2005年10月15日

クリスチャンの議論のあり方

午前中はいつもどおり、プールとサウナ。これをしないと1週間がシャキっとしません。92年からですから、もう13年。このスイミング・クラブはちょっと旧くて、平均年齢も高いのですが(おばちゃんばっかり!)、サウナもコースも「マイ」で行けますから。プールの目的は泳ぐこと。若い子を見ることではありませぬ。

女性コーチたちは体型がなんとも日本人でして、若い子にはとても夢を与えません(太目のほぼ5頭身だぁ・・・)。しかし贅沢は言えません。近くの高級クラブは設備もいいし、コーチもピチピチしているのですが、イモ洗い状態。皆さんキラキラと人の目を惹かないものがイイのです。午後はカミさんと次女とでいつもどおりチネチッタにて映画。

 * * *

ディスカッションではイロイロと刺激になりましたが、結構収穫があったと思います。同じ聖書を読みながら、これほどに異なる受け止め方をしている人がいることの発見は貴重です。しかしもしかしたらコチラの常識がおかしいのかも知れないと、下の科学者的姿勢でも言いましたとおり、ちょっと留保を残しておきましょう。

私たちにとって大切なのは交わりです。聖書の解釈の違いを超えて、交わりを維持すること−これが最も重要であるとウォッチマン・ニーも言っています。とかく同じ意見で群れる方が楽ですから、そちらに流れるのが人の常。これは世も教界も同じ。違った相手を受け入れることにおいて霊的な度量が問われるわけです。その人を通して流れる神の何かをミスすることのないように。

交わりの本質はいのちにあります。相手に何がしかの真実といのちが感知されるならば、開く必要があります。相手が悪意のある単なる戯言者であるならば、無視すればよいのです。その人が自らの言葉で自らを証しし、裁かれるだけです。この意味で意見の相違や神学の種類でキリストの体が分けられていることには、私たちはうめきを覚える必要があると感じております。

Commented by Sky 2005年10月16日(日)01:01

ルーク先生、こんにちは。
(初歩的な質問で恐縮ですが・・・)
富井氏とのディスカッションの10月15日(NO.72)のシェーマ作成のソフトは何をお使いでしょうか?
便利そうなので、お教え頂けますと感謝です。

Commented by Luke 2005年10月16日(日)08:24

ええと、そんな高級なものではなく、Windowsの「アクセサリ」にある「ペイント」です。

Commented by Sky 2005年10月16日(日)09:33

そうですか、ペイントだったんですね。
ありがとうございます。

Commented by ともじいのおやじ Eメール 2005年10月16日(日)21:29

>この意味で意見の相違や神学の種類でキリストの体が分けられていることには、私たちはうめきを覚える必要があると感じております。
一致できない(信条・教理・聖書解釈の違い)ことに呻くのでしょうか。私たちより先に御霊が呻いておられないでしょうか?また、今回のディベートは「キリストのからだ」を裂いてしまったのでしょうか?
火種となった「うさぎ亭主」殿にはよくよく
注意しておきますが、彼も私も、もう一度虚心坦懐に御言葉に真っ正面から迫ってみたいと考えております。そして今回のディベートについても学ばせて頂きます。そして、完全に一致できなくても手を携えて「交わり」ができる、そんな「からだ」を求めて参りたく、今後とも御指導宜しくお願い申し上げます。

Commented by Luke 2005年10月16日(日)21:53

いえいえ、今回の対話はむしろ交わりの契機となれたと思いますよ。彼とは話を一度してみたかったのです。私はとても満足しています。

解釈の相違などはあっていいわけです。いのちの認識があれば、ソレを超えて交わりができるはずです。富井さんにはとても感謝していますし、キッカケを作って下った某氏にも感謝しております^^

Commented by Luke 2005年10月17日(月)10:54

やれやれ、ついに私に対して富井先生お得意の「異端宣告」がなされたようです。「選び」と「内なる霊」が違うので、一緒にやることはできないとのことです。WindowsとNS-DOSの関係がどうしても御理解いただけなかったようです。もうちょっと伺いたい点があったのですが、残念。

自然科学の方法

どうも神学オツムの方は、ひとつの神学のフレームを持つと、頑なにソレを御言葉に優先し、むしろ御言葉をそのフレームにはめたがるようです。

私たち自然科学者は逆です。なるべく一定のフレームを持たないことを心がけます。私はこれを「カラスの論理」と呼んでいます。自分がこれまでに見たカラスが黒かったから、一応「カラスは黒い」と主張します(「不完全帰納法」と言います)。が、もしかしたら白いカラスがいるかも、と留保をつけて置くのです。なにしろ世界中のカラスを見たことはないのですから。

対して神学オツムはいったん「カラスは黒い」となると、たとえ白いカラスを見ても、「いや、アレはカラスではないのだ!」となります。ヤレヤレ。

アインシュタインが出る前にもニュートン力学の矛盾は知られていました。が、彼以外の人はその世界(フレーム)から出られなかったのです。だから理論がコジツケでした。しかしアインシュタインは単純に実験による事実(光速度不変の原理)を認めてしまったのです。これを説明するためにコジツケをするのではなく、逆にこれからすべてをスタートしたのです。これが特殊相対性理論です。

しかし物理理論は必ず実験による検証と言う関門をくぐります。彼はパスしました(妄想ではなかったのです^^)。次に一般相対性理論を作りました。これは特殊が等速度系での理論であるのに対して、加速度系での理論です。これがやはり実験で確認されました。

しかし特殊相対論はニュートン力学を否定しません。むしろその中に吸収し、含むのです。だからロケットを飛ばすのはニュートン力学で十分です。同様に一般相対論は特殊相対論を否定しません。むしろ含むのです。こうして神の造られた世界の構造はますます精緻に理解されるようになったのです。

モーセ律法といのちの御霊の法則の関係も同じです。MS-DOSとWindowsの関係がご理解いただけないとは・・・涙、涙であります。どうも神学の方は永遠にニュートン力学(いや、それ以前)に留まりたいようですね。そこはとても不自由な世界なのですが。相対論の世界の方がはるかに自由であり、楽しめるのですがね・・・。まあ、あえて折伏はしませんが、少なくとも私の言っていることは正確に理解いただきたいと願うだけです。

(ホンネ:再建主義がすべての分野に適用されたら、これはもうニュートン以前に戻りそう・・・汗)

Commented by ICHIRO 2005年10月15日(土)14:09

Lukeさん、ようやく分かりました、私も!
MS-DOSとWindowsの関係ですね、なるほど、、、
でも、すでに時代はMS−DOSさえ知らない人が多いのでは?
たとえも題材を選ばないとなりませんね。