2004年02月11日

もぐら叩きの病理-嫉妬社会の本質-

▽昨日の日経夕刊に、人間の嫉妬や妬みの社会経済的分析があった。いわく、誰もビル・ゲイツやイチローに対して嫉妬を抱くことはない。むしろ彼らには憧れと尊敬の念を覚える。しかし自分の隣の御主人が出世するとさっそく妬みを覚える。これは人為的にすべての人が平等であるという価値観を押し付けられることの反動であると。

▽社会が安定するためには、格差が必要なのである。私は前々から言っている、この世は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と。「自由・平等・博愛」という欺瞞。この幻想の上に構築された人工的社会。

▽すでにニッポンはもぐら叩きのごとく、出張った者の頭を打って、平らにならした挙句、ビジョンと希望を失って行き詰っている。かくしてお互いの身丈を揃えるだけのつまらない社会となっている。今回の青色ダイオードの中村教授の200億円はその意味では快挙である。

▽しばしば「差別のない社会を!」と訴える人々が最も人を蔑視する傾向があり、「互いに愛を!」と訴える人々が実は自分が愛されたくても裏切られた感情を裏返しに表現しているだけのことはよく観察される。

▽そしてニッポンキリスト教でも福音派と聖霊派の叩き合い、さらに今般聖霊派内でも互いの潰し合いが起きている。かつての学生運動も結局のところ旧体質の社会を壊そうとしたまではよいが、何も健全なものを生み出さず、自分達の手による"総括"によって、内部から崩壊していった。

▽今回も相手を「ぶっ壊す」という言葉に象徴されるとおり、そこに働いている霊は聖なる霊ではとてもあり得ない。その一方で格差を設けて安定化を図るかのように、アメリカ産の"油注がれた器"を据えようとしている。・・・くれぐれも「聖霊派の聖霊知らず」になって、内部崩壊しないことを祈る。

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Apacheはいいですね。レスポンスと安定性が格段によくなっています。