウジャウジャいるようですが・・・(笑)

面白いのは神社主催で「つのだ☆ひろコンサート」をするんだとか。「メリージェーン〜」とやるのかしらん?ところが「遊就館」に入ってビックリ。まず入り口にはゼロ戦と汽車のC56。本物のゼロ戦を見て、私の心は一挙に童心に帰り、一言、「スゲェ〜」。
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Commented by まるふぁ 2005年08月30日(火)20:21

お気をつけください…主の守りを祈ります。

先日、D.ボンへフッファー著『共に生きる生活』(新教出版、森野善右衛門訳)を読みました。
キリスト者の交わりは、
「イエス・キリストを通しての(durch)、またイエス・キリストにある(in)交わりを意味する。キリスト者の交わりは、それ以上のものではなく、またそれ以下のものでもない。」(p.13)「理想的(Ideal)ではなくて、神的(gottlich)現実である」「霊的な(pneumatisch)現実であって、心的な(psychisch)現実ではない」(p.20-21)
との文章は、今のキリスト教界の「交わり」の問題点を指摘しているように思いました。

精神疾患がある人の中にも、「普通の感覚」を失っていない人もいます。逆に、「健常者」としてまかり通りながら「アブナイ」人もいます。「精神疾患」と「心のビョーキ」とは違うのではないか?と思う今日この頃です。

Commented by Luke 2005年08月30日(火)21:42

そうですね、「精神疾患に罹ること」と、「心のビョーキである」ことは確かに異なります。だから、あえてビョーキと書いているのですね。

ポイントは病識があるかどうかです。特にコワイのは、自分は霊的であるとして、"神の声"を聴いたり、誰それに悪霊がついているとか言いふらしつつ、普通の生活から遊離する"信仰に熱心"な人たちですね。

何しろ自分は神の側、相手はサタンの側ですから、彼らにはコワイモノがないわけで・・・。こういう人たちがビョーキの人で、疾患を持っている場合もあるし、見かけは健常かもしれませんが、いずれにしろコワイわけです・・・。

ちなみに靖国神社のアピールは聖霊派の臭いと同じですね。一億総福音化伝道とかね・・・。