2006年05月24日

因縁

禅にはまっていた私が何ゆえにクリスチャンになってしまったのか。不思議な因縁(仏教用語ですが)がある。私が若い頃薫陶を受けた師(ご自身もカトリックの洗礼を受けておらられる)は内村鑑三の子息内村裕之教授主催の東大精神医学教室の出身。また先生の旧制高等学校時代の漢文の師が秦慧玉師であり、後に永平寺の76世の住職(明峰慧玉)となられた。この師から私は多くを学んだが、見事にキリストと禅が提示されていたわけ。当時は気がつかなったが、この方との出会いも主の御手にあったことを、今自分が50を迎えて深く覚えている。そして今そのわが師は97歳。大往生の日も近い。

私と禅

聖霊派の霊の戦いをやっている人たちから「Dr.Lukeは悪霊に憑かれている、主の名によって、悪霊よ、出ろ〜!」とやられてしまいそうですが。軽薄なんですね、ニッポンキリスト教は。

それに対して禅と禅文化の深さと静寂さと緊迫感は大好きなのです。学生時代夏休みになると軽井沢の友人(彼とは30年近くの付き合いで、彼も禅の老師のように世間離れしてますけど^^)と出光美術館(今はないようです)に仙涯和尚の禅書墨蹟を観に行ったものです。森閑とした中で書を眺めていると、時間と空間を越えて禅の心―こだわらない流れる心―に触れることができた。加えて同館では落雁に抹茶を振舞ってくれるのですね。甘い落雁と渋いお茶。このハーモニーが実に絶妙。暑さの中での熱い一服(と言ってもぬるいが・・・)。また静岡臨済寺の当時の倉内正堂師にもお世話になったりしたもの。夏にはこの寺はセミの声で包まれる。「脚下省顧」の張り紙が新鮮だった。あのキョウサクでピッシと打たれるとなんとも言えない爽快感が満ちた。

禅は鎌倉時代に特に文化として日本に浸透したが、剣、茶、花、舞など、すべてに浸透している。こちらの禅寺の佇まいなどは実に心惹かれる。対してキリスト教のいわゆる教会や寺院などは不気味であまり・・・ですね。多分に今のキリスト教では、禅の影響が深く浸透している日本人の心の琴線にはほとんど触れることがないでしょう。キリストご自身から相当に乖離しているからだ(参考:山田無文師のことば)。私の知っているキリストは、十分にこのような風情や風流を理解する方と私は勝手に感じているのですが。事実鈴木大拙も「イエスは覚者じゃ、しかしわしは聖霊が何かは分からん」と言っているくらいです。イエスご自身には大拙をうならせた魅力があるのです。

禅文化研究所
臨黄ネット

Commented by Luke 2006年05月24日(水)23:07

次の無文師の言葉などは、感性的自己を肉と、霊性的自己をキリストに置き換えれば、そのまま聖書の真理になります。
http://www.zenbunka.or.jp/03_magazine/mumon/012.htm

正法眼蔵生死(改)私訳

私たちの生きること死ぬことにおいてキリストがおられれば、生死は問題ではなくなる。生と死の中に形だけのキリストを自己努力で求めることがなければ生死に惑うこともない。

これは夾山、定山と言われた禅師のことばである。道を開いた人の言葉であるから、虚しいものではない。生死から解放されたいと思う人、その願いをまず諦めよ。もし人が生きることそのもの以外にキリストを求めれば、まったく見当はずれのことをすることになる。ますます生死の問題を背負い込んで、解決の道を失ってしまうだろう。生きること死ぬことそのものに神の国があるのであって、生きること死ぬことを厭うべきでなく、神の国を他に願うべきでもない。この時に初めて生死のような二元的世界を離れることができる。
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正法眼蔵生死(改)

Dr.Lukeによる書き換えヴァージョンです^^

生死の中に基督あれば生死なし。又云く、生死の中に基督なければ生死にまどはず。

こころは、夾山、定山といはれしふたりの禪師のことばなり。得道の人のことばなれば、さだめてむなしくまうけじ。生死をはなれんとおもはん人、まさにこのむねをあきらむべし。もし人、生死のほかに基督をもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解のみちをうしなへり。ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて生死をはなるる分あり。
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Commented by Makoto Yamaya Eメール URL2006年05月26日(金)09:17

ドクタールークの「正法眼蔵生死」のキリスト・ヴァージョン、たいへん感銘しました。

禅の真理契機を完成するキリスト。この点、小生はまったくアーメンです。

ここで「合掌」とご挨拶を送りたいところですが、いろいろ誤解する方もおられるようなので(笑)ドクタールークに主の祝福を心からお祈りいたします。

Commented by Luke 2006年05月26日(金)12:32

あ、これは山谷さん、コメントをありがとうございます。その節はバックアップをいただきまして、感謝でした。いろいろと勉強をさせてもらいました^^

いやあ、うれしいですね、正法眼蔵をそのように理解してくださるクリスチャンがおられるとは。「禅の真理契機を完成するキリスト」―いい表現です。

実は私もこの文章を「合掌」でしめようと思ったのですけどね^^

Every Blessing!