2006年05月16日

ダ・ヴィンチ・コード

この土曜日に封切りとなる同作品を楽しみにしている。実はダ・ヴィンチは高校時代から好きで、彼の作品集なども持っているのだが、この映画が何で信仰へのチャレンジとなるのか、ちょっと調べてみた。ダ・ヴィンチ自身も当時のキリスト教界に対する反逆を試みていたらしい。

要するにマグダラのマリアとイエスの間には子供がいて、それが後のメロビング家の祖先となり、カトリック教会はそれをひた隠しにするために、ルーブル美術館長を殺すわけ。その犯人とされるのがトム・ハンクスで、館長の孫娘と一緒に隠されたミステリーに挑むというお話らしい。テンプル騎士団とか十字軍とかが出てきて、さらに聖杯(最後の晩餐で用いたもの)の行くえを巡って謎は深まるわけ。お話としてはなかなか面白い。

が、私たちの信仰を揺るがすものではない。先のユダの福音書もグノーシス主義(マグダラのマリアが創始者だそうだ)のものであり、私たちの知っているイエスとは関係がない。ただイエスの磔刑はインチキとか、復活はなかったと言っている向きもあるので、真理に対する挑戦ではあるが、真に受けるまでもないと思う次第。

下にも書いたが、カトリックの歴史がいかに魔女を数百万焼き殺したとしても(プロテスタントも同じだが・・・)、私個人の信仰とは関わりがない。しかし世の人にはキリストご自身とキリスト教の区別はつかないだろう。その意味で下に書いたとおりの感覚を持っているが、私個人の信仰が挑戦を受けるものではない。

ただし、やはりこの世の霊(ストイケイア)が活発に働いていることは間違いなかろう。何とか真のイエスから人々の目を逸らそうとしている意図を感じる。このような霊的雰囲気の中で、少しばかりの力しかない私たちではあるが、淡々と御言葉を語り続けることだ。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月17日(水)08:57

最後の晩餐、去年実物を見てきました。 さすがはレオナルド!ダ・ヴィンチって出身村の名前で、実は私生児だった彼には苗字が無かったんだそうですね・・・その辺がやはりカトリック教会と反りが合わない最初の理由の一つかもしれません。 構図がイエスを囲む12使徒の間のドラマを見事に物語っていました。 画家としてこれだけ才能のある人が、しかしカトリック=キリストだと言う構図から抜けきれず、本当のイエスに出会えなかった(?)としたら、その方が悲劇ですね。 

個人的にもっと好きなのはゴシック様式の影響から抜けきれていないフラ・アンジェリコの作品です。 画僧の作品だからカトリック教会に対する反逆精神は当然無いでしょうが、それ以上に、神への子供のように無垢な信仰心を感じ、それに私の内にある霊が共鳴して感動します。

ダン・ブラウンの著書は小説で読みましたが、フィクションとしてはスピード感もあってなかなか面白く書かれていると思いました。 ただイエスとマリアが仮に結婚していてイエスの磔刑死後、マリアが子供を産んでいたという説ですが、完全な『花婿』であるイエスが、自分はこの世を去り、母子をこの世に置き去りにして行くという運命を知りながらも結婚したり、子供を作ったりするかな?と、この説はイエスのご性格を考えると疑問に思うし、イエスが刑死しなかったという説も良く聞きますが、歴史的記述から言ってもこれはまずあり得ないです。所詮はイエスご自身を知らない世の人が書いたものだと思います。

聖書の偽典、外典と言えば、ユダの福音書が復活を否定する一方で、同じ聖書の偽典、外典のヤコブの福音書には、マリアが産気づいた時に面倒を見た産婆が、マリアが処女であった事を確認して驚いたという記述があるそうです。 

Commented by ICHIRO 2006年05月17日(水)13:44

場所によっては大変なことになっているようですよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000016-nnp-int

Commented by 通りすがり 2006年05月18日(木)17:14

何の根拠もないヨタ話に、yumemiさんのように本気で考えてしまうクリスチャンもいるわけで、いわんずや、聖書を読んだことがない人々には相当な影響があると思います。
イギリスでは、小説を読んだ6割の人が、このヨタ話を信じているくらいですから。↓http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000084-kyodo-soci
切実な問題ではあると思いますが。。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月18日(木)19:39

