2004年02月02日

認知的不協和の理論と腰痛の関係

フェスティンガーは中国などの共産圏で行なわれていた洗脳やマインドコントロール(MC)のメカニズムを研究して、この基礎理論を提唱した。

人は自分の魂(知・情・意)や体の要素の間に違和感(不協和)を覚えると、他の部分を変えつつその違和感を最小にするように自らを変える性向がある。カルトや一部の"正統な"教会においてもこれにもとづいたMCが行なわれている。

このようなところで苦しんでいる人と話をすると、ある一定の傾向があることが分かる。つまり彼らは今の自分の状態がおかしいことを、自分の責任に帰している。"油注がれた"エライ先生がある教えをしたが、自分はそれに従えないし、その通りにならないことを、すべて自分の至らなさに帰し、自責感でがんじがらめになっているわけ。

私から見るとそのセンセイの教えのほうがよほどカルトなのに、このことに本人は気がつかない。このような場合にも最初の段階で実は違和感(不協和)を覚えているのである。そのセンセイの教えを聞いたとき、「うん?」という一瞬の閃きとして、違和感を覚えるのであるが、「センセイ>自分」という不等式に従って、自分の違和感を抑圧するのである。こうして後は芋づる式にその教えの体系を吹き込まれていくうちに、最初の違和感は忘れられ、ボンデッジにはまる。

MCに落ちている人をカウンセリングする鍵は、その芋づるの教えの問題点を暴くことではなく(これは労多くして実りがない)、最初の違和感を思い出させてあげること、そして自分のその感覚的判断を信じてよいという確信を与えることにある。こうしてその本人は芋づる式の教えの体系も自ら解くことができる。

今回、私は腰を痛め、あまりにも治りが悪いので、聖霊様に祈ったところ、聖霊様は私の隠れた罪を示され、徹夜断食祈祷によって、すべてを告白して悔い改め、腰痛の霊を追い出して、サタンから解放されて、ようやく癒されました・・・とっとっと―これはよく聖霊派でなされるちょっとコワイ証の典型パタンですが(私にはほとんどMCのためと見えるのだが、怒られそう)―ではなくて、主は教えてくださいました。「くつを変えなさい。」

実は今の靴を買ったとき、最初にちょっと違和感があったのですが、値が張っていたので、いい靴だと思い込むようにして履いていたのですが、体は嘘をつかないのですね。私も見事に認知的不協和の理論により、粗悪な靴をいい靴と思い込まされていました。御霊はあらゆる真理に導いてくだり、解放して下さいます(^^)