2004年02月01日

物事の裏表

よく自分はだめだ、自分はだめだ、と年がら年中叫んでいる人がいる。実はこのような人の本心はかなりプライドが高くて、自分を認めてくれ、自分を尊重してくれという願望の裏返しに過ぎない。劣等感は優越感の裏返しである。気の長くない私は、このようは人々には、そのとおりだよ、あなたの言っているとおりです、あなたの信じているとおりになるように、ピリオド、と対応する。

人の心の裏表はきわめて面白いものがある。悩んでいる人の表向きの訴えは、私はほとんど信頼しない。本心は人には言わないものである。またしばしば本人自身がそれに気がついていない。その本人の主訴は実はその人の問題の本質ではない。本質は隠されている。これを直視することを避けているから、苦しむのである。直視することから逃げなくなる時、その人は手がかりを得る。

物事には裏表がある。人の心は特に裏表が激しい。黒を黒し、白を白とすれば、何も問題はないのであるが、それができないからヤヤコシイ。ニッポンキリスト教もこの裏表の激しさは相当のようである。白いもの必ずしも白くなく、黒いもの必ずしも黒くないようだ。事の真実がどこにあるか、これを見分けるのは霊である。

1コリント2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。

主イエスも

マルコ2:8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。

霊の直覚による識別。このためには霊のエキササイズが要る。

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本日のMSGの配信ですが、パソコンにちょっとした不手際があり、2,3日遅れますので、御了承ください。