<通りすがりさん、
私は全然本気で考えてる訳ではありませんので、あしからず。 
ただイエスを知る恵みに預かった者として、歴史的、また霊的、個人的に、この説は義経がチンギス・ハンになったとか、ローマ人の祖先はトロイの落ち武者だと言うのと同じ程度の信憑性しか感じないと言いたかったんです。 だからお話としては面白いと思います。 ただ映画としては失敗作みたいですね。 カンヌ映画祭では失笑を買っていたそうですしね。所詮はその程度の物、という事です。

冒涜の叫び

前から気になっているサイトがある。在日ドイツ人のサイトですが、内容はあらゆる権威を拒否するアナーキズムと反聖書的発言に満ちています。歴史的キリスト教がいかに狂信に走って、大量殺人をし、人々を蹂躙してきたか、聖書の神はいかに残忍非道であり、人を人と思わぬ残虐な神であるか、彼は切実なまでに書き連ねている。この人の写真の目を見ると、なんとも言えない孤独感を漂わせている。

私はこのような叫びに触れると、反キリストの霊につかれているとか批難する前に、うめきを覚えてしまう。この方は目に見えるキリスト教によっていかに深い傷を受けてこられたか、と・・・。「お茶ら化し」に対してはむしろ気が楽である。責任は彼らにあり、彼らが自身が自分の言葉の実を刈るだけ。ところがこのサイトにはある種の真実の叫びがあるのだ。もちろん彼の神観には同意できないが、そのような神観をいだかされてしまった彼の人生を思うとき、かなり深刻な気分になる。なぜなら私もキリスト教は大嫌いであるから。

が、幸いなことは、主イエスは、そして父なる神は、また聖霊は、私にとっては大いなる慰めであり、希望であり、そして愛なる方なのだ。もちろん神は義であるから厳しさもあるが。願わくは、このドイツ人の方も、このようなイエスを知り、このような慈愛と憐れみに満ちた父を知って欲しいと願うだけである。(多分、このような境遇にある人々は相当に多いのだと思う。)

Commented by まるふぁ 2006年05月16日(火)15:34

アーメン。

「アンチクライスト・スーパースター」のマリリン・マンソンも「憎んでいるのはイエス・キリスト自身ではなく、人々が信じている『神』だ」と言ったそうです。彼にとってキリスト教こそ「この世の権威」なのでしょう。

真実な神御自身が、一番うめき苦しんでおられると思います。私もうめきを覚えつつ、
主よ、私たち(キリスト教会)を赦し、憐れみたまえ…
まさに、どう祈ったらよいかわからないですが、
真実な主のとりなしにすがり、うめきを共にしたいです。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2006年05月16日(火)17:08

何だか考えさせられますね。キリストご自身と、キリスト教界(教会ではありません)。微妙にズレているようです。しかし世の人が見るのは、混乱に満ちてる「教界」です。どこに真実があるのか分からなくなっている、ルークさんの言われる閉鎖世界です。その混ざり物や飾り物を排して、ただキリストご自身だけを知ることができることはまったく奇跡なんですね。

Commented by Luke 2006年05月16日(火)19:22

この方の証は相当に歪曲されたものであり、彼の心が病んでいることが分かりますが、その心の叫びには応えてあげる必要があるでしょう。それはその方の吐き出すものを受けて自分が傷を受けることです。キリストはすでにそれをなして下さっているのですが、

今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たす

必要があるわけです。今のクリスチャンは自分のことでイッパイ・イッパイで、これが私たちにもっとも欠けていることでしょうね。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月17日(水)07:12

お久しぶりです。 こういう人は私の周りにはたくさんいますよ。
皆、乳児洗礼を受けカトリックとして育てられたにも関わらず、『信仰』を捨てた人達です。 アイルランドの30〜40代にはこういう人々がたくさんいます。実は私の主人もつい最近、自分がキリスト教徒でない事に気がついたばかり。 歯痒い事ですが、彼の知るイエスと私の主イエスとは全然違うという事をなかなか上手く伝える事ができません。 彼の中では宗教とイエスご自身を分けて考えられないのです。